モンロー的世界観と仏教思想:書評『「臨死体験を超える」死後体験』

20003.7.1



モンロー的世界観と仏教思想:書評『「臨死体験を超える」死後体験』(その1)
 投稿者:reverie  投稿日: 7月 1日(火)02時21分35秒

『「臨死体験を超える」死後体験』坂本政道著、ハート出版、2003年4月刊。
本書の主な内容は

(a) 著者がモンロー研究所に6回訪れ、用意された種々の体験プログラムで
  経験した体外離脱体験の具体的な事例。
(b) それらの体験やモンロー研究所での一般的事例から抽出・構築された世
  界観

でした。(a)はロバート・モンローの著書などでも具体的な記述があるので
以下では詳述せず、(b)の体外離脱体験に基づいて構築された世界観(=モ
ンロー的世界観)と仏教思想を対比させてみます。具体的にいえば

・モンロー的世界観と仏教思想(中でも特に原始仏教)ではどこが似ており、
 どこが異なるのか。

を考えてみます。なお体外離脱体験という現象が科学的に見て脳内現象に過
ぎないのか(=錯覚)そうでないのかは以下では問題にしません。さて、私
がモンロー的世界観と見なすものを要約すると次のようになります。

1.トータルセルフとその進化の手段としての輪廻
2.ルーシュの収穫を目的とした飼育システム
3.死後の迷える存在とそれに対する救出活動
4.独自の意識・存在レベル(フォーカスレベル)の定義

この世界観の 1. と 2.の間にはほとんど矛盾とも言うべき深刻な乖離が含
まれますがそれについては後述します。

まず1. のトータルセルフと輪廻を考えます。
個々人の人格の核となる主体的存在(=魂)がその人格の本質を保ったまま
輪廻しつづけるというのが通俗的な輪廻観です。しかし、モンロー的な輪廻
観では輪廻の主体が個々人の人格から、トータルセルフという上位存在に置
き換わっているようです。
   
ある人(Aさん)がその個性的人格(自我)を保ったまま輪廻しつづけるの
ではなく、トータルセルフという超個人的存在が異なった時代で無数の人生
を過ごし、ある人生では A さんという個性・自我であり、次の人生では A'
という個性・自我で生きると見るようなのです。

そして A, A' という個性・自我は皆トータルセルフに含まれる属性の部分
的な反映であり、トータルセルフの進化の必要性に応じてその人生で過ごす
予定の個性・自我を微妙に修正、味付けされたりマージして新たに作り出さ
れたもの、こう想定しているようです。つまり、個々人の人生や自我はトー
タルセルフがあるレベルに進化するための仮の姿ともいえることになります。

図式化すれば次のようになります。現在のある人物、A さんが

 (過去) A ⇒ A' ⇒ A'' ⇒ A''' ⇒ A''' (未来)

という輪廻の系列にある時、A,A',A'',A''' を貫く本質が A の中に魂のよ
うな実体として存在するとは考えず、個別のA,A',A'',A''' を生み出す基盤
となる実体(=トータルセルフ)にその本質があると見なすようです。
先の図を用いれば次のようになります。

 (過去) A ⇒ A' ⇒ A'' ⇒ A''' ⇒ A''' (未来)
      ↑  ↑    ↑   ↑    ↑
 --------------------------------------------------------
           トータルセルフ

いわゆる守護霊やマスター、ガイドといった類の実体はその人物のトータル
セルフを他者だと誤認した結果だとモンロー的世界観では見なしているよう
です。

このトータルセルフという世界観と仏教思想の対比をすると次のようになる
かと思います。

(1) 個々人の人格の核となる主体的存在(=魂)が輪廻することを否定して
  いる点が仏教との共通します。つまり、仏教的に表現すれば我や識が輪
  廻するのではない、という見方ではある程度、共通しています。

(2) 仏教ではトータルセルフのような超越的実在を認めてない点が差異です。
  モンロー的世界観でのトータルセルフは単純化すれば、ブラフマンとア
  ートマンの折衷的存在、あるいはアートマンからブラフマンへ至る過程
  での過渡期的存在とも見なせます。

モンロー的世界観と仏教思想:書評『「臨死体験を超える」死後体験』(その2) 投稿者:reverie  投稿日: 7月 3日(木)01時22分53秒

(3) 輪廻に本質的な目的や意義を認めるかどうかが大きく異なります。
  モンロー的世界観ではトータルセルフの進化・完成という大目的があり、
  そのための効率的な手段として輪廻というシステムが位置づけられてい
  ます。

  一方、仏教では輪廻自体に積極的な意義を認めず輪廻の終焉こそが目的
  となっています。

(4) 輪廻を終了したらどうなるのか、という点でも差異があります。
  モンロー的世界観ではトータルセルフの進化があるレベルにまで至った
  時、それまでの個別的人格による輪廻は終了し、あたらな創造の段階に
  移行することが示唆されています。

  一方、輪廻から脱却した後はどうなるのか、という問いに対して釈迦は
  一切の回答を拒否しています。

(5) 世界観の原理的な相違:トータルセルフに対する縁起
  輪廻に関する両者間のこのような根本的な差異は輪廻の外側にトータル
  セルフのような基盤的実体を認めるかどうかという立場の相違から派生
  しています。

  言い換えれば世界の説明原理を輪廻を超越したトータルセルフにおくか
  輪廻の内部に閉じた縁起におくかという相違となります。

次にモンロー的世界観の第二の項目、ルーシュの収穫を目的とした飼育シス
テムについて。まず仏教ではルーシュやそれを目的とした飼育システムに相
当する事柄に関する言及の記録はなされていないように思います。

モンロー的世界観にみられる人間より上位の存在、それらの存在の所属する
領域に相当するものとして仏教では神々や天界、色界・無色界として記述さ
れていますが、人間と上位存在・上位領域の関係は希薄でルーシュや飼育シ
ステムという具体的かつ密接な関係は述べられてはいません。

モンロー的世界観の第三番目。死後の迷える存在とそれに対する救出活動に
対応しうる程のリアルで具体的な手法は釈迦も以後の仏教にも無いと見るべ
きだと思います。葬儀での供養や祈りが死後の存在に良い影響を及ぼすとい
う考えは(原始)仏教では否定されています。当然、具体的な方法論も用意
されていません。

さて、モンロー的世界観の

1.トータルセルフとその進化の手段としての輪廻
2.ルーシュの収穫を目的とした飼育システム

の間には次のような意味で深刻な乖離があります(このためか本書では後者
に関する言及が一切なされていません)。

前者は意識や精神の進化によって存在レベルをより上位に移行させるシステ
ムです。対して資源(ルーシュ)を効率的に収奪するために下位世界の意識
体に意図的に大量かつ高純度の苦痛を生じさせるものが後者のシステムです。

前者はいわばダーウィン的な進化論をニューエイジ的な意識や精神の領域に
移し替えたものであり、後者は資源の資本主義的な収奪システムを宇宙レベ
ルに拡大したものと見ることもできます。この二つのモンロー的世界観が両
立しているとすれば次のようになります。

・進化の程度は(博愛や慈悲ではなく)下位世界からどれだけ効率的に資源
 (=苦痛)を集積しうるかという(潜在的)能力で測ることができる。

・ごく単純化して喩えると宇宙は次のような巨大なネズミ講システムである。
  低位の進化レベルの意識体:末端会員(養殖うなぎ、活け作りの魚)
  中程の進化レベルの意識体:中間会員(人間)
  高位の進化レベルの意識体:上級会員(上位のトータルセルフ)
  新たな創造者:新たなネズミ講の創設者(トータルセルフの完成体:神) 
 
つまりモンロー的世界観では進化は霊的堕落を伴うことになります。なお、
「死後の迷える存在」は下位世界には属さず、自己やその同胞なのでそれに
対する救出活動がなされることと、下位世界からの収奪は矛盾していません。

この宇宙=ネズミ講システムに関して対比すれば、次のようになります。
モンロー的世界観:末端会員から上級会員を目指し最後は独立したネズミ講
         を作って親になれば、あがり。
仏教的世界観:ネズミ講から脱退して、あがり。

本書の著者の「どうだスゲーだろ」的な記述にバランスをとる意味でモンロ
ー的世界観をあえて否定的な方向で解釈してみました。オカルトの伝承どお
りに我々の住む地上世界が上位世界の劣化コピーであるなら、そして地上世
界の悲惨な現実を見れば、簡単には否定できないでしょう。

モンロー的世界観と仏教思想:書評『「臨死体験を超える」死後体験』(その3) 投稿者:reverie  投稿日: 7月 7日(月)02時25分18秒

モンロー的世界観の第四番目。本書には独自の意識・存在レベル(フォーカ
スレベル)の定義としてレベル10から49まで十数段階に分類されています。

このフォーカスレベルの階梯は仏教での瞑想中に体験する領域とある程度共
通する部分と共通しない部分があるようです。原始仏教でいう天界などの神
々を瞑想中に見る体験や密教における修行中の見仏体験が(部分的にですが)
共通するものがあると思います。

一方、仏教の四無色定における意識レベルに対応するものはモンロー的世界
観には全く見あたらないようです。なお、モンロー研ではフォーカスレベル
15は仏教の空の境地に類似したものだと誤解しているようです。以前、モン
ロー研のプログラムに参加したアジアの高僧が体験に基づいてそう述べたと
されています(47ページ)。

「フォーカス15は無時間の状態といわれる。時間に束縛されない状態である」
(46ページ)、「(フォーカス15は)いつの時間ともつながっている」(48
ページ)という定義、そして本書に記述されているフォーカス15の具体的体
験内容(闇や凍りついた印象、窒息する感覚など)から、原始仏教でいう空
体験にも大乗や密教でいう空体験にも無関係だと判断されます。

空に関するモンロー研の誤解は件の高僧が長年の修行の成果として体験して
いた空を、たまたまモンロー研でのプログラムの最中にも同様に体験したこ
とから生じたものだと私は推測します。つまり同じプログラムでの体験でも
通常の参加者の体験内容と件の高僧のそれとは同じではないと推測していま
す(高僧が本物であるならば)。

仏教との比較から離れ、モンロー的世界観そのものについては次のように私
は判断しています。

・宗教的な要素を排除し続けている姿勢は高く評価できます。体外離脱体験
 では本源的な宗教の領域に接近する境界事例が多発します。そのため体外
 離脱体験に基づいて新たな宗教サークルを起こした事例( Paul Twitchell
 の ECKANKAR のケース)もあるだけにこれは評価できます。

 宗教やカルト(有名なカルト Scientology  も AUM と同様に教義に体外
 離脱体験やフォーカスレベル的な意識の階梯をもっています)に堕落しや
 すい中でよく持ち堪えていると思います。

・モンロー的世界観は真実か?
 これはつまり輪廻は真実なのか、近く地球に訪れるという大変化は真実か、
 フォーカスレベル27にあるとされる各種の機能センターやそこで働く知的
 存在は真実なのか、という問題です。

 結論からいえば次のように私は判断しています。モンロー的世界観では信
 念体系領域(フォーカス24,26相当)というのがあります。共通の信念を持
 つ人々の想いが生み出した世界が信念体系領域で、特定宗教や信念体系に
 強く染まった人々(つまり我々の多く)が死後、その世界に至るとされて
 います。

 で、モンロー的世界観も(仮想的な)一段上の次元から見れば、広義の信
 念体系領域の一つに含まれると私は考えています。その意味でモンロー的
 世界観の信念を有する者にとってはそれこそが真実となります(その信念
 から脱するまでは)。信念から脱した時はモンロー的世界観もまた意識の
 生み出した幻影となります(基本的には仏教思想についても同様)。

 信念と現実の間に巨大な乖離が常に発生する異常な世界(この地上世界)
 は熟睡した意識にとって目覚まし時計のベルの音のような苦痛をもたらす
 ものだと思います。

以上で今回の書評は終わりです。次回はモンロー的世界観に含まれる主な矛
盾を検討する予定です。

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