定岡正隆氏へ

AHS会長特別賞 

 

 日本ヘリコプタ技術協会はこのほど、ワシントンのAHSインターナショナル(国際ヘリコプター学会)本部から定岡正隆氏に対し「AHS会長特別賞」(AHS Chairman's Special Award)を授与したい旨の連絡を受けました。

 定岡さんは、この3月末まで神戸市消防局の消防機動隊長を勤めたのち、4月からは神戸ベイシェラトンホテル&タワーズの防災部長として勤務しておられます。

 神戸市消防航空隊長の当時、定岡さんは阪神淡路大震災の経験もあって、ヘリコプターによる救急救助活動の促進に努力してこられました。また2000年5月29日には高速自動車道(阪神高速道路7号北神戸線)上にヘリコプターを着陸させて負傷者を救出、救急救命センターへ搬送しました。

 道路への緊急着陸について、人命救助は法に優先するといえばその通りですが、将来に向かっては航空法、道路交通法その他の法規類を勘案し、一定のルールをつくっておく必要があります。そのため警察その他の関係機関と話し合いを進め、定岡さんの努力もあって兵庫県では緊急時の連絡方法など一定の手順が定められることとなりました。

 この結果にもとづき、平成13年3月23日に阪神高速道路でタンクローリーやトラックなど3台が巻き込まれる事故が起こったときは、車内に閉じこめられた運転手救出のために、ヘリコプターからホイストで医師を現場に降ろし、応急手当をしたうえで患者搬送をするという救出劇が大都市の真ん中で演じられました。このもようは下の写真に示す通りです。


(神戸消防ヘリコプターの救急活動を報じる新聞紙面)

 人命救助や救急業務において、ヘリコプターが如何に有効であるか、当協会員の皆さんはつとにご承知のとおりです。とりわけ交通事故による重傷者は出血多量や意識不明から心肺停止に至り、またたく間に生命の危険にさらされます。このため医師による救急治療がわずか数分の違いで、生死を分ける結果ともなります。

 そんな交通事故の死亡者を減らすために、欧米では20〜30年も前からヘリコプターが日常的な救急活動に使われ、高速道路面に着陸するのも当然のこととされています。日本でも近年、消防ヘリコプターやドクターヘリコプターによる救急業務推進の機運が高まってきましたが、出動回数はまだまだ限られ、高速道路への着陸は例外的なこととなっております。

 そうした中で、定岡さんは救急救助業務はもとより、高速道路への着陸にも先鞭をつけられたことになります。この受賞を機に、わが国ヘリコプターもいっそう多くの人命救助に寄与できることを願っております。

 定岡正隆氏の略歴と、神戸市消防機動隊の活動歴は下表の通りです。

1945年1月26日

神奈川県生まれ

1965年3月

防衛大学校卒業

1972年1月

神戸市消防航空隊発足

1973年5月

海上自衛隊退職

1973年6月

神戸市消防局にヘリコプター操縦士として入り、林野火災の消火、救急救助など消防業務にヘリコプターを活用する努力を重ね、消防ヘリコプターの広域運用の必要性を提言。

1973年10月15日

六甲山中で登山中に転落負傷した登山者を救助用ウインチで救出。定岡氏初の救助活動となった。

1975年2月24日

高層建物火災で航空隊員を屋上に降し、取り残された住民を避難誘導した。定岡氏初の消防活動。また神戸市消防局としても初めての事例となった。

1975年6月4日

兵庫県洲本消防本部の要請により、定岡氏初の救急搬送。当時、広域応援はまだ一般的ではなかった。

1975年8月

消防航空担当者会議を神戸で開催し、消火と救急を含む消防業務における航空法適用除外の必要性を提言。これにより1980年11月、航空法施行規則が改正され、実質的な航空法適用除外となった。

1985年8月2日

阪神高速道路7号北神戸線の供用開始前訓練で、BK117ヘリコプターが本線上に安全に着陸できることを確認。

1985年8月29日

山間部の橋から転落した遭難者を、ヘリコプターで送電線の下をくぐって救出。

1988年1月

神戸市消防局の出初式で、名古屋市、京都市、大阪市の各消防ヘリコプターの参加を実現、好評を得る。以後毎年実施することになった。

1989年1月

自治省消防庁(当時)の要請で、消防専門誌「近代消防」(1989年2月号)に、林野火災におけるヘリコプターの活用と留意点、消防ヘリコプターの広域運用について寄稿。

1989年

自治省消防庁(当時)の要請で「消防ヘリコプターの広域的な有効活用に関する調査研究委員会」委員となる(1989年から93年までの5年間)。

1990年2月

自治省消防庁(当時)の要請で、「近代消防」(1990年2号)に、ヘリコプターによる救急搬送と消防ヘリコプターの広域的な活用について寄稿。

1990年11月

第18回日本救急医学会総会に協力、神戸市消防局からヘリコプターと専任救助隊が参加、大阪市消防局、広島市消防局と共に川崎医科大学で救急救助の展示飛行訓練を実施。

1992年9月

(財)救急振興財団の協力を得て「神戸市消防局の消防ヘリコプターによる広域ヘリ救急試験事業」を93年9月まで実施。兵庫県および兵庫県下各消防本部がヘリコプターによる救急搬送の有効性を認識した。

1992年

自治省消防庁(当時)の要請を受けて「消防科学と情報」(季刊誌、NO.30)に「林野火災におけるヘリコプターの役割と運用上の課題」を寄稿。

1994年

日本エアーレスキュー研究会発足と同時に世話人となる。「日本航空医療学会」と改称後は評議員。

1995年1月

阪神・淡路大震災で応援を求めた消防・防災ヘリコプター29機を運用、消防組織法を超えた広域運用を実施する。

1996年

「阪神・淡路大震災におけるヘリコプター運用の実態調査委員会」委員。

1997年1月

消防ヘリコプターとして初めて海上保安庁巡視船に着船。大災害における巡視船等の船舶を活用する検証訓練を実施。

1997年7月

自治省消防庁(当時)の要請を受けて「大規模災害時における消防・防災ヘリコプターの広域応援体制検討委員会」の委員となる(99年3月まで)。

1999年3月

消防大学校の要請により、大規模災害時におけるヘリコプターと船舶や自衛隊の護衛艦等との連携活動について「消防研修」第65号に寄稿。

2000年5月29日

高速自動車道(阪神高速道路7号北神戸線)の事故の際、神戸市消防局は、ヘリコプターを本線上に着陸させ負傷者を救急救命センターへ搬送。

2001年3月23日

 

交通渋滞に巻きこまれたドクターカーの医師を、自動車専用道路(阪神高速道路7号神戸線)本線上からヘリコプターの救助用ウインチで吊り上げて機内収容し、事故現場まで飛んで再び医師をウインチで降した。

 なお、2000年の高速道路着陸については、定岡さんみずから『日本航空医療学会雑誌』(2001年5月号)に論文を発表しておられます。関係者の了解が得られれば、ここに掲載したいと思います。

(AHS Japan、2002.5.12) 

 

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