No.234空想話(2)

テキスト:
1)”1テモテ1:3 私がマケドニヤに出発するとき、あなたにお願いしたように、あなたは、エペソにずっととどまっていて、ある人たちが違った教えを説いたり、
4 果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。
5 この命令は、きよい心と正しい良心と偽りのない信仰とから出て来る愛を、目標としています。”

本日は、「空想話(2)」として、聖書の語る終末の空想話について見ていきましょう。
聖書は終末の日に、人々が真理から耳をそむけ、空想話にそれていく時代が来ることを明らかに語っています。以下の通りです。

2)”2テモテ4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。”
 

ですから、終末の時代になったのなら、この「真理から耳をそむけ、空想話にそれて行く」ということがらは教会の中で必ず、起きてくると思った方が良いのです。そして、今は例えば、聖書の暗号によれば、
もう「終わりの時代」に入ったとさえいわれる時代なのです。ですから、「もうすでに空想話は教会の中に忍び込んでいないのか」「もし忍び込んでいるとするなら、どの教えなのか」と吟味を一度はすべきと思われます。

たとえ、神学とあおうと、注解書と合おうとあうまいと聖書のいっていることのみが正しいのであり、聖書の警告、すすめに従う人々にのみ祝福と助けがあります。

「今が終末なら、もしかすると教会の中に『空想話」』が忍び込んではいないのか」という考えで
教会の定説とされている教えを見ていくと結構色々怪しい教えがあります。
例えば、例の2段階携挙説がそうですし、また「クリスチャンと名がつけば、全て救われる」という教えもそんな感じです。

さて、このような理解に基づき、「空想話」に関連するみことばをいくつか見ていきましょう。
上記テキストから見ていきます。

”ある人たちが違った教えを説いたり、 果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。”

「果てしのない空想話」とはとめどもない空想話、どんどんエスカレートする空想話というような意味あいでしょうか。このことは今、まさに起きています。

ある教会では「神は愛だから人を苦しい目にあわせることはない。だから、地獄はない」「仏教徒も、ヒンズー教徒も救われる」と説いているそうです。仏教徒でさえ救われるのですから、「キリストを主と(形だけは)呼んでいる我々クリスチャンが裁かれたり、地獄へ行くことは決してない。たとえどんな罪を犯しても、また犯しつづけていても」というとんでもない理論にいきつくのでしょう。確かに空想話が発展することをみます。

”そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。”

このような空想話を信じている人々は、「信仰による神の救いのご計画」に入ることはありません。
要はこんな空想話に惑わされる人は救いから漏れてしまうかもしれないのです。
 

次のテキストを見てみましょう。

3)”1テモテ4:
7 俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい。むしろ、敬虔のために自分を鍛練しなさい。
8 肉体の鍛練もいくらかは有益ですが、今のいのちと未来のいのちが約束されている敬虔は、すべてに有益です。
9 このことばは、真実であり、そのまま受け入れるに値することばです。”

順に見ます。

7 俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい”

年寄り女は、空想話をすると書かれています。
女は教会のたとえです。年寄り女とは要するに年を経た、世の終わりも近い頃の教会をさすと思われます。世の終わりの「俗悪な年寄り女」、この世についたような教会には、「空想話」が蔓延することが想像できます。

「進化論は創世記と矛盾しない」といった類いの空想話です。しかし、このような空想話は「避ける」よう主は勧めます。
次のテキストを見ます。

4)”テトス1:10 実は、反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けた人々がそうです。
11 彼らの口を封じなければいけません。彼らは、不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え、家々を破壊しています。
12 彼らと同国人であるひとりの預言者がこう言いました。「クレテ人(肉的)は昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう。」
13 この証言はほんとうなのです。ですから、きびしく戒めて、人々の信仰を健全にし、
14 ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。
15 きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。”

順に見ます。

”10 実は、反抗的な者、空論に走る者、人を惑わす者が多くいます。特に、割礼を受けた人々がそうです。”

反抗的な者、すなわち神の健全な教理に版対して、偽りの教え「2段階携挙説」に組みする者は多いです。
 

また、空論に走る者、「神は愛だから、人を苦しい目にあわせるはずはない。従って地獄はない、などという全くの空論を真面目に信望する空論者」は確かに多くなっています。
また、こんな空論を自分で信じるだけでも愚かしいのにあろうことか他人にまで、伝えて、「共に穴に落ち込む」人を惑わす者も多いのです。

11 彼らの口を封じなければいけません。彼らは、不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え、家々を破壊しています。”

我々はどうするべきなのでしょうか?そうです。「彼らの口を封じなければ」ならないのです。
ですから、これらの偽りに組みせず、逆にその誤りを指摘することにこそ、神のみこころがあることを知るべきです。彼らは「艱難時代は確かに来るがその前にキリストの秘密の再臨があるから大丈夫」「地獄はないので、(何をしても)決して裁かれないから大丈夫」などと「不正な利を得るために、教えてはいけないことを教え」ています。このような人々こそ、偽預言者、全ての人から賞賛される「偽預言者」ではないでしょうか。これらの教えこそ、家々、すなわち教会を破壊し、終末の備えの土台をつき崩す、
空想話ではないでしょうか。

12 彼らと同国人であるひとりの預言者がこう言いました。「クレテ人(肉的)は昔からのうそつき、悪いけだもの、なまけ者の食いしんぼう。」”

クレテとは肉的という意味あいがあります。ですから、これらの「耳にはよい」がしかし、真理からは遠く離れた空想話に同調するのは、この世についた肉的な教師、クリスチャンだということがわかります。
彼らは、この教会の中で「昔からのうそつき」、すなわち真理のみことばを変質させようと企むものたちです。また、悪いけだもの、すなわち人ではないのです。いやしくも教会の教師や牧師を「悪いけだもの」などと呼ばなければならないのは、あまり私の本意ではありませんが、しかし、聖書が語ることを曲げるわけにもいかないでしょう。創世記によれば、アダムの肉体が作られた後、神が息を吹き込み、それで始めて、彼は「生きた人」となりました。ですから、息(聖霊)がないものは逆にいうと「人」ではないのです。聖霊がないことを「悪いけだもの」ということばで表現しているのかもしれません。

”13 この証言はほんとうなのです。ですから、きびしく戒めて、人々の信仰を健全にし、”

これらの空想話は、健全な教えではありません。いびつな、曲がった、特殊な無理な解釈を重ねなければ、決してできあがるものではありません。これらの「不健全な教え」を成立させるためには、多くの神のみことばを無視、捨て去らなければなりません。

例えば、試みに「キリストが2回にわたって再臨する。艱難の前に天にあげられる」という不健全な教えを成立させようとしてみて下さい。聖書のどこにもこのことを明確に語っていることばがないことに気付き、がくぜんとすることでしょう。
この教えを成立させるために無視しなければならない多くのみことばが多いのを見てびっくりすることでしょう。

”14 ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。”

聖書はここで、「ユタヤ人が空想話を作り、教会に持ち込むこと」「この空想話には心を寄せないこと、すなわち、これらを排除すること」を述べています。
「ユタヤ人が空想話を教会に持ち込むなど、とんでもない反ユタヤ主義だ」などと怒る人々もいるかもしれませんが、他ならない聖書が語ることなので一考には値します。
ある種のクリスチャンはあまりにも「正しく、正義感に優れ、反民族主義的な論調には断固として、反対し、反ユタヤ主義などとんでもない」ということなので、彼らは大変正しく、時には聖書や主イエスキリストよりも数段道徳的に優れている(?)ようですが、彼らと異なり、我々主のしもべの願いは、ただ「書かれている範囲を超えない」ことだけです。

たとえ「ユタヤ人が空想話を作り、教会に持ち込む」という考えがどれ程、キリスト教会の「常識」と異なろうとも聖書がそういう以上、このことを考慮すべきなのです。

実はこれは知る人ぞ知ることなのですが、教会の中で広く広まっている多くの空想話はユタヤ人から来たものです。これは、あまりいわれないことですが、キリスト教会の有力な神学者、働き人には(身元を隠した)ユタヤ人、ユタヤ系が多いのです。彼らの教えはキリスト教会の中核になっていますが、その多くは「空想話」です。

「神は終末の日にユタヤ民族を顧みて、約束の国を中東に復帰させた」などという話も、彼らから、全キリスト教に広がった空想話です。例えば、ベニーヒンはイスラエル生まれ、すなわちユタヤ系なのです。またビリーグラハムは息子をイスラエルに帰化させようとしているということです。すなわち彼もユタヤ系なのです。

また、「真理から離れた人々」は多くの偽りを述べますが、そんな話に「心を寄せ」ることには、みこころがありません。たとえば、JNダービーは、真理から離れ、以下のように多くの偽りを教会に広げました。これらの偽りに心を寄せるべきではありません。

ー艱難前携挙説:
何度もいうようにこの説のために、今の時代の多くのクリスチャンは終末の備えをしなくなりました。
この偽りの説を広めた彼の罪は大きいです。

-バビロン=ローマカソリック説:
要するに終末には、カソリックは裁かれる、逆にいうとプロテスタントは大丈夫だという説です。
この説により多くのプロテスタントクリスチャンは終末の備えを怠るようになりました。彼は、プロテスタントの終末の備えを崩した「偽預言者」です。

ー教会とイスラエルへの聖書預言を区分するという説:
この説のために、多くの終末に関する預言は「みなイスラエル人の上に成就する。教会の上には成就しない」という手前勝手なねじ曲がった教えが横行するようになりました。こんな説にすぐ飛びつく、クリスチャンも短慮、無節操、自己中心そのものですが、だました、ダービーは全くの偽預言者です。

”15 きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。
16 彼らは、神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定しています。実に忌まわしく、不従順で、どんな良いわざにも不適格です。”
 

ここで、「空想話」と関連して、「汚れた、不信仰な人々」が書かれています。ですから、空想話に心を寄せる人々と「汚れた、不信仰な人々」は関連があることがわかります。
何故ある種の人々は空想話に心を寄せるのでしょう。それは、彼らが「汚れた、不信仰な人々」だからです。また、「神を知っていると口では言いますが、行ないでは否定して」いるからです。
何故、「地獄はない」などという「トンデモ話、空想話」を冗談ならともかく、まともに信じる
情けないクリスチャンが存在するのでしょう。それは、彼らが「汚れた、不信仰な人々」だからであり、地獄があっては彼らにとってまずいからなのです。

何故、艱難の前に挙げられるなどという「聖書のみことばと矛盾する話」を疑問もなく、信じる
愚かなクリスチャンが多いのでしょうか。それは彼らの行いと関係しているのです。
彼らは本当は主に従おうと思っているわけではなく、主のために苦しむなどということを本当は望んでいないのです。それで、蛇の「あなただけは艱難にあいません」などという都合の良い、嘘をやすやすと受け入れたのです。彼らの本心が現れているのです。

しかし、創世記のエバが蛇にだまされてその命、永遠の命を失ったように今の時代もこんな偽預言者、教師すなわち「蛇の空想話」に心を寄せ、その偽りを悔い改めようとしない人々は「持っていると思っている永遠の命」がまさに危ないということを覚えるべきです。

さて、次に「空想話」ということばが使われている箇所を見ていきましょう。

5)
"2ペテロ1:16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話(空想話)に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。
17 キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。「これはわたしの愛する子、わたしの喜ぶ者である。」
18 私たちは聖なる山で主イエスとともにいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。
19 また、私たちは、さらに確かな預言のみことばを持っています。夜明けとなって、明けの明星があなたがたの心の中に上るまでは、暗い所を照らすともしびとして、それに目を留めているとよいのです。
20 それには何よりも次のことを知っていなければいけません。すなわち、聖書の預言はみな、人の私的解釈を施してはならない、ということです。
21 なぜなら、預言は決して人間の意志によってもたらされたのではなく、聖霊に動かされた人たちが、神からのことばを語ったのだからです。”
 

順に見ます。

”16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話(空想話)に従ったのではありません。”
 

ここでは主の再臨と「空想話」ということばが結びつけて語られています。

ですから、今迄書いてきたようにこの「空想話」ということばが使われている箇所を見ることにより、聖書の言う「空想話」の特徴がわかります。それは以下のことがらです。

1)空想話にだまされる者は救いを奪われる:

「1テモテ1:4 果てしのない空想話と系図とに心を奪われたりしないように命じてください。そのようなものは、論議を引き起こすだけで、信仰による神の救いのご計画の実現をもたらすものではありません。」

2)空想話は人間にとっては都合の良い教え:

2テモテ4:3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、」

3)空想話は使徒時代からの教えというより、教会時代の終わりに起きてくる教えに多い:

「1テモテ4:7 俗悪な、年寄り女がするような空想話を避けなさい。」

4)ユタヤ人が空想話を作り、広げる:

「テトス1:14 ユダヤ人の空想話や、真理から離れた人々の戒めには心を寄せないようにさせなさい。」

5)空想話は終末に関する話、特に主の再臨に関する話に多い:

「2ペテロ1:16 私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話(空想話)に従ったのではありません。」
ーーーーーー

以上の「空想話」に関する特徴を見ていくと、どれもこれもあたっている教理がキリスト教会には、いくつかあります。

例えば、艱難前携挙説、2段階携挙説は以下のようにこれらの特徴にあてはまります。

1)空想話にだまされる者は救いを奪われる:

この教えを奉じる人々は終末の日に命が危ないです。艱難の前には挙げられるという手前勝手な教えを奉じる人々はもしその通りに主が再臨しなければ、
艱難の備えがないために命、永遠の命を失うでしょう。

2)空想話は人間にとっては都合の良い教え:

終末には「かつてなく、今後もない艱難」が来ることは誰でも知っています。しかし、それらの苦難が来ても、「クリスチャンと名がつけば、その前に挙げられる」と語る艱難前携挙説は確かに、「人間には」都合の良い空想話です。しかし、聖書の本筋とは遠く懸け離れています。

3)空想話は教会時代の終わりに起きてくる教えに多い:

1830年頃の霊媒マーガレットマグドナルドの見た「艱難時代の前に引き上げられる聖徒」という幻に基づく(聖書に基づいているわけではない)「艱難前携挙説」は確かに2000年にわたる教会時代の終わりに出現した「空想話」です。

4)ユタヤ人が空想話を作り、広げる:

この艱難前携挙説を始めとする多くの「怪しい終末の教理」を広げるのに貢献したのは、JNダービーです。彼は、これらの教えをユタヤ系のイエズス会士から受けたということです。イエズス会には、
その創始者イグナチオロヨラを始め、ユタヤ系の人々が多いようです。

5)空想話は終末に関する話、特に主の再臨に関する話に多い:

艱難前携挙説はまさに主の再臨に関する話であり、しかも巧妙な嘘、蛇の巧妙な嘘です。
みんなころりと引っ掛かっているようです。艱難中携挙説というのも、要するに「2段階のキリストの再臨」という嘘を標榜しているわけですから、「前」説と50歩100歩というところでしょうか。しかし、こんな蛇の嘘にだまされる人々はアダム、エバの時代以来、「永遠の命の木」すなわち、永遠の命から遠ざけられ、それを受け継ぐことはできないことを知るべきです。

終末における主のみこころを行いましょう。

ー以上ー