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日本人の子供に生まれたいですか?
それとも、タイ人の子供に生まれたいですか?
− 日本とタイの教育 −

チラニン・シャニンタラソンクラー

 貧しいタイの子供を見ると、かわいそうだと思います。教育を受けられず、収入を得るために、小さいときから働きはじめなくてはいけません。タイはこういう社会だと聞いたことがあります。どんな社会かというと、国民に権利が平等に与えられていない社会です。不平等社会だとははっきり言えないと思いますが、国民の間に経済的な差が大きいと言うのが実情に合っていると思います。つまり、経済状態がいろいろな人がいるのです。私は大学に入ってから、自分が通っている大学は少なくとも中流以上の人が入っている大学だと思うようになりました。つまり、自分たちのように大学で学べる者はタイ国民の中では小さな部分です。家に帰ると、メードさんに会います。メードさんは妹と同じ年で頭がよさそうな子ですが、貧乏なので、学校に通えないでいます。逆に、私のお金持ちの友達はお金も勉強する機会もあるのに、ぜんぜん勉強していません。この2人が立場を交替できればいいなと思いました。メードさんは他の子供のように学校に通いたいと言っていましたが、家族にお金がないので、行けないでいるそうです。私の友達はお金はありますが、勉強はいやです。この2人、本当に違うと思いました。

 ところで、日本はどうでしょうか。私は1年日本で暮らし、日本の社会の状態を見て、うらやましいなと思いました。また、地方に住んでいるタイの子供たちが日本の子供のように教育を受けられるようになってほしいと考えるようになりました。この点については、日本の方がだんぜんいいと思っていますが、よく見れば、日本にも問題があることが分かりました。タイのようにチャンスがないという問題ではありませんが、なるべく早く解決されることが期待されている教育における競争の問題です。競争が激しく、子供が他の人を負かしてまで競争に勝たなくてはいけないと思い込ませられている状況はあまりよいものではありません。勉強で一番になるために、一生懸命戦わなくてはならず、疲れています。

 さて、もし自分で選べるとしたら、タイの子供に生まれたいですか。それとも、日本の子供に生まれたいですか。


 タイの経済は農業が中心になっています。また、国の主な輸出品も農業関係品です。タイの経済的な構造は下の図のようになっています。

 一番上にあるのは上流社会です。このグループに入っている人は国のリーダーグループで、政治家や実業家や銀行経営者などです。この人たちは国の発展の大切な基幹だと思われています。

 一番下にいるのは貧しい人々ですが、国の人口の大部分です。このグループに入っている人々は労働者や農民などです。

 タイではこのような経済的な格差があるため、人々が社会でどれだけチャンスを得られるかも自分たちの身分によってそれぞれ違うのです。教育を受けられるチャンスも各グループによって違います。各グループの場合の教育のチャンスについて経済的な階層で分けた図で説明します。

 昔は高い身分の人になりたければ、男性は出家しました。出家すると、普通の人と違い、特別な身分になります。しかし、現在は身分を上げてくれるものは出家だけでなく、教育もそうです。学歴も人の地位を決める要因になっています。高学歴の人は教育を少ししか受けていない人より就職のチャンスが多いです。つまり、機会があれば、なるべく勉強すべきなのです。高い学歴があれば、就職活動をするときに、心配がいらないと思われています。

 上流社会の人は国内でも外国でも教育を受けられます。このグループの人は高学歴ならば、いい仕事が見つけられ、いいチャンスが追求できるという考え方をするので、なるべく学歴が高ければ、高いほどいいと思っています。いい大学に入るために、学校の授業だけでなく、子供を塾に通わせたり家庭教師を雇ったりします。お金があれば、それだけ優秀な教師を雇えるのです。

 それに、上流社会には本当に必要かどうか気にせずに他の人のように自分の子供を海外へ留学させなくてはいけないという価値観があるとも言われています。また、お金さえあれば、子供を海外へ留学させられると思っています。どこの国へ行かせるか、どこの大学を卒業させたかでも競争しています。自分の子供が本当に勉強しに行っているか勉強しないで卒業証明書を買ったかを気にせずに、子供が外国の学校を卒業していることだけを誇りたがります。このような子供たちは全然勉強していないし、親のお金を無駄に使って、卒業証明書を買っているため、本当の知識がありません。タイの学生が一番たくさん私費で留学する国はアメリカです。そのうちには、本当に卒業した人もいれば、作られたにせの卒業証明書を買った人もいます。このようなニュースがありました。会社が新しい社員を募集しているとき、海外の学校を卒業しているという応募者が本当の卒業証明書を持っているのかにせの卒業証明書を持っているのか気をつけなくてはいけません。騙されないように、一応その学校に問合わせをすべきなのです。(マティション新聞 1995・6・14 (5420) 社会欄 『ハイ ソサエティー』)


学年別・性別の学生数(1985年)


 貧しい人々の教育のチャンスはどうでしょうか。地方へ行ってみれば、状況はバンコクと違うのだと分ります。人が住んでいる所から離れている学校もあります。山の方にある所にもあります。ですから、子供たちには学校に行くのは大変なことです。それだけでなく、家庭は学校に通わせる余裕もありません。それで、地方の学校は出席している学生があまりいないのです。親は学校に行かせるお金がないので、授業料あるいは学費より食事代に使ったほうがいいと考えます。それに、学校に通わせるより、家業を手伝わせたり、外で働かせたりしたがります。学校に通わせるのは無駄で、働かせて稼いでもらったほうがましなのです。子供が多い家族は子供を一日おきに学校へ行かせると聞きました。なぜなら、学校の制服が一つか二つしかないので、みんな同時に行こうとしてもいけません。それに、さきにも述べたとおり、子供を全員学校へ行かせれば、家で働いてもらえなくなるからです。

 Kちゃんの家族も同様です。お父さんとお母さんが離婚してから、現在Kちゃんを育ててくれている祖母に残しました。貧しいので、祖母はKちゃんを学校へ通わせる余裕がありません。しかし、幸いKちゃんがよく勉強できるので、去年学校の奨学金をもらいました。Kちゃんが小学2年の時、弟と一日おきに学校へ通っていました。なぜなら、学校の制服が2つしかなかったので、みんな同時に行こうとしてもいけません。(マティション新聞1996年 社会欄)


 ウィスッティウォング ポーンスン学校は東北地方のウドーンタニー県のポーンスンにあります。生徒は512人、教師は31人います。この学校には小学1年から中学3年まであります。そして、学校はキリスト教のチャリティーに支援されています。中学のレベルのカリキュラムには一般科目と自由選択科目があります。自由選択科目は職業教育と農学が中心です。この学校は寮もあります。授業料も学費も寮代も無料です。そんなわけで、親たちはお金を払う必要がありません。しかし、こんなにたくさん支援を受けているのに、昔は親たちは子供を学校に通わせる意義を理解していませんでした。ただでたくさんもらえればもらえるほど、そのものの価値が分からなかったようです。高い学歴は村の人たちにとって大事なものではなかったようです。収穫期が終ったら、他に夢がなく、何もしていないでのんびりと暮らしていました。しかし、時間がたって、今村の人たちはだんだん教育の価値が分かるようになっています。子供に教育を受けさせたら、農業より仕事をしに町に稼ぎに出てもらえると思っているからです。

 この村の子供たちは貧しいです。学校にただで通えなければ、教育を受けられるチャンスがほとんどありません。教育を受けなければ、ずっとあい変らず農民として生活していくでしょう。なぜなら、この学校が建てられる3年前、町にある学校に通っていた子供はこの村の子供全体の1.1%しかいなかったのです。

 しかし、現在学校にはいろいろな問題があります。たとえば、教師が足りない問題です。実際は教師だけではなく、教室も設備も教科書も足りません。


1985年 私立学校に通う生徒が占める割合の変移


1994年 比較: 国立・私立学校の授業料、学費/一学期(単位:バーツ)

比較: 国立・私立学校の授業料(学費/一学期、単位:バーツ、1994年)
レベル国立私立
小学校より前500以内5400
小学校5400
中学校120〜21006200
高等学校24006750

(1994年国家教育開発計画の結果発表 Copy6)


バンコクにある私立のキリスト教の学校の高校1年生が入学時に支払う全費用の一例(1997年、単位、バーツ)

授業料2学期分11000
体育の授業用の運動着代300
父兄会費1500
同窓会費500
保険料400
設備費600
プリント代600
図書印刷料2100
入学金5000
学校規則書代500
上下制服代2100
ブローチ・ネクタイ・ボタン(制服)代300
コンピュータ使用料2000
その他1100

合計28000

 実はこれらの費用だけでなく、上の表の以外に入学してから支払わなければならないいろいろな費用がたくさん出てきます。たとえば、学校への寄付や学校の活動費や学校が行うチャリティーやサークル代などです。

 バンコクにあるキリスト教の学校は、有名で勉強に優れていると言われていますが、授業料とその他の費用が高いので、ポーンスン学校の生徒などの地方にいる貧しい子供にはもちろん払えるものではありません。


 一方、タイの地方の状態はどうでしょうか。タイは国土の開発はバンコク以外ではほとんどされていません。それで、バンコクと他の地方の間にはかなりの違いがあります。バンコクと他の大きい県の間でもかなり発展に差があります。ですから、バンコクは地方の人からは仕事を見つけやすく、お金持ちが住んでいる所だと思われています。一年のうち、農作物の収穫時期以外は東北地方から来た労働者がバンコクに仕事をしに来るそうです。その労働者の中には13歳以下の子供も含まれています。どうして子供も含まれているのでしょうか。

子供の出身地方別の例

(バンコクを36の地区に分け、そのひとつひとつにあるガソリンスタンドで働いている263人の子供の例)
地方人数割合(%)
東北部207    78.7    
中部19    7.2    
北部18    6.8    
東部13    4.9    
南部6    2.3    
合計263    100.0    

(ポーピモン・シャナットナワー「バンコクにあるガソリンスタンドで働いている子供たちにとっての問題点、そして欠乏しているもの」タマサート大学修士論文 (社会学) 1994年)


 実家のメードさんの例を挙げましょう。メードさんは私の制服の姿を見て、「お姉さんみたいに学校に行きたいが、こんなに年をとっていて何も分からないから、行けないでしょう。」と言いました。年はだいたい同じなのに、私たちはこんなに違うんだと思いました。メードさんはラッチャブリー県出身です。お父さんが三輪車の運転手さんで、メードさんが小さいときにお母さんと離婚しました。家族は貧しいので、12歳のときに、ラッチャブリー県の中心地に出稼ぎました。メードさんの元の家は県の中でも僻地にあり、収穫期間の以外は村の子供たちが県の中心である町に働きに出ます。上の表の場合と同じく、貧しい村出身の子供たちが県の中心地やバンコクなどに出稼ぎに出るのは毎年起こるごく一般的なことです。メードさんもそのうちの一人です。県の中心地で働くのは自分の村にいるより収入がいいので、メードさんは実家に帰っていません。


 日本はどうでしょうか。私は一年広島に住んでいましたが、広島は地方にあっても、その地方の中心の大きい県の一つだと思います。タイで言えば、コーンケン県あるいはソンクラー県です。日本とタイとで、首都圏と地方の中心地を比べてみると、日本のほうが差が小さいです。ですから、日本では開発が全国でバランスよく行われていると言えます。経済の面だけでなく、交通の面も政治の面も教育の面も、日本のどこもだいたい同じく行われています。

 日本の社会は皆同じく教育を受けられ、経済的な差と教育を受けるチャンスの違いはタイほど大きくありません。タイには家柄やお金で人を判断する悪い価値観がありますが、このような考えは日本ではあまり感じられません。日本は中流の人々がほとんどで、経済的な身分も生活の仕方もだいたい同じなので、お金や家柄などで人を判断するというのはあまり感じられないのです。それなら、日本の価値観はどんなものでしょう。日本の社会の中で何がいいと思われているのでしょう。それは、いい組織に属していること、つまり、その組織の一部になっていることでしょう。日本の社会は能力主義の社会だと言えるでしょう。つまり、いい組織に入るために自分の能力が一番大事なことなのです。また、自分のその能力を外に表す方がいいと思われています。この能力とは、どれぐらいよく勉強できるかということ、あるいは、その人の学歴という意味です。日本人は経済的な条件や教育のチャンスはほとんど皆同じなので、これらを比べ合っても別に楽しくないのでしょう。ですから、同じであればあるほど、人間は違いを必ず作ろうとするものなので、日本人は学歴によって、差別が生じるように有名な大学を卒業すれば人より幸福な素晴らしい将来がその人を待っているという価値観を作ってきたのでしょう。これから書くことは日本の子供みんなというわけではありませんが、最近ニュースになっていた子供の問題の例です。

 いい大学に入るために、いい高校に通わなくてはいけません。いい学校として有名な高校に入れるためにも、いい中学校、いい小学校、そして、いい幼稚園にも通わせなくてはいけません。そんなわけで、ずっと小さい時から、いい学校に入らなくてはならず、競争もこの時から始まります。親は子供に一番いい教育をさせて、いい大学、いい会社に入れようとするので、親も子供が小さい時から疲れます。予備校あるいは、塾に行かせたり、家庭教師を雇ったりします。ですから、子供たちは学校の授業だけでなく、予備校の授業でも課題をやっていかなくてはいけません。それに、受験戦争で人を負かさなくてはいけません。子供の生活は一日中疲れるものになっているようです。学校と塾の授業が終ったあとはとても疲れています。しかし、次の朝はまた疲れる生活が始まります。

 大学などの学校への入学が入学試験の点数によって決まる制度になっているため、子供たちが受験勉強に集中しなければならなくなっています。また、この制度は教育ビジネスをさかんにしています。上のグラフによると、塾に通っている小・中・高校生の数が継続して毎年だんだん増えていると思われます。

 日本の子供の世界は楽しくないかもしれません。友達とうまく付き会えていない子供もいます。生活は一日中授業で忙しく、子供たちは遊ぶ時間がなくなっているので、友達同士の関係を深めることができないのだろうと思います。いつでも暇があれば、一人遊びであるファミコンあるいはゲームソフトをします。ですから、子供は他人との人間関係があまり発展しなくなります。現在子供たちが外で楽しく遊んでいる姿をあまり見かけません。逆に、地下鉄の中で宿題をしたり予備校の課題を予習したりしている姿をだんだんよく見かけるようになっています。

 「ゆとり」教育とは何か一論点87 堀真一郎教授の「子供の一人遊び」という調査によると、都市(大阪)でも、農村(北陸)でも「ふだん十分に遊んでいない」という小学生(4〜6年)の割合は約50%にのぼります。その理由でもっとも多かったのは「塾やけいこごとに行くから時間がない」です。第2位は「そんなに遊びたいとは思わない」です。

 1989年厚生省児童家庭局「全国家庭児童調査」によると、「どこで遊ぶか」の質問に対し、小学生(4〜6年生)の答えでもっとも多かったのが 「自分の家」78%で、「友達の家」67%、「車のあまり通らない道路」、「公園」、「学校の校庭や体育館」とつづきます。

 中学生、高校生も割合は小学生より少し下がっていますが、だいたい小学生と同様で、「自分の家」が一番多く、次は「友達の家」、「遊び場」という順番になっています。

 日本の子供の日常生活は大人に負けないくらい忙しいと言えるでしょう。入学試験が近付くまえに、子供はとても緊張していて、ストレスがたまっています。

 日本放送協会(NHK)が1979年に行った調査によると、日本の小・中・高校生のうち、大人になりたいと答えた小学校6年生は22%しかいないのに対し、大人になりたくないと答えた中・高校生が多かったそうです。特に男子は76%もいたそうです。このような結果が出た理由は、子供が大人になることを心配しているか、あるいは、大人になっても別にしたいことがない、つまり、夢がないということです。子供は自分の人生の目的が何だか分からず、毎日の生活が忙しくて疲れるだけなので、生きているだけで精一杯です。それで、大人になれば、もっともっと疲れるだろうと思っているので、ずっと子供のままほうがいいと思っています。

 日本は自殺率が世界で一番高いと言われています。大人だけでなくて、子供が自殺したニュースも聞かれます。なぜ子供が自殺したのかについて、いろいろ批判までされています。授業のストレス?それとも、何か親や自分の回りの人たちに伝えたいことがあるのか。警察の調査によると、自殺した子供のほとんどは親に手紙を残しておいたそうです。手紙の中には自分の不幸なことやなぜ自殺することにしたかなどが書いてあります。

 厚生省の調査によると、1973年に子供の自殺率は急に上がったそうです。1972年に100人くらいいましたが、1973年には150人にも増えました。日本の子供の自殺は、だいたいビルから飛び降りたり、首をつったりする方法で行われます。子供の自殺のもう一つの特徴は、自殺するまえにメッセージを残すことです。遺書を書いた子供が80%もいたそうです。遺書にはだいたい<実は生きていたいのですが、...>や、<...なら、生きていたいです。>などと書いてあります。これは子供が本心では生きていたがっていることを意味しています。しかし、問題がたくさんあるので、生きていることより死ぬことを選んだのです。

 1977年のニュースによると、10歳の男の子がビルの6階から飛び降りたそうです。原因は夏休みの間の宿題が間に合わなかったことです。また、1978年の6月、中学3年生のある男の子が、「自分はこれからどのように生きていけばいい分からないし、生きていても人生は暗い」という理由で、自殺しようとしました。自殺するまえに〈宿題を済ませられなくてすみませんでした。大変疲れているので、楽になりたいです。〉というメッセージを残しておきました。

 それから、去年神戸市立多井畑小学校6年、土師(はせ)淳くん(11歳)が殺害された事件のニュースを聞きました。淳くんが5月24日、午後2時から2時半ごろまでの間に祖父の家に向かっていたときから、同じ日の夕方ごろまでの間に殺害されたのではないかと思われました。1ケ月後、この事件の犯人が誰か明らかになりました。犯人は市立友が丘中学3年の男子生徒(14)です。この男の子は淳くんに声をかけて自分の学校の近くにあるタンク山に誘って、そこで殺しました。この男の子の友人の話によると、「先生がむかつく。学校に仕返ししてやる」と話していたのを聞いたことがあるそうです。これはこの男子生徒が学校に不満を持っていたことを示しています。このニュースは信じられないニュースですが、警察は何ヶ月も調査していて、結局犯人がその中学生だと分かって逮捕しました。私は、この事件が起きた原因は、その子供の心理の状態に関係があると思います。それに、このような事件はめったに他の国で起こらないと思います。この事件の犯人が分かってからすぐ、テレビの番組にこのことについていろいろな批評がたくさん出ました。

 犯人は淳君の首を切って、警察に挑戦するようにその子の頭を自分の中学校の前に置きました。

 この犯人の男の子は、頭がよくて、クラスでよく勉強できることが分かりましたが、ちょっと静かで他の子のようにあまり明るくないようだと聞きました。またこの子は、友達に変わっていると言われたことがあるそうです。つまり、勉強はよくできますが、クラスメートとの交際はうまくできません。一人遊びして、問題があっても誰にも相談しない子です。ですから、親さえこの子の考えが分かりません。どうして犯罪を犯したか、普通の人と違う考え方をしていたか、精神に異常を起こしていたのか、本当は明らかになっていません。

 テレビ番組に出ていたのは結末だけですが、この問題を真剣に考えてくれた人はいませんでした。よく考えてみれば、この子は日本の社会の暗い部分が生んだものではないかと思います。この問題の本当の原因を調べて、このような事件がもう二度と起こらないように協力するべきではないでしょうか。

 学校は子供がいろいろ勉強できる所だけでなく、仲間と交際し人間関係をもっと深くして発展させられる所でもあるべきです。しかし、現在日本には現実に問題が起きている学校がたくさんあります。有名な学校は多くの学生が入学を希望し受験競争が激しい所になっています。実際日本の勉強の競争は子供が小さい時から始まります。いい幼稚園、中学校、高校、そして、いい大学に入るために、子供はずっと一生懸命勉強しなければならず、競争を避けることはできません。子供にとって大切な仲間との交際や人間関係を見落すほど、勉強だけが大切にされていると言えるかもしません。世界の中でも日本の親ほど自分の子供の教育を大切にしている親はいないと言われています。しかし、これは大切にしすぎているのかもしれません。というのは、受検戦争で大変困っている子供がかなりたくさんいるからです。子供の日常生活は勉強で忙しいので、自由に遊べなくなっています。それに、現在勉強で忙しいという理由で遊ぶ気がしなくなっている子供もいます。その子供たちは、遊んだら時間も無駄になるし、いい学校の入学試験にも受からないかもしれないしと思っているのでしょう。たとえ、暇があっても、友達と遊ばず、どこにも出ないで篭っていて一人遊びする子供もいます。


 以上タイと日本のそれぞれの問題を書いてきました。現在タイで早く解決されなければならない教育の問題は経済的な格差によってしょ生じている。人々が教育を受ける機会の問題です。同じ国ですが、お金持ちの人と貧しい人々の違いが大きいです。タイの政府にもっと教育の問題を重視してもらいたいです。将来地方の子供が今よりもっと教育を受ける機会が得られるようになることを期待しています。

 日本にも子供の問題があります。子供の問題を起こしているのは、よい組織(会社や大学など)のメンバーになろうとして生じる競争です。これはタイのような階級社会ではない日本の社会で人々の間に差を作らなければならないという社会の要求から来ているものでしょう。競争が激しい社会に生まれた子供はかわいそうな状況です。受験戦争が子供の世界を楽しくなくなるようにさせているのです。

 私はこのように大きな問題は自分一人ではとても解決できない問題だと思います。このレポートは自分の大学の社会と地方の子供を見て思いついたものです。貧しい家の子供たちの状況については、タイの人々は知っているでしょうが、詳しいことまでは知らない人がまだ大勢います。

 私の場合、自分の生活の中でこのような問題点について実際に知る機会がありました。このような問題は大勢の人々が認識し、いっしょに考えていくべきことだと思います。一人や二人の力では解決できないような大きな問題だからこそ、そうしなければならないのです。

 実際には日本の子供に関する問題はまだたくさんありますが、このレポートは1学期内に書くというように期間が限られているので、あまり詳しく研究できませんでした。もっと時間があれば、日本の子供に関する問題を詳しく研究したいと思います。本当はもっとタイと日本の教育の問題を比較したいのですが、タイと日本はそれぞれ違う問題を持っているので、比べにくいです。

 貧しい子供たちの状況を本当に理解してあげられる学生はチュラーロンコーン大学などの有名な大学にはあまりいないかもしれません。同じ国の国民ですが、私たちには経済的な格差があります。また、貧しい農民の生活をしたことがない大学生の私たちは、農民のことがよく分からないと思います。貧しい人を助けることが自分の責務だと思っていないので、本当のその地方に行って、村の人を支援しようという人があまりいないのです。みんな口では言っていますが、実行する人はびっくりするほど少ないです。私たちのチュラーロンコーン大学のスローガンは「我々の名誉は人を支援することの名誉である。」ですが、これは誰かが作ったただの言葉です。実行してくれる人はどこに行ってしまったのでしょうか。タイの大学生はほとんどみんな生活に困らない人のグループに入っていますが、自分たちより大変な人々のことを気にしてあげていません。お金と高い地位と名誉のことしか思っていないと言えるでしょう。私は、チュラー大生のみんなに、お金のことやおしゃれのことなど気にしすぎないで、自分の回りを見てほしいと思います。そして、教育を受けられていない同じ国の人がたくさんいるという事実を知り、機会があればその人たちにも自分と同じチャンスを与えてみることを考えてほしいです。我が国にいるのはお金持ちの人ばかりではありません。社会の中は支援を待っている人で一杯なのです。もし、私のレポートがきっかけとなって、読んでくれた人が少しでも貧しい子供のことを考えてくれるようになれば、幸いです。


参考分献

  1. First Edition 1986 The Modernization of Japanese Education Vol.1 Thought and System. International Society for Educational Information
  2. タイ国文部省 一般教育 1992 『Raingan karnsuksa thai(タイの教育状態のレポート)』 Thai wattana panich Ltd.
  3. ポーンピモン・シャナットナワー 1994 『Dekpum nai Krungthep(バンコクにあるガソリンスタンドで働いている子供たちにとっての問題点、そして、欠乏しているもの)』 タマサート大学修士論文(社会学)
  4. マティション新聞 1995 『ハイ ソサエティ』 社会欄(5420)
  5. バンディット・プラディッタヌウォンング 1995 『Konyiipun kidyangrai kab...(日本人は...についてどう思っているか)』 Seiuun Ltd.
  6. 堀江・インカピロム・プリヤー 1992 『Mongdan sakura(桜の国を見る)』 Samukkeesarn Dokya Ltd.
  7. 堀江・インカピロム・プリヤー 1993 『Ruuchak yiipun 2(今日の日本2)』 Samukkeesarn Dokya Ltd.
  8. Itasaka Gen 1992 『Pratoo suu yiipun(Gates to Japan. It's people and society)』 タイ日技術協力興会
  9. 神戸新聞ウェッブページ『児童殺害事件』  http://www.kobe-np.co.jp/news/jiken.html/
  10. 岩井忠彦 1993 現実を放置したままの業者テスト・偏差値狩りは、愚民政策である。 『日本の論点’94』 (文芸春秋編) 文芸春秋
  11. 堀真一郎 1992 教科書中心の画一教育から子供の発想と体験を尊重する学校へ 『日本の論点』 文芸春秋


改訂履歴
1998/03/15
タイプミスを訂正しHTMLファイル化してアップロード。
(図やグラフは後日追加予定)
1998/07/12
図やグラフを追加して完成。


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