<論文>パソコン通信に見る癒しの関係>

パソコン通信に見る癒しの関係

筑波大学大学院 田村 貴紀

1.問題

メディアを媒介とする人間関係が、対面の人間関係と独立して存在するようになったことは、すでに指摘されている(若林[1992:40])。しかし、パソコン通信の初期にあった、「素朴な仲間意識の醸成」や、「ネットワーク社会への期待」に対しては、経験的行為が織りなす生活世界とパソコン通信の仮想現実とを、同一次元に混在させるものとして批判されている。(加藤[1991:265])むしろ、パソコン通信上のコミュニケーションについては、誤解を招きやすいとか、感情的になるとか、「ためにする議論」になったりするなど、問題点を指摘される。(川上93:43,136,178],Aycock[nodate])

だが、希有な例としてであっても、パソコン通信を媒介とする人間関係が、参加者にとってある「癒し」であるような関係も存在する。パソコン通信の特性は、誰が使用しても変化がないが、参加者の立場や相互作用によっては、癒しの関係と呼べるようなコミュニュケーションを成立させる。メディア自体の特性は同一でも、それに対応する人間の文化的実践の方には、バリエーションが存在するからである(吉見[1994:93])。

この癒しの関係の実例を国内パソコン通信の女性専用会議室の中に見ていくこととする。この論文では、その会議室の発言記録を分析しながら、どのような「癒しの関係」であるのか、その構造を明らかにする。

ついでその構造を、米国のフェミニズム運動の一環であるコンシャスネス・レイジング・グループと比較して、なぜそれが癒しの関係であるのかを論じ、さらに、その関係を成立させているパソコン通信の特性を論じる。

2.対象

2.1概要

対象とするのは、国内大手パソコン通信ネットの中にある、女性専用会議室の記録である。会議室の名称については、著作権とプライバシーの保護の必要から、「Lフォーラム」と仮名で記載することにする。「Lフォーラム」は、一九八七年に創設され、テーマ毎にさらに十五の「部屋」に分かれている。その中から、女性の視点で社会を見ることをテーマにした「部屋」のテキストを採取して分析した。会議内容が本研究にもっともふさわしいと思えたからである。「部屋」の名前は、仮に「女性の社会観」としておこう。対象としたのは、一九九四年三月から、八月までの六カ月間に書き込まれた発言である。

次節以降で具体的なテキストを分析するが、前述のように著作権とプライバシーという問題がある。著者は「Lフォーラム」のシステム管理者と相談の上、発言の内容が必要な際には要約を載せることとし、直接の引用をしないことにした。

2.2分類

「女性の社会観」で多く話題に上ったトピックを取り上げて、分類し表にしたものが表1である(表 1)。まず内容によって性別役割、性、社会、家族、自分史の大項目に分類した。下位のトピックを小項目としてまとめ、メッセージ数の多い順に並べてある。それぞれの大項目中で1位の小項目は、「別姓結婚」、「同和問題」、「不妊」、「お墓」、「自分史」などである。

「別姓結婚」と「お墓」は、イエ制度の問題であり、「不妊症」も、「子を産めない妻の責任」を問うという形で「性別役割」の問題である。イエ制度と性別役割は、発言群全体の底流となっている。特に性別役割というキーワードは、会議室全体をカバーする。全体の文脈が、発言する女性にとって社会的な制約からの解放という機能を持っている。その中でも、発言者同士の相互作用が最も顕著な自分史を事例にとって考察することとしよう。

3.「癒しの関係」

3.1自分史を語る中から

女性のためのフォーラムが存在することは、「それらは性差の印を取り除くことによってコミュニケーションを脱―性化する。」(ポスター[1991:221])という、マーク・ポスターの言明に反して、パソコン通信上の人間関係も、ジェンダー論的に中立でないことを意味している。著者を含む男性も、会員になってフォーラムの記録を読むことはできるが、書き込みができるのは、男性用に開放されたふたつの「部屋」だけである。そのような性別役割からの解放を志向する場は、それだけで女性にとって治癒性をもつであろう。

 この節では、自分史が記述された記録を取り上げて、相互関係と、参加者の世界観の変化を分析する。その過程を通じて「女性の社会観」の持っている相互作用を、構造として明らかにする。

 事例として採り上げるのは、大項目「自分史」の中の「自分史A」である(図1)。

 ちなみに、以下の紹介中にある段落を下げた部分は、内容の要約であって直接の引用ではない。また、発言のリアリティを可能な限り再現するために、要約に際して直接話法をとったところもある。

 このコメントツリーの登場人物は7人である。登場する順番にAからGまでのアルファベットによる仮名をつけた。箇条書きにすると右の通りである。

 

A ライターを職業にしていることを発言中に記載している

B 属性不明

C 医師であると記載している。

D 別の「部屋」のボードオペレーター

E この「部屋」のボードオペレーター

F 属性不明

G 属性不明

H 属性不明

 

 ボード・オペレーターは、一般的に、参加者の発言に対して積極的に返事を書いたりして、「部屋」の雰囲気作りをする役である。この「部屋」のボード・オペレーターは、発言に対して積極的にコメントしている。それぞれの発言の内容を要約によって紹介し、相互作用の意味のまとまり毎に、コメント・ツリーを区切り、解釈を加える。

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・ #1から#3・・「共振する自分史」

#1 発言者A

 出生時入院ばかりしていたので、両親との関係が遠いような気がする。何かぎくしゃくとしたところから母親との関係が始まった。物心ついたときから冷たいといわれて、人に優しくしようとつとめた。外では優しいといわれるのだが、身近な人間には冷たいといわれる様になった。しかし、それは私をよく理解していないからだと考えていた。

 ところがある友人との関係が破綻することから、それは違っていたと思い出す。その友人は私にもっと感情をぶつけて甘えてほしかったのに、私はそうすることをしなかった。それは母親との関係でも同様だった。親を無視しようとしていた。育った過程はその人の人格に大きな影響を与えるので、私は人間関係がうまくやれない。

 私は他人と関わることを拒否していて、それは私の人生にとってあなたは重要な人物ではないと、多くの人に言ってきたようなものだ。

 私が離婚したときに両親と喧嘩をして、怒鳴った。両親は意外にも納得して帰った。私がなにを考えているかわからないよりも、怒った方が私を理解しやすいようだ。それからたくさん親を怒った。今はときどき母と旅行に行く。仲が良くなったのではない。お互いに母になりたいし子になりたい。そのための旅をしている。 Cさんも、養父母の方とどう関係を持とうか悩んでいるようだが、自分の感情をぶつけてみてはどうか。

 年かさの男性の友人から、誰かを頼ったほうがいいといわれた。私もわがままをいうようにする。 #2 発言者B

 #1に呼応して、Bが自分の歴史について書き込む。自分が、Aがいうところの友人の立場に立ったことがあるという話をする。 #3 発言者A #2をうけて、Aがもう一度自分史を語り直す。Bの過去の物語に触発されて、前述の友人に関する解釈を述べる。 #1 Aの発言は、このコメント・ツリー以前に書かれた、養父母との関係に悩むCの発言に触発され、自分の考えを述べるという形ではじまっている。

 #1から#3の間に、二人の人生の物語が共振する。さしだされた人生物語に対して、自分の物語を提出することで共振する。このような共振の関係が可能なのは、対等な関係が、前提であると同時に志向されているからである。

・ #4 発言者C・・「受容」

 Cがコメントを寄せる。ありのままの自分でいいというアドバイスをする。C個人が助力するのに力不足だとしても、「Lフォーラム」という場所が受け容れるという。  ありのままの自分を「Lフォーラム」という「関係の場」が受容するという記述が重要である。

個人的な意見としてのアドバイスがされ、受容と共感が提示される。いったん全面的に受容されることで、発言者Aにとっての「話し合い」の基盤が成立する。

・ #5から#12・・「問題の一般化」

#5 発言者D  Dは、Aの書き込みを読んで思い出した「漫画」の話をする。自分の子ども愛せないで殺してしまった母親の話である。姉の死によって長女になり、甘えたい気持ちを抑えて暮らすようになったというDの自分史を語る。 ・#6から#12

#5からの連想で、萩尾望都の『イグアナの娘』(萩尾[1994])における母と娘のテーマについて話が始まる。

 『イグアナの娘』は、妹をのぞいて、互いがイグアナに見える母と姉の物語である。イグアナに見える娘は成績も良く一流大学を卒業するが、母の愛情を得ることができず、自分を愛することもできない。突然母が死に、姉は母親の死に顔を見て愕然とする。その顔は紛れもないイグアナであった、という寓話である。同じものを持つ母と娘がその共通性故に互いを素直に愛せないという物語である。  この物語から転じて、長女の役割の固定について一般論的な議論がされる。「漫画の主題」や一般的な母娘関係を話題にすることで、A個人の問題だけでなく、他人が共有可能な問題であることが示される。

 また、「ずっといいたかった話」といって、Dは自分史を始めている。パソコン通信以外の場でいいたいことをいう場がない、もしくは少ないということを意味している。

・ #13 - #16・・「気分を変える」

 違う話題に変えて一息いれるというたぐいの会話が続く。

・ #17 - #19・・「自己観の変化」  ここではAの自己観の変化が見られる。「イグアナの娘」の解釈をめぐる話し合いの中で、Aは自分も「イグアナの娘」であったと気づいた。  ある類型に当てはめることで、自分を客観視することが可能になる。自分を客観的にとらえて、変化を求めようと思い始める。

 #1の自分史は、母親との関係を自分で変えることのできない出生時の状態、すなわち所与の条件と結びつけている。そこには自分で作った諦念がある。しかし、繰り返し自分史を語ることと、他の発言者との相互作用の中で、変化の可能性を示唆するような発想に変わっている。

 この変化は、自分史を書き、自分の人生を再解釈する中で起こっている。「物語とは、世界内の出来事を意味のある、それゆえ理解し納得できるものへと変換する装置であり、人間が世界を体験する枠組みである」(桜井[1995:235])からである。

・ #20から#25・・個人の問題から女の問題へ

#21 発言者A  

女たちの「男社会」に対する憎しみの感情を共有できない。それが友人と母を拒む原因になっている。 #21 発言者E

 Aの語る不安定さに共感を示し、Eも女としての感情を抱えながら「他者の共感を引き出すことで自分を安定させている」という。 #22 発言者A  個人的問題の社会性を訴える。個人的なことを社会的なコーナーに書いていいのかと思うが、社会的な問題として考えている。女の社会学としての母との関係性を語っている。 #23 発言者E  Eは、Aのかたる母と娘の問題に共感し、自分の問題と重ね合わせて考える。母と娘という柔らかな檻の中に自分もとらわれているので、一緒にもがくのを許してほしい。 #24 A 引き続き「母と私」。部分的に母を受容する発言がされる。 #25 E 父母と自分の関係を再び語る。  この発言群はAとEとの対話のようになっている。

 最初は、個人の問題として語られていた悩みが、男性社会の規範を内在化することへの反感や、自分の人生を語ることの社会性といったより一般的で構造的な問題へ変わっていく。

 Aは、「女の問題一般」をかたり出す。母や、かつての友人が女としてもっていた問題に今となっては気づきながら、簡単に同調はできないと考える。Aは、個人の問題が社会的な課題であって、その文脈で会議室に書き込んでいることを述べる。

・ #26から#29・・「他者観の変化」

#26 発言者C・・「養父母に対する見方の変化」

 前述のように、Cの人生にも変化があった。関係が上手くいかなかった養父母が自分の娘の面倒をとても良くみてくれたことに気づき、養父母を受け入れることができるようになった。

#27 発言者E

 養父母との関係に悩むCへの励まし。

#28 発言者C

 養父母に対して素直になれるようになった。

#29 発言者A・・「自分を愛している他者について語る」

 両親とはうまくいかないけれど、私には、私を愛している兄弟がいる。義姉ともとても仲がよく、細やかな配慮をしてくれている。

母への見方が変わり、受け入れ始める。心配してくれたCへの感謝を語る。母親が離婚するということがあった。

離婚した母と電話で話したら、何となく弱気な様子で、私に聞いて欲しいことがたくさんあるようだった。母に優しい声をかけることができた自分にほっとした。父や社会との関係で鬼になっていた母が、普通の人間になるときに、私もイグアナに戻らなくなる。父や母が落ち着くまでまだ何年かかかるでしょう。でも、フォーラムにたまっているものを出したので、ずいぶん楽になりました。Cさんへ、はげましありがとう。とても勇気がでます。本当にありがとう。

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 共振・共感体験、自分史を語ることの作用、個人の問題の社会性や構造性等の発見などによって、自分の性格の問題として自分史を語り始めたAの「母親解釈」は、変化を見せる。

 最初の発言の際には自分の状況について全く絶望していたが、#29の中では、自分を愛し味方してくれる家族について書くようになった。母親にたいする理解も変化し、寛容さを示している。そして、最後に感謝の言葉を述べている。

発言の相互作用がAに大きな心理的影響を与えているといえる。対面の人間関係から自立した関係の場であるが、その発言者の全人格に対して大きな影響を与えているといえる。

このコメント・ツリーはAが発題をしていることもあって、Aを中心に解釈したが、共振し、共感する関係であることは、他の参加者にとっても心理的影響を受ける関係だということである。発言者Cは、このコメント・ツリーのなかで、「養父母との関係をとらえ直すことができた」といっているし、また、Dは、「ずっといいたかった話」をすることができた

4.どのような癒しか?

 本論文の中で「癒しの関係」と呼んできたものを、改めて定義するならば、「共振共感関係の成立から、問題の一般化へ、そして自己観・他者観の変化というプロセスの中で、自己と他者・世界との関係が修復される」ということが行われる関係であるということである。

それが癒しであることを証明するものとして、まず、 Aの最後の発言において明言されているような、発言者自身の主観的な感動の表明をあげることができるだろう。

ついで、このような構造を持った相互作用が、一般的な治癒性を持つことについては、コンシャスネス・レイジング・グループの研究に、その先例を見いだすことができる。

4.1コンシャスネス・レイジング・グループ

 コンシャスネス・レイジングという、フェミニズムに基づくグループ活動(Consciousness Raising Groups 以下CRG)は、米国で起こった。一九六〇年代末のことである。CRGのグループは、上下関係のない女性グループのなかで自分の体験を自由に話し合うことで、互いに受け入れ合い、個人的体験を社会的なものとして捉えなおそうとするものである。そのような試みがあった背景には、女性にとって、自由に本質的なことを語り合う場がなかったからだとされている。

 そのグループダイナミックスの過程をカーシュはアレンの研究をもとに四つの段階に分けて紹介している(Kirsh[1974:344])。

(1)オープニングアップ・・自分の個人的な体験を語る。

(2)シェアリング・・個人的な問題が女性全体のものという認識になる

(3)アナライジング・・社会のなかでの女性の地位という問題に広がる。

(4)アブストラクティング・・現行の社会秩序、慣習の問題を考える。

このようなグループに参加することによって、社会観、女性観の変化、自己観の変化、母親観の変化C連帯感、コミュニティ感覚の発生ということが起こると述べている。

これらのことからカーシュは、CRGが、伝統的な心理セラピーにとって替わりうるもの、すなわちある治癒性を持つものだと結論づけている。

ここで述べられている相互作用、世界観の変化のプロセスは、「女性の社会観」のテキストの中に見いだしたものと酷似している。このことは、「女性の社会観」の癒しの関係の構造が、主観的な感動としてたまたま言明されたものにとどまらず、構造として一般性を持つということを示す。

4.1パソコン通信の特性と癒し

パソコン通信の中で前記の関係が成り立つには、そのメディアとしての特性に依存するところが大きい。その特性は以下のようである。

会話の場の成立

会話をするという当たり前のことがだれにとっても保証されているわけではない。転勤で知らない土地に引っ越して話し相手がいないとか、幼児の世話で忙しく一日中大人とまともな会話をする機会がないという発言を「Lフォーラム」の中に散見する。「話す場を作る」ということがCRGの出発点のひとつであったように、パソコン通信によって、時空を越えて話し合える女性のための場が存在しうるようになった。

対等な関係

・ パソコン通信では、社会的地位や世間体という拘束力から解放されることが可能であることは、以前から指摘されている(川上[1993:135])。それは参加者同士の対等性を保証する。このことが自然に、リーダーをおかないCRGの思想と共通する状態を生んだ。

「まなざし」からの解放

 容姿は人間のコミュニケーションに決定的な影響を与えている。それは人間関係における支配的な記号である。男性中心の文化価値によって容姿に拘束される女性にとっては、容姿の問題は深い。ある女性は、自分が容姿に自信がないことを表明し、鬱と不安神経症の中で自殺未遂をくり返す心の痛みの中で、いいたいことがいえるのはパソコン通信だけだと述べている。「まなざしの地獄」からの解放である。(見田[1979:29])

 この点でもCRGとの一致が見られる。

男性中心文化によってしいられた女性同士の競争やレッテル(セクシー、かわいい、ブス、ブロンド、デブ)は常に彼女たちの中にあって、しばしばCRGのグループは、それらにとらわれず、女性同士が親密に協同する初めての機会である。(Kirsh[1974:347] 田村訳)

もう一人のわたしになる

 自己・他者に関する物語は、発言者Cが自分の出生と結びつけるほど自明なものに思える。その強固な物語を組み立て直すためには、「もう一人の自分」の存在が必要である。たとえば、巷間行われている心理療法や宗教的意識変容においては、身体感覚を真実なものととらえることによってもう一人の自分を創出し、そのメッセージを聞くという方法が採られている、と久木元真吾は分析する(久木元[1996:184])。

ひるがえって、パソコン通信は、ID番号とハンドル名をつけるという行為によって、もう一人の自分を創作するという行為である。

大澤真幸の言うように、「自他の関係と自身の同一性を総体としてメディア上に移すことは、「こちらの世界」における自己及び他者の実在性が希薄化することを肯定することに媒介されていただろう。」(大澤[1995:58])そのように「こちらの世界」における実在性を一旦希薄化しなければ、自己観・他者観の変革というような、自らの立つ地面を掘り返すような作業は可能にならない。

秘匿性と解放性

 匿名性を持つと同時に、世界に向かって開いているというパソコン通信には、秘匿性と開放性が共存しているといえる。

そこでは、秘密事項の反転が起こりうる。対面のコミュニケーションでは、常識的な共有事項である本名や住所が最大の秘密となり、逆に、通常語られることのない個人の内面が深く語られることになる

5.まとめ

 

女性専用会議室の発言記録を分析することによって、対面ではない関係の中にも、「癒しの関係」といえるような相互関係が存在することがわかった。それは、対面の関係であるCRGと同様な構造を持ち、同様な心理的効果を持っているといえる。

 しかも、そのことが成立するのは、前記したようなパソコン通信の特性に依存してのことである。そのメディアとしての特性は、他の会議室と変換があるわけではない。むしろ、匿名性や非対面性が、「一、問題」で述べたように、コミュニケーションの阻害要因となるばいもある。本論文で述べたケースの場合は、制限されたメディアが、それ故に人間の文化的実践の中である役割を果たしたケースといえる。

参考文献

*ホームページ上の文献の表記に関してはThe APA Style Manualに準拠。凡例は下記の通り。

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桜井 厚 1995 「性の多元性とかたりの位相」 中野卓、桜井厚[1985]

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プラース,D.W. 井上俊・杉野目康子訳 1985 『日本人の生き方:現代における成熟のドラマ』 岩波書店。

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吉田敦也 (No date) ”癒しのサイバースペース”, [Online] Available:[http://www-cabe.dj.kit.ac.jp/krp1120/index.html][Dec. 1996].