「花を見ること夢の如く相似たり」(碧巌録)


2003年11月9日


みなさん、参照にして下さい。 投稿者:T  投稿日: 2月22日(土)22時38分41秒

>悟りの境地において実感的に了解される「真の実在」や
 「絶対的真理」は真理ではない。
1。____仏教では真理を真諦と俗諦と二つに分けています。
悟りの境地において把握されるのが真諦で、あるがままの姿において見る事の
できるものです。つまり、絶対的真理の方です。

>その理由は
(イ)言葉で表現できないような「絶対的真理」は真理の資格を持たないため。
(ロ)そういった境地で実感的に了解される「真の実在」や「絶対的真理」は
   日常の現実世界の中では成立しないため。です。
2。____これは俗諦で普通一般に相対的な真理と言う処のものです。

1と2とを禅の問答で説明致しますと。
或日に、陸亘と言う役人と南泉禅師の2人が庭園でお茶を飲んでいた。
その時、陸亘いわく、荘子の中からとって来た考えだが「天地とわれと同根、
万物とわれと一体」(2です)この語はすばらしいではないかと尋ねた。

南泉禅師は、それには直接には答えず、庭の一株の花を指して
「まるで夢の中での様に世間の人々は、この花をみる」(1です)と語った。

(以下、引用を省略)





花を見る 投稿者:reverie  投稿日: 2月25日(火)01時23分56秒

>「まるで夢の中での様に世間の人々は、この花をみる」(1です)と語った。

「今、この花のありようの真の姿を見ている。これまでの自分は夢の中でただ
漠然と花という名前をなぞっていただけだった」とまぁ、こんな類の感慨を抱
くような、精妙で言葉につくしがたい体験をした…としましょう。

さて、問題はこうです。
(1) 今みている「それ」は(今度こそは)真実か?
(2) その花をかつて見ていたときは虚像を見ていたのか?

この(1),(2) のどちらも No だと考えます、私は。
その時の意識状態(意識世界)に応じて意味深さや見え方が変わっただけでど
ちらがより真実(または虚像)というわけではないのだと。

この意味では(妄想や狂気を含め)どれもが皆、(その意識世界の領域内で)
真実とも言えます。それは同時に(どの意識世界でも同時に成り立つような
意味での)究極の真実や絶対的真理はないことも意味する、こう考えます。



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