書評『日本人のための宗教原論』

2003.11.9

ある掲示板に 2000年8月13日に投稿したものです。


地獄と極楽(1/2):書評『日本人のための宗教原論』 投稿者:reverie  投稿日: 8月13日(日)20時59分43秒

この本『日本人のための宗教原論』小室直樹著、徳間書店刊、は非常に読みやす
く、面白いです。他の類書ではまず、得られないような宗教(ユダヤ教、キリス
ト教、イスラム、仏教、儒教)についての基礎的な枠組みが、かなり大胆な捉え
方(*) で描かれています。

小室直樹氏の物事の本質を鷲掴みにするずば抜けた知性を感じます。確かに個々
の宗教を専門にする宗教学者よりも、宗教の本質を(純粋な形で)捉えていると
感じます。

---(*)---
大胆すぎて、やや荒っぽいとか、単純化しすぎと思える個所もあります(例:キ
リスト教をあまりにパウロ的に捉えすぎていたり、仏教を大乗の教説面に偏って
把握し過ぎていたりする点)。

学術書ではなく、入門書という性格上、その宗教の特質を過度に強調したほうが
明快で分かりやすくなるという、メリットがありますが逆にそれが現実の形から
乖離した抽象的なモデル(理念形)になってしまっている、という面もあるよう
です。とはいえ、この本での各宗教の理念形の抽出(モデル化)は素晴らしいレ
ベルだ思います。

しかし、この本を読んで宗教の「本質は押さえた」という気になったとすれば、
ヤバイです。ある一つの優れた抽象的理念形の枠組み(フィルター)を通して、
宗教を見れるようになったというだけで現実の宗教の本質がは一つの理念形に収
まるものではありませんから。
---

さて。この本の中の仏教の解説も曖昧さがなく、明瞭です。たとえば、仏教は地
獄と極楽の存在を認めていないという著者の主張、

「地獄は実在しない。人を導くために譬え話として仮に考えておいたものにす
ぎない。仏教はこのように考えている」(17ページ)。「しかし、仏教にもい
わゆる地獄・極楽はない。なぜなら仏教はすべて仮説だから」(64ページ)。
「敷衍(詳しい説明を)すれば、仏教の場合すべては空である。実体を考えて
はいけない。したがって、魂もなければ、地獄も極楽もない。」(199ページ)

があります。ところが、これが間違っています。まず、(1)。著者は地獄や極楽が
ない、とは述べていますが注意深く読むと輪廻がないとまでは述べていません。

仏教では輪廻を否定した立場は断見であって、外道と見なされますからさすがに
そこまでは踏み込めなかったようです。そもそも仏教の目的たる涅槃が輪廻の存
在を前提として成立する概念ですから、否定しえないのは当然です。

輪廻といえば、六道輪廻を意味するのに、その中の地獄と天だけが仏教では否定
されるその根拠が不明ですが、仏教が地獄や極楽(の存在)を否定しているとい
う根拠は、著者によれば、

(a)「なぜなら仏教はすべて仮説だから」(64ページ)。
(b)「仏教の場合すべては空である。実体を考えてはいけない」(199ページ)
(c)「その証拠は、教判で位の高いお経では譬え話として述べられているにとど
  まっており、もっと位の低いお経にこそ、さかんに述べられていることで
  ある」(200ページ)

と主張しています。(c)は教判それ自体の誤りが近代仏教学による綿密な史料研
究によって否定されていますので無意味です(例:天台智ぎの教判)。教判それ
自体が特定の宗派の立場から他の宗派の経の高低を判断する独り善がりの傾向を
もつものゆえ、経の高低の根拠としては採用できません。

仮に(c)の教判による経の高低を認めて大乗、密教の立場をとったとしてもまだ、
だめです。大乗、密教の高僧たちが、地獄や極楽が(実在ではなく、マーヤとし
てのあり方で)存在しているのを自明とし、疑っていないのは彼らの著作から明
白です。現代人の常識である唯物的科学思想は過去の高僧たちには無縁ですし。

(a)は根拠が示されていないので著者の独断にすぎません。(b)は根拠になってい
ません。(b)が根拠となりうるのであれば、この世や我々の存在も仏教は否定し
ていることになります。なぜなら、この世や我々も空であり、実体はないと仏教
では説くゆえに。この世も地獄も我々も全て実在ではなく、マーヤとして成立し
ていると見るのが正しい仏教です。



輪廻の主体と空: 書評(2/2)『日本人のための宗教原論』 投稿者:reverie  投稿日: 8月16日(水)03時22分35秒

次に、輪廻転生の主体について、この本では「死ねば無になる、といって無宗教
で押し通す人が多い。仏教の教えも、結局、これである。」(202ページ)という
明快な主張がなされています。この主張は破綻しているようです。

死後は無なのだから、輪廻を否定するのかというと、「輪廻転生というのは仏教
の根本思想となっている。」(210ページ)というわけで仏教の立場としては否定
することはできず、かわりに「…意思以前の誰も自覚しない原意識のようなもの
が、転生する。」(220ページ)と著者は述べています。

ここでの原意識とは「天地開闢の頃からの記憶」が蓄積された阿頼耶識あるいは
その中の種子だとされています。そして、「この阿頼耶識の説明で、魂がなくと
も、因果律に基づいて輪廻転生ができることが明確にわかる。」(220ページ)と
いうように、実在こそしないが存在を継続させる蔵(くら=阿頼耶の意味)とし
ての阿頼耶識に魂の代役を務めさせて輪廻転生を(仏教の立場として)肯定して
います。

つまり、はじめの命題の「仏教の教えも、結局これ(死ねば無になる)である。」
を自ら否定しているわけです。さらに「『死んで無になる』ことは、仏教では実
に容易なことではないのである。」(235ページ)とすら述べています。

結局、「仏教は魂を否定する」(204ページ)と言うものの、魂のラベルだけ阿頼
耶識と貼り換え、言い訳として「…あたかも、種子、現行、薫習、阿頼耶識とい
うような実体が存在するような説明をしてきたが、これは本当はいけない。実在
するものは何もなく、すべては空である。」(216ページ)としているようです。

そして、実在ではないと言いつつ「この心の一部分{=阿頼耶識}は常(不変)
に近い。」(218ページ)とやや矛盾する事も認めています。これは著者の主張と
いうより、唯識そのものがもつ問題点といえます。

最後に空について。まず、空を理解することが本当の悟りだと主張しています。

「煩悩を去り、悟りをひらき、涅槃に赴くことが、仏教の究極の目標である。
そして、空を悟ることが本当の悟りであり、仏教理解の極意皆伝である。」
(235ページ)

そして、その空とは次のようなものだと述べています。
「仏教の『空』という論理は、すべてが仮説であり、すべては関係であって、実
在するものは何もない、というものである。」(210ぺーじ)
「空とは有無を超越し、相互依存と同義である。」(277ページ)

これらの空に関する主張のどこにも理論上の間違いはないと思いますが、実に空
っぽで、空しい内容だと私には思えます。

なぜなら、「実在するものは何もない、関係だ、相互依存だ」と言ってみたとこ
ろで、それで悟れたわけでもなく、煩悩が去ることもなく、まして涅槃などあり
得ないからです。中論を読んで「実在するものは何もない…」と理解したことで
悟り、涅槃に至った仏教徒がいたかどうかすら疑問です。

これは、「空の知的理解のレベル」と「悟り」が同一平面上にあるという学者に
ありがちな誤解だと思います。自分の名前さえ覚えられなかった周利槃特が大悟
した例を挙げるまでもなく、悟りは「知的な理解」ではないのですから。

第一、悟りが知的理解に過ぎないのであれば、悟りの内容は(上記の空の説明の
ように)概念的、知的に記述しうる事になりますが、そんな例はまずありません。

「空はαである、という知的理解や概念的記述」のαが何であれ、全て無関係で
しょう、その空が悟りと直結すべきものならば。したがって、著者の

「空の思想がご理解いただけただろうか。しからばあなたにも、涅槃への道が開
かれる。空と縁起と唯識およびそれらのあいだの関係を徹底的に説明した。仏教
哲学の理解はここにつきる」(277ページ)

という期待も空しく、涅槃への道は当分、開かれそうにありません(笑)。

# …と批判したのですが、これだけ面白く読み易い宗教を説明した本はまず見当
# たりません。この著者の解説者としての力量が群を抜いている証でしょう。



HOMEにもどる