改造昆虫カイコの嘆き              

 私は夏になると山に登るのを楽しみにしている。もちろん、年とともに登るのがつらくなるが、ようようの思いで頂上に立った時の爽快さ、その途中でのお花畑での高山植物の歓迎はなんと表現してよいかわからないほどの満足感を味わわせてくれる。中房温泉から息せききって登った燕岳での荒涼とした岩礫地に群生するコマクサのデリケートさ。立山から鬼ガ岳、獅子ガ岳を越えて昔、佐々成政が徳川家康に救援を求めるために深雪を冒して越えたというザラ峠を越え、ようようの思いで着いた五色ケ原での一面のチングルマの群生、その露をたっぷり含んだ羽毛状の可憐さは他にたとえようがないものであった。
 我々は大自然の中の高山植物を愛で、数少なく自然に残され天然記念物となった鳥や動物を大切にする。しかし一般に、人間は大部分の動植物を自然のままの状態で保存することに満足しなかった。昆虫を例に取ると、利用できるとわかったものは“益虫”と称して、それを徹底的に人間の役に立つように改造する。その一方、人間生活に少しでも害を与えるものに対しては“害虫”と刻印づけて目の敵にして退治する。よく考えて見ると、人間は“地球は人間のためにある”とばかり、自然や他の動植物に対して実に横暴に振る舞ってきたものだと思う。
 ここでは私のかっての専門分野だったカイコの話になって恐縮であるが、今回は人間によって思いっきり改造され、いじくりまわされてきた益虫の最たるものとしてのカイコ自身の“嘆きのささやき”をぜひ聞いていただきたい。

 
1.自立能力の喪失
 私達カイコはミツバチなどとともに人間の役に立つものとして長い間重宝がられてきた。人間は私達を益虫と呼んでいるが、そのことが私達にとって本当に幸福であったかどうかは疑問である。というのは、私達は人間の役に立つように徹底的に改造され、変形されて来たからだ。まず、私達は大昔から人間に飼い慣らされてくるうちに自立能力をすっかり失ってしまった。つまり、自分の餌を自力で見つけるという、生存にとってもっとも基本的な能力が弱められた。その結果、人間様の手でクワを与えてもらわなければ生きていくことはほとんど不可能になった。たとえ、野外のクワの木にたからせてもらっても、他の野蚕と違い、葉や枝に長くしっかりとつかまっていることができず、すぐ下に落ちてしまい、落ちたが最後、もう幹に這い上がることは絶望的である。餌であるクワの葉が私達からある距離以上(数10センチ)離して置かれると、偶然にたどりつく幸運者を除いて、私達の大部分は葉にたどりつけずにうろうろしているうちにその場で餓死してしまう。

2.奇形化と深窓育ち
 体内の過剰なアミノ酸や水分の排泄のためと変態後の蛹を守るために私達は繭糸を吐く。だから、繭はそんなに重くて大きい必要はないのに、生糸を取るという人間の目的のために日本を中心に品種改良が行われ、体の割に大量の糸を吐いて大きな繭を作る仲間がまず育成され、おかげで、耐病性などは後回しにされてしまった。つまり、その仲間は我が身を削って大きな繭を作るように仕立てられてしまっている。一種の片輪にされたといっても過言ではない。もっとも、一代交雑種といって、かなり性格の違う仲間とかけ合わされて丈夫さにも気を使ってもらったが、このようにして品種改良された“二化性交雑種”と呼ばれている仲間は、あまり品種改良が行われていない熱帯産の“多化性種”と呼ばれる仲間に比べて高温等の環境条件に敏感で病気にかかりやすいといわれる。熱帯の国々の政府は生産性を第一に考えて、そのような大きな繭を作る仲間の飼育を奨励しているにもかかわらず、現地の養蚕農家からは健康上の不安から嫌われている場合が多いように聞いている。
 一般に、私達が飼育される前には、私達の飼育場所やその周囲のホルマリン散布を主体にした徹底した消毒が大前提とされており、消毒をしないと私達はウイルスやかび等の病原菌にたちまち襲われて全滅のおそれさえある。また、私達は比較的環境温度にも敏感で、卵から生まれてしばらくの間はほぼ25度以上に保ってもらわないと極端に発育が劣るので、春の寒い時期には人は一生懸命に保温してくれる。このように哀れな私達は手厚く面倒を見る人間の存在なしには一刻も生きて行けなくなってしまった。まさに深窓育ちのお嬢様とは私達のことであろうか。その消毒薬のホルマリンも今では人間の健康に害があると嫌われてしまった。
 象徴的なこととして、私達は蛾になった時に、翅があるのに空中を飛ぶことができない。翅をバタバタ動かして地上を踊り回るのがせきのやまである。ちなみに、人間は私達を1匹、2匹と数えずに牛や馬と同じように1頭、2頭と数えている。

3.“げてもの”食いの身
 昔から私達はクワを食べることに決まっていた。クワの葉は植物の中でも蛋白質の含量が多く、しかもその枝や幹を切り落として相当痛めつけても、根気強く再生する。旱魃や水にも比較的強い。かなり乾燥した海外の国にもクワは植わっているし、京都の由良川の河川敷では、他の作物を守るように、もっとも流れに近いところにクワが植えてある。このように私達はクワという最適のパートナーを見つけて長いこと仲よくしてきた。もっとも、クワ以外のシャとかアメリカハリグワとかいう若干の植物を食べることもできるが、食べることができるというだけでそれで一人前というか一虫前に育つことはできない。
 ところが、人間は「いもようかん」のようなものの中に大豆とかビタミンとかの栄養分を含んだ人工飼料というものを作り、うまくもないのにそれを食えと押しつけてきた。クワの葉と違って縁から連続的に食べることができず、ほじくって食べなければならず、最初はその食べ方にも戸惑ったものだ。今では日本で飼われている仲間の多くは生まれてからしばらくの間、これを食べさせられている。最近、だんだんその味も向上してきたが、やはり桑には及ばない。
 更にその後、“味盲のカイコ(広食性蚕品種と呼ばれているそうだ)”という仲間が育成され、「あさぎり」「しんあさぎり」という品種名で指定され世に出ている。私達の普通の仲間は口のそばにある小顋(しょうさい)という味覚を感ずる器官を中心に食べ物の味を選択し、食べられるものと食べられないものとを厳密に区別してきたのに、その仲間は味覚がほとんど失われて、何でも食べてしまう突然変異の仲間から育成されたもので、リンゴの実でもキャベツでも、カステラやようかんさえも区別できずに食べてしまうという貪欲な“グルメカイコ”なのである。いままでは人工飼料の中にも私達にとって嗜好に合う味つけがしてあったのに、味盲ということで畜産飼料のように味もそっけもない安価な成分で人工飼料が作られるようになり、人間たちは喜んでいる。そのうちこの仲間が増えて、あの大好きなクワさえ食べさせてもらえなくなるのではないかと心配している。  

4.狂わされた生理
 私達は体の中のホルモンの力で幼虫から蛹へ、蛹から成虫へと形を変えていく。このことを人間は“変態”と呼んでいるが、彼らがこの言葉を他の変な意味にも使っているのはけしからんと思っている。頭の中の脳に連なって白い球形をした小さいアラタ体というホルモンを分泌する器官があり、そこから“幼若ホルモン”と呼ばれるホルモンが分泌される。また、幼虫の頭に続く3体節を胸部と呼ぶが、その胸部を横から見ると点のようなものが見えるが、それが周囲から空気を取り込む気門と呼ばれるもので、その第1気門の内側に“前胸腺”と呼ばれる他のホルモン分泌器官があって、そこから“脱皮ホルモン(エクダイソンとも呼ばれる)”というホルモンが分泌される。また、これらのホルモン分泌器官の活性は脳からのアラタ体刺激ホルモンや前胸腺刺激ホルモンの分泌によって支配されているようだ。
 私達は幼虫時代に通常、4回脱皮して最終の5齢幼虫にまで成長するが、この幼虫脱皮の時には“幼若ホルモン”と“脱皮ホルモン”の両方が体内に分泌され、その両者の協同の働きによって脱皮が行われる。しかし、幼虫から蛹、あるいは蛹から成虫(蛾)に脱皮する時には幼若ホルモンは分泌されなくなり、脱皮ホルモンだけの働きで変態が行われる。幼若ホルモンは“不老長寿の薬”のようにいつまでも幼虫の状態を維持しょうとする働きを持つので、5齢になる前の若い幼虫の時期でも人間が無理やりにアラタ体を切除してこのホルモンの分泌を止めると、幼虫脱皮をせずに小さいまま変態して蛹になってしまう。また、最終齢の適当な時期に脱皮ホルモンを余分に与えられると蛹への変態が早まってしまう。
 これらの事実を突きとめた人間たちは不遜にも自然の神の摂理に反することを考え始めた。つまり、この二つのホルモンの量的バランスを人為的に変化させて、発育や脱皮を思うように調節しょうというのである。その後、人間たちは私達の幼若ホルモンや脱皮ホルモンと同様の働きを示す化学物質が多くの植物の中にも含まれているということを発見し、そこから“ホルモン作用物質”を抽出し、さらに合成化合物を作り出して私達の発育制御剤として利用することとなった。
 前にも述べたように、幼虫の最終齢の5齢では途中から幼若ホルモンの分泌がなくなり、脱皮ホルモンだけが働いて幼虫から蛹への脱皮が行われる。この5齢の2日目に幼若ホルモン作用物質であるメトプレンという合成化合物を強制的に与えられると、吐糸開始までの期間(熟蚕になるまで)が1日程度延びて、その分だけ余分にクワを食べなければならなくなる。すると、1割近く大きな繭を作ることができるといって人間様は喜んだ。この薬は“マンタ”という商品名で、大きな繭を作る“増糸剤”と銘うって販売されたという。
 またその後、脱皮ホルモン作用物質(エクジステロイドという)を大量に含むアフリカ原産のクマツヅラ科の木本植物が発見され、これから比較的安価に作用物質が抽出されることが分かったという。その水溶液を私達がクワを食べるのを止めて糸を吐くようになる時期(熟蚕という)の1日前くらいにクワの葉にふりかけて強制的に飲まされるはめとなった。すると、糸を吐く時期がやや早まり、みな揃って熟蚕になり、まぶし(蔟)と呼ぶ繭を作る場所に一斉に私達が入って行くので、人間は作業がやり易くなると喜んでいる。
 人間はこのように思うままに私達の発育を支配し、延ばしたり縮めたりして喜んでいるが、自然に与えられた生命の尊厳をどう思っているのだろうか。

5.製薬工場にされる私達
 私達の主な病気の一つに膿病というのがあるが、その病気に罹ると膿みのような体液をたらしながら歩き回り、停まることができなくなる。その病原体である“核多角体病ウイルス”は実に旺盛な蛋白質合成機能を持っており、私達の体中に病原体である核多角体というものを蔓延させてしまう。最近のバイオテクノロジーでは人間の癌に対する抵抗力を強化するというインターフェロンを生産する遺伝子をこの核多角体病ウイルスに組み換えて、インターフェロンを次々と生産するウイルスを作ることに成功したという。悪辣な人間たちはこのウイルスを私達幼虫に感染させて、私達の体を蝕みながらその中でインターフェロンを効率よく生産しょうというのである。ここに至って、ついに私達をインターフェロンの製造工場に変えようとしているのである。恐ろしい企てである。

 以上、今回は人間によって思うままに作りかえられてきた‘改造昆虫’であるカイコの嘆きの言葉をこっそりとお聞かせした。

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