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人の行動の背景

パーニター・ブァウカム


 「行動」という言葉を皆さんはよく知っているでしょう。なぜなら、人は朝目覚めてから夜寝るまで一日中行動しているからです。「行動」は辞書には環境に対する動き、考え、感じという意味が書かれています。しかし、心理学的には心身の活動だと言えます。その活動は目に見える、耳に聞こえる、あるいは、道具を使ってチェックできるものです。心理学者は行動を2つのタイプに分けています。それは、公然の行動(Overt Behavior)と隠された行動(Covert Behavior)です。公然の行動には、目で見られる行動と目で見られない行動の2種類があります。この例は、それぞれ、体の動き、歩き、笑い、そして、血圧、血液の循環、脈拍などです。一方、隠された行動には目で見られない行動の1種類しかありません。たとえば、知覚、感覚、記憶、考え、決心などです。

 それぞれ人は多種多様な行動をします。同じ人なのに、ときによっていいことをしたり、悪いことをしたりします。私は他の人の行動を見るとどうしてその人たちがそのような行動するか、それにはどんな原因があるかという疑問を持ちます。それで、今回の論文は、人の行動の背景ということを話題にしています。この論文の中に書いた内容は人を行動させる要因についてです。次の5つの部分に分かれています:

1)知覚と感覚
2)態度と価値観
3)環境と学習
4)記憶と忘却
5)動機付け

 ここで取り上げている内容の主な部分は、先行研究から情報を取り、まとめて書いたものです。最後の部分は自分で見つけた例とそれに対する自分の意見です。なぜ自分で研究して書かないのかと読者は不思議に思うかもしれません。その理由は、人の行動の背景は複雑なことですので、そのことについて十分な知識がない私にとってはむずかしすぎるということです。しかし、将来はこのような研究を自分でするつもりです。ところで、専門知識のある人がこの論文を読んでくれたら、私が今取り上げている情報の中に間違っている点を見つけるかもしれません。あらかじめ、おわびを申しておきます。最後に、この論文は他の人の行動を理解したいと思う人には役に立つのではないかと思います。


知覚と感覚

 知覚は、私たちの回りにある事物から情報を感知した後、脳の中でその情報を正しく処理できるように解釈する過程です。感覚は人間が知覚を始めるのに必要な第一の条件です。人間は身体の五つ器官の神経網によって事物を感知します。その器官は目、耳、鼻、舌、皮膚です。感覚は、見たものや聞こえたものや鼻で吸い込んだ匂いや食べたものの味などから得た情報を合わせたものです。また、感覚は人間の体の中に起こる自動の過程で、学習や経験や願望や気持ちなどの心理的なことから影響を受けません。そのような心理的なことは感覚の過程とは関わりがあるだけです。例えば、二人の人に音を聞かせます。一人はよく聞こえないある音が聞こえます。そして、その音はだんだん大きくなると言います。もう一人は飛行機がこちらに向かってきている音だと言います。つまり、一番目の人は感覚を得るための神経網しか用いず、その音の意味を解釈しません。しかし、二番目の人はそれが飛行機の音だと解釈でき、自分の経験にもとづいてだんだん大きくなる音を聞いてその物体が自分に近づいてくることを知覚しています。

 人の知覚の過程をおおまかに描いたものが次の図です。


正しく知覚するかどうかに影響する要因

 人間は知覚する時に誤りを起こすことがあります。学者はその誤りを5タイプに分けています。
1.Hallo Effect:
人のある特性に印象を受けてそれに従ってその人を評価することです。例えば、ある人から助けてもらった場合。その助けは一度だけのことですが、その人につよい印象を受けたためその人に関するものはすべていいと評価してしまいます。
2.Logical Error:
人の行動と外見からその人を評価することです。例えば、ある人がある事件で悪いことをしたとします。その人は他にも悪いことをしているにちがいないと思います。あるいは、残忍な顔をしている人は必ず悪い人だと思います。
3.Leniency Effect:
例えば、おひとよしの人です。そういう人は他の人にだまされやすいです。また、おひとよしの人の理想はよく事実から外れていて、悪いことでも許してしまうため、他の人に対して不公平になることもあります。
4.Assumed Similarity:
自分の特性を基本として他の人を評価することです。例えば、自分が勤勉な人なら、他の人も勤勉な人だと思います。
5.鉛版:
自分の考えに従って社会の特徴を評価することです。自分の考えは一人だけの考えなので誤りが起こりやすいです。また、独断的な考えに基づき、人を評価すればその人にとってマイナスになることもあるかもしれません。


態度と価値観

 態度と価値観は人が生まれて、社会の一員になった時から少しずつ形づくられていくものです。つまり、簡単に言うと人は生まれると家族の人になります。また、家族は社会の一部であり、人は家族の人々を通じて態度と価値観を学習します。態度を学習するということは、人があることをする行動の傾向を学習することです。また、その行動は好きだ、または、嫌いだという感情にもとづいています。また、人は行動する時にその行動と関係がある物か他の人か事物に対する感情と信念も表現します。要するに、態度という言葉の意味は、あることに対する人の認識、また、その認識はその人の心の状態も表わします。態度は次の要素から成り立っています。
1)認知部門:
何が正しいことか、何が間違ったことかということについての知識や理解や信念など。
2)感情部門:
好きかあるいは嫌いかという感情。
3)行動の傾向部門:
人の話や態度や外に表われた行動など合わせたもの。つまり、1)と2)の合わせた行動の在り方。


態度と行動の関係を表しわた図(フィシビンとエジゼン、1975年)
 この図は態度から生じる行動の過程を表わしています。そのような行動はあることをする意志に依存します。つまり、あることをする意志に影響する主要な変数は行動に対する態度です。どんな結果を生じる場合でも社会の基本になっている人々(父、母、兄、妹、叔父、友達、先生、など)の期待どおりに行動しようという信念を持っています。

 態度の形成に関して人は生まれたときから死ぬまでずっと学習を続けます。態度のなかには子供の時に生じても、大人になると変わってしまうものもあります。それは、連想と条件付けと転移と必要の充足の原則に依存しています。


1971年テリェーンディス:態度と行動の関係図
 この図は行動の過程を表わしています。つまり、人は刺激を受けるとその刺激に反応して頭の中で考え始めます。人の思考の過程は知識と感情と行動を合わせることから始まります。そして次に、考えていることを外に表現したいという感情が起きます。つまり、外に表われる行動は知覚や考えや決定や満足感・不満足感を合わせることから始まります。また、その行動や言葉はそれぞれ人のふるまいによって違います。
 価値観は人と物と出来事をどう評価するかということです。その評価は社会にいる人ひとりひとりが人、物、事件を認めるか認めないかという感情も表わします。価値のサンプルは、たとえば、法律やルールや習慣や宗教などです。また、どのようなことが正しいか間違っているか、また、そのことが良いか悪いかということを評価する過程もあります。価値観の学習と態度の学習というのは同じようなものです。つまり、価値観を学習する過程は態度に関係しています。学習する初めにあるのは原型です。その原型は人の行動の背景になることがあります。つまり、それは刺激であり、また、組織者です。
 この図はスキナーの効果的な条件付けの理論にしたがって人の価値観を学習する過程を表わしています。スキナーは、学習は効果的な条件付けというタイプの行動であり、また、刺激が重要な変数だと主張しました。つまり、原型である刺激に対する反応は適当な時間に同時に起こります。その刺激は反応のレベルを同じに保つか、または、高めます。人はすでに学習した価値観についてそれが正しいか−間違っているか、また、良いか−悪いかそれに対する感情を評価します。しかし、人はときには自分がしたいことが悪いことだとよく知っているのに、それをする場合もあります。たとえば、喫煙や飲酒などです。「正しい」−「間違っている」、また、「良い」−「悪い」という感情に関して倫理にもとづいて研究していた人は、たとえば、コールバーグ(1973)です。コールバーグは社会にいる人の行動を三つのグループに分ける方法で人の道徳の心の中にある状況を研究していました。それは、次の三つです。
1)倫理以前のレベル:
人がしたことは正しい−間違っている/良い−悪いかという判断をします。
2)因襲のレベル:
社会の規則どおりに行為します。つまり、習慣や法律などをルールとして考えます。
3)原則レベル:
人は自分の心の中にある道徳どおりに行為します。


環境と学習

 人の学習の過程は子供の時から始まります。人は生まれた時には白い布のようです。子供のときの家族は人にとってもっとも重要な学習の源流です。つまり、家族は人の発達を決める重要な要因だと言われています。古代ギリシャではプラトンとアリストテレスは人間が他の人の行動を知覚し、それを真似る方法で事物またはできごとを学習すると述べていました。つまり、人はある期間他の人の行動をコピーしつづけます。そして、経験によって自分の生き方の方向を決めます。また、その生き方は社会のルールとか習慣に反するものではなく社会に認められるべきものです。要するに、環境を学習することは社会を学習することです。アルバート・バンドゥラー(1925)というカナダの学者は社会的認識理論を主張しました。その理論はモデルが社会を学習するのに影響する第一の変数だと述べていました。その理由は、
1)モデルによって事物を学習することは他の方法よりもやさしいこと
2)見本どおりにするとミスが起こりにくいこと
3)複雑な行動は理解するともっとやさしくなること
の3つです。

 要するに、モデルが人に新たな行動を起こさせ、人のいい性格を発達させ、また、元の悪い性格を改善します。なぜなら、モデルが人に社会や習慣や宗教のルールを守らせるからです。

 モデルによる学習には重要な過程が四つあります。

1.注目の過程:
人はいろいろな行動を興味を引くモデルの特徴から学習します。つまり、人は自分を満足させるモデルを模倣します。例えば、子供が両親の歩き方を見て同じように歩いてみます。もしそれができたら子供は満足します。なぜなら、子供にとって両親はもっとも重要な人だからです。
2.保持の過程:
観察したモデルの行動を覚えることです。そうすれば、モデルを真似ることがやさしくなります。つまり、人は自分の記憶系統を制御して知覚した情報の特徴をできるだけ覚えます。このようにしてその行動を自分でする時、それがよくできるようになります。
3)生成の過程:
適切な機会に覚えているモデルの行動をすることです。つまり、モデルと同じ問題に出会ったら、モデルと同じような方法でその問題を解決します。例えば、少年が父親のひげのそり方を真似ることです。
4.動機付けの過程:
いろいろ行動を学習するのに必要な要因です。つまり、人はモデルどおりにする時刺激を受けなければなりません。刺激は、たとえば、自分の満足とか他の人からのフィードバック情報です。例えば、若者が有名な歌手の洋服のスタイルを真似していると他の人に認められたら、その若者はだんだんその歌手の行動も真似るようになります。
 そして1986年にバンドゥラーは社会の学習に必要なことを次の3つの要因としてまとめていました。それは、人、行動、環境です。その要因同土の関係については次の図を見てください。

記憶と忘却

 ほとんどの人は出来事や他の人やいろいろな物など、物事を覚えたいと思っています。理由は他の人とコンタクトするためや知識を増やすためや周囲の状況を理解するためです。また、社会や習慣や宗教なども理解するためです。覚える情報を脳の中で処理し、それが学習になります。人はできるだけ情報を覚えたいのですが全部は覚えられません。覚えられないことが起きるということを忘却といいます。人の創造的な思考には人の経験が必要な変数です。もし情報を忘れたら、知覚、学習、問題解決、創造ということは起こりにくくなります。

 「記憶」−「忘却」ということは人の心の中に起こる過程です。つまり、人の内面の行為ということです。心理学者、たとえば、ウィリアム・ジェームズ(1890)は一次記憶と二次記憶を研究していました。

 次の図がその研究を表わしたものです。

 この図によると刺激が人の心の中に入ると、人はその刺激をずぐ覚えます。そうしなかったら、それを忘れます。もし覚えられたら、その刺激を長い間保持します。

 記憶と忘却は刺激が感覚器官に触れることから始まります。その情報は短期記憶に入ります。その後、反復学習されると、その情報は長期記憶に入ります。しかし、そうでなければ、その情報は忘れられます。短期記憶は情報の数や量と覚えていられる時間に限りがあります。つまり、覚えられる情報の数や量は多くありません。また、短い間しか覚えていられません。長期記憶はたくさんの情報を長い間覚えられるものです。心理学者は記憶の過程を三つに分けています。それは、(1)貯蔵、(2)保存、(3)再活用

 次の図はその過程を表わしたものです。

貯蔵:脳の中に情報を集めること。
保存:次回同じようことが起こるときに問題を解決するため、その情報を維持すること。
再活用:問題に出会ったとき、それを解決するために維持している情報を使うこと。

 「記憶」−「忘却」は人の学習、問題を解決する能力、創造力、知能のレベルと関係があります。つまり、情報をたくさん覚えられば、その人の能力も高いということです。

 覚える能力を測るために三つの方法があります。

(1)思い出させる
(2)認識させる
(3)再学習
忘却は始まる前に測る方法はありません。しかし、すべての学んだことから覚えていることを引く方法で忘れたことについて知ることができます。

思い出させる:
 学んでいる人に学んだことは何か覚えているか言う方法か書く方法で表わせる。時々思い出したいことをもっとはっきりさせるためにヒントを与えます。しかし、ヒントを与えるかどうかは時間によります。つまり、長い時間が経つと人の記憶はだんだんなくなります。そのため思い出したいことをたぶん100%は思い出せません。

認識させる:
 知覚したことをすぐに思い出せません。でも、そのことを見たことがあるのは自分でよく知っています。それで、いろいろ選択肢を上げれば、思い出すのをたすけることができます。

再学習:
 学んだことを全く忘れてしまった場合でも、そのことをもう一度学習したら初めて学ぶ場合よりも理解するための時間は短くなります。


動機付け

 動機付けは行動を開始させます。また、それぞれ人の行動は受けた刺激によって違います。例えば、ある学生の集団は皆勉強がよくできるようになりたがっています。でも、勤勉な人だけでなく怠け者もいます。つまり、たとえ同じ目的があっても、違う動機付けが行われたらそれぞれ人は違う行動をするわけです。学者は動機付けを二つのタイプに分けています。それは、食べ物やお金など、その誘因が人の外部に設定されている外発的動機付け、知的好奇心などのように人が自分から求める内発的動機付けです。さらに、もう一つ動機付けのもとは社会を学習することから得られる情報です。それは大体それぞれ人の過去の経験です。また、このタイプの動機付けは社会との関係があるため、自分に対する他の人の反応とも関係しているわけです。動機付けは人が生きていくうえで必要なことがある限り常に起こっている過程です。人の生存のために基本的に必要なことは、たとえば、のどの乾き、空腹、性、眠りと体を動かすことなどです。必要が起こると体のバランスを失います。体のバランスがくずれると、体に欲求を起こします。その欲求によって人の行動の方向が決められます。つまり、行動の目標を成就するための力を起こさせます。それは要求に応じる過程です。そして、欲求が減っていき満足します。例えば、おなかがすくときには酵素が出て胃を刺激し、欲求を起こし、次に受けた刺激は胃の中にある腺に食べ物を探させ、その腺は実際に食べ物を探します。そして、おなかがいっぱいになると、空腹感がなくなって体のバランスが取れます。要するに、動機付けには行動の誘因となる、行動を対象に向けさせる、行動の方向正誤を知らせる、という三つの機能があります。

 次の図は動機付けの過程を示したものです。

 動機付けの過程の研究では欲求が重要視されています。ここで二つの有名な欲求に関する理論を紹介します。

1)マスローのNeed Gratificationの理論(1954)

 マスローの理論では人が自分の欲求に応えるため、自分にとって未知のものごとを追求します。人の欲求にはさまざまなレベルがあります。また、上級の欲求に反応するにはより下級の欲求に反応することが必要な条件だということを述べています。

 次の図はマスローの理論にしたがい欲求の憂先順位を表わしたものです。

基本的な生理的必要:
人が生きているため、もっとも重要な欲求、たとえば、食べ物、水、空気、適当な温度、眠り、排泄などに対する欲求です。
安全に関する必要:
脅迫、悩み、危険、痛みなどに遭わない欲求です。
愛情と所有に関する必要:
他の人に愛されたいという欲求、また、家族や社会などから認められたいという欲求です。
自己を尊重する:
回りにいる人から尊敬されたいという欲求です。
自己を実現する:
人が自分の実力に応じて、いろいろことをしたいという欲求です。

2)マーレイのNeed Gratificationの理論(1938)

 マーレイの理論では人が身体の内部と外部の刺激によって欲求を形成するということが述べられています。つまり、人の欲求は自分の身体と心の状況から起こります。マーレイは人の欲求を次の20のタイプに分けています。

1.Need for Aggression:
乱暴なことをして他の人を負かしたいという欲求です。争い、報復、損害、殺人などがあります。たとえば、好きではない人に皮肉を言うことです。
2.Need for Counteraction:
失敗しないため、努力によって障害に打ち勝つ欲求です。たとえば、よく勉強ができないので、他の人に侮られる場合です。その場合、侮られる人がその侮られることに勝つため、勉強に努めます。
3)Need for Abasement:
降参する、罰を認める、過ちをみとめる、批判を聞き入れる欲求です。たとえば、政府の改新を求めて抗議のために自殺することです。
4)Need for Defense:
批判や非難に対して自分を擁護したいという欲求です。これは心の面の防衛です。人は自分がとがめられないように、理由を探して自分の行動を説明しようと努めます。たとえば、試験に合格しないと、先生の教え方が悪いと言います。
5.Need for Autonomy:
束縛から自分を解放したいという欲求です。たとえば、親の助けなしで子供が自分で御飯を食べたいということです。
6.Need for Achievement:
困難な仕事や重大な問題を出会っても降参しません。目的を達するため、できるだけ努力して問題を解決しようとします。
7.Need for Affiliation:
他の人に可愛がられたいという欲求です。他の人と友好関係を樹立することです。
8.Need for Play:
ストレスを減らすため、スポーツをしたり喜劇の番組を見たりします。つまり、楽しさを表わしたいという欲求です。
9.Need for Rejection:
他の人から離れたいという欲求です。つまり、他の人に無関心でありたいということです。
10.Need for Succorance:
他の人から慰められたり、助けられたり、アドバイスを受けたりしたいという欲求です。
11.Need for Nurturance:
他の人を助けてあげたいという欲求です。
12.Need for Exhibition:
他の人に自分を印象づけたいという欲求です。
13.Need for Dominance:
他の人を自分の命令に従わせたいという欲求です。
14.Need for Deference:
地位が高い人や権威のある人を尊敬したいという欲求です。
15.Need for Avoidance of Inferiority:
恥ずかしさを引き起こす行動を回避したいという欲求です。
16.Need for Avoidance Harm:
生理的な痛みを回避したいという欲求です。安全な状況にいたいということです。
17.Need for Avoidance of Blame:
罰せられたり非難されたりすることを回避したいという欲求です。
18.Need for Orderliness:
秩序正しくしていたいという欲求です。たとえば、本棚に本をきちんとを並べることです。
19.Need for Inviolacy:
自分の名誉や名声を守りたいという欲求です。たとえば、貧乏人でも他の人のものを盗みません。
20.Need for Contrariness:
他の人と異なっていたいという欲求です。つまり、自分だけの独自性を持つということです。

 次に人の行動の背景について私が知っている例とそれに対する自分の意見を述べます。

 人が何か行動するときの第一の条件は直感です。それは、動機付けとも呼ばれています。動機付けには簡単なレベルも複雑なレベルもあります。だれにとっても理解しやすい動機付けは、たとえば、空腹とか眠気などの基本的な人間の欲求です。しかし、他の動機付けは理解しにくいものですから、よく考えなければいけません。やさしく理解できるように、いろいろ例を挙げます。


 まず、私が知っている人から聞いた話です。お金持ちの家出身の子供がいます。ある有名な中学校の三年生です。毎日学校が終ると、友達と一緒にデパートへ行きます。その子供が毎日食料品売場に売っているお菓子を盗んで、家にいるお手伝いさんにあげます。だれにも知られず、子供は何回もお菓子を盗みました。しかし、ある日デパートの警備員が、偶然、盗みを見つけました。子供の動機を探ってみると、その結果は、子供が両親に思いやりを求めていたいということだけでした。両親は仕事をしてばかりいて、子供のための時間はありませんでした。要するに、子供たちは親からの愛情を求めています。しかし、現在、ほとんどの親は外で働いています。それで、子供の面倒を見るのは親の代わりのお手伝いさんのつとめになっています。それが原因で、子供は問題児になっています。


 次の例は私がテレビで見たものです。喜劇を演じているある女の人のことです。その人は子供の時かなり貧しく困っていました。家族は稲を植えて生計を立てていただけなので、お金はあまりなかったです。それで、その人は勉強したくても、学校をやめなければなりませんでした。20年も真面目に働いて、いろいろ職業を経験してきました。たとえば、クオイティオ(タイのめん料理)を売ったし、リケーの芝居を演じたし、レストランでウェートレスの仕事もしました。やっと今は喜劇を演じて成功しています。有名になり、だんだんお金持ちになります。しかし、今でも子供の時のことやずっと生活に困っていた頃をぜんぜん忘れません。それで、子供に自分のような苦しみはどんなことがあっても味わわせないようにしようと思っています。そのため、その人は今いる一人娘を甘やかして育てています。子供が何かほしがったら探してあげます。また、子供が高等学校を卒業すると、子供にチュラーロンコーン大学の入学試験を受けさせます。要するに、その人は子供のために何でもしてあげることによって自分の過去を償っているのです。つまり、子供が今もらっているものは過去にその人がほしかったものです。また、子供が今していることは、過去にその人がしたかったことです。


 次の例は私の友達のことです。私の友達は知識階級の家の子供です。そして、家族は、経済的にめぐまれています。しかし、家はスラムのような地区にあります。その辺りに住んでいる人のほとんどは労働者です。タバコを吸うし、お酒を飲むし、麻薬を打つし、礼儀にのない人が多いです。私の友達も麻薬は打ちませんが、タバコを吸うし、また、お酒を飲みます。それ上、気の荒い人です。この例は環境が人の性格と行動に影響を与えることを表わしています。つまり、人がある所に住めば、その人自身がそこにいる人のような性格や行動を自分の中に発達させます。


 ここでもうひとつの例として夏目漱石の「こころ」を挙げます。

 この小説は人の行動の背景を表わしているものだと思います。その主人公は中年の知識階級の男です。小説の中では「先生」と呼ばれています。「先生」はまだ20才にならない時、両親に死なれました。それで、両親の代わりにおじが「先生」の世話をし、財産全部を管理することになりました。ところが、後で、このおじは「先生」の財産を騙し取りました。「先生」は大学生の時に賃借している下宿の大家の娘さんを愛していました。でも、はずかしくてそのことを告白しませんでした。その後、「先生」の友達である「K」も一緒にその下宿に住むようになりました。ところが、「K」もその娘を愛し始めました。「先生」はそのことを知ると、ずぐにその娘との結婚を許してもらいたいことを大家に相談しに行きました。2・3日後、「K」は自殺しました。「K」の死は「先生」にいつも罪悪感を感じさせます。つまり、「先生」は自分が「K」を裏切ったような気持ちを捨てられません。とうとう、「先生」も自殺しました。上記の粗筋は、「先生」が欺かれたという悲しい思い出があったこと、また、「先生」が愛のために友人を裏切ったことからわかるように、人間の基本的な性格が自己中心的であること、そして「先生」が「K」の死に苦しめられたように、社会には規範、道徳があること、を表わすものです。

 ここで、「先生」という主人公がおじに財産を騙し取られた後、どのように考えてどのような行動をしたかが分かる文章を引用します。(以下、引用文は漢字を現代の表記に変えてある。)

「私の気分は國を立つ時既に厭世的になってゐましした。他は頼りにならないものだといふ観念が、其時骨の中迄染み込んでしまつたやうに思はれたのです。私は私の敵視する叔父だの叔母だの、その他の親戚だのを、恰も人の代表者の加く考へ出しました。汽車へ乗つてさへ隣のものゝ様子を、それとなく注意し始めました。たまに向ふから話 し掛けられでもすると、猶の事警戒を加へたくなりました。私の心は沈鬱でした。鉛を呑んだやうに重苦しくなる事が時々ありました。それでゐて私の神経は、今云つた加くに鋭どく尖つて仕舞つたのです。 (後略)」
 上記のように起こった出来事は「先生」に怖い感じを起こさせたと思います。つまり、他の人はだれでもおじのように自分を騙します。それで、「先生」は上にあるように自分を擁護しています。こういうことは人間の性質です。つまり、人は自分を悲しませることには直面したくありません。しかし、もしそのようなことに直面したら、人は脳の中に記憶します。そして、そんなことが二度と起こらないようにするために自分を擁護する方法を準備します。

 次に「先生」が人を愛している時、どのように考えてどのような行動をしたかが分かる文章を引用します。

「Kが理想と現実の間に彷徨してふらふらしてゐるのを発見した私は、たゞ一打で彼を倒す事が出来るだらうといふ點にばかり眼を着けました。さうしてすぐ彼の虚に付け込んだのです。私は彼に向かつて急に厳粛な改まつた態度を示し出しました。無論策略からですが、其態度に相想應する位な緊張した気分もあつたのですから、自分に滑稽だの羞耻だのを感ずる 餘裕はありませんでした。私は先づ『精神的に向上心のないものは馬鹿だ』と云ひ放ちました。是 は二人でを旅行してゐる際、Kが私に向つて使つた言葉です。私は彼の使つた通りを、彼と同じやうな口調で、再び彼に投げ返したのです。然し決して復讐ではありません。私は復讐以上に殘酷な意味を有つてゐたといふ事を自白します。私は其一言でKの前に横たはる戀の行手を塞がうとしたのです。」
 上記の文章は愛情のために人が友人から敵にもなることを表わしています。人の基本的欲求には愛情に関するものもあります。つまり、人間は愛情を与える人にもなりたいし、愛情をもらう人にもなりたいです。人を愛している時自己中心的な心も起こります。すると、愛している人を独占できるようなときには思わず悪いことをしてしまいます。たとえば、その女の人を愛している他の人を傷つけることやその女の人に乱暴する場合もあります。

 最後に「先生」が「K」の死に苦しめられているため、どのように考えてどのような行動をしたかが分かる文章を引用します。

1)「一年経つてもKを忘れる事の出来なかつた私の心は常に不安でした。私は此不安を駆逐するために書物に溺れようと力めました。私は猛烈な勢ひをもつて勉強し始めたのです。さうして其結果を世の中に公にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵へて、無理に其目的の達せられる日を待つのは嘘ですから不愉快です。私は何うしても書物のなかに心を埋めてゐられなくなりました。私は又腕組をして世の中を眺めだしたのです。」
2)「私はたゞ人間の罪といふものを深く感じたのです。其感じが私をKの墓へ毎月行かせます。其感じが私に妻の母の看護をさせます。さうして其感じが妻に優しくして遣れと私に命じます。私は其感じのために、知らない路傍の人から鞭うたれたいと迄思つた事もあります。斯うした階段を段段経過して行くうちに、人に鞭たれるよりも、自分で自分を鞭つ可きだといふ気になります。自分で自分を鞭つよりも、自分で自分を殺すべきだといふ考えへが起こります。私は仕方がないから、死んだ気で生きて行かうと決心しました。」
 上記の文章1)は「先生」が自分に起こった出来事の中でつらい現実を受け入れられないことが自殺の動機になっていることを表わしています。つまり、人は一生の間一度は極悪なことを経験することを避けられません。生きている人はそのつらい現実が受け入れられる人です。また、上記の文章2)から分かるとおり、人間は悪いことをすれば、心の中にある道徳によって自分で罪を悔いることができます。そして、その代わりにいいことをします。それは、罪滅ぼしと呼ばれています

 以上の引用した例は「こころ」の中のほんの一部分ですが、人の行動のさまざまな面が表われているのではないかと思います。


 本稿では、以上のように人を行動させる要因がいろいろあることを示しました。しかし、実際に他にも細かい要因があります。ここまで取り上げた内容はその一部分だけです。以上述べた要因と人の行動との関係をまとめると、次のようになります。

 まず、人が知覚した情報は自分のことでも他の人のことでも、記憶として脳の中に記録されます。その記憶は良いことも悪いこともあります。そして、もう一度同じようなことに出会うと、人がそれを解決しようと行動する前に、ある刺激を起こします。その刺激は記録された記憶を引き戻します。つまり、人は問題について考えたり、また、批判したりするとき、記憶を使います。

 また、人は社会的な動物ですので、他の人と一緒に暮らすということは避けられません。そのため、知覚した社会の基本的なことや回りにある環境も人を行動させる要因の一部になっています。つまり、人は社会や環境からの刺激を受けると、自分の生きる方向が決められます。つまり、人は自分が暮らしている社会と自分の生活を関係させます。そして、人は社会の価値観どおりにうまく行動します。その理由は社会の中でうまく暮らしていける、また、他の人に認められるためです。

 ところで、以上述べたことをさらにまとめてみます。人は初め事物を知覚します。すると、行動する前に動機付けが起こります。知覚と動機付けの間に関係してくる要因として、価値観と環境と記憶の3つがあります。

 以上のように人を行動させる要因について細かく説明してみます。また、自分で見つけてここに紹介した例(万引きをする子供や「こころ」の主人公)も、人が行動するケースとして取り上げたものです。行動の原因ははっきりと示すことができると思います。それで、この論文を参考にしてもらえたら他の人の行動をよく理解するのにも役に立つのではないかと思われます。

 しかしながら、ここにある内容は先行研究から情報を取ったものも多く、研究としては古すぎる情報も含まれていると思います。将来私は心理学を勉強し続けて、人の行動に関係する分野で自分の研究能力を伸ばしていくつもりです。そのときになったら、私が自分で研究した情報を使い、これと同じテーマでもう一度論文を書こうと思っています。


参考文献

(1) Aree Panmanee:Jittawidthayaa Garnrean Garnsoan(学習と教育の心理学)、Ton-or Grammy Inc.、バンコク(1997)
(2) Noppamad Teerawakin:Jittawidthayaa Sangkom gub Sheewid(社会と生活の心理学)、Thammasart University Press、バンコク(1991)
(3) Paibul Teiwaruk:Jittawidthayaa Garnreanruu(学習心理学)、S.D. Press、バンコク(1997)
(4) Rajjiree Noppagatu:Garnrubruu(知覚)、Pragaipruk Press、バンコク(1996)


改訂履歴
1998/07/11
タイプミスを訂正しHTMLファイル化してアップロード。


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