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タイの迷信

ポーンティップ・ポーンメーキン


1.はじめに

2.タイの迷信の紹介

  1)人、動物、植物に関する迷信

  2)物事、自然現象、環境に関する迷信

  3)神聖な物に関する迷信

  4)性に関する迷信

  5)健康、幸福に関する迷信

  6)きざし、運、前触れに関する迷信

  7)お守りに関する迷信

  8)夢に関する迷信

  9)幻、幽霊、お化けに関する迷信

  10)天国・地獄に関する迷信

  11)占星術に関する迷信

3.外国人にとって興味深く、不思議だと思われる迷信

  3.1.「ピー」(お化け)

      ア)自然のピー(ピーファー)

      イ)祖先のピーと英雄のピー

      ウ)化け物のピー(ピー、もしくは、ピーサーン)

  3.2.「マジック」(魔術)

  3.3.入墨

      ア)人々に自分を可愛がってもらったりするための図柄

      イ)身体を丈夫にするための図柄

  3.4.「クルアンラーン」(お守り)

4.迷信の由来やその背景にある考え

  4.1.恐怖心

  4.2.非行や危険の予防

  4.3.言葉の解釈

  4.4.ものの特徴の解釈

  4.5.仏教の影響

5.迷信の信仰の将来

6.終わりに

参考文献


1.はじめに

 いつのことか分からないが、人々の中に迷信という社会に広く認知されない信仰が誕生した。迷信とは、勘、経験、誤解などからできた非論理的、非科学的なものであり、実はそのまま信じて良いものではないのである。ただし、そんな迷信に夢中になり、真剣に信じている人も少なくない。一方では、迷信に対して反感を持っている人も相当いるというのも事実である。その反感を持つ理由は、迷信の中に含まれている非論理的な考え方が人の論理にあまり良くない影響を与えるおそれがあることらしい。にもかかわらず、迷信は、論証法や科学が発達しているところとして知られる西洋の世界から、いろいろな面で不思議で未知だと言われる東洋の世界にわたって、どこにでも確かに存在している。

 が、多分まだ完全には知られていないため、東洋世界の迷信の方が注目や興味を集めているように思える。それ故に、東洋文化の中で育った私は、私達東洋人の迷信に興味を持っている人々に、タイの迷信を例として、紹介したいのである。

 この研究レポートは、1)タイの多種多様の迷信の紹介、2)外国人にとって興味深く、不思議だと思われる迷信、3)迷信の由来やその背景にある考え、4)迷信の信仰の将来の、4つの部分に分かれている。

 このレポートが、少しでも読者がタイの迷信を理解するのに役立てば、幸いである。


2.タイの迷信の紹介

 タイ人の信仰と言えば仏教が有名だが、実はそれだけではなく、バラモン教や中国風の考えも混じっている。つまり、国教として仏教が信じられているが、実際には幽霊、不思議な物などを信じるバラモン教的な信仰や中国文化から影響を受けた中国風の考えも人々の日常生活によく浸透している。このバラモン教的な信仰は時には、庶民の仏教、あるいは、迷信と呼ばれる。

 タイ人の迷信は多種多様である。その分け方もいろいろあるが、チャムナーン・ロードヘトパイとブンヨン・ケートテートは、「カティチョンウィッタヤ(民俗学)」の中で、タイ人の迷信を次のように11種類に分けている。

 1)人、動物、植物に関する迷信

 2)物事、自然現象、環境に関する迷信

 3)神聖な物に関する迷信

 4)性に関する迷信

 5)健康、幸福に関する迷信

 6)きざし、運、前触れに関する迷信

 7)お守りに関する迷信

 8)夢に関する迷信

 9)幻、幽霊、お化けに関する迷信

 10)天国・地獄に関する迷信

 11)占星術に関する迷信

 それぞれの種類の迷信については次のような例がある。


1)人、動物、植物に関する迷信

 例:


2)物事、自然現象、環境に関する迷信

 例:


3)神聖な物に関する迷信

 例:


4)性に関する迷信

 例:


5)健康、幸福に関する迷信

 例:


6)きざし、運、前触れに関する迷信

 例:


7)お守りに関する迷信

 例:


8)夢に関する迷信

 例:


9)幻、幽霊、お化けに関する迷信

 例:


10)天国・地獄に関する迷信

 例:


11)占星術に関する迷信

 例:


3.外国人にとって興味深く、不思議だと思われる迷信

 前にあげた11種類の迷信の例は実際にあるものの内のほんの一部である。実はタイ人でもタイにある迷信を全部知っているわけではない。迷信というものは地域ごとにあり、その地域の人々の信仰によって違うものだからである。しかし、次に説明する迷信はタイのどの地域でも信じられている迷信である。実はこのような信仰は実際タイ文化を成り立たせている背景のひとつだと言えよう。これらの迷信は外国人にとっては理解しづらい迷信なのかもしれないが、その背景が分かれば、タイ民族のことが何となく理解できるようになると思う。これらの迷信は外国人に興味深く、不思議だとよく言われる。


3.1.「ピー」(お化け)

 山田均は「タイこだわり生活図鑑」の中で、「自分達を守ってくれる祖先の霊魂もピーなら、夜になると首だけが胴体から離れて飛び回り、鶏や人の血を吸う妖怪もピー、その土地に住んでいる土地の神様もピーであって、およそ何でも訳の分からない恐ろしいものはすべからくピーなので、外国人にとってはかえってはっきりしない言葉になってしまった。」と述べている。

 実は「ピー」は、もともとの意味では、決して恐ろしいものだけに使う言葉ではなかった。「ピー」とは仏教など外国の信仰がタイに入って来る前からタイ人が持っていたもともとの考えを説明するのに役立つもののひとつだと言えよう。「ピー」はタイ人の世界・人生・社会・自然に対する原始的な考え方を反映している。つまり、宇宙に存在しているあらゆるものには、支え合い、助け合う関係が存在するという考えである。人間はこの宇宙の単なる小さな部分であり、自然より下位の存在なのである。そして、人はすべてのものに対して控え目な態度を取り、自然に屈服して自制しているわけである。「ピー」はこの考え方の中で一番大切な要素である。つまり、「ピー」は、この宇宙の精神であり、人、動物、植物など、すべてのものを包んでいるとタイ人の間で信じられているのである。

 以上はピーの原始的な意味である。タイ人はバラモン教や仏教を受け入れる前からずっとピーに対する信仰を持っていた。そして、宗教や科学がタイに入って来ると、文化の混合が起こり、人の欲望のままにピーが用いられ、魔術のようなものになってしまった。現在いろいろな物事が科学によって説明されているが、昔からの根強い信仰が完全に消えていくわけではない。科学が人の疑問に全部説明を与えられない以上、「ピー」の信仰は人と供に存在し続けていくと思う。

 ところで、「ピー」には良いピー(味方のピー)も、悪いピー(敵方のピー)もある。そして、次のように3つの種類に分けられている。

ア)自然のピー(ピーファー)

 自然のピーはその名前のとおりに自然の中に存在している。自然というのは、雨、木、川、海、山、空、土などである。この種類のピーは自然の中のいろいろなものを守っている。これらのピーは、宗教の影響で役割が神様のものと近くなっているので、「神様」と呼ばれることもある。人は自然に対して何かをするたびに、これらのピーから正しく許可をもらわないといけない。例えば、ある土地に建物などを建てる前に、その土地のピー(土地の神様と呼ぶ人もいる。)に言わなければならない。そして、土地のピーの住む所として、サーンプラプームという小さな家の形のものを同じ土地に建てるべきであると考えられている。

イ)祖先のピーと英雄のピー

 この種類のピーは、もともとは人間だったが、生きている間とても立派だったので、死んだ後もまだ子孫やその他の人々から尊敬されるようになったものである。英雄というのは、普通の人ではなく、国王、王族、武士、僧侶のような偉い人物として特別に扱われる人達である。現在は、国王と僧侶しか特別に扱われていない。特別な人物なので、死ぬと神様のような存在になる。実際には生きている間もある意味では神様のように尊敬されている。

 この信仰をよく表わしているのは国王や有名な僧侶が描かれているメダルや小さな仏像のお守りや、その人達の形をしている像などである。

ウ)化け物のピー(ピー、もしくは、ピーサーン)

 この種類のピーは、現代タイ人が理解している意味で、敵方のピー、または、怪物のことなのである。この種のピーは、生きている間宗教の教えを全然聞かずに罪を犯したりして、悪い人だったので、死んでお化けになったものである。このようなピーははるか昔から存在し、いろいろな形や名前がある。現代、タイ人にもその全部は知られていない。今でも知られているのは、例えば、ピープレート(身長が砂糖やしの木より高く、首・腕・足が長く、口が針の穴ほど大きく、汚ない物を食べるピー)、ピークラスー(頭と内臓しかなくて、夜になると胴体から離れて飛び回り、汚ない物を食べるのが大好きな女のピー)、ピーメーナーク(難産で死んだ女で、マークという逃げた主人を捜している、腕を伸ばして人の首をしめて殺すピー)などである。


3.2.「マジック」(魔術)

 魔術とは自然にある不思議な力を利用して人に利益を与えたり、危害を加えたりする「方法」である。魔術は昔からタイに伝わっており、特定の目的に応じて手段と方法が決まっている。

 魔術を使って人をけがさせることを黒魔術という。これは地域によって違うものだが、よく知られているのは、対象者に対して呪文を唱えることや、水牛の革や釘をお腹に入れることや、不思議な力で腸を絞ることなどである。魔術をかけられた人は、ほとんど痛みに耐えきれなくて気が狂ってしまうか、死んでしまうのである。

 けれども、魔術には黒魔術だけがあるのではない。人を害する魔術があれば、自分を守るためや、人を助けるためや、問題を解決するために使う魔術もある。このような魔術は、例えば、いかなる武器にも傷つけられないように呪文を唱える魔術や、敵の攻撃や危険を逃れる魔術や、鍵や鎖を解く魔術などである。

 以上の魔術は科学でも現在のテクノロジーでも証明できないので、信じるだけの価値がないばかばかしいものだと言えるかもしれない。しかし、現代の論理で説明できないからといって、実際に存在していないわけではない。魔術とは、科学でも助からないとき、他により良い方法がいとき、人を心配事や不安から助けてくれる「古代のテクノロジー」だと定義づけられるだろう。


3.3.入墨

 現在、入墨というとファッションのひとつなのかもしれないが、昔の入墨の目的は、攻撃を受けてもびくともしないように身体を強くすることであった。入墨は魔術のひとつの形だと言っても誤りではないと思う。

 現在、バンコクではそのような魔術のための入墨をする人は、以前と比べて減少しているだろうが、地方では未だに見られることである。毎年、有名な僧侶かまじない師の住まいにその弟子たちが集まり、入墨をしてもらったり、入墨の力を強めてもらったりしている。また、ダイヤ、黒サファイヤ、レックライという特別な鉄の粒などを体に埋めてもらう弟子もいる。

 入墨の目的は魔術のための他に、人としての成熟度、所属の証明のためにもなる。それに、入墨をしてもらうたびに痛みに最後まで耐え、その痛みに打ち勝てたら、その本人の我慢強さと男らしさを証明することにもなる。

 入墨の図柄は目的と効果の種類によって変わるが、中でも人気がある入墨の図柄はほぼ次の2つの種類に分けられる。

ア)人々に自分を好きにさせたり可愛がってもらったりするための図柄

 この種の図柄はやもりかサーリカーの図柄で、友人、親戚、上司など、他の人々に入墨を入れた人を好きにさせる力がある入墨である。これは女の人でも入れることができる。ただし、目立たないように、墨の代わりに油を使って作ることが多い。普通は額に入墨をするが、舌の上にする人もいる。この種の入墨は商人の間で人気がある。

イ)身体を丈夫にするための図柄

 この種の図柄の主なものは虎、神話上の動物のシンハ、龍、白鳥、「ラマヤナ」の主人公の猿ハヌマーンなどである。これらが使われる理由は強さ、速さ、偉大さを象徴するものだということである。また、もっと効果を高めるため、図柄と一緒に神聖な文字を彫る場合もある。


3.4.「クルアンラーン」(お守り)

 お守りも魔術から生まれた物である。お守りは昔からあって、小さな仏像(プラクルアン)だけではなく、9種の宝石、布、木、麻、動物の牙や角なども使かわれる。これらの物はそのままではお守りとは呼ばれないが、特別な形に彫られ、僧侶かまじない師によって「力」を入れられると、神聖な物になる。お守りはいろいろな形をしている。小さな仏像もその1種である。その他には、男性の性器の形をしているパラッドキックという木製のお守り、ケオサラパッドヌックという硝子玉のお守り、神聖な文字が書かれているパーヤンという布のお守り、サーイスィンという神聖な白い糸、ナムモンという神聖な水などがある。昔は戦争に行く男の人にしかお守りが手に入らなかったが、現在は老若男女を問わず、誰でも手に入れることができるようになっている。

 お守りの作製はいつでも誰によってもできるというものではない。お守りを作る前に必ず吉兆日を調べなければならない。そして、お守りの力をできるだけ強くするために、作製中僧侶やまじない師が呪文を唱えなければならない。それに、神様を祭るためにいろいろ準備しなければならない。

 今一番人気があるお守りはプラクルアン(小さな仏像)であろう。プラクルアンは昔、持ち主に自信を持たせ、安心させるお守りとして作られたが、今は趣味として集められるようにもなっている。つまり、プラクルアンは現在、財界にも広がってきているのである。プラクルアンは古器のように古くなり評判が高まるにつれ、値段が上がっていく。ただ1つの古器との違いはプラクルアンが持ち主を困難や危険から守ってくれることだろう。プラクルアンにこだわっている人のために、プラクルアン専用の本や雑誌もたくさん出版されている。

 現在、最も評判が高いプラクルアンはプラソムデット系のプラクルアンとベンチャパーキー(5つが1組になっている)というプラクルアンのセットである。


4.迷信の由来やその背景にある考え

 論理でなく科学的に説明されたことでもないのに、どうして人は迷信を真剣に信じているのであろう。実は、人が迷信を信じる原因は次のようにほぼ5つに分けられる。


4.1.恐怖心

 実は、論理で科学で説明できないからこそ、人は自分が納得できる理由を代わりに作って、物事を説明しようとする。つまり、ある現象を恐れるが、それに論理的な理由も科学的な理由も与えられないので、その恐怖を乗り越えるためにわざわざ何か話を作って、その現象の原因を説明しようとするのである。これは自然現象に関するほとんどの迷信の由来である。例えば、夜中の暗闇を怖がっているので、タイ人はピーの話を作ったり、雷と稲光が発生する原因が分からないので、メカラー女神とラーマスーン鬼の神話を作り出したりして、それらの話を信じるようにしているのである。


4.2.非行や危険の予防

 平和な社会が続いていくためには、その社会の構成員を社会のルールに従わせる必要がある。それ故に、それをしっかりと行うために迷信が作られてきたのである。例えば、大きな木が大事であり、めずらしいものなので、そのような木を誰か人に切られる危険から守るために「古くて大きな木には神様が住んでいる」という迷信が生まれ、人の頭を支えるもので大切にされているため、枕の上に座ることが悪い行いだと考えられているので、「枕の上に座るとできものができる」という迷信などが生まれてきたりしたわけである。

 さらに、人々を危険から守る目的で誕生した迷信もある。例えば、転んだら危いので、「妊婦は夜シャワーを浴びてはいけない」という迷信があり、踏んだら転んでしまうおそれがあるので、「戸の敷居を踏んではいけない」という迷信があったりする。


4.3.言葉の解釈

 タイ語は、発音と意味との間に一対一の相互関係がない。すなわち、ある特定の音の列が、2つ以上の違った意味に解釈されることがある。それ故に、同音異義語の存在が迷信を誕生させた原因のひとつになっている。

 例えば、数字の「9」はタイ人にとって、大変良い数字である。その理由は、「9」は「カオ」と読むが、同じ発音が、「前進する」という意味の語にもなるからである。そこで、車のナンバープレートに「9」が入っていると良いと考えられ、托鉢する時に一番良い僧侶の人数は9人だと考えられたりするのである。

 他によく見られる例は、庭に植える木の選び方である。タイ人はよく名前で木を選ぶ。タマリンドの木の話を例にあげよう。タマリンドの木はタイ語で「マカーム」と呼ばれる。「マカーム」の「カーム」は「崇敬する」という意味の語と同じ発音なので、人々から崇敬してもらおうとして、「マカーム」という木を家の庭に植える家族がときにある。他にも、「カヌン」(ジャクフルーツ)の「ヌン」には「援助する」と いう意味があり、「ヨー」(モリンダ)という木の名前の発音は「ほめる」という意味にもなったりする。このような木も同じように考えられているのである。


4.4.ものの特徴の解釈

 言葉だけではなく、タイ人はものの特徴にも意味を与え、いろいろな迷信を作り出した。つまり、ものの色、大きさ、長さなどに着目し、何か出来事に関連づけようとしてあえてそのものの特徴を解釈するのである。

 これはタイ風結婚式の際に作られる料理を見れば分かることだと思う。タイ風結婚式の料理は、普段は特に意味がないのだが、結婚式当日には全部新郎新婦にとって特別な意味を持つようになるのである。例えば、砂糖きびは「2人の愛が砂糖きびのように甘くなるように」という意味であり、長い線の形をしているお菓子は「2人が永遠に一緒に生きていけるように」という意味である。また、黒色は不幸や悲しみを表わす色なので、黒い服を着て葬式に行く場合は問題にならないが、結婚式のような祝賀行事には着て行ってはいけないと、今でもまだしっかりと信じられている。


4.5.仏教の影響

 これは仏教典に書かれている仏陀の超人間的な体の特徴に関するものである。この体の特徴はとても良い特徴だと考えられており、全部32ある。例えば、耳たぶが長くて厚かったり、手の平が厚かったり、体格が大きかったり、目が牛の目のようにピカピカと輝いて大きかったりという特徴である。このような体の特徴がある人間は、仏陀のようにすばらしく、立派な人生を送れると信じられている。

 それから、「息子が出家したら、親は天国に行ける。」という迷信があるのも、明らかに仏教の影響を受けた結果である。


5.迷信の信仰の将来

 今までタイの社会で存在してきた迷信の情況が将来どうなるか予測してみれば、2つの方向に変わっていくのではないかと思われる。つまり、1)真剣に信じられなくなっていくものと、2)昔のままに強く信じられていくものの、2つに分かれていくということである。

 昔めずらしく怖かったものがもうそうでなくなると、人がそれを特別なものだとは見なさないようになってくるのは当然である。したがって、ある迷信に現代まで蓄積された技術や論理で説明が与えられると、その迷信に対する昔からあった人の恐怖心や好奇心はなくなっていくわけである。自然現象もそうである。現在、テクノロジーによっていろいろな自然現象の原因が解明されて人に知らせられているので、人はもう自然を恐がっていない。そうなると、自然現象に関する迷信は、将来次第に信じられないようになっていくのではなかろうか。

 その反対に、科学的な証拠でも説明できないものは、説明がないかぎり人の恐怖心は続いていく。そのようにして存在し続けていく迷信もある。しかし、それだけではなく、人が自分を安心させようとしたり、平和な社会を保とうとしたりすることも、迷信が持続していく理由になるであろう。このような人の不安な気持ちが、実は何よりも影響の強い、人に迷信を信じさせ続ける原因なのかもしれない。それがなくならないかぎり、お守りをはじめ、占いや、いろいろな言葉やものの特徴の解釈などを役に立たせて、少しでも自分の心配を和らげるために、人は迷信を信じ続けていくわけである。


6.終わりに

 「迷信はそのまま信じて良いものではない」と言えば確かに正しいのだが、そうだからといって、迷信の信仰を社会から完全に消してしまえるわけではない。現代、西洋的な考え方がタイの社会に入り、今のタイ人が知っている政治、経済、教育などは皆この西洋的な考え方に基づいている。しかし、社会の新しい主流になっているこの考え方も、タイ人の人生や世界に対する考え方を全部変えられるとは限らないのである。人々の疑問に対し、新しい価値観がいろいろな面で古い価値観より良い答えを与えられない以上、今のタイの社会にはその新しい価値観が旧来の価値観と混ざり合い、光と影が共存するように存続しているわけである。昔からあった迷信の信仰が今でもある程度タイ人の考え方に影響を与えていることは見逃すことができないことである。このような事情は、タイの場合に限らず、どの文化の迷信の信仰でも同じなのではなかろうか。

 ある文化を理解するのには、その文化を成り立たせた人々の考え方を理解することが最も大切な要素のひとつであろう。そうだとしたら、タイ人の考え方の根本が反映されている迷信を理解することは、タイ文化を理解するためにどうしても必要になることではなかろうか。

 この研究レポートの中に紹介できたものは、タイの迷信の中のほんの一部である。また、この研究に使えた期間と手に入れられた情報が限られていたため、タイと同じく東洋の文化を持つ日本の迷信との比較ができなかった。が、迷信というものはどの社会にもあり、普遍的なものなので、このレポートで紹介したタイの迷信が、タイ文化をはじめ、世界の他の文化を理解することにも役立てば、幸いである。


参考文献:

スワンナー・スターアーナン(1994) 『カム: ロンロイ クワームキッド クワームチュア タイ(タイ族の考え方と迷信の手がかりとしての言葉)』.チュラーロンコーン大学、バンコク.

チャンスィー・ニタヤラーク 『クワームルー ルアン カティチョンウィタヤ(民俗学に関する知識)』.トンブリ師範学校、バンコク.

成人教育センター、チュラーロンコーン大学 (1994) 『タイ文化の魅力: 歴史・美術・建築・他 観光ガイドの手引き』.チュラーロンコーン大学、バンコク.

山田 均 (1994) 『アジア・カルチャーガイド1: タイこだわり生活図鑑』.トラベルジャーナル、東京.


改訂履歴
1998/03/15
文書の様式を他の論文と統一のものにしてアップロード。


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