少年少女に未来への夢と希望をおくるSF文学の決定版――

少年少女世界SF文学全集(あかね書房)

責任編集=白木 茂・福島 正実    (20) 小学上級〜中学生向

 

 

第13巻 ロボット・スパイ戦争 

 (カルル=ブルックナー・原作/塩谷 太郎・訳/楢 喜八・絵 19725月初版発行)

(あらすじ)

 時代はソビエト連邦存在時の冷戦時代である(1963年の作品)。ドイツで行われる万国博覧会を前にして、アメリカとソ連の政府が、ロボット制作を急いでいた。どちらがより人間に近いロボットを製作し、人気を集めるか。国の威信をかけた熾烈な競争であった。スパイが暗躍し、設計図の奪い合いや買収も行われ、ロボット制作にかかわる科学者たちも方針の違いや疑心暗鬼から論争を繰り返す。

 波乱の末、ついにロボットは完成し、万国博覧会に出展される。アメリカ製の男性型ロボット・ウィリアムとソ連製の女性型ロボット・ナターシャである。人間に近い電子頭脳をもち、言葉を理解でき、会話し、自由に動き回れるロボット。アメリカ館もロシア館もどちらも連日満員の人だかりだった。

 二体のロボットは、マスコミとのインタビューに応じているうち、やがて自分と同じロボットの存在を知る。ナターシャはおめかしして写真を撮り、ウィリアムにことづける。ウィリアムはナターシャに会いたい一心で管理人に対してストライキを起こす。それを知ったナターシャもストライキを起こす。そしてついに、両国政府の思惑で、両国のパビリオンの中間点で二体のロボットの会談は実現する。世界の人々が祝福する中で、会談は友好的に終了する。

 次の日、ナターシャはウィリアムの本心について、監督者であるシャチェイエフ技術庁長官と激しく言い争う。

「わたしたちのあいだには、もう国境はありませんし、東と西のみにくいあらそいやにくしみもありません。わたしたちのからだに、わたしたちの血液である電流が流れているかぎり、わたしたちは、いまあなたたち人間が失いつつある友情で、しっかりとむすばれているのです」

 その言葉に衝撃を受けたシャチェイエフは、ナターシャを鉄格子から出し、このことは、恒久的世界平和への第一歩と、全世界から好意的に受け止められる。シャチェイエフが独断で行ったこの行為を、ソビエト大使館の上司たちは裏切り行為と叱責するが、書記長はじめソビエト政府は、国際世論の主導権を握るのに利用できる、と歓迎する。一方、後手に回ったアメリカ政府は、ソビエト政府の真の狙いをいぶかり、ウィリアムにナターシャ以上の人気や話題を集めるにはどうしたらいいか思案し、やがてウィリアムを月の探検・開発に送り込むことを決定する。ナターシャに会いに行くことを禁じられているウィリアムの下へ、ナターシャが行列を引き連れて会いに来る。ウィリアムはナターシャと二人で月に行くことを提案、このことは世界中から歓迎される。これはアメリカとソ連の共同宇宙開発、みにくい対立の終結、友好的な協力を意味する。

 世界の各都市では平和行進が行われ、国際友好をたたえる歌が、世界中に広がっていった。

 

 みんなで手をつなごう

 友情の手で世界をつなごう

 われらはみんな兄弟だ

 「平和!」みんなでさけぼう

 

 国連では、この歌を国際歌として認める法案が成立した。

 ホワイト・ハウスやクレムリンは、まだお互いに、事態を自分たちに有利に導こうとして相手の腹を探り合っていたが、ロボット達の提案によって、月ロケットを共同開発することに賛成する。

 月ロケット「パックス」はバルト海に面したドイツの海岸で制作が開始され、数か月後に完成する。

 ウィリアムとナターシャは、全世界の人々が見守る中、手を携えて、新婚旅行に行く新郎新婦のようにロケットの中に入っていく。そしてロケットは目に見えない手で持ち上げられるように、ゆっくりと上昇していく……。

 

 

(書評:甘い楽観的な展開と結末に唖然!忘れられつつある戦争の記憶!

科学技術のみならず、心の面でも現実はSFに追いつけなかった!!!)

911日。ニューヨークで不幸なテロ事件が発生しました。犠牲者のご冥福をお祈りします。

この事件に対して武力報復が現実味を帯び、日本でもそれに賛成する意見が大きくなっている今、以前読んだこの作品のことを思い出し、急遽、緊急特別企画として、この作品を取り上げることにしました。

あらすじを読んでの皆さんの感想は、どうでしょうか。私はこの本を、中学時代に読んだと思います。その当時でさえ、あまりの都合よすぎる楽観的な展開に、唖然忙然としたものです。大人になった今、読み返すと、もっと気恥ずかしくなっちゃうような……。

何せ、ソ連が出てくるのですから。この国が出てくると、まるで歴史小説を読んでいるみたいだ。あるいは、パラレルワールドSFか。

しかし、この小説執筆当時、そして私がこの本を読んだ時代、ソビエト連邦という、アメリカと対立する大国の恐怖は、実際にありました。当時の私は、『世界謎の奇跡と大予言』という、1999年の危機を煽る世紀末予言を集大成した本を読み、パニック状態に陥っていました。NHKは「核の冬」という特番を放送し、核戦争の恐怖を煽っていました。また、今にもソ連が攻めてくる、といった論調で恐怖心や敵愾心を煽るマスコミもありました(この、オオカミ少年め!)。これらを信じ込んでしまった私は、1999年にはソ連が核戦争を起こして世界は滅亡する、と本気で思っていたものです。私はちょっと敏感すぎたようです。この、あまりの恐怖心が精神を蝕み、徐々に人生を狂わせ、修復不可能な所まで追いやられたわけですが……。

ともかく、いつ核戦争が起こるか分からないという、冷戦時代だったのです。この作品が書かれたのは。

大概のSFはハッピーエンドで終わりますが、この小説は、当時対立していた東西諸国が仲良くなり、世界平和が訪れるという、スケールの大きい究極のハッピーエンドです。とは申せ、あまりにも幸運に事が運びすぎているという感がなきにしもあらず。ロボットやマスコミに振り回されて平和交渉にのせられてしまうアメリカやソ連の政治家。いい方々です。これを利用して悪事を働く政治家はいないのでしょうか。ロボットを製作するアメリカやソ連の科学者の中にも、相手国に寛容な人がいて、それを公言したりしています。また、人間に近い電子頭脳はいいとして、ロボット達が民主主義・平和主義的な思想を持っているというのも幸運でした。科学者達は、自国の威信をかけて、相手に勝つためにロボットを製作したのです。自国の宣伝のために制作したのですから、普通は、自国を愛し、相手国を憎むようにプログラムするはずです。こういった幸運が重なって、この物語ではアメリカとソ連が和解し、世界平和が実現しました。

時は過ぎ、2001年になりました。目を現在の現実に向けると、テロが発生し、それに対する武力報復が行われようとしています。相変わらず世界は平和になりません。電子頭脳やロボットなんかより、平和実現の方が難しいようですね。今もし、ウィリアムやナターシャのような存在がいて、交渉の仲介をつとめてくれたら……。しかしやはり、国家や大義を背負ってしまった周囲の政治家が交渉に反対するかもしれません。でも子どもどうしなら意外とうまく事が運ぶかも。平和実現の鍵は、難しいものを背負わず、純真無垢に子どものように物事を見ることでしょうか。裸の王様の寓話を見よ。     

ともかく、平和実現の祈りを込めて、この本を取り上げてみました。この物語のような奇跡はないのだから、平和を実現するためには、我々一人一人の自覚と努力が必要です。

著者のカルル=ブルックナー(1906〜  )は、オーストリアの児童文学作家で、幾つかの賞も受賞しているようです。彼は広島・長崎に落とされた原子爆弾にショックを受け、この作品でも、長崎からやって来た浜井正吾という老人を登場させています。老人は、息子の新造と嫁のしず子を原爆で亡くし、孫の健二の面倒を見ています。孫には再びあの恐ろしい経験をさせたくないが、新しい戦争が起これば、また原爆や水爆が使われるのだろうか、とナターシャに訊ねます。ナターシャは、難しい質問だから電子頭脳が故障するかもしれないと断って、しばらく考えた上、答えます。

「わたしは水素爆弾があることによって、人類はそのような世界戦争からまもられているのだと思います。あなたが経験したような惨事はもう二度とおこらないでしょう」

 ナターシャは浜井老人にその理由を説明します。いわゆる核による戦争抑止論です。でも浜井老人はまだ分からないことがあります。

「でも、まだわたしにはわかりません。なぜ米ソの責任者たちは、おたがいに原爆をもっておどしあっているのか。そのおどしを実行するのは自殺行為だと知っていながら。」

 ナターシャは、人間の鼓動が十回打つほどの間宙を見つめてから答えます。

「わたしのように合理的にしか考えられない者には、その質問に答えることはできないでしょう。」

 そもそも、戦争があること自体、合理的に考えて不思議なことでは?

 ブルックナーには、原爆を扱った『サダ子は生きる』という作品もあるようです。

 

 この作品が描かれた時代、まだ戦争の爪痕が残り、戦争の悲惨な記憶も残っていたのでしょう。作者も読者も、戦争は二度と起こしてはならない、と強く誓っていたはずです。だからこそこの本も、日本の子ども達に受け入れられていたのだと思います。私が近くの公立図書館で借りた版は、1986年の18刷だから、長い間読み継がれていたのでしょう。このように、米ソ冷戦におびえながらも、素朴に単純に平和を願う本が受け入れられた時代は、平和な良い時代だったのでしょう。率直に「戦争反対」と言える時代だったのです。私たちはそんな時代に少年少女時代を送って、未来を夢見ていたのです。ソ連が崩壊して冷戦が終結し、21世紀になった今、世界はまだ平和を実現していません。日本では、戦争の悲惨な記憶が風化し、美化された戦争像が宣伝されています。うっかり「戦争反対」と言おうものなら、「平和ボケ」とののしられる時代になりました。再び戦争の悲劇が繰り返され、それが終わった暁には、再び戦争反対の意見が多数派となるのでしょう。こんなこと、いつまで繰り返すのでしょうか。今度は核戦争になって本当に人類が終わってしまうかもしれないのに。

 繰り返します。この本のように素朴に平和を願う本が受け入れられていた時代は、本当にいい時代だったのです。現在の国際状況は単純に米ソ二大陣営の対立で割り切れず、複雑化しています。ウィリアムやナターシャがいても、簡単に平和が訪れそうにもありません。この作品にしても、一見、世界平和が実現されても、むしろこれからが大事なのです。ロボットが量産され、悪用をたくらむ者も出てくるでしょう。再び戦争と対立の時代に逆戻り、ということも十分考えられます。

 今読み返せば、何を甘いことを、と冷笑されるかもしれないこの作品。それでも、戦争の谷間の平和な良き時代、我々の少年少女時代の平和な良き時代の雰囲気を伝えるいい作品です。この作品を貫くモチーフが単なる徒花でなく、人類共通の普遍のものだということを願って、まるで戦争前夜の騒然とした空気の中、あえてこの作品を取り上げてみました。

 なお、この作品の原題は“Nur zwei Roboter?”(ふたりのロボットだけか?)。スパイが出てくるのは前半部、それも少しだけで、物語の中心はロボットが完成してからにあります。だから『ロボット・スパイ戦争』という題名はちょっとずれるような気もします。まあこういった題名は子ども心をくすぐりますが。私なら、平和をテーマにしているのだから、「平和」という単語を入れたいところです。『平和をくれたロボット』『ロボットと平和』etc手……。あまり売れそうにないですね。なぜSFの題名には「平和」より「戦争」が似合うか。ここら辺、戦争が絶えない人間の深い業と関係しているかもしれません。

 また、この本の挿絵は楢 喜八さんが描いておられます。児童書の挿絵や早川ミステリ文庫の表紙などで知っている方も多いのでは?頭、殊に目や鼻が目立つユーモラスな人物、原色中心のダイナミックで鮮やかな色付けが特長。私はこの方の絵が大好きです。

2001.9.24(月)

 

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