<ヘリコプター事始め50年記念講演>

ヘリコプタ研究50年

東  昭

東京大学名誉教授

 

Summary

Fifty Years of Helicopter Study

Akira Azuma

Professor Emeritus, The University of Tokyo

The author traces his career as a researcher in the industry and academic institutions starting from Kawasaki Heavy Industries, Massachusetts Institute of Technology, Maryland University and the University of Tokyo after graduation of the University of Tokyo, Faculty of Engineering in 1953. The author in the early stage developed the Local Momentum Theory in the rotary wing theory, and extended its development to the Local Circulation Method later. The author also conducted analysis of rotational noise, mutual interference and gust response of a rotary wing, windmill aeroelasticity, bird and insect flights, and carried out research and development of an unmanned helicopter, a windmill, etc. later on.

The R&D's carried out in recent years were reduction of flapping noise by method of jet blast from a blade tip, a next generation advanced helicopter, a practical use foolproof helicopter, a fire fighting helicopter for skyscrapers, promotion of a GPS applied IFR operation, etc.

The achievement of these above-mentioned works could not have been carried out by a single individual capacity, but have been done thanks to the support by the extremely excellent senior researchers, the colleagues and many of the strongly motivated and research-oriented young students. Listed in the end is a part of the author's research papers on rotary and beating wings.

大学卒業から川崎製作所へ

 戦後航空活動の一切が占領軍により禁止されたが、1952年の国の主権回復と共に、航空活動が再開された。

 1953年東大工学部の応用数学科(旧航空学科)を卒業すると川崎製作所(後の川崎航空、現川崎重工)に入社した。ここでは連絡機や練習機の設計・製作・飛行試験に参加し、先輩の土井武夫、井町勇の両先生から、航空工学の基礎をたたき込まれた。当時の計算は計算尺か手回し計算器によるものであった。

次いで無人標的機や誘導弾の開発を手掛けた。この時は電動計算機が主流で、さらに日立製の低速アナログ計算機の第一号機が導入され、誘導弾の飛行simulation計算に大いに利用された。当時未だ破壊されたままの風洞が修復されずに残され、高性能の計算機が導入されたことは、上司の北野純部長と紅村正課長の慧眼によるものと感服したものである。

MITからVertol社へ

 1959年8月に、米国東海岸のMITへ、客員研究員として出向した。そこで、Prof. R.H.Millerのヘリコプタの空気力学と飛行力学の講議を聞き、その面白さに惹かれた。その内容は、後に同門のDr.W. Johnsonが書いた彼の著書の"Helicopter Theory"にまとめられている。1961年には、恐らく日本人としては初めてAmerican Helicopter Society (AHS)の会員となった。

 1960年、鷲津久一郎教授が、著書執筆のためMITに来られ、一緒にBoeing Vertol社とNASAのLangley研究所を訪れたことがある。その後Aviation Weekの求人欄に、Vertol社の求人広告が載っていたので、Prof. Millerに応募したい旨告げたところ、彼は直ぐに机上の電話をとって、当時の空力課長のMr. J. Mallen氏(後に同社社長)に、Azumaが就職を希望していることを伝えてくれた。以前にVertol社訪問の折りにお目にかかっていたので、直ぐにOKとなり、1961年2月からPhiladelphia郊外の同社に移った。

ここでは、特に日本からの要望で、民間機107の型式A証明の取得に懸命であった。私もその手伝いで、臨界エンジン不作動の時の対応の解析をしていたが、当時のIBMの計算機では、複雑な計算は敬遠されていた。後に航技研におられた古茂田真幸氏が、見事に計算を進められ、さらに電算機の性能が向上してから、私の研究室にいた奥野善則君が精度を上げた成果を得られた。当時は実験機が着地に失敗して機体を炎上させたこともあったのである。また例えば、有限要素法の構造解析プログラムも無かったので、CH-46や47のトランスミッションの試作では、作っては壊すことを繰り返して、手探りで実用機を求めていた時代であった。この頃、私にとって土井先生に相当する人が後にPrinceton大学の教授になられたProf.W.Z.Stepniewskiである。Visaの関係で、2年以上の滞在が出来なかったので、1961年の夏に帰国し、川崎航空機に復職した。1$が360円の時代だったので給料は1桁下がった。

東大航空研究所に入る

 その後、谷一郎教授のお薦めで、川崎航空機を退職し、東大の助教授として航空研究所(後の宇宙航空研究所)に入所した。VTOL機が脚光を浴び、いろいろな型が空想された頃である。しかし民間用のVTOL機は回転翼でしか成立し得ないと思っていたので、私はヘリコプタの研究に精を出した。「東大で自動車やヘリコプタの研究をするのは如何なものか」という批判があった。対称物の如何ではなく、その研究手法や成果が物を云うと思っていたのでこれを無視した。

 Vertol社からは、動力降下で現れるVortex Ringの研究依頼が引き続きあったので、それに没頭した。模型実験に必要な動天秤は、当時東洋測器に居られ、後に日章電機を起こされた東島鎮氏が2分力計から始まって6分力計を開発して下さった。そのおかげで、模型回転翼の走行実験が実施された。その時の成果は、運動量理論を超えて、烈しい推力変動と誘導パワ変動が、単一ロータでも複数ロータでも生ずることを示し得たことである。当時学生であった小幡章君(現日本文理大学)が、直径数mmのアルミ箔製で応答性の良い小型風速計を作った。風の速度を毎秒5mまたは毎秒10mにしても毎分回転数を最高20,000に設定出来るものであった。これでVortex Ring状態での吹下ろし変動をも知り得た。

低速時に吹下ろし速度の大きい回転翼の模型実験は、普通の風速を変える風洞では大きさが制限される。そこで、大きい室内で模型を動かす走行実験設備が必要となった。丁度世界的にVTOL機の開発の機運が高まって研究費が出たので、1960年代後半から70年代前半に掛けて走行実験装置と模型の自由飛行支持装置とを開発した。レールの長さは185m、最高速度10m/sで走っても左右と上下の振動加速度は0.01Gに抑えたものである。

局所運動量理論を開発

 1970年代には、回転翼ブレードを吹下ろし一定の楕円翼の集合と見做し、スパン方向の揚力分布を運動量分布とバランスさせる局所運動量理論(LMT)を開発した。この時の主役は当時学生であった河内啓二君(現東大)で、回転翼では、先行ブレ−ドの吹下ろしの影響があり得るので、減少係数Cを導入した。始めCは常数としたが、後に簡単な渦理論でCを決定出来るようにした。その後、この理論をスパン方向に捩りの大きいプロペラや風車の解析のために、学生の那須謙一君(現琉球大学)と共に、揚力と循環とを関係づける局所循環法(LCM)へと発展させた。   

 米国の航空宇宙学会(AIAA)は、初めその成果を認めようとしなかったが、Stepniewski教授が「Cは経験値として決めても良い」と励まして下さり、また彼の著書で「ほぼ1章を割いた位だ」と取り上げてくれたおかげで、認知されるようになった。

 その後、渦理論が計算に時間を喰っている間に、研究室の学生達の手で多くの応用計算が実行された。中村良也君(現IHI)が回転騒音を、斉藤茂君(現航技研)が複数個の回転翼の相互干渉と突風応答を、河内啓二君と林孝俊君(現日産)が風車の空力弾性を、木村茂雄君(現神奈川工大)が垂直軸風車を、と皆が協力して解析が進んだ。これ等の成果は、European Rotor Craft Forumを中心に発表されたが、第4回のイタリーのStressaでのお目見え以来、毎年研究室の誰かが何かを発表し続けたので、1994年のForum20周年記念では、発表論文数の数ではUCLAのProf.P.Friedmannと共に一位であった。嬉しいことに、渡米した若い研究者達はNASAのAmesでも評判が良かった。

無人ヘリコプタの開発

 1960年から70年代にかけては、当時の宇宙研の西村純教授の依頼で、宇宙線観測用写真乾板の回収のための無人ヘリコプタの開発が進められていた。無線操縦用ヘリコプタの初期の時代である。かねてから、農林水産航空協会事務局長であった市川良平氏から、水田やミカン畑に対する農薬撒布や沖縄のウリミバエ根絶のため無精子雄の空中撒布法についての相談を受けていたが、無人機利用に切り換える話が持ち上がった。中口博教授と共に、機体設計に入り、当時神戸技研の社長であった古市精克氏の所で共軸反転ロータの試作1号機(図1)が完成した。

 しかし、それ以降の製作は荷が重すぎると古市氏が辞退されたので、航空機メーカと交渉したが、何れからも断られてしまった。そこで話をヤマハ発動機に持ち込んだ所、当時の技術部長の堀内浩太郎氏が、自分の所でやらして下さいということで、ヤマハ独自の設計から始まった。今日無人ヘリコプタ機は約1,600機が活躍している。

 かねてから取り組みたいと思っていた鳥や昆虫の飛行の羽ばたき翼や魚の遊泳の煽ぎ翼の解析に、LTMやLCMを応用してみた。トンボの羽ばたきには東荘一君(現アンダーソン)、古田豊彦君(現フルタ製菓)、渡辺忠男君(現IHI)、佐藤真知子嬢(現東京工芸大)が、回転翅果の自動回転には安田邦男君(現日本大学)が、またチョウの飛行には砂田茂君(現大阪府立大学)と井上真知子嬢(東海大学)が、カメやスッポンの泳ぎには伊藤慎一郎君(現防衛大学校)が、協力して下さった。

 1973年の第一次オイルショックに発して、クリーンな自然のエネルギ活用が叫ばれ、1980年代にかけて風車の開発が始まった。東京電力とIHIの三宅島の100kW風車、科学技術庁の大潟村での20kW風車、住友重機のカリフォルニア州に於ける200kW風車、ヤマハの揚水風車等に関わり合った。文部省は科学技術庁に対抗するように、急に科研費を増やして、エネルギ研究に風車を追加したので、その基礎研究に参加した。

ヘリコプター学生の多いわけ

 1984年、先日亡くなられたProf.A.GessowとProf.I.ChopraがMaryland大学に客員教授として私を呼んで下さった。他大学の航空宇宙学科同様、米国人の院生よりははるかに数の多い外国人学生の溢れた教室でのLMTを中心としたヘリコプタの空気力学と飛行力学の講議であったが、大変活気に満ちていた。教官の数も予算も飛行機と宇宙機関係を合わせたよりもヘリコプタ関係の方が多かった。「何故か」と問うたら、「卒業生の就職時の給料が高いからさ」とのことであった。この滞在中に、NASAのLangleyやAmesで、UCLAやCITで、また米海軍の研究所で話を頼まれての訪問で、随分と見聞を広めた。

 1990年代前半は、大型機後流渦を編隊飛行に利用する計算で原田正志君(航技研)と内村匡宏君(現海上保安庁)とに世話になった。また小型機の後流渦への突入で生ずる烈しい運動の解析を斉藤茂君や奥野善則君がやってくれた。大型機に後方から近付いた時が最も危険なのだが、固定翼の飛行機に比べて、関節式ブレードの回転翼ヘリコプタが、はるかに反応はマイルドであることが明らかになった。

 上記の2つの問題は極めて大事なことなので、是非実験により裏付けをやってみたい。前者は、衛星を使った全地球規模の測位システム(GPS)の利用で、地上のレーダに頼らなくても、機体相互の位置関係が、メートルのオーダで認識出来るようになったことから、自動制御システムにその情報を入れることで可能である。後者は、ヘリコプタを含むGeneral Aviation (GA) の計器飛行方式 (IFR) の実現に伴い、定期航空路の空港への接近コースの直下をくぐることもあり得るので、当然発生する問題である。実験は危険性の伴わない、例えば川田工業のロボコプタのような無人ヘリコプタによる実証試験が必要である。    


図1 試作農薬散布用無人ヘリコプタ

スラップ音の軽減とIFR研究会

 1990年後半から、新世紀に入った今日(こんにち)まで、ヘリコプタに関連して、大変面白い仕事をさせて頂いた:(i)川田工業で川田忠裕氏や譚安忠氏等と共に行った(a)前記無人機の開発、(b)ブレード翼端からのジェット噴射によるスラップ音の軽減、(c)スポイラによる高周波揚力制御と振動減衰、(d)ハブ振動軽減装置の開発に関わったこと;(ii)通産省支援による川崎重工を中心とした(a)新技術導入のヘリコプタ開発研究(ATIC)と、それに続く(b)実用機開発を目指した安全なヘリコプタの研究(ASH)とで研究会委員長として参加させて頂き、次期民間用ヘリコプタの開発のための基礎知識の集積が得られたこと;(iii)東京消防庁の依頼で、梯子が届かないような高層ビルの火災に対する消火ヘリコプタを新明和工業と共に開発したこと(図2);そして(iv)機体や機器のメーカの技術者、ヘリコプタを運航している関連官公庁や運航会社のパイロットの方々、管制関係者、大学や研究所の研究者といった方々による、運輸省支援のGPSを使ったIFRの研究会に委員長として参加させて頂いたこと等がある。

上記 (iv) の委員会は、現在も進行中で、地上のレーダ管制に頼らないでも自機の位置および他機との相対位置を知って自立飛行が出来るというもので、現IFR方式を根本的に改革し得るのみならず、衝突防止にもつなげ得るという画期的な管制方式を生み出すことは間違いない。


図2 東京消防庁の消火ヘリコプタ

 以上が私の研究歴の中、ヘリコプタ及びその応用に関係した部分である。お判りのように、これは、一個人の力では到底なし得るものではなく、極めて優れた先輩や友人達および研究意欲に溢れた若い学生達による御支援のおかげの成果である。最後に私の関係した回転翼および羽搏き翼関係の論文リストを別頁に掲載しておく。

(2002年6月28日、「ヘリコプター事始め50年」講演会より) 

【著者紹介】

 
東  昭 博士

 1927年生まれ。東京大学名誉教授、工学博士。1953年東京大学工学部卒業後、川崎航空機工業入社。1964年東京大学助教授、1974年同教授、1984年メリーランド大学客員教授、1988年東京大学名誉教授。

 著書に『航空を科学する』(酣燈社)、『航空の技術革新』(酣燈社)、『ハチは宇宙船の中でどう飛んだか』(日経サイエンス社)、『生物・その素晴らしい動き』(共立出版)、『航空工学』(裳華房)などがある。

 

(AHS Japan、2003.1.1) 

 

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