スペースシャトルの誤算



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1981年4月12日スペースシャトル1号機「コロンビア号」は全世界が注目している中、アポロやスカイラブの打ち上げに使われたた39番A発射台から華々しく打ち上げられた。最後のアポロ宇宙船がソユーズとのドッキングに向けて打ち上げられて以来実に6年振りの有人宇宙飛行再開の瞬間でもあった。この6年間有人宇宙飛行の分野はソ連の独壇場であった。このためアメリカは宇宙での威信回復をこのコロンビア号にたくしていた。
しかしこの打ち上げは単なる有人宇宙飛行再開だけでなくこれからの宇宙開発の新たな幕開けであると多くの人たちがが感じていた。
スペースシャトルはいまさら言うもでもない事だが、それまでの一回使い捨てのロケットと違い何度も再使用できる世界初の宇宙機である。そのため一回あたりの打ち上げコストは従来のロケットに比べ大幅に下がるものと考えられていた。
数年後には年間60回の打ち上げを行い、いずれは一般人の宇宙観光の日が来ると考えられていた。


この宇宙開発の革命的出来事を各国はどのように見ていたのであろう?

まず、アメリカの最大のライバルソ連。実はコロンビア号が打ち上げられた4月12日はソ連にとっては非常に大事な日であった。しかもこの年は例年以上に重要な日であった。ちょうど20年前のこの日、ソ連は人類初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンを乗せたウォストーク1号を打ち上げたのである。ソ連はこの日を「宇宙飛行士の日」とし、20周年に当たるこの日に大々的な記念キャンペーンや集会が行われる事となっていた。
別にアメリカはこの日を狙って打ち上げたわけではなかった。さまざまなトラブルで打ち上げが延期された結果偶然に打ち上げ日が重なっただけである。しかしソ連にしてみればアメリカの挑戦と映ったことには間違いない。
ソ連はアメリカのスペースシャトルに非常に神経をとがらせていた。ソ連国営タス通信がコロンビアの着陸の報道を着陸後わずか45分の異例の早さで伝えたのは何よりの証拠でもある。
あるアメリカのスペースシャトル関係者は「ソ連が宇宙連絡船の開発に全く熱意を燃やさず、宇宙滞在記録だけに固執している時、我々は長年の検討を加えて、宇宙連絡船こそ宇宙開発を征する道だと固く信じてきた。」と述べている。
これに対してソ連はスペースシャトル方式よりも、ソ連式の宇宙ステーションに長期滞在する方が、経済的に有利であると強調した。
また当時アメリカはソ連がシャトルと同じ性能、大きさの宇宙船を開発するには10年以上はかかるであろうと考えていた。実際にソ連がブランを飛ばしたのは7年後の1988年11月15日であった。

中国は新華社通信でスペースシャトルを「航天飛機」と名付けるとともに「シャトルの打ち上げは米ソ両国の競争激化の象徴」とシャトル軍事利用化を非難した。

一方西側陣営の一員であるフランスはソ連や中国とは違う意味でコロンビア号の打ち上げを脅威と受け止めていた。フランスは他のヨーロッパ諸国と共同で開発したアリアンロケットで宇宙市場への割り込みをねらっていた。もしシャトル計画が順調にいってアメリカの言うとおり打ち上げコストが大幅に下がれば使い捨てのアリアンロケットではとても太刀打ちできなくなってしまうからである。

アメリカに対して軍事的、商業的対立の無かった日本はこれらの国々とは大きく異なっていた。新聞各紙はコロンビア号の打ち上げを一面トップ記事として大きく報道した。内容は至って好意的なものばかりであり著名人のコメント等を取り上げて宇宙開発の輝かしき幕開けを伝えていた。


このように世界から注目されたスペースシャトルは本当に宇宙開発の革命児となり得たのであろうか?その答えは初飛行から20年近くたった現在の状況を見れば一目瞭然である。
スペースシャトルの打ち上げコストは従来のロケットに比べ1/2〜1/3くらいになると言うのが当時のNASAのうたい文句であった。しかしこれは年間50回以上打ち上げることが前提の計算であった。年間50回と言うことは1週間に1回のペースでの打ち上げである。NASAはスペースシャトルを4機体制で打ち上げを行う計画であったため1機のシャトルは1ヶ月に1回の打ち上げとなる。
下のグラフは80年代前半に予想された1989〜2000年までのスペースシャトルの年毎の打ち上げ予想及び実際の打ち上げ実績を示したものである。実際の打ち上げは最小な予想の一割程度しかいっていない。

1980年代初頭のシャトルの打ち上げ予想と実際の打ち上げ実績

NASAの当初の計画はあまりにも甘いものであった。初飛行を終えたコロンビア号の整備をはじめたときにすでにNASAは気がついていた。耐熱タイルの損傷が想像以上に大きかったのである。このときコロンビアはたった1回の飛行にもかかわらず全体の5%の耐熱タイルの交換を行っている。その他にもメインエンジンの点検・整備に手間取ったりと実際に運用してみると予想以上に機体の整備は困難なものであると言うことがわかった。
また固体ロケットブースターも回収や新品以上に必要とされる点検・整備の手間により再利用してもコストはほとんど下がらなかった。
それでもNASAはスペースシャトルの実用化を何とか軌道に乗せようとがんばっていた。そこに追い討ちをかけたのが宇宙開発史上最悪の惨事となったチャレンジャー事故であった。


シャトルが初飛行に成功して5年が経過した1986年、宇宙飛行はすっかり日常化していた。宇宙開発が危険といつも背中合わせであるという事を人々が忘れかけていた頃悲劇は起こった。
シャトルは25回目の飛行が行われようとしていた。シャトルの飛行は初回をピークに人々の関心は薄らいでいていた。日本の新聞は申し訳程度に打ち上げや帰還の記事を載せる位にまでなっていた。しかしこの25回目の飛行は珍しく注目を集めていた。乗員の中に初の民間人、女性高校教師クリスタ・マコーリフが含まれていたからである。彼女は軌道上から「宇宙授業」を行う予定であった。これは当時の大統領レーガンが日常化して陰が薄くなってきたシャトルの関心を再び取り戻そうとした国民に対するひとつの政治的ショーであった。しかしこのショーが悲劇の元となるのである。

1986年1月28日、スペースシャトル「チャレンジャー号」は39番B発射台で発射の瞬間を待っていた。この発射台を使うのはアポロ-ソユーズ計画で最後のアポロ宇宙船が打ち上げられて以来でシャトルとしては初めてであった。この日はフロリダをおそった寒波の為に凍るような寒い日であった。ロックウェル社の技師はシャトルについたツララを心配してNASAに発射延期を要請した。しかしNASAは問題なしと判断して発射を強行したのだった。そしてチャレンジャー号は打ち上げられた。飛行は順調に見えた。それまでのシャトルの打ち上げとは何ら変わるようには見えなかった。そして打ち上げ後72秒、突然事態は変わった。爆発したのである。それを見ていた人々は誰もが今見ている事がどういう事かすぐには理解できなかった事であろう。宇宙開発史上最悪の瞬間であった。
その後事故の詳細な調査が行われて原因が究明された。直接的な原因は固体ロケットブースター(SRB)であった。シャトルのSRBはいくつかのセグメントをつないで作られている。そのつなぎ目にゴム製のオーリングと呼ばれるもので密着させている。そのゴムが寒波による異常低温で弾性を失い内部の圧力をシールド出来なくなりそこから炎が漏れ、その炎によって外部燃料タンクが爆発したのだった。

この事故はSRBの設計ミスが原因であったがそのミスを見抜けなかったNASAに原因があった。しかし何よりもシャトルにツララが垂れ下がっている異常低温のなか打ち上げを判断した事は大いに疑問が持たれる部分だ。なぜNASAはロックウェル社の技師の忠告を無視して打ち上げを強行したのであろうか?
チャレンジャー号は当初1月20日に打ち上げが計画されていた。しかしその前のコロンビア号が技術的トラブルで打ち上げが遅れたため5日後の1月25日に延期されていた。さらにこの打ち上げも天候悪化の理由ですでに3日遅れになっていた。この程度の遅れはそう珍しくない。しかしNASAは打ち上げを急がなければならない理由があり強行したという疑いが持たれている。
その理由は毎年1月下旬に行われるアメリカ大統領の一般教書演説である。レーガン大統領のこの演説の原稿に民間人の乗ったチャレンジャー号の打ち上げがすでに書かれていたのであった。ホワイトハウスは大統領の演説前にチャレンジャー号を打ち上げる様にとNASAに圧力をかけたというのである。もしそれが本当であればこのチャレンジャー号の悲劇はつまらない政治的ショーによって引き起こされたことになるのだ。
洋の東西を問わず宇宙開発に政治が絡むとろくな結果にならないものである。


チャレンジャー号の事故を受けスペースシャトル計画は大幅に見直される事となった。中でも商業利用からの完全撤退はスペースシャトルの存在そのものを根本から揺るがすものとなった。残されたミッションはNASA独自の科学衛星の放出や有人科学実験など限られたものだけとなった。それらのミッションもわざわざスペースシャトルを使わなくてもできるものが数多くあった。極端な話、NASAはスペースシャトルの運用を続ける目的だけにミッションを考え出して打ち上げていたという本末転倒的な状況であった。


スペースシャトル計画の誤算はどこに原因があったのであろう?
ひとつ考えられる事はコンセプトが曖昧であったという事だ。何度も使えコストがかからない宇宙機でNASAは有人飛行をやりたかったのか、それとも人工衛星を打ち上げたかったのかよく分からない。
もし有人飛行を行いたければ以前ヨーロッパが開発していたエルメスのような小型シャトルの方がよいのではないだろうか。また人工衛星を安く打ち上げたければ無人にすべきだったのではないだろうか?
有人飛行(=高信頼性)と低コスト化の両立は大変難しい。恐らくスペースシャトルはNASAの有人飛行願望から生まれたミスコンセプトの宇宙機ではないのだろうか?その反省からスペースシャトルの次世代機として計画されているものは無人機となっている(必要に応じて有人モジュールを荷物として運ぶ)。


結局スペースシャトル計画の失敗で笑った者はフランスであった。フランスはスペースシャトルの商業利用完全撤退を受けてアリアンロケットでの衛星打ち上げを大量に獲得した。
アメリカは従来の使い捨てロケットを放棄していたために顧客がすべてアリアンへ流れたためだ。その後アメリカも使い捨てロケットを復活させたがすでに市場はアリアンに握られていた。

一方ソ連はアメリカに負けじと同サイズ、同性能のスペースシャトル「ブラン」を作って初飛行までこぎつけたもののソ連邦の崩壊で計画が中止になった。ブランの巨額な開発費がソ連邦の崩壊を早めたとも言われている。
ソ連にもっとしっかりしたポリシーがあれば結果は変わっていたかもしれない。


人工衛星の大型化と市場の急速な伸び、1990年代初頭の宇宙ステーション完成等NASAの甘い将来予想、実際に運行してみて分かった整備の複雑さによるコスト増、そしてまさかのチャレンジャー爆発事故。これらの結果、スペースシャトルの現実は当初の計画とまったく違った形となってしまった。
しかしながらそのポテンシャルは依然高いままと言う事も事実である。国際宇宙ステーションが本格的に始動した今、スペースシャトルはその能力をやっと出せる環境になってきた。
はたして今後のスペースシャトルの行方はどうなるのであろうか...。
(第1版 2000/8/30)


参考文献
「読売新聞」
「産経新聞」
「スペース・イラストレイテッド1982年8月号」(ワールドフォトプレス)
「メカニックマガジン1986年4月号」(ワールドフォトプレス)

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