No.204  北の国、マゴグの地のゴグ


”テキスト:エゼキエル38:1 さらに、私に次のような主のことばがあった。
2 「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグ(ゴグの地)の地のゴグ(山)に顔を向け、彼に預言して、
3 言え。神である主はこう仰せられる。メシェク(引き出す)とトバル(あたなは運ばれる)の大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。
4 わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。
5 ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。
6 ゴメル(完全)と、そのすべての軍隊、北の果てのベテ・トガルマ(
あなたは、彼女を破壊する)と、そのすべての軍隊、それに多くの国々の民があなたとともにいる。
7 備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。
8 多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる
9 あなたは、あらしのように攻め上り、あなたと、あなたの全部隊、それに、あなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。
10 神である主はこう仰せられる。その日には、あなたの心にさまざまな思いが浮かぶ。あなたは悪巧みを設け、
11 こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』
12 あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。
13 シェバやデダンやタルシシュの商人たち、およびそのすべての若い獅子たちは、あなたに聞こう。『あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪をしようとするのか。』と。
14 それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。
15 あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。
16 あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。
17 神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。
18 ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、「「神である主の御告げ。「「わたしは怒りを燃え上がらせる。
19 わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。
20 海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地面をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、がけは落ち、すべての城壁は地に倒れる。
21 わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。「「神である主の御告げ。「「彼らは剣で同士打ちをするようになる。
22 わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。
23 わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」”

本日は「北の国、マゴグの地のゴグ」という題でメッセージをします。聖書を読むと、終末の日に神の民が、北の国に襲われるということがらが何度も記されています。

”エレミヤ書 6:22 主はこう仰せられる。「見よ。一つの民が北の地から来る。大きな国が地の果てから奮い立つ。”

この北の国に関して、はっきり記載しているのが、エゼキエル38章です。ここから、学んでいきたいと
思います。テキストを順に見ていきます。

”2 「人の子よ。メシェクとトバルの大首長であるマゴグ(ゴグの地)の地のゴグ(山)
に顔を向け、彼に預言して、”

終末の日に御心にかなった神の民をゴグが襲うことは黙示録にも記されているできごとです。
さて、それでは、この「マゴグの地のゴグ」とは何をさすものでしょうか。聖書解釈の一つの大きな重要点はそのことばの原語の意味を調べることです。聖書 解釈の原則はヘブル書のメルキデゼグを良い例として、意味にポイントがあるからです。マゴグは「ゴグの地」という意味であり、ゴグは「山」という意味です。ですから、この「マゴグの地のゴグ」は教会と関係があることばであることを覚えて下さい。何故なら、ヘブル書にシオンの山、シナイ山等でたとえられているように、山は教会のたとえであるからです。

”3 言え。神である主はこう仰せられる。メシェク(引き出す)とトバル(あたは運ばれる)の大首長であるゴグよ。今、わたしは、あなたに立ち向かう。”

ゴグは北の国から、神の民を襲います。彼らは北に住んでいるのです。聖書でいう地理的な中心はエルサレムであり、そこから、北の国とは、北イスラエルの10族です。彼らは今のカソリックの型だと私は理解しています。ですから、この北の国なるゴグとは、実は、カソリックの隠れた名前ではないかと私は思っているのです。この時、ゴグが神の(みこころの)民を襲うように、終末の日にも、神につこうとする、人々は、北の国なるカソリックの教えの攻撃を受けます。

そして、その中で、堅く主につかない人々は、彼らの教えに押しながされていくでしょう。「メシェクとトバルの大首長であるゴグ」ということばはこのことを暗示します。メシュクは「引き出す」という意味であり、終末の日に堅く主につかない人々がゴグにより、引き出され、誠の信仰の道から外れることを語ります。また、トバル(あなたは運ばれる)とのことばも同じことを語ります。このゴグにより、先祖達の地、キリスト教会に長く続く堅い信仰の土台から揺り動かされ、運ばれてしまう人々が起きるでしょう。

”4 わたしはあなたを引き回し、あなたのあごに鉤をかけ、あなたと、あなたの全軍勢を出陣させる。それはみな武装した馬や騎兵、大盾と盾を持ち、みな剣を取る大集団だ。”

神がこのゴグを引き回し、出陣させることがここに書かれています。ですから、ここで書かれたゴグという名前で呼ばれる神の道から外れたクリスチャン達は戦いに出ていくのです。そして、その戦いのゆえに彼らは裁きに入るのです。ですから、この戦いは、彼らにとって、「わな」となるのです。

ミカヤの時、偽りの400人の預言者の声に聴きしたがった北イスラエルの王がラモテギルアデの戦いに霊に惑わされて出ていき、結果として命を落としたように、この日、彼らもこの戦いのゆえに、命を落とし、裁きに入ります。

その戦いの相手は、カルトと彼らが呼ぶ終末の真の神の民、法皇の声に従わない人々です。

"
”5 ペルシヤとクシュとプテも彼らとともにおり、みな盾とかぶとを着けている。"

彼らにつき従う民の一つはクシュ(黒の意味)です。黒は罪を清められた白の色と反対の色であり、
罪をあらわす象徴的な色です。この民が罪人であることを暗示します。

6 ゴメルと、そのすべての軍隊、北の果てのベテ・トガルマと、そのすべての軍隊、それに多くの国々の民があなたとともにいる。”

もう一つの民であるベテ・トガルマの名前も象徴的です。その意味は「あなたは、彼女を破壊する」であり、この民が彼女なるプロテスタントの教会を破壊することを暗示しています。

”7 備えをせよ。あなたも、あなたのところに集められた全集団も備えをせよ。あなたは彼らを監督せよ。”

その日のために、カソリックを中心とする、「誤まった神の民」は備えをします。今、すでに
備えはされつつありますし、更に備えは整えられるでしょう。「カソリックの他のキリスト教各派への優越性」を今頃になって教皇がぬけぬけと言い出したのもその備えの一環でしょう。WCCなりのエキュメニカルな運動が進んでいるのもその一つです。全てのキリスト教各派が同じテーブルにつける用意が整ってきました。いずれ、このテーブルで「正統的な教義を守り、異端を排除する」ことが討議されるのでしょう。例の金粉、金歯の(オカルト錬金術)リバイバルを認めない「異端」や、聖母マリアの名前を語る「しるしと不思議を行う霊」を拝さない「カルト」は排除、迫害されるようになります。

「そんな馬鹿なことが決定されるはずがない」と思うかもしれませんが、私達は一つのことを記憶していなければ、なりません。それは、「見えている」人々より「見えない」人々の方がカソリックでもプロテスタントでもずっと多いということ、その為、会議で多数決にかければ、必ず、「彼らの」意見が通るということです。多数決は聖書では用いられることのない原則ですが、「聖書には不忠実であるが、この世には忠実な教会の会議」でさかんに用いられています。

”8 多くの日が過ぎて、あなたは命令を受け、終わりの年に、一つの国に侵入する。”

ここに書かれている「イスラエルの山々に住んでいる民」とは、今のイスラエルに住んでいるユダヤ人のことではありません。彼らは彼等の解釈書により聖書を曲げて解釈しています。そのような人々を助けると神が語っているのではないのです。では、
聖書のいう真のイスラエルとは何か?以下のように聖書は述べています。

”ガラテヤ6:16:どうか、この基準に従って進む人々、すなわち神のイスラエルの上に、平安とあわれみがありますように。”

ですから、ここでパウロのいう「(神の)基準に従って進む人々」は日本人、アメリカ人を問わず、国籍を問わず誰でもイスラエル人なのです。聖書がそういう以上そうなのです。こんなことは、始めから、聖書に記されていることであり、今頃になって、めしやじっくじゅーあたりに「置換神学はだめだ。」などと、だまされて「はいそうですか」などと変えるすじあいのものではありません。今頃になって、だまされていはいけないのです。

”多くの日が過ぎた終わりの年”とは、もちろん終末の時です。その時にこのゴグは「一つの国に侵入する。」と書かれています。ですから、このカソリックを中心とする北の国の人々は、いよいよ「カルト征伐」に乗り出すのです。「あなた方を殺す者が自分は神に仕えていると思う時が来る」と主が言われた時がこの時です。また、「兄弟は兄弟を死に渡し」とはこの時なのです。
 

”その国は剣の災害から立ち直り、その民は多くの国々の民の中から集められ、久しく廃墟であったイスラエルの山々に住んでいる。”

「剣の災害から立ち直り」とは、たとえを含む表現です。剣は、「御霊の剣、すなわち神のことば」というようにみことばのたとえです。彼らは「みことばに関する偽りの教え、神学」から、立ち直り、回復されています。しかし、そのゆえにこそ、正統派なる「誤った」人々から、「カルト」といわれているかもしれません。

また、「イスラエルの山々」という表現に注目して下さい。ここで、聖書は、「イスラエルの町々」とも「イスラエルの家々」ともいわず「イスラエルの山々」といわれたのです。「山々」という表現に何か意味があることがわかります。

これは、実は、ゴグ(山)という表現と関連しているのです。ゴグということばを理解させるためのヒントなのです。以下のように対比的に聖書は述べています。

*イスラエルの山々:神に選ばれた神の民、教会
*ゴグ(山):神による裁かれる神の民、教会

”その民は国々の民の中から連れ出され、彼らはみな安心して住んでいる”

「国々の民の中から連れ出され」ともたとえを含んだ表現です。これは、アブラハムの子孫なる国々、今で言えば、あらゆる種類のキリスト教各派から、「主につく民が選びだされ、連れ出される」ことをいっています。また、マタイ24章の「み使いを遣わして天の四方から、選びの民を集める」と書かれているのも、このことをさすのです。ですから、この民は終末の日の神による「選びの民」なのです。彼らは安心、平安の中にいます。

”9 あなたは、あらしのように攻め上り、あなたと、あなたの全部隊、それに、あなたにつく多くの国々の民は、地をおおう雲のようになる。”

地をおおう雲と書いてあるように何しろ彼らの数が多いことが強調されています。このゴグなる人々は終末の教会における圧倒的多数派であることを知らなければなりません。

”10 神である主はこう仰せられる。その日には、あなたの心にさまざまな思いが浮かぶ。あなたは悪巧みを設け、
11 こう言おう。『私は城壁のない町々の国に攻め上り、安心して住んでいる平和な国に侵入しよう。彼らはみな、城壁もかんぬきも門もない所に住んでいる。』”

「悪巧みを設け」というように宗教の面における悪い計画が次々と立てられるでしょう。今、すでに「カルト規制法案」等の「悪巧み」は欧米で始まっています。

「城壁がない町」とは、以下のことばと関連します。

”ゼカリヤ書 2:4 そして彼に言った。「走って行って、あの若者にこう告げなさい。『エルサレムは、その中の多くの人と家畜のため、城壁のない町とされよう。
5 しかし、わたしが、それを取り巻く火の城壁となる。「「主の御告げ。「「わたしがその中の栄光となる。』”

ですから、
ここでゴグに攻められているのは、「エルサレム」すなわち、みこころにかなった神の民であることがわかります。また、この町の守りは、政治力、人間の力でもなく、ただ主御自身であることもわかるのです。

”12 あなたは物を分捕り、獲物をかすめ奪い、今は人の住むようになった廃墟や、国々から集められ、その国の中心に住み、家畜と財産を持っている民に向かって、あなたの腕力をふるおうとする。”

「今は人の住むようになった廃墟」とは何を意味するものでしょうか。これは、教会をさすたとえです。今の多くの教会は、私達がそう感じるか、感じないかを別にして、「廃虚であり、人が住んでいない」と語っているのです。確かに立派な建物はあるでしょうが、しかし、例の「獣のリバイバルの霊」を受け、猿や馬の格好をさせる「獣の霊」を受けている人々は、実はもう神の前には「人」ではないのです。

「教会には人がすんでいない」と主はいわれているのです。しかし、この時、回復され「今は人の住むようになった廃墟」すなわち教会があります。「国々から集められ、その国の中心に住」む人々とは、すなわち、北、南、東、西から集められた、マタイ24章で、「天の四方から集められた選びの民」のことです。

「家畜と財産を持っている民」とは、人間的な富はなくても、「神の前に富む」民のことです。
彼らは金、銀である信仰、また多くの霊のたまもの、宝に満ちています。

”13 シェバやデダンやタルシシュの商人たち、およびそのすべての若い獅子たちは、あなたに聞こう。『あなたは物を分捕るために来たのか。獲物をかすめ奪うために集団を集め、銀や金を運び去り、家畜や財産を取り、大いに略奪をしようとするのか。』と。”

この時、このゴグの大集団は、真のイスラエルである神の道をどこまでも守り抜こうとする人々に
対して、大きな攻撃をします。そのようにする彼らにとっては、「自分達はただ、おかしな信仰をもっているものたちを正しただけだ」ということになるのでしょうが、彼らは悪く用いられます。
主イエスに議論をしかけ、最後は十字架の死に追いやったパリサイ人、律法学者のように、またパウロをしつこく告訴し続けたユダヤ人のように、彼らは「自分達は神に仕えている」と思いながら、実は神のみこころとまったく逆のことをするようになるでしょう。「銀や金を運び去り」というように、「そのようなカルト信仰を持っていると法律に訴えるぞ」などと、人々の「金や銀の」信仰を奪い去ろうとするのでしょう。

”14 それゆえ、人の子よ、預言してゴグに言え。神である主はこう仰せられる。わたしの民イスラエルが安心して住んでいるとき、実に、その日、あなたは奮い立つのだ。”

ゴグがふるい立つ日、この日こそ、「兄弟は兄弟を死に渡し」と書かれた日、また終末の艱難時代なのです。

”15 あなたは、北の果てのあなたの国から、多くの国々の民を率いて来る。彼らはみな馬に乗る者で、大集団、大軍勢だ。”

ゴグの地は、「北の果てのあなたの国」と呼ばれています。繰り返すようですが、彼らは「神がその目を注ぐ」と言われた世界の中心、エルサレムから、離れ、遠く離れた国なのです。距離的に近い、遠いではなく、その信仰、歩みはまったく神のことばから、遠くかけ離れたものになっているのです。

「進化論は科学的である」などという「ことばは神である」といわれた方を馬鹿にしているとしか思えない「偽りの某メーソン法皇」のことばにも何の疑問も抱かない、まことに彼らは、(真理から)遠くかけ離れた国の住民です。

16 あなたは、わたしの民イスラエルを攻めに上り、終わりの日に、あなたは地をおおう雲のようになる。ゴグよ。わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがあなたを使って諸国の民の目の前にわたしの聖なることを示し、彼らがわたしを知るためだ。”

「終わりの日に」と書いてあるようにこれは、終末の日のことがらです。具体的にいえば、
「艱難時代」のことなのです。「わたしはあなたに、わたしの地を攻めさせる」と書かれている、これが、福音書の「かつてなく、これからもない試練」なのです。

”17 神である主はこう仰せられる。あなたは、わたしが昔、わたしのしもべ、イスラエルの預言者たちを通して語った当の者ではないか。この預言者たちは、わたしがあなたに彼らを攻めさせると、長年にわたり預言していたのだ。”

この章には、この「ゴグ」なるものが、何をさすのか、理解できるための幾つかのヒントが神により与えられています。この節もその一つです。ここで、聖書は、「預言者たちが、...長年にわたり(ゴグのことを)預言していた」と書いています。

それでは、質問です。一体、聖書のどこで、それらの預言者がゴグのことを預言しているのでしょうか?このことはこの章を理解する鍵になります。

ゴグということばは、歴代誌に1箇所。あとは、このエゼキエルの箇所、そしてあとは黙示録にあるのみです。そして、預言者が語っているのは、黙示録を別にしてこのエゼキエルの箇所しかありません。ですから、ゴグという言葉を使って預言している(旧約の)預言者はエゼキエルしかいないのです。

しかし、聖書は「預言者達が長年にわたり..(ゴグに関して)預言していた」と述べます。この矛盾は何でしょうか。答えはこういうことになるのでしょう。「多くの預言者は、(ゴグという名前を使わず、しかし、このゴグの預言で示されているのとおなじことがらを)預言してきた」ということになるのでしょう。

私達は、この預言を探さなければなりません。そうでないと、真の意味でこの箇所を理解したとはいえないからです。

結論をいえば、その答えは、このゴグの預言は終末の艱難時代のことがらであるということです。ですから、ダニエル書、エレミヤ書等の旧約の諸書そして、新約のマタイ24章に記されている、終末の日に苦難にあうみこころの神の民、そして、それを迫害する惑わされた神の民の記述は、皆この「ゴグ」の記述と同じ事が記されているのです。

ですから、この言葉、「預言者達が長年にわたり..(ゴグに関して)預言していた」とは、この
ゴグの記述を理解するヒントであり、このことがきちんと説明できない人は、この箇所の
啓示を受けていない人々です。

”18 ゴグがイスラエルの地を攻めるその日、「「神である主の御告げ。「「わたしは怒りを燃え上がらせる。
19 わたしは、ねたみと激しい怒りの火を吹きつけて言う。その日には必ずイスラエルの地に大きな地震が起こる。”

「怒りの火を吹きつけ」ると書かれています。「火」について書いてあるのです。火や水は、霊のたとえであり、この日、ゴグの名前で代表される、神の道から外れた「神の民」は、偽りのリバイバルの中に巻き込まれていきます。「大きな地震が起こる」とも書かれています。これは、以下の地震と同じものかもしれません。

”黙16:16 こうして彼らは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる所に王たちを集めた。
18 すると、いなずまと声と雷鳴があり、大きな地震があった。この地震は人間が地上に住んで以来、かつてなかったほどのもので、それほどに大きな、強い地震であった。”

もし、これらが同じ地震なら、この「ゴグ、マゴグの戦い」は、また「ハルマゲドンの戦い」と同じものなのでしょう。「ハルマゲドンの戦い」とは、「しるしを行う悪霊どもに惑わされた王館が、惑わされて」神の真のしもべたちとの戦いに出ていく話です。彼らはこの戦いを通して、神に罪に定められ、裁かれます。

同じように、ゴグも惑わされてこのイスラエル、真に神につくしもべ達との戦いに出ていき、
神により裁かれるのです。地震とは、家々を揺り動かすものであり、すなわち、教会への試練、試験の時をあらわすものです。この試練(地震)を経ても倒れずに主の前に留まり続ける教会、クリスチャンは、主の前に誉れを受けるでしょう。

”20 海の魚も、空の鳥も、野の獣も、地面をはうすべてのものも、地上のすべての人間も、わたしの前で震え上がり、山々はくつがえり、がけは落ち、すべての城壁は地に倒れる。”

これは、終末の地震による「試練、試験」または、「神による選別」について語られているのです。すなわち、海の魚も(地震により)「震える」というのです。魚は、「人間をとる漁師にしてあげよう」とのことば通り、クリスチャンをさすたとえです。魚が震えるというと何だか変な感じですが、要するにクリスチャンの間に試練の時が来て、震えてなおかつ残るものと、倒れるものとが区別されるのです。「山々はくつがえり」とは倒されていく教会のことを語っているのです。

”21 わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる。「「神である主の御告げ。「「彼らは剣で同士打ちをするようになる。”

剣は「御霊の剣、すなわち神のみことば」と書かれているように神のことばのたとえです。偽りの神学により、曲げられた「神のみことば」が、終末の日にゴグと呼ばれるカソリックを中心とした神の民に災いをもたらします。「わたしは剣を呼び寄せて、わたしのすべての山々でゴグを攻めさせる」とは、そのことを語っているのです。「仏教徒も救われる、終末はない、地獄はない」などと偽りの剣に倒されていくのです。

「決して死なない」という偽りのことばをうのみにして、神のことばを投げ捨て、
神に禁じられた実を食べたアダム、エバは当然の報いとして、永遠の命の木から引き離され、「受ける予定だった」永遠の命からは、外れてしまいました。同じように、この終末の時代、神のまっすぐな言葉を曲げ、偽りの実、教えを貪り食っている人々も彼らと同じ報いを受けるのでしょう。

「彼らは剣で同士打ちをするようになる。」とは、要するにみことば、教理に関する論争です。骨の随まで、すっかり偽りが浸透している人も、そうでない人もいるので、当然、みことばに関する論争が起きます。

”22 わたしは疫病と流血で彼に罰を下し、彼と、彼の部隊と、彼の率いる多くの国々の民の上に、豪雨や雹や火や硫黄を降り注がせる。”

「疫病」とは、病になり、体が健康でなくなることです。例えば、目の病になれば、見えなくなります。霊的な目が見えないなら、聖霊と悪霊の区別すらつかないのです。目が見える人にとっては、マリヤの像から血の涙が出ること、またファテイマのマリヤを始めとする全てのマリヤは「しるしと不思議を行う悪霊」なのですが、「病になり目が見えなくなった人々」は、
すっかりこの悪霊を受け入れ、結果として、教会へ通いながら、永遠の滅びへ向かうことになります。「豪雨や雹や火や硫黄」は、全て、霊に関することばであり、悪霊が教会に満ちることを述べています。

”23 わたしがわたしの大いなることを示し、わたしの聖なることを示して、多くの国々の見ている前で、わたしを知らせるとき、彼らは、わたしが主であることを知ろう。」”

このように、主は今も生きておられ、真実に主に従う人々を裁きや災いから、助け出す方法を心得ておられます。また、表面は敬虔そうでもその実、神のことばを偽りとする人々には、裁きと惑わしに入れてしまう方法を心得ておられるのです。私達はこの方を恐れましょう。

このようにこのエゼキエルの箇所には、多くの人がいうようにロシアのことも、モスクワのこともトバルスクのことも書いてないことが御理解頂けるでしょう。そもそも「メシェクはモスクワと発音が似ているから」などという解釈の原則は、聖書には全くありません。発音が問題なのではなく、逆にヘブル書に書いてある「メルキデゼグ=義の王、平和の王」の例のように、聖書はことばの「意味」に大きな解釈の力点を置いています。

ゴグの意味あいは「山」であり、ここから、解きあかす人々は、正しい結論に至ります。終末に向かって多くの惑わしやガセネタがあります。
惑わされることなく、正しく「主のみ口が語られたこと」を解きあかしましょう。
 

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー