宇宙開発史雑記帖は特集にまでなれない話題、思いついたこと、とりとめのないひとりごと等、
私 桜木が思いつきでつづるコーナーです。


日本宇宙開発史(その4) 〜 Qロケットは国産ロケット!? 〜
日本の宇宙開発史、とりわけロケット開発史を見てみると幻に終わったQロケットの存在が出てくる。このQロケットに関しては情報がほとんどなく、あっても数行、良くて1頁程度で簡単に述べられているにすぎない。さらにその内容はだいたい同じで以下のような内容である。

「当初日本は実用衛星打ち上げように固体ロケットベースのNロケットを開発しようとしたがそれまでの技術からあまりにも飛躍しすぎたロケットとなるため一回り小さいQロケットを開発する事にした。しかし諸々の事情で自力開発のQ,Nロケットは断念、代わってアメリカからの技術導入による液体ロケットベースの新Nロケットを開発することになった…。」

と、言う内容である。
つまりもっと簡単に言えば日本(NASDA)のロケット開発は自力開発からアメリカの技術導入に変わったと言う内容である。
私もずっとそう思い続けていた。が、しかしQロケットについて調べていくうちにこの内容に疑問を持つようになってきたのだ。

もともとQロケットは三菱重工、日産自動車、石川島播磨重工、日本電気、三菱電機、東芝、日立が中心に開発を行っていた。
各社の役割分担は1,2段の固体ロケットが日産自動車、3段の液体ロケットと4段の固体ロケットを三菱重工、誘導制御を日本電気、制御のためのサイドジェットを石川島播磨重工、そして全体のとりまとめを三菱重工が中心となって開発することになっていた。
しかし開発が進むにつれていろいろと問題が出てきた。それまでのロケットは東大が開発した無誘導の小型ロケットで誘導制御のQロケットの開発は全くの手探り状態であった。そのためQロケットの開発は当初の予定よりも大幅に遅れをきたしていた。
しかし国からの要求は厳しいものでこのままでは開発スケジュールには到底間に合いそうにもなかった。 そこで各担当企業は米国へ触手を伸ばし始めていた。

まず三菱重工はアポロ計画でシステムデザインを担当したTRW社と合弁企業三菱TRWを作りTRW社の技術指導を受けQロケット全体のシステムデザインを行うことにした。
また液体ロケットの開発に関しても三菱重工はマクダネル・ダグラス社との技術提携をする事に決めた。
一方固体ロケット担当の日産自動車もエアロジェット・ゼネラル社との技術提携をする事をになっていた。
さらに誘導制御担当の日本電気はハネウエル社と合弁企業NECハネウエルを設立しハネウエル社からの誘導制御技術を導入する準備を進めていた。またヒューズ社とも接触を行っていた。
そのほかにも東芝、石川島播磨重工は三井物産と共にマーチン社やゼネラル・エレクトリック社との合弁企業の設立を検討していた。
さらに先の話になるがQロケットでは出足が遅れ乗り遅れた川崎重工はロッキード社と組んでNロケットに割り込もうとしていた。

こうしてみるとQロケットは仮に実現したとしても自力開発ロケットどころではなくキーテクノロジーはすべて米国に握られているロケットとなっていたと思われる。

結局Qロケットは行き詰まり計画は中止になった。代わってソー・デルタロケットの液体ロケットをベースとした新Nロケットに仕切り直された。

この方針大転換には当初関係者の間には大きな反発もあった。しかし今になって振り返るとキーテクノロジーを握られた低性能ロケットで回り道をするよりも新N計画で大型液体ロケット技術の習得が出来たことは正しい決断であったと言えよう。
もしあのときQロケットをそのまま進めていれば日本の宇宙開発は10年以上遅れていたのではないだろうか。この決断は日本の宇宙開発史にとって大きな分岐点となる出来事であった。

(2003/3/30)


日本宇宙開発史(その3) 〜 NASDA衛星打上げ計画 〜
今回はNASDAの衛星打上げ計画についてまとめてみる。
といってもこれからの打上げ計画ではなく過去の打上げ計画を振り返って見て検証してみようと言うものである。

良く知られているようにNASDAは当初、固体ロケットベースのQロケット、それをもとに発展させたNロケット(旧N)を開発する予定であったが、途中アメリカからの技術導入で液体ロケットベースで新Nロケットの開発を行う事に方針転換した。
その正式決定は昭和45年10月1日であった。
今回はその1年前の昭和44年10月と新N計画決定直後、及び実際の打上げ記録の3つをまとめてみた。

昭和44年10月時点での打上計画
  目的 重量(kg) 軌道 傾斜角 打上ロケット 打上年度
1号 Qロケットによる電離層観測衛星打上予備実験 85以下 1000km円軌道 30° 47
電離層観測衛星 電離層の臨界周波数の世界的分布、電波雑音源の世界的分布等の観測 85以下 1000km円軌道 70° 47
2号 衛星の姿勢制御実験ならびに通信衛星用、航行衛星用または気象衛星用の機器機能試験 85以下 1000km円軌道 30° 48
3号 同期衛星打上、姿勢制御、軌道変換、軌道修正実験 未定 同期軌道 30° 48
4号 静止衛星打上実験 未定(20〜50?) 静止軌道 48
実験用静止通信衛星 準ミリ波、ミリ波帯の周波数を用いた通信実験および通信衛星の性能改良に関する実験 100 静止軌道 旧N 49


昭和45年10月時点での打上計画
  目的 重量(kg) 軌道 傾斜角 打上ロケット 打上年度
技術試験衛星T型 ロケット打上技術の確認、衛星追跡管制技術の習得、伸展アンテナ伸展実験等 約85 1000km円軌道 30° 50
電離層観測衛星 電離層の臨界周波数の世界的分布、電波雑音源の世界的分布等の観測 約85 1000km円軌道 70° 50
技術試験衛星U型 静止衛星打上技術の習得、静止衛星姿勢制御試験等 約100 同期軌道 30° 51
実験用静止通信衛星 準ミリ波、ミリ波帯の周波数を用いた通信実験、姿勢制御技術の確立等 約100 静止軌道 52


実績
  目的 重量(kg) 軌道 傾斜角 打上ロケット 打上年月日
技術試験衛星T型 打上げ技術、衛星の機能試験等 82 982km/1106km 47° S50.9.9
電離層観測衛星 短波通信のための電離層の観測 139 999km/1018km 70° S51.2.29
技術試験衛星U型 静止衛星打上げ試験等 130 静止軌道 S52.2.23
電離層観測衛星 短波通信のための電離層の観測 141 981km/1228km 70° S53.2.16
実験用静止通信衛星 準ミリ波、ミリ波帯の周波数を用いた通信実験 130 静止軌道* S54.2.6
実験用静止通信衛星 準ミリ波、ミリ波帯の周波数を用いた通信実験 130 静止軌道* S55.2.22
*:軌道投入失敗

これを見るとNASDAの初期の衛星計画が当初から次のものであったことがわかる。
 1.衛星打上げ、追跡管制技術習得のための試験衛星
 2.電離層観測衛星
 3.静止衛星
 4.準ミリ波/ミリ波帯を用いた実験静止衛星
この4つの衛星が当面の目標であったようである。
Q・N計画の頃は静止衛星の打上げ前段階として同期軌道の打上げも検討されていたようだが、新Nに変わってからは一挙に静止衛星打上げに変わっている。
またQロケットでの静止衛星打上げ計画があったのは興味深い。
Qロケットでの静止衛星は重量が未定となっていたが打上げ能力から見ると20〜50kgであろう。
20〜50kgとずいぶん幅があるのは参考資料によってまちまちなのだ。Qロケット自体開発中であり打上げスペックが定まっていなかったのであろう。

また衛星重量の推移も興味深いものがある。
Qロケットの1000km円軌道の打上げ能力は85kg以下であったのに対し、新Nロケットが140kg前後である。
電離層観測衛星は新Nロケットの能力の約140kgに変更されているのに対し、技術試験衛星T型はQロケットの計画のままの82kgである。
これはQロケットで打上げることを前提にすでに設計が進んでいたためである。
このためNロケット1号機は重りを載せて打上げられた。

電離層観測衛星が2機打ち上げられたのは、1機目がバッテリーの故障で1ヶ月しか機能しなかったためであり予備機が打上げられたためである。

(2002/10/4)


日本宇宙開発史(その2) 〜 LSロケット 〜
前回の日本宇宙開発史(その1.1)で冗談半分に「LS-Bは何処へいった!?」と書いたが、資料を調べてみると存在した事がわかった。
今回はせっかくなのでLSロケットについて簡単にまとめてみた。

戦後の日本のロケット開発は文部省下の東大が固体ロケットを開発していたが科学技術庁でもロケット開発の必要性を認識し始め、まずは台風の観測を行う気象観測ロケットの開発を検討し始めた。
このロケットは台風の発生場所に打ち込んで台風のメカニズムを観測しようと言うもので、また何らかのエネルギーを台風に与え台風の進路を制御しようなどというすごい考えもあったようだ。
それとは別に科学技術庁は日本でも宇宙開発の実利用を目指しロケット開発を行う事が国の方針として決まった。(1963年、宇宙開発審議会を設立。1964年、科学技術庁に宇宙開発推進本部を設立。)
これを受けて当初気象観測ロケットとして検討されていたロケットが液体ロケットの開発という目的に変更され開発されたのがLSロケットである。
このLSロケットは液体(Liquid)固体(Solid)の意味である。

LS−Aはその最初のロケットで固体のブースター(1段)と液体のサステナー(2段)で構成されている。
ブースターは東大が開発した物で、2段目の液体ロケットが科学技術庁の開発したものであった。
この液体ロケットは燃料にケロシン、酸化剤に硝酸が使われていた。この組み合わせはあまり効率の良いものではないが、どちらも常温で扱え、毒性も無く比較的取り扱いが簡単なために選ばれたようである。
面白いのは機体の構造である。通常のロケットは燃料タンク、酸化剤タンクが縦に並んでいるが、このLS−Aの2段目は中央に圧縮窒素、そのまわりにケロシン、硝酸タンクがちょうど輪切りにしたタマネギのように同心円状に構成されていた言う。
このLS−Aの1号機(LS-Aサステーナ)は1段の固体ロケットの手配が東大側との交渉に手間取り間に合わなかったため2段目のみで打上げられた。
もちろんそのままでは推力不足で打上げる事ができないために燃料を少なくし全体の重量を減らして打上げた。
しかし打上げ直後に風にあおられ姿勢を崩し墜落してしまい1号機は失敗に終わった。
その後3回打上(LS-A1,2,3)げられたがすべて成功している。

で、次がLS−Bロケットであるが、これはNASDAのHPの打上げ実績を見ても載っていない。はて?と思っていたのだがちゃんと存在した。
但しこのロケットは地上試験用で実際に飛ぶ事は無かった。
このLS−Bは次のLS−Cの2段目そのものだったようである。

LS−CはそれまでのLS−Aの改良型と言うよりは新規設計のロケットのようである。
以下にLS−A,B,Cを簡単にまとめてみた。

  LS-A LS-B LS-C
全長(mm) 7,553 7,600 10,300
最大直径(mm) 350 520 600
重量(kg) 765 1434 2338
1段 固体 液体: 硝酸/UDMH 固体
推力(kg) 6,000 3,500 15,500
比推力(s) 10 50 10.16
2段 液体: 硝酸/ケロシン 液体: 硝酸/UDMH(前期) NTO/A−50(後期)
推力(kg) 1,000 3,500
比推力(s) 25 38.9
その他   地上試験のみ 試験の度に細かな変更を施している

打上げ実績一覧はNASDAのHPにあるので参考にして下さい。

LSロケットについてはまだまだ資料不足で今回はここまでしかまとめる事ができないが、今後もNASDAのロケット開発史を継続して調べていこうと思います。

(2002/7/10)


日本宇宙開発史(その1.1) 〜 LE-1,2 もう一つの仮説 〜
LE-1,2について前回(その1)、LE-1はLS-Cで、LE-2はQロケット3段ではないかと書いたが、もう一つの可能性を思いついた。
実はNASDAの最初の液体ロケットはLS-CロケットではなくLS-Aロケットであった。
で、このLS-AとLS-Cは何が違うのかと言うと液体ロケットの燃料だ。
LS-Aに使われていた液体燃料はケロシンでLS-Cに使われていたはヒドラジンであった。
つまりLS-Aに搭載されたエンジンがLE-1でLS-Cに搭載されたエンジンがLE-2だったのではないかという仮説である。

…ここへきて新たな疑問。LS-Bは何処へいった!?(笑)

(2002/6/26)

日本宇宙開発史(その1)  〜「1」「2」「4」「6」は何処へいった!?〜
宇宙開発事業団(NASDA)の開発した液体燃料ロケットはN-1ロケット2段のLE-3エンジン、H-1ロケット2段のLE-5エンジン、そしてH-2ロケット1段のLE-7エンジンとなっている。
さて、ここで疑問に思うのは欠番となっているLE-1,2,4,6は存在したのか?ということである。
結論から言えば、私の調べた範囲では「LE-4とLE-6は存在した」のである。

まず、LE-4から。
これは私が過去の新聞記事を調べていたときに偶然見つけた。
日経新聞(昭和50年4月5日(夕刊))の記事中にLE-4エンジンのことが載っていた。
記事によればLE-4はLE-3の改良型であり、N改1ロケットの2段エンジンの候補と書かれてある。
このN改1ロケットというのは後のN-2ロケットのことである。
ここでちょっとだけ当時の日本のロケット開発について触れておくと、150kgの静止衛星打上げ能力のNロケット(後にN-1と改名)の次に350kgの打上げ能力のN改1(後にN-2)、その後に550kgの打上げ能力のN改2(後にH-1)という順で開発をお行うという青写真が出来ていた。
青写真によるとN改1はNロケットの部分改良による性能向上、N改2は2段目を液水液酸高性能ロケットに置き換えると言う大まかな方向づけはあったようである。
つまりLE-4はN改1(N-2)ロケットに搭載するためにLE-3の改良版として開発が行われていたようである。
実際のN-2ロケットの2段エンジンはアメリカから輸入したAJ10-118FJエンジンを使用したためLE-4は日の目を見なかった。
なぜLE-4が使われなかったのかはわからない。性能的の問題なのか政治的な問題なのかどちらかであろう。
ただ、LE-4の性能がどんなものであったかはわからないがLE-3の部分改良だとするとLE-3に比べ劇的な性能差はなかったと考えられる。
ここでLE-3とAJ10-118FJの性能を比較してみる。
LE-3:推力5.4t/比推力285s
AJ10-118FJ:推力4.36t/比推力315s
である。上段ロケットは比推力が重要なファクターとなる。LE-3はAJ10-118Fと比較すると-30s、90%である。
LE-3の部分改良版のLE-4でこの差は逆転するのはかなり困難であったと考えられる。
恐らくN-2を開発するにあたり当初の目標性能を出すためには国産エンジンをあきらめざるを得なかったのかもしれない。

次にLE-6。
これはちゃんとした資料は無いが、3段用に液水液酸エンジンとして開発されていたという話しを聞いたことがある。
それ以上の詳しい情報は無いが、推測すると恐らくH-1bロケットの3段用に開発していたものではないかと思われる。
H-1ロケットは当初静止軌道に550kgの打上げ能力を有するH-1aロケット(いわゆるH-1ロケット)と800kgの打上げ能力を有するH-1bロケットの2種類を開発する予定であった。
しかし、NASDAに対するユーザーの要求が追いつかないために550kgの静止衛星打上げ能力のH-1ロケットからいきなり2tの静止衛星打上げ能力を有するH-2の開発を決定した為H-1bは開発が中止された。
H-1bはさまざまに検討されたようで、その中に3段を液水液酸エンジンにする計画があった。
これらの状況証拠をまとめると恐らくLE-6はH-1bの3段用に開発された液水液酸エンジンであったと考えられる。

これでLE-3〜7まではその実態は断定/推測できたが問題はLE-1,2である。
これに付いてはまったく情報が無い。
ここからは全くの推測であるが、NASDAはNロケットを開発するために液体燃料エンジンテスト用にLS-Cロケットを飛ばしていた。
このLS-Cに搭載されていた液体燃料エンジンがLE-1だったかもしれない。
そしてQロケットの3段用に開発していたのがLE-2だった可能性もある。

実は以前NASDAのHP内のFAQコーナーにこの疑問を送った事があるが返事が返ってこなかった。
もしLE-1,2,4,6について詳細をご存知の方がおられましたら連絡のほどよろしくお願いいたします。

(2002/6/25)


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