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茶の湯を愛するが故に思う事しきり、今日の若者の茶道に寄せる関心、主張を見聞(特にIT等による匿名主張)きするとき、深く感ずるのは、かってあった抑制の効いた、誇り高き茶道の精神性の失われつつある事の愁いである。 長い間、茶の湯をなさっておられる方々(年長者)に、茶の湯の何が、どこが好きですか、とお尋ねすると、家業だからとか、何となくとか、お沫茶の美味しさもよい、お客を招いてお互いに楽しむのが好きだとか色々云れますが、一番多いのが、茶の湯の持つ雰囲気がたまらないと答えられる方の多いのが印象的でもあり、救われる思いが致しましますが、雰囲気と云うのは、恐らく気持ちが落ち着き、音楽や舞踊、絵画が好きな方がそれらを鑑賞される時の幸福感、豊な気持ち、其れと似たものではないかと思います。だからこそ茶道は、精神文化の芸術とも云われ、岡倉天心は、茶の湯は日本の日常生活の全てを意識的に芸術にまで磨き上げ、其れが、自然な振るまいとして、東洋の生活様式の一部となっていいると看破しています。それは、茶道を今日の如くに隆盛ならしめた、功績大なる、明治後期の茶道具中心の数奇者台頭と前後していることに注目したい.天心は恐らく、「一会集」に代表される、茶道の精神性における効用を高く評価していたからに他ならないと考えられます。教養ある武士や富裕な商人が精神的な豊かさを求め、茶の湯の道に憧れた結果、明治維新後も遊芸とは一線を課した茶人達が脈々と、精神性の高い茶の湯を受け継いで来たからこそ、天心の「茶の本」(明治39年出版)も生まれたし、数奇者(益田鈍翁達を代表とする)以後の茶の湯、今日の茶道があり、その事を考える時、脳裏をかすめるのが、今日の大寄せ茶会の大流行り、賑やかな、何でもありの茶の湯、これが本当の茶の湯だと云う若者の多い現在、その若者の云うなりに、進んで行ってよいものか、明治から大正、昭和の数奇者が、以後の茶道に貢献した様に、今日の茶の湯のあり様が、これからの茶道の行く末に何をもたらすか、それを思うとき、薄ら寒さを覚えますが、救われる道、なきにしもあらずと想うのは、現在、天衣無法な若者の茶道にも3つの道が見えています。それは、無法な中にも一種の秩序と、新しい発想や新しく取り入れるものでも、時を経て意識の中に定着し(平たく言えば飽きの来ない)多くのものに共感を与える茶の湯のあり方、創造であります。いま一つは、大寄せ茶会に見る、マンネリ化した、(大勢の方に一碗の茶を振舞う事だけに専念した)茶の湯のあり方であるが、これは早晩、飽きられ自然消滅して行く運命にある様な気がしてなりません。最後の一つが、今大流行りの、安易な、何の努力の片鱗も無い、只、私はジャズが好きだから、ジャズの演奏に会わせて、と言うか、ジャズの為に茶の湯をすると言った種類の何をしても良いと言う茶の湯である。これこそ消滅して欲しい茶道であるが、これが、どうして、中なかの人気なのである。利休以前には茶の湯は唐もの無くば茶の湯は為しな得かった時代もあるが。時代がくだって、一部権力者の権威の象徴として、独占的存在であった茶の湯は、利休時代に入り、侘び茶として一般庶民にも手の届くものとなり、儀式の茶と楽しみの茶は両派混ぜんとして今日に引き継がれてはいるが、無制限の茶の湯は、未だかって存在しなかった。確かに、過去において、釜一つ、麦焦がしあらば、釜掛け得べし、とは言われてはいるが、現実、意に叶うもの無くして茶の湯せし記録少なし。この、意に叶う事、これが、何でもありの無制限(自由勝手な)の茶の湯を食い止めて来た大きな力なのであり、厳選され、磨き抜かれた美意識の発露としての茶道であったはずです。精神性の薄い茶道具本意の数奇者の茶の湯においてさえ、道具と云うものに、意に叶うものなくば茶の湯は存在しない抑制の効いたものであった。然るに、今日や如何に、何でもありの茶の湯は、一部の若ものに限られてはいるが、情報過多と相俟って、ITの普及は其れに拍車を掛け、とどまる所を知らず、茶道とは名のみ、何をしてよい、好きな様にお茶を飲めば良い、其れが現代の茶道だと、嘯き、其れに異議を唱える者には容赦ない罵倒を浴びせる風潮は、果たして、これからの茶道を日本の世界に誇る文化として存続させ得るか否なかを深く愁うるのであります。 | ||||||
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