"Arther Ransome - Man with child in his eyes"

英・BBC2のテレビの児童文学の作者の生涯についてのシリーズでAn Awfully Big Adventure の Arthur Ransome の回がありました。この番組は湖に向かって走っていき、水に手を浸して湖に挨拶するという場面からはじまります。(御存じの通り、ランサムの子供時代の習慣ですね。)

番組は S&A のビデオの映像や、実際の昔の記録映像、また Christina Hardyment, Hugh Brogan などのランサム関連の本の著者や Taqui Altounyan, Mavis(Titty)Altounyan, Kelsol Family などランサムと 関わりのあった人々、また子供たちへのインタビュー等を通して、ランサムの 一生、またランサムの本の魅力について語られていました。 コニストン湖、ハリ・ハウ、ベックフット(Lanehead)の様子も映りました。

この番組を見たときのメモをもとに、まとまりがやや無いですが、ランサムの生涯について書いて見ました。私自身の解釈や思い込みなども入っていると思いますので、厳密なものでは無いことをあらかじめお断りしておきます。


ランサムの生涯(BBC2 TV の An Awfully Big Adventure から)

ランサムは1884年にLeedsに生まれました。ランサムの父親は、彼に過度の 期待をかけてしまい、それに答えられない little boy のランサムに失望した そうです。(湖にいきなり幼いランサムを投げ込んで、自然に泳げるように なるかどうか、試したりした事もあったそうです。)この父親とコニストン湖に 釣に行ったりして、この子供時代の体験が、後に本を書くときにに生かされる ことになります。ところが、ランサムが13才の時に父親が死亡し、しばらく湖水 地方を離れます。

ランサムは、Yorkshire College で科学を学ぶのですが、随筆家、童話作家に なりたいという野心があり、途中でロンドンに出て、新聞社(?)で働く ことになります。この頃休暇で湖水地方に戻り、 WG Collingwood に出会い ます。この出会い方が面白いです。Collingwood が Old Man から降りる途中に 若者(ランサム)が死体のように横たわっているのを見つけて、生きている のか、死んでいるのか、尋ねた事が二人が知り合うきっかけなのだそうです。 (ランサムは詩を作っていたそうです。)それで Lanehead の Collingwoodの 家で Altounyan 一家に出会います。

この後ランサムは結婚し Tabisa という娘も生まれますが、この結婚は失敗で、 逃れるように、また文学的な興味もありランサムはロシアに行きます。 ところがちょうどロシア革命が勃発して、ランサムは思いがけずに新聞の 特派員としてロシアの状況を報告することになります。それでレーニンら とも親交を結び、この時に後に再婚する事になるEvgenia Petrovna と知り 合います。(彼女は Trotsky の秘書だったそうです。)ロシアから娘の Tabisa にイラストが書かれた手紙(ヨットのイラストもありました。)を 送ったりしていますが、その後だんだん仲は疎遠になってくようです。 やがて次第に政治に失望してきたランサムは、本来の目的である昔話の収集を したり、1921年にはヨットRacundraを作り、Baltic 海を航海して楽しんだり しています。

やがてイギリス湖水地方に戻ったランサムは、新聞のコラムを書いたり して過ごします。(釣のコラムなども書いたそうです。)そして1928年、 Collingwood(Altounyan) 一家が Lanehead にSylia から帰ってきます。 そして Swallow, Mavis という2隻のヨットを作り、ランサムと子供たちの つきあいがはじまります。しかし1928年の1月に一家は再び Syria に戻る ことになります。子供たちは赤いスリッパをランサムに記念に贈ります。

この贈り物に感激したランサムは彼女達を喜ばせようと『ツバメ号と アマゾン号』を書き始めるのです。初版の本には、子供たち6人への 献辞が、赤いスリッパと引換えに贈ると、書かれているそうです。 (これは、後にランサム自身が変更してしまいます。)ランサムの 隣人の Kelsall一家の当時8歳の子供にも話しを聞かせ、John が自信 過剰だから、一度ツバメ号を沈めればと言ったのがやがて『ツバメの谷』に なります。

1932年にSyria へとランサム、Evgenia は Altounyan一家を訪れて、 Peter Duck という Sailing Boatを贈り、そこで『Peter Duck』の 執筆をしたりしました。この本からはランサム自身がイラストを 書くことになります。(Altounyan一家にいわせると、あまり上手では 無いけど、彼なりにベストを尽くしたとの事。夜は真っ暗闇で何も 見えないという、Roger の絵のイラストが写し出されました。) 庭を甲板に見立てて遊んだり、(炭焼きの盛り土のような)盛り土の 周りで遊んだりする子供達の写真を撮ったりして、ランサムはイラストの 参考にしたようです。

1935 年に East Angria(湖沼地方)にランサムは引っ越します。ここで Nancy Blackett号を購入、この体験を基に Coots Club等の一連の作品が 生まれることになります。1940 年に再び湖水地方にランサムは戻りますが、 やがて本の続きを書く作業が難しくなってきました。

ランサムは Evagenia との間には子供が無く、書いた本の中の子供達が、 彼にとっての Fictional Children として、より重要な存在になって きました。当然ながら、実在のモデルの子供達とイメージが離れますし、 彼の本の中の子供達は大人になることはなく、あたかも彼自身が子供の時に 湖水地方を去った年である13才を超えません。またAltounyan 一家とも 子供じみた口論をして、1958 年に献辞を止め、現在の Author Note へと 書き換えたりしています。

ランサム自身が体験した子供時代、また彼自身が体験したかった子供時代を、 ランサム自身が楽しむ為に小説を書いていたのです。1967 年にランサムの 一生は終わりましたが、ランサムの残した小説は、その Originality により これからもずっと生きていくと思われます。


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