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TommyおじさんのSF綴れ織り(8) −1997年12月16日−
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Desolation Road(荒涼街道)。 なんと、おじさんの琴線を震わせる原題であろうか。イアン・マク ドナルドという作家の作品を読むのははじめてだし、原題や邦題か らも多くのイメージを喚起させてくれたので期待感は大きかった。 しかし、読み終えるのに、なんと多くの時間を費やしたことか。 読んだ作品を全て、ここに書き記そうとは思ってもいないのだが、 この作品ほど、面妖というか、読み進みながら印象を変えることの 多い作品も数少ないと思う。 通勤電車のなかで読み、通常は面白いと感じると一気に読み進む ものなのだが、どうもこの作品は、特に前半はスピードがあがらず 一時は積読の山に放置するところだった。 結論から言うと、またこの作家の作品を読んでみたいという読後 感を得ることができた。しかし、一筋縄ではない。 前半では、これはファンタジーなのか、開拓史の類いのものなの か、首を捻りながら、正体不明の<異和感>に付き纏われた。 天才科学者アリマンタンド博士が、なぜか火星の砂漠を彷徨し、 デソレーションロードと名づけられる地に到達するところから物語 ははじまる。そして、最果ての地デソレーションロードにさまざま な過去を持つ人や家族が漂着し、やがて集落ができあがる。その過 程には前近代的な<家族と家族の葛藤><サーカス><開拓>とい ったイメージが散乱している。この作者は<未来>ではなく、過去 の何を語ろうとしているのか、なかなか了解できぬ<異和感>。 そして、集落の人々の放散がはじまり、やっと<火星>の都市が 登場するのだが、これがまた<産業封建主義>とくる。 G.G.マルケスの「百年の孤独」のSF版だといった賛辞が献上 されているのは何故だろうと、また考え込んでしまった。こうなる と純粋に物語りに嵌まり込むことができなくなってしまう。この調 子でずっと行くのかなあ、と思っていると、なんとSF大活劇に変 調するのだ。アーニー・テネブレの率いるホール・アース・アーミ ーの凄まじい戦闘シーンは違う作品を読んでいるのではないか、と 思わされるくらいの転換を生む。このあたりで作者の意図する仕掛 けを少しづつ理解できるようになる。 終盤にいたり、時間の久遠の彼方へ旅立ったアリマンタンド博士 が再登場してからは、作者の本来の意図が見えてくる。 もうひとりのアリマンタンド博士である<緑の人>は語る。時間 線がタペストリーのように紡がれる多元宇宙の姿を。「現実と線路 と織物」。存在と非在は交差し、交錯するのだと。 そして、<緑の人>は核心を語る。「説明できないものを含んで いない科学は、科学ではない」と。 マクドナルドはこの一点に収斂するために、<物語>を物語ろうと しているのだ。私たちがこれはSFだとか、これはファンタジーだ とか、分類することの無意味さを。 マクドナルド自身は、この作品をして<魔術的リアリズム>を表 現したかったのだ、と言う。しかし、<手法>にではなく、彼自身 が突き動かされている<世界観>には共鳴するものがある。 彼の作品はファンタジーとして分類されるもののほうが多いようだ が、読み終えて一層興味を抱かせてくれる作家である。 |