アルバム解説についてのお詫びと泣き言 (1998.07.04)

少なくとも、ソロアルバムについてだけは
極力、自分で解説を書こう。画像も載せよう。と考えていたのですが。

実行できないままに、長らく【not found】が続いておりました。

これは、非常に、ミッタァックシャーネー。(←江戸っ子。)

不本意ですが、何も解説がないよりは、マシであろう、と判断しました。
オレの怠慢が悪いのですから、不本意もヘッタクレもありません。

ソロアルバム、シングル、その他についての、収録曲目等の解説は
TAMORI's Data Pageの、レコードリスト各項目とリンクさせておきましたので、
ぜひ、そちらを頼りにしてください。

また、同様に、やはりこれもいずれ自分で解説しようと思っていた、
文中に登場する所ジョージのアルバムについても
シンガーソングライター 所ジョージの当該部分とリンクさせることで、お茶を濁します。

奈良さん、橋田さん、恐れ入ります。

(ああ、そうだ。以前から〈思想のない音楽会〉関係その他の
シングルジャケット画像を勝手にリンクして利用していた
おまぬ県にも謝っとかなくちゃ。まだ全然挨拶してねえや)

ただ、これは、このまま自分で解説を書くことを断念する、
このままの状態でヨシとする、というのではなく、
あくまでも暫定的な措置です。
いつの日か、どうしてもオレが自分で書かにゃしょーがねえでしょ、こりゃ!
という熱いやる気、本気、勇気、元気、ポンキッ気が
(新顔の黒ウサギ、市川実和子ちゃんって可愛いね。黒いタイツの脚がいい)
燃え上がるまでの一時しのぎ作戦です。

それと、「幻の5thアルバム」の件については、
すでに2年前、当事者であられる、さる"仙人のようなお方"に
厚かましくもメールでお尋ねいたしまして、
丁寧な御返事を、直々に頂いております。
その御返事を、そのまま掲載してしまうのが、何よりの「解説」となるのですが、
まあ、イロイロありまして。

ただ、この5thアルバムについての貴重な裏話を、
このままオレの手元だけに眠らせておくのは、あまりにも惜しい。
どうにかして、発表できる手段を模索している最中です。
2年間ずっと模索しています。

「いずれ」の、「いつの日か」が、訪れる機会をお待ちください。


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1975
※ニッポン放送〈高信太郎(えっ!! 東京選挙区自由連合公認!? ←で、41182票を獲得。オレは入れなかった)のオールナイトニッポン〉でマスコミ登場。後に『TAMORI』に収録されるCMパロディ「ブラジャー・ミシン」なども、ここで演じられていた。

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1976
#山下洋輔トリオ+筒井康隆『家』(日本フォノグラム/フラスコ)。タモリ初のレコーディング参加作品。筒井康隆の短篇小説「家」(〈海〉1971年初出:『将軍が目醒めた時』河出書房新社1972年/新潮文庫1976年、『実験小説集 デマ』番町書房1974年収録)のジャズ化アルバムで、タモリはB面冒頭でハナモゲラ天気予報を演ずる。
#1stアルバム『TAMORI』完成、発売禁止。
※ニッポン放送〈オールナイトニッポン〉水曜第1部スタート(〜1983年)。オープニングテーマは『TAMORI』冒頭の「タモリのテーマ」だが、オンエアで使用されたものは末尾に北京放送でオナジミの「東天紅」がプラスされた別バージョンだった。エンディングテーマは「ソバヤ」。
#なぎらけんいちの、日本青年館で行われたソロコンサートに司会者として出演。(まだタモリはブレイク直前の時期であり、"ギャラ2万円"というオトモダチ価格による起用だったトカ)この日の模様が、翌1977年発売の2枚組ライブLP『永遠の絆 〜なぎらけんいちリサイタル LIVE AT 日本青年館〜』(ワーナーパイオニア)としてレコード化されている(アルバム冒頭にはタモリのMCも収録)。1990年CD化。1995年に【音蔵】シリーズで再CD化(WEA)。
※〈オールナイトニッポン〉年末の特番、4時間の公開生放送において幻の名曲「オールナイトニッポン・ブルース」完成。志賀正浩(「小さな日記」の【フォー・セインツ】元メンバー。当時の水曜第2部、タモリに続く午前3時からの枠を担当していた。後に元祖〈おはスタ〉の志賀ちゃんとして子供たちに大ブレイク。つまり"昭和の山ちゃん"である)、稲川淳二(当時の月曜第2部を担当。タモリが10月から水曜1部に入る前の、1976年4月〜9月までは、水曜第2部を担当していた。サラリーマンから転身したばかりの稲川淳二、芸能界の初レギュラー仕事が〈オールナイト〉である。稲川によって、水曜日には素人パーソナリティーを使ってみる…という流れが出来たのではないか。これがタモリ起用への呼び水になっていたことは容易に想像できる)など当時の〈オールナイトニッポン〉パーソナリティやスタッフ・関係者、多数参加。当日の番組の同録テープ(午前4時の時報入り、というレアなもの)が、担当ディレクター氏の手元へ個人的に残されているだけで、レコード化もCD化も一切されていない。(←2002年、コンピレーションCD『ON AIR オールナイトニッポン パーソナリティーズヒッツ』(ポニーキャニオン)で初めて商品化された。後述)
※日本テレビ〈うわさのチャンネル!〉レギュラー出演(〜1979年)。ソロコーナー〈タモリのなんでも講座〉タイトル画像は『TAMORI』ジャケット写真(後に『TAMORI2』ジャケット写真)。コーナーのタイトルジングル"タンタンタモリの、考〜えてますよ〜、ドゥーワー♪"は、「たんたんたぬき」と当時のサクラカラーCM"どっちが得か、よーく考えてみよう"(萩本欽一出演)のフレーズを合成した女声コーラス。音源発掘熱烈希望。
※この頃、プライベートなライブの場では、「ソバヤ」と矢野顕子「津軽ツアー」をコラボレートさせた曲「ソバヤソバヤ〜ホーハイ」が演じられていた、と伝えられている。

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1977
改訂版『TAMORI』(アルファ/東芝EMI)発売。
 タモリ
#憂歌団のライブアルバム『生聞59分』(SHOWBOAT/トリオ)、ライナーノーツに『異色対談 相倉久人×タモリ一義』収録。(1999年発売のCD(SHOWBOAT/TDK)には未収録)
※常木建男がMCを務めるニッポン放送〈日立ミュージック・イン・ハイフォニック〉にて、LP『TAMORI』より「ソバヤ」をオンエア。吉田拓郎のアルバム『ぷらいべえと』に触発された〈エンジョイ・マイ・プライベート〉と題された特集のうちの1曲で、タモリはコメントで出演。他にオンエアされた楽曲は、吉田拓郎「あゝ青春」自切俳人&ヒューマン・ズー「孤独のマラソンランナー」ダーティー・サーティーズ「可愛いベイビー」そして、くり万太郎「一人になれるかい」。ちなみに、くり万太郎ことニッポン放送アナウンサー高橋良一は、後に常木に代わって〈日立ミュージック・イン・ハイフォニック〉2代目MCを任されることになる身だが、〈オールナイトニッポン〉火曜第1部のパーソナリティーを担当していた1977年当時には、水曜1部のタモリとは、何かというと罵りあう"ライバル関係"にあった。(その時々に、他の曜日のパーソナリティー誰それに目をつけて罵りあう…というのは、〈オールナイトニッポン〉時代のタモリには、すっかりオナジミの常套手段である。77年暮れから78年初頭にかけては【ナンチャッテおじさん】問題をめぐり笑福亭鶴光と罵りあい、さらに後の1979年には近田春夫とのヤラセでケンカ騒動も起こしている)思い出しついでに書いておくが、この、くり万太郎の〈オールナイトニッポン〉での"歌手デビューに挑戦!"企画から生まれたシングル「「一人になれるかい」(キャニオン)は、島武実:作詞、宇崎竜童:作曲によるオリジナル作品である。B面の曲「オイラ、有楽町のマンタロウ」も同じコンビによるオリジナル(原案「有楽町サバオリ音頭」)。わざわざ売れっ子作家に書き下ろしてもらった曲が、一介の局アナが歌うラジオ番組の企画物レコード…で終わってしまうのは、あまりにも惜しい、と考えたためか。B面の曲はともかく、A面の「一人になれるかい」は、その後に何度かカバーされて世に出ている。まず1979年、当時はニッポン放送の〈大入りダイヤル・まだ宵の口〉を担当していた、くり万太郎本人が、同じ〈宵の口ワイド〉パーソナリティー仲間・はた金次郎(波多江孝文アナウンサー。現・はたえ金次郎)と【スイートポテト】なるユニットを結成。ザ・ランチャーズ「真冬の帰り道」をカバーしてシングルを発売している(キャニオン)が、これのB面が「一人になれるかい」である。あらためて、二人で歌い直しているわけだが、それでも、まあ、まだ"局アナが歌うラジオ番組の企画物"という域は出ていない。(くり万よりは、ずっと積極的に音楽活動への色気を見せていたらしい? はた金のほうは、〈オールナイトニッポン電話リクエスト〉を担当していた1982年に、ハタキン&Y.M.G.「SEASON」という自ら作曲したオリジナルのシングルをリリースしているが、それはまた別の話。〈ラジオビバリー昼ズ〉のプロデューサーを務めていた1990年には【HATAKIN】名義で松本明子「アッコちゃん音頭」を作曲してもいるが、それはさらに別の話)作詞者・島武実は、それがよほど惜しいと思っていたのか。この「一人になれるかい」を1989年になってから、当時に音楽面のプロデュースを担当していた、大阪でアイドルだった時代のダウンタウン(CBSソニー)にカバーして歌わせているのであった。(CDシングル「夕陽家族」のカップリング。アルバム『万力の国』にも収録)枚数だけで言うなら、最も売れた「一人になれるかい」は、ダウンタウンのバージョンであろう。
#所ジョージ1stアルバム『ジョージ・ファースト 現金に手を出せ!!』(キャニオン)収録の「禁男の惑星」で、冒頭に"若者の前頭葉は著しく後退し…"とナレーションがあるが(このアルバムのNA役は、当時のハイ・ミュージック所ジョージ担当マネージャー北島肇氏)これの原典はタモリのCMにある。三菱鉛筆のステーショナリー・シリーズ【BOXY】新発売当初のCMキャラクターはタモリであった。TVでもオンエアされていたが、三菱鉛筆がスポンサーだった〈オールナイトニッポン〉では、中州産業大学タモリ教授によるラジオCM"BOXYっというのっは、若者の前頭葉っを刺激するという結論。それではまた来週"が毎晩オンエアされていた。そのCMを受けて、所が生放送中に、自分の額の広さをギャグにして"おおっ、若者の前頭葉がハゲていくという結論!"などと、ものまねを演じていたことが、このフレーズのきっかけになっている。この年にデビューした所は、10月から〈うわさのチャンネル!〉にレギュラー出演、また〈オールナイトニッポン〉火曜第1部もスタートし、赤塚不二夫・滝大作・高平哲郎の【面白グループ】メンバーを筆頭とする、タモリ支援人脈からタモリ同様に可愛がられ、明らかに"タモリの弟分"といえるタレントだった。後には"仲人といえば親も同然"の関係となる。で、さて、現在は…。

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1978
#赤塚不二夫と全日本満足問題研究会『ライヴ・イン・ハトヤ』(ビクター)にスペシャル・ゲストとして登場。赤塚人脈の漫画家・文化人・タレント・ミドリ豚(2002年7月13日、林美雄氏御逝去。合掌)など豪華メンバーが結集して作られた冗談アルバムである。プロデュース高平哲郎、作曲小林亜星(そして雑用一切長谷邦夫!)による、伊東ハトヤホテルでのライヴショー実況録音盤…という架空の設定で展開される擬似ライヴ。御存知"伊東へ行くならハトヤ 電話はヨイフロ"のテーマ(作詞・野坂昭如。三木トリロー事務所時代に法外なギャラで無数のCMソングを作詞しまくっていた阿木由紀夫先生だが、その最大のヒット曲、代表作といえばこの"ヨイフロ"であろう。最大のコストパフォーマンスを誇る作詞作品といえば、もちろん"文化放送、文化放送、JOQR"だろうが。これで作詞料20万円。素晴らしい。)で幕を開ける。(混声合唱団による荘厳なコーラスで歌われる。SETの『ニポノミクス』が「よさほい節」のコーラスから始まるのは、コレのパクリなんだろうな。)1998年、このLPの中より、赤塚先生自らボーカルをとる「駅前ブルース」と「想い出のベニス」の2曲がコンピレーションアルバム『赤塚不二夫ソングブック』(VAP)に収録され、ようやくCD化された。が、『ライヴ・イン・ハトヤ』の完全復刻も、ますます待たれる。(←2007年2月23日、完全版CD発売。後述)
#所ジョージ2ndアルバム『ジョージのセロリ・パセリ』(キャニオン)を【面白グループ】としてスーパーバイズ。タモリはアルバム中に「けさめらの親王むれさのはけ姫に詠む」を作詞。(赤塚・滝・高平も、それぞれ1曲ずつ詞を提供している)1984年、所のベストアルバム『史上最大全集しょのいち』(EPICソニー)にも収録、1992年、【BEAT FILE】シリーズでCD化。1995年、【CD選書】シリーズで再CD化。
※サザンオールスターズ(ビクター)、デビュー。最初は"コミックバンド"、"キワモノの一発屋"、"売れたのは何かの間違い(by 近田春夫)"などの声しか与えられなかったサザンを、"桑田佳祐は有望な日本語破壊者である"との側面から、真っ先に評価していたのは、やはり、平岡正明(『山口百恵は菩薩である』等を参照)を代表とするタモリ支援人脈の人々であった。まあ、それも"桑田はポスト・タモリ"、つまりコミックバンドだと思っていた…という点では同じなんだけどね。(なお、「勝手にシンドバッド」の歌詞"ちょいと瞳の中に消えたほどに"の部分は、レコーディング以前には"消えてタモレ"であった、という話もある。もっとも、これはタモリとの関連ではなく、谷啓「愛してタムレ」からのイタダキであったようだ。ちなみに、それから24年後に原由子が渚エリ「東京タムレ」をカバー。"タムレ"のフレーズをレコーディングする、というのが桑田の念願だった…のだとすれば、ようやくソレが叶ったことになる?
#2ndアルバム『TAMORI2』(アルファ/東芝EMI)。
 タモリ2
#所ジョージ3rdアルバム『成りさがり〜大学ぐらいは出たかった』(キャニオン)も【面白グループ】でスーパーバイズ。ジャケット裏面に写真がある。また、参加ミュージシャン、スタッフ等の英文クレジットには、各人の最終学歴が併記されている。(←所の拓殖大学除籍を笑うため…というよりは、主として"赤塚先生の中卒をからかう"ため)
#この頃、フュージョンバンド【PIPER】の3rdアルバム『GENTLE BREEZE』(ユピテル)でジャケット写真の撮影を担当。【タモリ一義】名義。(未確認)(たしか、林の中の雪道に車が停まっている、暗い写真だった。まあ、"タモリの撮る写真は暗い"というのは、すでに定説だけど)

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1979
※新春のTBSテレビ〈ザ・ベストテン〉でサザンオールスターズと共演。ブルマー姿の中州産業大学タモリ教授が「勝手にシンドバッド」ハナモゲラ語バージョンを歌う。ファン大感激。
#『TAMORI2』収録の、さるまたし「鰯雲」が、さだまさしファンからの総スカンを喰らう…どころか、なぜかさだ本人も含めて圧倒的大好評で迎えられるという、誠に遺憾な結果となってしまい、シングルカットの声まであがる。だが、あがっただけだった。良かった良かった。
#所ジョージ6thシングル「TOKYOナイト&デイ」(キャニオン)。タモリも友情出演している、所の初主演映画『下落合焼とりムービー』主題歌だが、レコードジャケット(この映画の企画、脚本を担当した赤塚不二夫先生によるイラスト)にはアイパッチ姿のタモリが描かれている。

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1980
※新春のTBSテレビ〈ザ・ベストテン〉でツイストと共演。パラシュートを背負った「TOKIO」の沢田研二に対抗し、大凧を背負った姿のタモリ教授が「SOPPO」を歌う。ファン大感涙。(その1〜2ヶ月後、今度はフジテレビ〈ビッグ・ベストテン〉で、スタジオに来られない沢田研二の【代打】としてタモリが「TOKIO」を歌った…という一幕も。)
#団しん也「夜……酒組/暗・暗・暗」(キャニオン)作詞。作曲は小野ヤスシ。フジテレビ〈火曜ワイドスペシャル〉の番組企画で作られた曲。作詞・作曲を本業としない有名タレントによって作られた番組オリジナルの曲を多く持ち寄ってコンペを行い、優勝した作品はレコード化される…という"芸能界ポプコン"といった趣旨のイベント番組である。1977年の第1回放送で優勝、レコード化されるなり大ヒットとなったのが小柳ルミ子「星の砂」(作詞・関口宏、作曲・出門英)であった。第2の「星の砂」を生み出そうと3年後に第2回が企画されたわけだが、ここで優勝をさらってしまったのが番組演出上は"ニギヤカシ担当のお笑いさんチーム"であったタモリ・小野・団のユニットだったのである。それが凶と出たか、本来は歌手である団しん也ひさびさのシリアスなシングル(それ以前までの最新シングルは、1978年に「ソウルこれっきりですか」ブームの余波で発売された、ものまね満載のCMソングメドレー「ロック・トンデレラ」(キャニオン)団しん也とパロディシスターズ名義)も、まったくヒットからは見放されてしまった。しかし「夜……酒組」の曲そのものは、夜の街では好評を得ていたようで、広島出身のムードコーラスグループ【秀樹と影武者】(テイチク)にもカバーされている。
#YMO『増殖』(アルファ)に、『TAMORI』『TAMORI2』の「教養講座のテーマ」が「若いやまびこのテーマ」として使用される。
※フジテレビ〈花王名人劇場・一芸名人集〉で、『TAMORI2』の「古典落語 めけせけ」実演される。収録は国立劇場演芸場。ただし放送時間が、タモリ初主演の連続ドラマ、NHK〈ドラマ人間模様・詐欺師〉(新潮社『コマネチ!』で中野翠が言及しているのがコレ)最終回と重なっていたため、観逃がしたファン多数。(完全に重なっていたのではなく、〈花王名人劇場〉の前半30分と〈詐欺師〉の後半30分が重なっていた。そのために〈詐欺師〉を観続けていても、もしタモリの出番が〈花王名人劇場〉後半30分に当たっているなら、〈詐欺師〉終了後にチャンネルを替えても十分間に合う…という楽観的な読みをもたらしたからである。しかしタモリの出番は、〈花王名人劇場〉前半だった。皮肉にも、さすがはNHKのドラマだけに、〈詐欺師〉は数週間後の昼間に再放送がされていた)。(その〈ドラマ人間模様〉のタイトル、長いこと〈赤サギ〉と間違えて覚えておりました。失礼しました。同じ頃に〈赤サギ〉という詐欺師のドラマも、あることはあったんだけど、それは森繁の主演作でした)
#廃盤となっていた扇ひろ子のシングル「新宿ゴールデン街」(ビクター)が、〈オールナイトニッポン〉で紹介された【新しい遊び方】が好評を呼び、リスナーから入手希望の声が殺到したため再発される。再発分には、表ジャケットに[33 1/3回転でもお聞きください!]とのコピーが。思いがけない方向から突然スポットが当てられた扇ひろ子は、困惑しながらも〈クイズ!ドレミファドン!!〉では タモリとコーナー司会なども務めていた。もっとも、レコードを使った遊び方が面白いのであって、けっして扇ひろ子本人が面白いわけではないので、実に惨憺たるものであった。(最近、扇ひろ子に山口組関係者との、いわゆる【黒い交際】が発覚した。45回転のレコードを33・1/3回転で聴く、という「新宿ゴールデン街」の【新しい遊び方】は、クラブDJのスクラッチ技を先取りしたものである…と、無理に言えば言えるが、扇ひろ子本人は、その方向の黒人カルチャーに接近するどころか、もっと怖いブラック人脈の世話になってしまったわけである。さすがは、世の中の流れよりは回転の遅い、時代遅れのタニマチ感覚で回る芸能人である)
※NHK〈みんなのうた〉に登場。番組オリジナル曲「ミスター・シンセサイザー」(作詞・作曲:田中正史)を歌う。このタモリによるバージョンのレコード化、CD化は一切なされていない。ところで、この曲とは直接の関係はないが、当時タモリは"アンタはどういう種類の芸人なんだ。漫談家なのか声帯模写なのかDJなのか役者なのか、いったい何者なんだ?"だの"アンタにオリジナリティはない。周囲の取り巻き文化人からの入れ知恵や、先輩芸人のネタを盗んで自分のものにしているだけだろう?"だのといった問いに対し"オレは森羅万象、世の中にあるすべての物事を、いったん自分の中に取り込んで、内部で合成・加工し、【面白いもの】としてアウトプットする、そういった作業をしているだけだ。だから、あえてオレに肩書きをつけるなら、芸人でもタレントでもなく【ギャグ・シンセサイザー】と呼んでもらいたい"そういう意味の発言をしている。(この年、〈お笑いスター誕生!〉で10週勝ち抜いた学生コンビが、このタモリ発言から名前を頂いていること、まず間違いない)
※早稲田大学応援歌「ザ・チャンス」森田一義名義で作詞。作曲:岸田哲。レコード化等の詳細は不明。
近田春夫ソロアルバム『星くず兄弟の伝説』(日本コロムビア)の8曲め「往年のバラード」にピアノ演奏とハナモゲラ・トークで参加。【Kazuyoshi Morita】名義。(クレジットには6曲め「モニター」に参加…とあるが、誤植か? モニターが森田のシャレであるとの邪説も出た)1990年CD化。1993年に再CD化。女性週刊誌の表紙を模したジャケットには[遺恨!タモリ、近田春夫深夜の魚河岸で骨肉の罵り合い!]とあるが、この[遺恨]とは、それより少し以前〈オールナイトニッポン〉等の番組を利用して、タモリと近田がヤラセでわざとケンカを演じ、マスコミに不仲説を流布させて騒がせよう…と企まれたもの。思ったほどにマスコミが踊らず、なしくずしに終わった。しかし一度は週刊誌で不仲説が書き立てられはした、その清算をこのジャケットで行なった、と考えられる。タモリと近田は1979年、TBSのドラマ〈家路〜ママ・ドント・クライ〉で共演(どちらも中華料理店のコック役。料理長は久保田二郎、タモリの妻は李礼仙、近田の妹は高見知佳しており、実は仲はいい。少なくとも、たけしと近田ほどではない。それから14年後、この件にヒントを得て浅草キッドと清水ミチコが同様の【ケンカごっこ】を画策したが、やはりこちらの結末も不発のままに終わったことは記憶に新しい。誰の記憶だ。なお、【架空のミュージカル映画サントラ盤】をコンセプトに製作された、この『星くず兄弟の伝説』が、それから5年後に手塚眞監督によって実際に映画化された際、タモリは〈笑っていいとも!〉司会者・森田一義としての役で、カメオ出演をしている。
#西慎嗣&Lord,Lord,Lawdy Miss Clawdy Group『NISHI.』(ビクター/インヴィテーション)に「シュールなる渚1963」を作詞。作曲は桑田佳祐。『NISHI.』はスペクトラムの西慎嗣(どーも喫いません……)率いるユニットのアルバムで、アルバムプロデュースも桑田。
#あらためて『TAMORI』『TAMORI2』が(アルファ/日本コロムビア)から再発売。(LPのオビの色で、オリジナル盤と再発盤との区別がつけられる。薄紫色のオビがついた『TAMORI』、赤いオビの『TAMORI2』がオリジナル。濃いピンク色のオビが付いた『TAMORI』、黄色いオビの『TAMORI2』が再発された分である)同時に、この2作を1巻に収めたカセット『SUPER DOUBLE/TAMORI』(アルファ/日本コロムビア)も発売された。
#タモリの先駆者ともいえる坂田明、高平哲郎プロデュースでアルバム『20人格』(日本コロムビア/ベターデイズ)発表。1993年CD化。

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1981
#〈オールナイトニッポン〉の新コーナー〈思想のない音楽会〉を契機に、さいたまんぞう「なぜか埼玉」(フォーライフ)(浜畑賢吉のボーヤから出発、バイトとして夜のお店で歌いながら自作の「なぜか埼玉/埼玉いろはづくし」を自主製作シングルで出していた。主たる生業は神宮外苑草野球場の審判。(フォーライフ)からの第2弾は、当時のタモリも騒動の渦中にあった"名古屋オリンピック"問題ともまんざら関係がないわけでもない「埼玉オリンピック音頭/なぜか埼玉、海がない。」。その後、ベートーベン鈴木の作詞・作曲で(キング)から、「ミスター不思議」(東芝EMI)の川島恵とのデュエット曲「東京カントリーナイト」なども出している。現在も歌手&司会者、審判としても現役で、2001年11月23日にはCD『さいたまんぞう全曲集/生存証明』(フリーボード)を発売)、すみちゃんとステゴザウルス「キャンパス・レポートもっとクリスタル」(CBSソニー)(【まりちゃんズ】(エレック)の残党である"フジマキ君"による覆面グループ。楽曲提供は、同じ残党の"フジオカ君"。まりちゃんズ時代から熱心に展開されていた、男と男の愛の世界をテーマにした作品の(時代的に考えて、こまわり君の影響は大であろう)決定版といえる。ただし第2弾シングルは当時の流行物、銀蝿・アラジン・なめんなよ等の暴走族ブームに安易に便乗した「〜ハイウェイ・レポート〜必死の逃亡者」で、これは失敗作。ならば、と【ステゴザウルス】名義で出した第3弾は、さらに露骨に【なめ猫】ブームに便乗。犬に学ランを着せた(?!)キャラクターによる【まけ犬】(?!?!)のテーマ「まけんなよ」で、あった! ←この当時のメンバー構成は、すでに不明である。ちなみに、まりちゃんズ時代のもうひとつの決め技"芸能界残酷物語"のシリーズは、もう一人の残党"オザキ君"のグループ【バスケット・シューズ】(ビクター)で、「タレント・エレジー(芸能人悲哀)」という決定版を、すでに出してしまっていた。【ステゴザウルス】では表舞台に登場しなかった"フジオカ君"は、元【ウイークエンド】の板さん率いる【Do!】(クラウン)に参加、約2年間の活動期間を経て解散。同じく【Do!】メンバーだった山梨鐐平とともに長渕剛のツアーでバックを務め、3人で「夏の恋人」等の曲も合作するが、ニッポン放送〈長渕君と藤岡君〉レギュラー出演を最後にミュージシャンを廃業、(CBSソニー)にディレクターとして入社。シブがき隊から宍戸留美までのアイドルを育てることになる。まりちゃんズは1994年、「おざきんちのばばあパート3」(ポニーキャニオン)で一時的に再結成を果たすが、DJ赤坂ヒアウイゴーの胆煎りで復活した…というのが、どうにも気に喰わないので、この時期のことはあえて無視することにします。その後、"フジオカ君"と"フジマキ君"は、二人で中年フォークユニット【藤岡藤巻】(ソニー)を結成。中高年男性の悲哀を歌った曲で地道に活動を続け、里田まい(カントリー娘。)と組んだシングル「オヤジの心に灯った小さな火」(アップフロントワークス/ソニー)等も発表。そして2008年、宮崎駿のアニメ映画テーマソング「崖の上のポニョ」(avex)で、ついにブレイクを果たすのであった。などがシングル発売される。スネークマンショー『急いで口で吸え!』(アルファ)からシングルカットされたYOU AND ME ORGASUMS ORCHESTRA「咲坂と桃内のごきげんいかが?1・2・3」も、このコーナーで毎週プッシュされていたもの。
#3rdアルバム『タモリ3〜戦後日本歌謡史』発売延期。
※すでにサンプル盤カセットが市中に出回り、ダビングされてヤミで売られたりもしていた『タモリ3〜戦後日本歌謡史』の全曲、〈オールナイトニッポン〉でオンエアされる。
#4thアルバム『ラジカル・ヒステリー・ツアー』(CBSソニー)。
 ラジカルヒステリーツアー
#1stシングル「狂い咲きフライディ・ナイト/スタンダード・ウイスキー・ボンボン」(CBSソニー)。『ラジカル・ヒステリー・ツアー』からのシングルカット。作詞・作曲は桑田佳祐。
#ザ・スクェア『マジック』(CBSソニー)。久米大作(久米明の息子。久保田早紀の旦那。)作曲による「サンシャイン・サンシャイン」と「かわいいテクノ」の2曲に、トランペット演奏とバックグラウンドヴォーカルで特別ゲスト参加。1990年CD化。
※TBSテレビ〈ザ・ベストテン〉に「狂い咲きフライディ・ナイト」で〈今週のスポットライト〉登場。
『タモリ3〜戦後日本歌謡史』(アルファ)新星堂チェーン店でのみ限定発売。
 タモリ3
#タモリが審査員を務める日本テレビ〈お笑いスター誕生!〉出身で、最も有望な【ポスト・タモリ】芸人と目されていた九十九一、高平哲郎プロデュースによるアルバム『TSUKUMO1 九十九一の部屋』(アルファ)発表。シングル「淋しがりやのあなた」も同時発売。この状況は、まさに『戦後日本歌謡史』の戦後処理ですな。(1992年2月21日発売のコンピレーションCD『珍品堂/アルファ編 はっ!あの人がこんな歌を…。』(アルファ)に、『九十九一の部屋』から「湯の町ブルース」が収録された。)
#スネークマン・ショー『死ぬのは嫌だ、恐い。戦争反対!』(アルファ)で、コント「愛の嵐」のBGMとして、『TAMORI2』の「バラ肉のタンゴ」が使用される。(1992年2月21日発売のコンピレーションCD『珍品堂/アルファ編 はっ!あの人がこんな歌を…。』(アルファ)にも「愛の嵐〜バラ肉のタンゴ」として収録。)また、「愛の嵐」は「愛の戦場」とのカップリングでシングルカットもされた。
#2ndシングル「タモリのワーク・ソング/久美ちゃんMy Love〜ディア・オールド・ストックホルム」(CBSソニー)。「タモリのワーク・ソング」(1990年7月21日発売のコンピレーション盤『えっ!あの人がこんな歌を…。』(CBSソニー)でCD化)はソニーのビデオテープ、オーディオテープCMソング。タモリ本人が、さまざまな職種の労働者に扮したCMがオンエアされていた。C/W「久美ちゃんMy Love」は面白グループの著書『SONO・SONO』にある高平哲郎?の同題エッセイが原作と思われる。ただし詞は伊達歩(伊集院静)。A/B面とも、編曲は【コルゲンさん】こと鈴木宏昌。(2001年5月21日、御逝去。合掌)
#この頃から、大瀧詠一・高平哲郎プロデュース、アレンジ萩原哲晶による5thアルバムが準備されていたらしいが、数曲を制作したのみで未発表に終わる。

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1982
#タモリの先駆者ともいえ〈今夜は最高!〉にもレギュラー出演していた中村誠一、高平哲郎プロデュースでアルバム『取りみだしの美学』(東芝EMI)発表。
※タモリ初主演映画『キッドナップ・ブルース』主題歌に「狂い咲きフライディ・ナイト」使用される。
#映画サントラ盤アルバム『KiDNAPiNG BLUES』(徳間ジャパン)。プロデュース・山下洋輔、演奏・KIDNAPING BLUES BAND。タモリ自身もトランペット演奏で参加。

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1983
#いいとも青年隊(ワーナーパイオニア)(初代。誠意大将軍羽賀健二+ダンナ坂上野々村真+マンション買いパチプロ久保田篤。誰が何と言おうと作曲家・伊藤銀次の代表作は「ウキウキWATCHING」であると思うが、この曲のオリジナルレコーディングは彼らである。デビューシングル「だったらツイスト」B面に収録。他にスターダストレビュー作品のシングル「恋の爆弾ストリート」等があり、アルバムも発売している)、よめきんトリオ(SMS)(シングル「それ行け! サマービーチ」は近田春夫絶賛。2ndシングル「突然おじゃまの恋だけど」等の他、ミニアルバムも出ている。メンバーはエイドリアン松金よね子+日本のブルック・シールズ渡辺めぐみ+色川先生絶賛KINYA。サザンオールスターズをカバーしたKINYAのソロシングル「Let it Boogie/タバコ・ロードにセクシーばあちゃん」(徳間音工)における桑田佳祐のものまねはクリカンより上手い。なお渡辺めぐみソロシングルでは「ときめきTouch me」以外でも〈いきなりフライデーナイト〉テーマソング「Friday」(ビクター)に要注目。作詞・作曲が所ジョージ)、川上さんと長島さん(日本コロムビア)(千葉市水道局員片岡馨→本宮ひろ志の弟子→Vシネマ界の名バイプレイヤープリティ長嶋+日本旅行社員の渡辺信一→〈お笑い君こそスターだ!〉出場【ロボタン】→北海道地区限定人気DJドン川上。「きたかチョーさんまってたドン」の作・編曲はイモ欽トリオで有名になった細野とかいう人)、高田純次(トーラス)(この時のレコード「ジュンちゃんのブラボーダンス」のことは個人的には語りたくはない。高田純次その人には何の恨みもないが、曲の名前すら出したくない。もう、こうして出してしまったわけだが)など〈笑っていいとも!〉出演者のレコードリリースが続く中、タモリがシングル「正調いいとも音頭」の発表を匂わせる発言。しかし発言しただけだった。大瀧詠一プロデュースの幻の5thアルバムとも無関係な企画らしい。
#所ジョージ『PILE DRIVER』(EPICソニー)に「森田さん家に持ってった笹ガレイの干物」収録。所が"仲人といえば親も同然"のタモリとの交流について歌った曲。で、さて、現在は…。
#YMO『SERVICE』(アルファ)に、『TAMORI』『TAMORI2』の「教養講座のテーマ」が「三宅一京助・大学受験講座のテーマ」として使用される。当時からSETって、つまらなかったから、ちゃんと身を入れては聴いていなかったので、ひょっとしたら『ニポノミクス』だったかも知れない…などとも思っていたのだが、ようやくCD買って、聴き返して確認しました。しかし、この「教養講座のテーマ」とは本当に『TAMORI』が初出なのだろうか? それ以前から(アルファ)の何かのレコードで使われていたアリモノの音源なのかも知れないぞ。そのテーマは今後の研究に委ねたいが、だからってYMOファンのHPへ乱入して喚き散らすのはやめなさい。
#この頃、水谷ミミという人が「タモリきいてちょ!!」と題されたシングル(ワーナーパイオニア)を発表。作詞:きしめんぱちん子、作曲:伊藤秀志。(内容については、なにしろそんなレコード見たことも聴いたこともないので全く分からないのだが、おそらく想像するに"タモリの名古屋ギャグに対する、名古屋人からの反論"とでもいうようなクダラナイ、ク〜ダラナイものであろう…と想像される。そんなものは聴かなくても良い。『蕎麦ときしめん』1冊あれば良い。むしろ『名古屋はええよ!やっとかめ』(東芝EMI)ぐらいの堂々とした態度を見習ってほしい。山本正之エライ。つボイノリオ強い。)

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1984
#大地真央のシングル「この愛よ永遠に 〜TAKARAZUKA FOREVER〜」(ビクター/インヴィテーション)B面収録の、「タモリさんが作った歌」森田一義名義で作詞・作曲(1988年、ベスト盤CD『大地真央 BEST』に収録)。
※当時(CBSソニー)所属のタモリ、伊武雅刀、(EPICソニー)所属の所ジョージ、ラッツ&スターを審査員に迎えて【ギャグ・シンガー発掘】のためのオーディションがソニーグループ主宰で募集される。この結果がどうなったのかは、よくわからない。誰かデビューしたのだろうか?(ここから出たのが「それがどうしたU.S.A.」の小峯隆生だという説もある。バブルガムブラザースだとの説もある。大川興業が「女子大生を責めないで」で参加したという説もある。それは違うビックリハウスの日本パロディ大賞だという説もある)

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1986
#映画『ジャズ大名』サントラ盤アルバム『ジャズ大名/サウンド図鑑』(徳間ジャパン)。
#5thアルバム『HOW ABOUT THIS』(ビクター/インヴィテーション)。同時発売のLPレコードとCDとでは、収録曲に若干の違いがある。
 HOW ABOUT THIS


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1988
#ミステリーカセットブック『タモリのシャーロック・ホームズ/まだらのひも』(小学館)。

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1989
#当時の〈笑っていいとも!〉にレギュラー出演していた中上雅巳+井谷真+塩ノ谷和康の3名が、初代から数えて6年ぶりに【いいとも青年隊】名義でCDデビュー(ポニーキャニオン)。シングル「世界で一番 -LIKE A MOON-」「君にKissしたい」アルバム『どきどき』等を発売する。翌1990年以降は【K・chaps!】の名前で活動。(中上は現在、山瀬まみの旦那である)

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1990
#コンピレーションCD『えっ!あの人がこんな歌を…。』(CBSソニー)に「タモリのワーク・ソング」収録。
#有井和幸のシングルCD「せめて今夜だけは」(ユニバーサル)に、C/W曲「くちづけはたそがれのメランコリー」を作曲(作詞:橋本明、編曲:川口淳一)。有井和幸とは、もともと博多を拠点にして活動していた歌手。タモリは彼を応援していたため、曲を提供することになったのである。

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1991
#NOBU-SONS『NOBU-SONS in CLASSICS』(ソニー)。〈クイズ!タモリの音楽は世界だ〉から生まれた企画CDで、レギュラー出演していた斎藤ノブ率いるバンド【NOBU-SONS】が、クラシックの名曲の数々をジャズ風にアレンジして演奏しているアルバムである。ここにタモリもミュージシャンとしてゲスト参加。トランペットのソロも披露。

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1992
#コンピレーションCD『珍品堂/アルファ編 はっ!あの人がこんな歌を…。』(アルファ)に、『TAMORI』から「演歌“けねし晴れだぜ花もげら”」を収録。

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1993
#寺山修司トリビュートCD『失われたボールを求めて』(ソニー)に、モノマネ寺山によるモノローグ作品「遠く天井桟敷から」収録。構成・井辺清。共演・月蝕歌劇団有志。
#タモリ+タック・ヘッド『TAMORI'S DREAM』(アルファ/日本コロムビア)。『TAMORI』『TAMORI2』の音源を使用したリミックスCD。サンプリング作品「TAMORI'S DREAM」「TAMORI'S NIGHTMARE」と「ソバヤ」の3曲を収録。
『タモリの音楽は世界だ おうちでデジタモドン』(東芝EMI)。『初級編』『中級編』『上級編』の3種類が発売。〈クイズ!タモリの音楽は世界だ〉の、曲名あてクイズが収録された企画ものゲームCD。タモリの声で"早回し、デジタモドン!"等の、かけ声が入っている。曲の部分はすべてインスト演奏なので、ただひとり声を収録させているタモリの、これはヴォーカルアルバムであると言っても…過言ではある。
#SUPER4『SUPER4 collection クイズ!タモリの音楽は世界だ』(東芝EMI)。羽田健太郎、MALTA、日色純一、小林靖宏(coba)のユニット【SUPER4】による、〈クイズ!タモリの音楽は世界だ〉サントラ盤アルバム。番組のオープニングテーマ「アイネ・クライネ・ナハトムジーク」をはじめ、クラシックの名曲の数々がジャズ風にアレンジされている。中野麻衣子がボーカルを務める、番組エンディングテーマのオリジナル曲「この胸でお泣き」も収録。このアルバムにタモリ自身は参加していないようだが、CDオビに【「スーパー4が世界に放つ問題作、今までのCDとは、30ヤードちがう!」 by タモリ】という推薦文が載っている。
#MAIKO with SUPER4「この胸でお泣き/アイネ・クライネ・ナハトムジーク」(東芝EMI)。『SUPER4 collection』からカットされたシングルCD。

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1994
#KORE-CHANz『音楽は世界だ!』(ファンハウス)。〈クイズ!タモリの音楽は世界だ〉出演の、是方博邦率いるバンドによる企画アルバム。とくにタモリが参加しているわけではない。1999年5月21日、CD再発売(Village Records)。

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1995
『TAMORI』『TAMORI2』(アルファ/東芝EMI)CD再発売。オビ解説は高平哲郎。

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1996
#PUFFY「アジアの純真」(EPICソニー)作詞の井上陽水が最初につけたタイトルが「熊猫深山」であったとか。(ミニアルバム『AMIYUMI』にその名がある)『TAMORI2』収録の中国民謡「熊猫深山」との関連は?(1998年4月7日、〈笑っていいとも!〉に井上陽水が出演、真相を語る。やはりあの「熊猫深山」とは、その「熊猫深山」からとられていたようだ。)

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1998
#SMAPミニアルバム『la festa』(ビクター)(EPサイズ・大型ジャケット入りの限定盤CDと、通常サイズのCDとがある)に収録の、中居正広ソロ曲「オイラの人生のっぺらぼ〜〜!」に、石橋貴明やナインティナインらとともに、タモリが声で特別ゲスト参加。"中居君!" "なかいくん!" "ナッカイク〜ン!!"という、それぞれファンの声を模した3種類の声を出している。ただし【Special Guest】として名前がクレジットされているのは石橋だけで、タモリの名前はない。(ナイナイは、その出番がCD上では発振音"ピーッ"で消されてしまっており、"声の出演"は"していない"ことになるので、名前がなくても納得できるのだが。元はSMAPコンサート用の曲であり、ライブ演出上では3組ともビデオ映像で出演を果たしていて、その模様はSMAPのライブビデオでも確認できる。実際にはナイナイは、ライブでは何と言っていたのだろう?)ところでクレジットといえば、この曲で【70's Disco DJ:Yoshiyuki Kono】とある名前は、タモリと同じ時期(1976年10月〜1977年9月)に〈オールナイトニッポン〉の月曜第1部を担当していた【河野嘉之】のことだと思うのだが、この曲の中で"'70年代ディスコDJ"と思える部分は! ミスターマッスルの声なのである!! そうだったのかー。つまり、マッスルの声を当てていたのは、河野氏だったのかあ。懐かしいなー。オレ一度〈オールナイト〉でハガキ読まれたことあるよお。いきなり始まった放送第1回を聴いて、すぐハガキを書いて、第2回で採用された。【コーノ・ヨシユキ】が何者か、誰も知らず、まだハガキが少なかったから…なのだろう。オレも知らなかったので"コーノさん、イタリアへ行く時は注意してください。イタリア語でコーノとはチンポという意味です"という阿刀田高先生の本からパクッたネタを書いた。今でも河野嘉之とは誰なのか、よくは知らない。当時は"音楽評論家である"という触れ込みだったので、それを鵜呑みにしている。彼の〈オールナイトニッポン〉は最新の洋楽ばかりをお届けしていた番組だったので、たぶん本当に'70年代のディスコDJだったのか、あるいはFMのパーソナリティを務めていた人だったのだろう。オレのハガキではチンポのネタ以外に"曲名を日本語で言ってから、原題を英語で繰り返すのはやめてくれ、イヤミに聞こえる"と書いた覚えがある。そういう典型的な洋楽DJの口調に、まだ耳が慣れていなかったオレは無知な中学2年生。そこまで読んだ河野氏が、どういうリアクションを返してくれたのかは、実はオレは知らない。オレは第2回のオンエアを聴いておらず、クラスの女子が"チンポのハガキ、読まれてたよ"と翌日になって教えてくれたのである。←というのは、ぜんぶ嘘で、マッスルの声をやっているのは【幸野善之】なる、まったく別人の声優であったようだ。はい、以上のウンチク、すべて無駄。
#山下洋輔のCD18枚組BOXセット『ピアニストを聴け!』(ポリグラム)内の1枚として、ようやく『家』がCD化。現品のセットは、まだ未確認だが山下洋輔、坂田明、小山彰太、筒井康隆、相倉久人、そしてタモリによる書き下ろしライナーノーツも収録されている、完全初回限定プレスの品らしい。
#YMO&爆笑問題、長井秀和『増長』(アルファ)に、『TAMORI』『TAMORI2』の「教養講座のテーマ」が「若いやまばと」のテーマとして、ものすごく短くリミックスされて、使用される。
#ユンケル黄帝液CMソング・スペシャル・ヴァージョン「そんなあなたを支えたい」(日本コロムビア)。御存知【一本太助】の、♪あなたを支える、あなたを支える、力になりたいの〜という、あの曲だが、CDシングルのジャケット表面に[ (注) 歌っているのはタモリさんじゃありません。]と明記されていて、その通り、歌っているのは【jo】と名乗る妖しげな男女デュオ。じょ、って何だよ。ジェー・オーなのか? jとoのコンビなのかね。純子&オサム、とかな。ありがち、ありがち。

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2000
#East Bounce『Mistral』(コロムビア)に、森田一義名義でライナーノーツを執筆。(【East Bounce】はジャズベーシスト鈴木良雄(通称【チンさん】)が結成したユニット。鈴木は早稲田大学モダンジャズ研究会の出身で、1年後輩のタモリに"マイルスのペットは泣いているが、おまえのペットは笑っている"の名セリフを言って、トランペッターへの道を諦めさせた張本人である。)


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2002
#コンピレーションCD『SMILE コミックソング大全/ソニー・ミュージック編』(ソニー)に、「タモリのワーク・ソング」収録。(すみちゃんとステゴザウルス「キャンパス・レポートもっとクリスタル」も収録。)
#〈オールナイトニッポン〉放送開始から35周年を記念した、3枚組コンピレーションCD『ON AIR オールナイトニッポン パーソナリティーズヒッツ』(ポニーキャニオン)。歴代パーソナリティー各人が残したヒット曲、代表曲の数々が収められていて、タモリの場合は『TAMORI』から「アフリカ民族音楽“ソバヤ”」を収録。(「ソバヤ」はタモリの〈オールナイトニッポン〉毎週のエンディングテーマであったので、タモリに関しては、まずまず妥当な選曲ではあるのだが、他の人の場合、必ずしもパーソナリティー在籍期間中に発表した楽曲が選ばれている…というわけではないので、各番組のヘビーリスナーだった身にとっては、だいぶ選曲に違和感が残る。)そして、さらにボーナストラックとして、あの幻の「オールナイトニッポン・ブルース」が、ついに26年目にして発掘。初めて商品化された。(クレジットには【DJ タモリ ON AIR中】【1976年12月30日「タモリのオールナイトニッポン/"Live at WHO"」より。】とあって、【(アドリブ)】ということで作詞・作曲の名義も、歌詞も掲載されていない。そこまではいいのだが、【午前2時の時報付き】というのだけは誰が何と言おうと絶対に違う! アレは【午前4時の時報】なのである!! 絶対そう!!! だってオレ聴いてたもん!!!!)
#『ジャズ大名/サウンド図鑑』(徳間ジャパン)CD再発売。

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2003
#『オールナイトニッポン・RADIO DAYS/Bitter Hits』(東芝EMI)。上記(ポニーキャニオン)盤に続く、〈オールナイトニッポン〉35周年記念のコンピレーションCD企画、その第2弾。番組パーソナリティーの楽曲集ではなく、1960〜80年代のヒット曲を幅広く集めたオムニバスである。邦楽ヒット集と洋楽ヒット集をそれぞれ分けた、CD2枚組になっている。(まったく同様の企画で、姉妹盤『Sweet Hits』(ユニバーサル)も同時発売。)この中に、邦楽サイドのボーナストラックとして『TAMORI』から「第一回テーブル・ゲーム世界選手権大会 於 青森」が収録された。
#6月18日発売のオムニバスCD『SOB-A-MBIENT Music for Your Favorite Soba Shop』(SPEEDSTAR RECORDS)収録の1曲として、小西康陽が「ソバヤ」をカバー。小西康陽 starring 石坂浩二と緒川たまき「ちりぬるを〜たまき・浩二のおそばやさん〜」と題された作品で、作詞:タモリ(テキスト作成:小西康陽)、作曲:タモリ、編曲:小西康陽。小西が新アレンジでリメイクした「ソバヤ」のトラックに、石坂浩二・緒川たまきの2人が掛け合いで無意味なナレーションを乗せている。(その2人が出演する同曲のPVも撮影されており、監督はナント!! 市川崑。)
#井上ケイスケのミニアルバム『LOVE FOREVER』(徳間ジャパン)に、タモリが作曲した「くちづけはたそがれのメランコリー」収録。井上ケイスケとは、博多の歌手・有井和幸と同一人物である。タモリの応援がありながら芽が出ず、その頃は【有井かずゆき】と改名してスナックを経営しながら活動していたが、『LOVE FOREVER』でのメジャー再デビューにあたり、彼が井上陽水と桑田佳祐のカバー曲を得意としていたことから(『LOVE FOREVER』には「クレイジーラブ」と「栞のテーマ」を収録)、タモリは新たな芸名として【井上ケイスケ】と命名。さらにCDジャケットのイラストまでタモリ自ら描いている。(それでも彼は、そこまでしてもらいながら、やはり不遇のまま2006年、55歳の若さで死去。合掌。)

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2004
#コンピレーションCD『Beautiful Songs series/COOL BEAUTY』(SPEEDSTAR RECORDS)に、「ちりぬるを〜たまき・浩二のおそばやさん〜」収録。

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2006
#【赤塚不二夫・漫画家業50周年記念企画】第1弾として2006年11月23日に発売されたコンピレーションアルバム『赤塚不二夫のまんがNo.1シングルズ・スペシャル・エディション』(ディウレコード)附録の豪華ブックレットに「序文」として語り下ろしインタビューを掲載。このCDは、1972年〜1973年にかけて、赤塚不二夫が自費で発行していた伝説の雑誌〈まんがNo.1〉に附録として毎号つけられていた、ソノシートの音源を集大成したもの。収録曲は、少年A(三上寛)「おまわりさん!!」、中山千夏(演奏:佐藤允彦トリオ)「Discover War」、カミソリQ子(ナレーション:小野ヤスシ)「スケバンロック」、山下洋輔トリオ「ペニスゴリラ アフリカに現る」、井上陽水(ナレーション:大野進)「桜三月散歩道」、三上寛「ホイ!」の全6曲。「桜三月散歩道」は、『氷の世界』(ポリドール)収録の同曲とは別バージョンで、こちらがオリジナル。また「ペニスゴリラ」は1981年8月9日、タモリも参加していた日比谷野外音楽堂での【ジャズ大名セッション/ザ・ウチアゲ】においてライヴ版が演じられた後、中村誠一ソロアルバム『取りみだしの美学』に新録音バージョンの「犬神権太左衛門男爵の冒険」としても収められていた。なお「おまわりさん!!」と「ホイ!」の2曲は、三上寛ファンクラブが自主製作したレアトラックス集アルバムで、すでにCD化されている。三上寛『補遺』(三上考務店)、2005年12月21日に1000枚限定でリリース。

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2007
#【赤塚不二夫・漫画家業50周年記念企画】第2弾として、赤塚不二夫と全日本満足問題研究会『ライヴ・イン・ハトヤ』(ディウレコード)2007年2月23日にCD発売。
#早大モダンジャズ研究会OBのタモリ、鈴木良雄、伊藤八十八、五野洋の4名で、ジャズ専門のレーベル【ONEレーベル】を設立。タモリはエグゼクティヴ・プロデューサー。第1弾CDは5月16日発売の、鈴木良雄トリオ featuring 海野雅威『For You』。
#12月5日、【ONEレーベル】第2弾CDとして鈴木良雄率いる【BASS TALK】のアルバム『Love Letter』を発売。
#12月19日、『TAMORI』『TAMORI2』『ラジカル・ヒステリー・ツアー』の3枚を(ソニー)から紙ジャケCDとして同時に再発売。初のCD化となる『ラジカル・ヒステリー・ツアー』にはボーナストラックとして「タモリのワーク・ソング」「久美ちゃんMy Love」も収録。

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参考#1 タモリに影響された世代

1984
#石川誠壱、シングル「杜撰な戦い」(TDKコア)発表。
#竹中直人、アルバム『かわったかたちのいし』(アルファ)発表。

1985
#キッチュ(松尾貴史)、アルバム『KITCSH』(ムーン)発表。
#いとうせいこう、アルバム『業界くん物語』(東芝EMI)発表。
1986
#宮沢章夫、大竹まことのアルバム『大竹まことの文藝春秋』(BLORDWAY)プロデュース。
#いとうせいこう、アルバム『建設的』(キャニオン)発表。

1988
#清水ミチコ、アルバム『幸せの骨頂』(MIDI)発表。
1989
#清水ミチコ、アルバム『イージー・ジャパニーズ』(MIDI)発表。
#ケラ、劇団健康のアルバム『出鱈目的』(アポロン)発表。

1990
#ケラ、アルバム『ヤマアラシとその他の変種』(東芝EMI)発表。
1991
#松尾貴史、宮沢章夫プロデュースでアルバム『キッチュのラジオ大魔術団』(東芝EMI)発表。



おお、オレがいちばん早い!



もちろん、そうなるように書いてるんだけどね。


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