悟りと日常意識


2003年11月9日

ある掲示板へのポスト。以下では私(reverie)以外の方のハンドルはイニシャルに変えています。


自我について 投稿者:S  投稿日: 2月23日(日)16時34分18秒

Tさん、突然ですが、Eさんという方の少し前の問いに答えてあげてく
ださい。つまり自我というものが、瞬間、瞬間に変わり行くものならば、なぜ昨
日の私と今日の私は同一性を維持できているのかという問いです。

あとですね、自我がフィクションであるというのは、ハイデガーが自我(私)に
対する言葉の先行性を認め、それを経由してフーコーがそんなことをいってまし
たです。このハイデガ―の見解を土台として構造主義も生まれるのですから、近
現代哲学では「私」という自我の構造をそれのみでは立てられなくなっているこ
とは確かですね。認知科学とカントを関連付け、新しい哲学の樹立を謳うのも無
理ありません。ただえにしださんの仰るとおり、西欧哲学はいまだ自我を「非実
体」だとはいいきれない。

ところで「非実体」というと、「空っぽ」だということなんです。私たちは通常、
脳か胸の辺りにか知りませんが、心とか自我なるものがあり、それが時間、空間
的に固定した、ある対象を認識しているという感覚を持っています。ところがこ
れが嘘っぱちなんです。この自我なるものは、コップのように存在するものでは
ありません。そのような自我や他我という区別は自分(自我)が造り上げていた、
元々なかった、世界はぶっ続きの一つのものだ!、それを腹の底から見抜くこと
が悟り、覚醒です。(かく言う私もまだまだです。)

ということで哲学でも思想でも宗教(信仰)でも何でもありません。悟りについ
てはそれを肯定するにせよ、否定するにせよ、一考するにせよ、悟った人(正師)
に直に尋ねなければ本当のところは得られません。知的な興味心を満たしたいと
いうだけなら話は別ですが。



(Sさんへ)re:自我について 投稿者:reverie  投稿日: 2月25日(火)01時22分53秒

---{                            私たちは通常、
脳か胸の辺りにか知りませんが、心とか自我なるものがあり、それが時間、空間
的に固定した、ある対象を認識しているという感覚を持っています。ところがこ
れが嘘っぱちなんです。この自我なるものは、コップのように存在するものでは
ありません。
---}自我について 投稿者:S  投稿日: 2月23日(日)16時34分18秒

「コップのように」が「物のように」という意味でしたら、自我が物のような
ありようで存在する…など考えている人はここにはいないと思いますが。

また感覚には錯覚(=誤認)はありえても嘘(=虚偽)はありえません。次に、

・「心とか自我なるものがあり、それが時間、空間的に固定した、ある対象を
 認識している」という認識 → 誤認

・「世界には自我や他我という区別が元々なくぶっ続きの一つのものだ」とい
 う認識 → 正しい認識

という風変わりな主張をされているようですが、根拠が示されていませんね。

>ということで哲学でも思想でも宗教(信仰)でも何でもありません。
哲学でも思想でもないのであれば、根拠は不要でしょうけれども。

---{    そのような自我や他我という区別は自分(自我)が造り上げていた、
元々なかった、世界はぶっ続きの一つのものだ!、それを腹の底から見抜くこと
が悟り、覚醒です。(かく言う私もまだまだです。)
---}

禅坊主の与太話に誑かされているのでは?

眠って夢を見ていれば現実にはあり得ないような体験をします。幻覚剤を摂取
すれば一風変わった世界を体験します。仰るところの「悟り、覚醒」もまた特
殊な意識状態においてそういった実感的了解を感得したというだけのことです。

つまり、こういうことです。
(1)我々は意識状態に応じて様相の異なった複数の意識世界(日常的意識、夢、
  幻覚、発狂、悟り、憑依、脱魂…等)のうちのどれかの世界に入っている。
(2)それぞれの意識世界では「その意識世界に固有の体験」をする。
(3)それらの固有の体験はその意識世界に固有のものであって、他の意識世界
  には通用しない。

夢の中で空を飛べたからといって現実世界でも空を飛べると信じる人はいませ
ん。特殊な意識状態での実感的了解が日常の現実世界でも通用すると信じるの
は奇妙でしょう。

---{                             悟りについ
てはそれを肯定するにせよ、否定するにせよ、一考するにせよ、悟った人(正師)
に直に尋ねなければ本当のところは得られません。
---}

矛盾してますね。世界には自我や他我という区別が元々なくぶっ続きの一つの
もの…というのが偽りでなく現実世界でも通用する真実ならば、悟った人と我
に区別もなく、尋ねる必要もなくなる筈では?




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