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原題は『Permutation City』。この原題の印象 に近づけるのは、物語の第2部に入ってからのこと。そこまでは、 主人公ポール・ダラムの遠大な構想が何なのか、訝しみながら読み 進んでいく他はない。私も多忙な時間を少しづつ割いて、じっくり と読み進んでみた。随分と日時をかけたものだが、充分な手応え。 前作『宇宙消失』を読んで、イーガンには期待していたのだが、 まったく期待を超えるほどの、この作家の力量に驚愕してしまう。 物語は、ひとりの人間をまるごとコピーした<デジタルなもうひ とりの私>がバーチャル・リアリティのシミュレーション世界のな かで、生身の私と変わらない<自我>と<自意識>を持ち、生存す ることが可能となった21世紀が舞台である。それは想像すること は可能だが、リアルに肯定することはできない<魔的な世界>とし か言えない。私は当初、この物語はこの<デジタル・コピー>が、 限界のある有機生命体である人類を継承するものとして描かれてい くのか、と想像していた。『人類という種族が、その文化や記憶、 存在意義と存在そのものが、安心して後継者にゆずれる時期が来る 前に、探究する必要のある問題』として、人間と<デジタル・コピ ー>との問題が措定されたところでは共感を覚えたものだが、イー ガンはそんな二番煎じでは気がすまないらしい。 物語はとんでもないスケールへと膨張していく。このあたりの剛 腕さがイーガンの強みでもあり、弱みでもあるようだ。 そして、もうひとりの主人公マリアの登場とともに、コンピュー タモデルとしての<おもちゃの宇宙>である、オートヴァースが描 かれる。本来、生化学シミュレーションを行う数学的モデルとして 開発されたオートヴァースは、シンプルな数学的原則を貫徹するこ とによって、もうひとつの宇宙を産み出していく。<セル>という 基本単位を統御する法則により矛盾なく自己増殖する、架空のセル ・オートマトン宇宙としての<オートヴァース>。その世界のなか では、とんでもない計算能力を持つプロセッサーさへ獲得すれば、 人口生命に充ちた、もうひとつの世界を想像することも可能となる だろう。しかし、誰が考えても、そんな計算能力を持つプロセッサ ー群は光の速度でのアライアンスを得ても実行不能であるだろうと いう限界がある筈だ。だが、イーガンは途方もない<宇宙論>へと 飛躍することでそれすら可能とする。いや、もうひとつの宇宙の生 成すら可能にしてしまうのだ。このあたりは、この作家の醍醐味と 言ってもいいだろう。釈然としないが「やられた」という衝撃を与 えてくれるからだ。実は物語のテクニカルな基軸は、このVR世界 のなかの<デジタル・コピー>と<オートヴァース>宇宙のふたつ を両輪として展開していくのだが、このふたつはわかりやすい、と 言ってもいい。このふたつを結節し、多元宇宙モデルへと誘う<塵 理論>こそ厄介なものである。量子論的宇宙を考えるときの、不可 思議さを思えば、この程度の飛躍は許していいのかも知れない。ど ちらにしろ、この<塵理論>を前提としないかぎり、物語は展開さ れないので、ここはぐっと堪えて、読み進んでいく他はない。この あたりで、好き嫌いがでてくるところかも知れない。私は好きの方 だ。前作では、死んだ妻の<モッド>を維持することによって、半 永久的に死んだ妻と共生するという擬似体験が描かれた。しかし、 本作では、言葉の真の意味における<永遠>が語られる。くらくら してしまう。『時空間は構造のひとつにすぎない。宇宙はじつは、 ばらばらな事象の海にほかならない』・・・私たちはこれを妄想と 笑うか、それともあり得る解答のひとつと考えるのだろうか。私た ちの知識は、宇宙という巨峰の麓あたりをうろついているだけか。 物語は、ポール・ダラムという人物と、マリアという人物を軸に 展開していくのだが、この他にも、若い時に恋人を殺してしまった という罪の意識に、永遠に追い掛けられる<デジタル・コピー>と なった大富豪トーマスと、そしてVR世界に隠れ住むピーとケイト という恋人たちのエピソードが交錯しながら綴れ織られていく。こ のあたりこそ、イーガンの真骨頂であり、彼の人間への眼差しを感 じることができる部分とも言える。いずれにしても、イーガンとい う作家の魅力は大きい。他の作品の翻訳出版を待ち焦がれている。 |