<年 譜>

日本のヘリコプター半世紀
(2000〜2002年)

 2000年は7月エールフランスのコンコルドSSTがパリ郊外に墜落、折から開催中のパリ航空ショーに衝撃を与えた。8月にはロシア原子力潜水艦「クルスク」が沈没、10月シンガポール航空747-400が台北で離陸に失敗して83人が死亡した。国内でも三宅島の火山活動が活発化して9月に全島避難命令が出され、11月東北旧石器遺跡の捏造問題が発覚するなどの悪いニュースが続いた。

 11月におこなわれたアメリカ大統領選挙でもフロリダ州で大接戦となって決着がつかず、1か月以上にわたって得票集計のやり直しをするなど、ごたごたが続いた。最後は12月なかばブッシュに決まったが、決着の仕方は大統領の選挙というよりホワイトハウスの占拠に近いものとなった。

 そのことを実証するかのように、2001年3月突如ブッシュ大統領が地球環境の浄化をめざす京都議定書からの離脱を表明した。そうしたアメリカの横暴と大統領の専横に反発したイスラム原理主義者らが9月11日、ニューヨークとワシントンで同時多発テロを敢行。経済力の象徴ワールド・トレード・センターと軍事力の象徴ペンタゴンにハイジャックされた旅客機3機が突っ込み、別の1機が政治力の象徴ホワイトハウスをめざしたが途中で阻まれ墜落した。

 ほかにもアメリカでは、原潜グリーンビルが2月ハワイ沖で宇和島水産高校の実習船えひめ丸に衝突、10月炭疽菌ばらまき事件、11月12日ニューヨーク住宅地にアメリカン航空エアバスA300-600が墜落して265人が死亡するなど、異常事態がつづいた。その一方で力を頼むアメリカは、米軍を動員してアフガニスタンへ報復攻撃に出て、12月タリバン政権を壊滅させた。

 9.11テロは航空界にも大きな影響を及ぼした。テロの直後アメリカ本土全域が飛行禁止になったのを初め、ワシントン・ナショナル空港の乗り入れ禁止やジェネラル・アビエーションの飛行禁止が続き、欧州サベナ航空やスイスエアの倒産にもつながった。2002年からは米国内の空港検査を国がおこなうことになった。ほかにもコクピット・ドアの強化、エアマ−シャルの同乗、パイロットの拳銃携行などのハイジャック対策が実行されたり、検討されたりしている。

 こうした中、米エアラインは融資保証など国の援助を受けて苦しい状況を切り抜けてきたが、2002年後半ついにUSエアウェイズとユナイテッド航空が持ちこたえられなくなって破産法11条(チャプターイレブン)の適用を申請、アメリカン航空も経営の悪化が伝えられる。

 日本では2001年4月小泉内閣が構造改革の旗印をかかげて発足、いくつもの新しい政策を打ち出したが、実行に至らぬまま年を越した。その結果、2002年になって鈴木宗男、加藤紘一、辻元清美、田中真紀子などの代議士に不祥事や疑惑が発覚、議員を辞めたり牢屋に入ったりして改革が進まぬまま経済状勢はさらに悪化した。

 わずかに2002年10月北朝鮮から拉致被害者5人が帰国したが、残してきた子どもの引き取りや、他の被害者の問題はいっこうに進まず、サッカーW杯とノーベル賞2人受賞の快挙はあったものの、ヘリコプター業界では運航2社の名前が消え、2002年末のヘリコプター登録機数は14年前、バブル以前の1988年末(876機)よりも少ない868機まで落ち込んで2003年を迎えることとなった。(東山尚一)

 

2000年

(平成12年)

  • 1月24日 OH-1量産1号機、陸上自衛隊に納入。それまで原型4機が試験飛行をしてきた。
  • 2月1日 航空法改正。運輸省による需要調整をなくすなどの抜本改正がおこなわれ、ヘリコプター関連では第81条の2(捜索・救助のための特例)にドクターヘリを追加、飛行場外の着陸申請が不要になった。
  • 3月15日 川崎重工がユーロコプター社と共同開発したBK117C-2日本側1号機が初飛行。ドイツ側1号機は、これより先1999年6月12日EC145の呼称で飛んだ。


    ミュンヘン近郊のユーロコプター社で試験飛行中のEC145

  • 3月23日「東京エアロスペース2000」(日本航空宇宙工業会)の開催に当り、日本ヘリコプタ技術協会が「21世紀をめざす新しいヘリコプタ技術」講演会を東京ビッグサイトで開催。5月24日 富士重工ベル社の民間型ティルトローター機BA609の開発に参加。
  • 6月8日 ドクターヘリ調査検討委員会報告書発表。
  • 9月3日 東京都内で総合防災訓練「ビッグレスキュー2000」がおこなわれ、自衛隊、警察、消防、民間機など多数のヘリコプターが参加した。
  • 11月18日 警視庁EH-101が小笠原へ初の長距離洋上飛行。立川飛行場から父島まで片道1,010km。
  • 12月14日 富士重工AH-1S完納。陸上自衛隊へ総数89機が納入された。

  • 12月15日 中期防衛力整備計画(2001から5年間)決定。総額25兆円余で、この中にはヘリコプター母艦2隻の建造も含まれる。

2001年

(平成13年)

  • 3月30日 川崎重工BK117C-2に型式証明。
  • 3月31日 東京都、大規模災害時に民間ヘリコプターを活用するため日本救急医療財団と「災害時の医療搬送に関する協力協定」を締結。財団とヘリコプター各社との間の協定で、約40機の動員が可能となった。
  • 4月1日 ドクターヘリ本格的事業開始。先ずは川崎医科大学で運航、5年間で全国30機の普及をめざす。
  • 4月 日本航空医療学会第1回ドクターヘリ講習会を開催。以後1年間に合わせて4回開催。
  • 6月26日 天皇皇后両陛下は火山活動や地震の被害ご視察のため、東京ヘリポートから警視庁EH-101で新島、神津島をご訪問、三宅島を上空からご覧になった。
  • 三菱重工SH-60K艦載型哨戒ヘリコプター初飛行。SH-60Jを基本に主ローターの複合材製ブレードや戦術判断支援システムなど、わが国独自の改造開発をしている。
  • 8月27日 陸上自衛隊次期戦闘ヘリコプターにAH-64Dを選定。AH-1Zとの比較検討の結果、ライフサイクル・コストが安いとして選ばれ、2005年から約60機が導入される。
  • 9月11日 アメリカ同時多発テロ。
  • 11月7日 川崎重工BK117C-2初号機を朝日航洋へ納入。
  • 11月14日 救急ヘリ病院ネットワーク(HEM-Net)国際シンポジウム「ヘリコプター救急のあり方」を開催。

2002年

(平成14年)

  • 4月21日 新しい首相官邸屋上に設けられたヘリポートで初の離着陸訓練。陸上自衛隊特別飛行隊のAS332Lや東部方面ヘリコプター隊のUH-1Jなどが飛来、離着陸を繰り返した。


    (左は新しい首相官邸屋上に着陸する政府専用ヘリコプター
    右は、まだ建設中だったときの官邸屋上ヘリポート)

  • 4月25日 成田空港がヘリコプターの受け入れ条件を緩和。路線運航でなくとも、また自家用機も受け入れる。ただしヘリスポット2か所で処理可能な範囲内。
  • 6月24日 三菱重工SH-60K艦載型哨戒ヘリコプターを海上自衛隊へ納入。
  • 11月11〜13日 日本ヘリコプタ技術協会主催の国際会議「Heli Japan 2002――ヘリコプターの先進技術と救命・防災」栃木県総合文化センターで開催。
  • 12月24日 消防審議会「消防防災・救急体制の充実方策」に関し、ヘリコプターの法令上の位置づけを明確化し活用をはかるよう答申。
  • 12月31日 ヘリコプター登録機数868機、前年末の930機からさらに減少した。同時点での飛行機は1,225機、滑空機650機、飛行船1機。

(東山尚一編、2003.1.10)