書評:『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』


書評:『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』(1/2) 投稿者:reverie  投稿日: 5月 6日(火)02時31分38秒

Tor Norretranders著、柴田裕之訳、紀伊國屋書店刊。この本は

---{
脳は私たちを欺いていた。意識は錯覚にすぎなかった-。マクスウェルの魔物
の話からエントロピー、情報理論、心理学、生理学、複雑系の概念までも駆使
して「意識」という存在の欺瞞性を暴く。デンマークのベストセラーの邦訳。
---} 「MARC」データベースより

だそうです。「○○は××に過ぎなかった」「△△を暴く」という煽り文句の
定型パターンが紀伊國屋書店の出版物で見られるとは…(笑)

著者はデンマークを代表する科学評論家だそうですが、こじつけと論証の欠落、
すり替え、情緒主導の論旨展開が多々見られます。著者が論旨をどのようにす
り替えているかを、この本の主題となる主張――意識の帯域幅は毎秒40ビット
程度である――を例に具体的に述べてみます。

まず、著者の主張はこうです。
「人間の意識が処理する情報は毎秒40ビットよりずっと少ないという結論が導
かれる」(164ページ)
「意識の容量はおそらく40ビット毎秒よりずっと少ない。16ビット毎秒のほう
が近いだろう」(181ページ)

ここで著者のいう意識の容量とは「情報の流れを毎秒あたりのビット数で測っ
たものを<帯域幅>あるいは<容量>という」(162ページ)とあり、それに
よって「意識が処理する情報のビット数」(162ページ)が分かると主張してい
るわけです。学者の実験による具体的な計測値を引用してその根拠としていま
す。

この著者のすり替えはこうです。
(1) 「意識による感覚知覚プロセスにおける情報流の最大値は約40ビット毎秒
  と結論できる」といった実験データ(注)を引き合いに出す。
(2) 意識が毎秒40ビット相当の知覚入力を処理できる(認識できる)という
  ことを、意識が処理可能な情報のビット数にすり替える。
(3) その上で、意識は毎秒40ビットの処理能力だと主張する。

つまり、「感覚器官からの入力情報を意識が処理する速度=意識の処理速度」
という幼稚なすり替えを行っているに過ぎません。チェスや将棋、文章の理解、
翻訳、音声認識、作曲が毎秒40ビットの処理速度で可能になるかどうかを考え
れば、著者の主張など瞬時に崩れます(笑) 

なお、40ビット毎秒がどれほど小さいものかというと、今私が使っている安物
パソコンの帯域幅の僅か 3億分の1 です。

(注)これらの実験データ自体は(イメージ操作能力を持たない一般人に限れ
  ば)信用がおけるものです。しかし、ある程度自動的に処理される知覚プ
  ロセスや計測が本質的に困難な認知プロセスは全てこの帯域幅の計算から
  除外されいますのでこの段階ですでに問題を含んでいます(例:自動処理
  =無自覚、は論理的には必ずしも成立しない)。

書評:『ユーザーイリュージョン―意識という幻想』(2/2) 投稿者:reverie  投稿日: 5月 6日(火)02時46分20秒

こういった本にありがちですが、権威の確立した難しそうな話題(エントロピ
ー、情報理論、ゲーデルの証明、計算可能性、カオス理論、有名哲学者の名前)
を適当にちりばめて読者の鼻先を引きずり回すことで、先のようなすり替えが
成功しやすくなります。要は手品と同じことかと。

本書で説明されている熱力学や情報理論、ゲーデルの証明、カオス理論は著者
の主張する意識観のアナロジー(比喩)にはなっても根拠には全然なりえませ
ん。ニューエイジ関連の書籍で量子論が盛んに使われるのとよく似ています。

あるいは自説の実践的応用として、読者の意識の伝送路が 40 bit/sec の帯域
しかないことを見越した上で大量のクズ情報で溢れさせ、自説の論理を受け入
れさせるという、ネットにおけるセキュリティ攻撃によく似た手なのかも(笑)

もう一つ意識に関する著者の誤謬を挙げます。
「意識は、地球上の生物の進化によってもたされた、すばらしい産物だ」「意
識はそれほど古いものではないが、人の生活を支配するようになってからの数
千年間に、私たちの世界を変えてきた」(505ページ)

この、意識がそれほど古いものではないという立場は「3000年前の人類は意識
を持っていなかった」(379ページ)という、突飛な仮説に沿ったものです。

進化がたったの3000年で起こる、しかも意識の発生という進化史上例を見ない
大進化がそんな瞬時に生じうると考えるあたり、この著者の素養が知れます。

ついでにもう一つの主題である、「脳の準備電位の発生から決意の自覚までの
間の 0.35秒の遅れの問題」について(複雑になるので、本書を読んだことのあ
る人向けに)素人の私も考えてみました。比喩で説明します。

(a)短距離走で号令の数秒前に既に姿勢を準備し息を整える作業に入っている。
(b)実際に走り始めるのは号令がかかってから。

脳の準備電位が(a)に相当し行為の決意の自覚が(b)だと解釈しています、私は。
つまり脳の準備電位の発生は「意識による決意のための準備(=脳生理学的緊
張)」として必要なのであって、準備電位の発生自体が決意の内容を左右しな
いのだと。要するにダッシュすることを決意するのも止めるのも(b)であって、
(a)でないということです。この解釈は

---{
被験者が、実行しようと決めた行為を途中でやめたときと報告したとき、やは
り<準備電位>は発生していたが、実際に実行したときと比べると、終わり
(すなわち実行する時点)に近づくにつれて電位変化の様子が違っていた。
---}(297ページ)
という実験結果から考えたものです。専門家には笑われるとは思いますが素人
は本書の記述をこう読んだということで…

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