式貴士と私
(仮)
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【掲示板泌沖】
SF作家、式貴士。
またの名をSM作家、蘭光生。
またの名をミステリ評論家&雑学研究家、間羊太郎。
またの名を風俗研究家、小早川博。
またの名を西洋占星術師、ウラヌス星風。
またの名を……(あと2つか3つぐらい、別名があったらしい)
本名・清水聰。
1933年2月6日、東京生まれ。
千葉大学文理学部英文科卒業後、
早稲田大学大学院に編入、文学研究科(英文学専攻)修士課程修了。
ワセダミステリクラブの創設メンバー。
出版界には、ものすごく幅広い人脈を持っていた人物。
(日本推理作家協会会員でもあった)
中学・高校の英語科教員を経て後、該博な知識を活かし、
さまざまなペンネームを駆使して、
さまざまなジャンルで健筆をふるう。
旧「宝石」連載、間羊太郎【ミステリ百科事典】とか。
(もちろんオレが生まれたばかりの頃の連載だから、知りゃしなかったけど。)
少年マガジン連載、間羊太郎【へんな学校】とか。
同じく少年マガジンの小早川博【マガジン・ジョーク】とか。
(これは読んでた。好きだった。永美ハルオの、みんなヘチマみたいな顔で描くイラストを今でも覚えている。)
週刊プレイボーイの今東光【極道辻説法】構成とか。
(シバレンの【円月説法】は違うのかな? もう式貴士でデビューしていた後だが…)
同じ週プレの巻末でやっていた、「ウラヌス星風」の星占いのページとか。
(週プレには「宝瓶宮黒人」って名前の占い師もいたが、それは違うのかな?)
←違わないみたいです。
いかにもインチキ臭い軽文化人・小早川博として、《11PM》など、テレビ番組にも幾度となく登場。
数は少ないながら、間羊太郎名義でミステリやSFの短篇小説も、いくつか発表していた。
そして蘭光生名義でSMポルノの短篇・連作長篇を、これは世間の目から隠れて大量に発表。
(もっと他にも、いろいろあったようだけど、とてもその全貌は掴めない)
小説家専業を決意してからの1977年、
「奇想天外」でSF作家・式貴士として本格的デビュー。
(念願のSF作家デビューに向けては、本人よっぽど気合いが入っていたのだろうか。
この頃、44歳にして【小池一夫・劇画村塾】第1期生となって、
物語づくりをイチから勉強していたらしい…という、イイ話も。)
1979年、短篇集『カンタン刑』を出版。一躍、SF界の話題をさらう。
埼玉県志木市の高層マンション最上階近くに住み、
「しき・たかし」のペンネームは、ここから来ている。
(ちなみに間羊太郎の「羊太郎」の名は後年、乱歩賞作家・大谷羊太郎に譲った、とのこと。)
エロとグロとナンセンスと奇想とユーモアとペーソスと叙情とペダントリイと
「長いあとがき」が同居した、独特の作風で、
ごく一部に数少ない熱狂的なファンを持っていた。
(オレとか。)
自称「スーパーSF作家」(その「SF」とは「Strange Fiction」の略らしい)。
'80年代前半までは活躍していたが、気がつけば、
いつの間にかSFを発表しなくなっていた。(「奇想天外」の休刊のせいもあって。)
と、思ったら、実はその頃、ハードバイオレンスの第一人者、
SMレイプ作家・蘭光生として、
ポルノ文庫の隆盛とともに大ブレイクしていたのであった。
ブレイクしながらも、
1991年2月18日、食道癌のため逝去。58歳。
ここは、そういう、特異な生き方をした、
今は亡き特異な作家について、
故人とも、故人の人脈とも、早稲田とも、縁もユカリもない単なる一読者が
「だって高校の時に、『連想トンネル』の読者カードを志木市の自宅宛てで送ったら、
いきなりオレん家に
〈式貴士です。〉
って電話がかかってきたんだもんよ〜ォ」
という一本刀のみで、研究してみよう…としている、
そういうページです。
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