No.287 虐殺の剣

”テキスト:エゼキエル21:9 「人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣
が研がれ、みがかれている。
10 虐殺のために研がれ、いなずまのようにそれはみがかれた。われわれはそれを喜ぼうか。わたしの子
の杖も、すべての木のように、退けられる。
11 その剣はみがかれて手に握られ、それは、研がれて、みがかれ、殺す者の手に渡される。
12 叫べ。泣きわめけ。人の子よ。それはわたしの民の上に下り、イスラエルのすべての君主たちの上に
下るからだ。剣への恐れがわたしの民に起こる。それゆえ、あなたはももを打って嘆け。
13 ためされるとき、杖まで退けられたなら、いったいどうなることだろう。「「神である主の御告げ。
「「
14 人の子よ。預言して手を打ち鳴らせ。剣を二倍にし、三倍にして、人を刺し殺す剣とし、大いに人を
刺し殺す剣として、彼らを取り囲め。
15 彼らの心が震えおののくように、彼らのすべての門に、つまずきをふやせ。ああ、わたしは剣の先を
いなずまのようにして、虐殺のためにみがきをかける。
16 あなたの顔の向くところ、右に向け、左に向けて切りまくれ。
17 わたしもまた、手を打ち鳴らし、わたしの憤りを静めよう。主であるわたしが語るのだ。」”

本日は「虐殺の剣」としてメッセージします。

終末の日に私たちが知らなければならないのは、神のことば、教理が悪く用いられ、それが、終末の日

神のことばをないがしろにする神の民に対して、彼らを殺す「剣」として用いられるということです。
本日はそのことを見ていきたいと思います。

テキストから順に見ていきます。

9 「人の子よ。預言して言え。主はこう仰せられると言え。剣、一振りの剣が研がれ、みがかれてい
る。”

旧約聖書の多くの記述は「終わりの時代にのぞむ」我々への教訓、警告として書かれたということを
理解して下さい。
ですから、旧約聖書の中で度々書かれている、剣による災禍、災いは、古い昔の物語りではなく、
現在の我々に警告のために与えられたたとえなのです。

「今の時代には、戦争でも、もう剣など使わない、戦車や大砲の時代だ」などという人は全く
たとえを理解していないことを知るべきです。

この書、聖書はこの世界で唯一過去と未来を正しく知る方によって書かれたのですから、当然、
これらの旧約の一見、古そうな記述も今の我々と関係があるのです。

10 虐殺のために研がれ、いなずまのようにそれはみがかれた。われわれはそれを喜ぼうか。わたしの
子の杖も、すべての木のように、退けられる。”

御霊の剣、すなわち神のことばは、「虐殺のために研がれ」ます。
剣が虐殺のためにみがかれたなら、それは鋭い剣になり、容易に人を刺し殺す武器となります。
ですから、本来命のパンとして、与えられた「神のことば」が皮肉にも剣として用いられ、人々の
命を奪うために使用される、そんな日が来ることについて確かにこれらのことばは
述べているのです。

たとえば、「終末の時代には、教会の時代は終わり、イスラエルの時代になる」などという
デイスペンセーション主義はあたかも真理であるかのように多くの注解書、神学者に論じられ、
教会に取り入れられています。

この教えは、しかし、「終末には教会は天に挙げられるから心配ない」すなわち、「終末のために備え
る必要はない」という考えに行き着く恐ろしいわなの教えなのですが、しかし、多くの教会では、
あたかも真理のように受け入れられています。確かにこの「剣」は鋭いことがわかるのです。

そして、その結果、多くのクリスチャンの終末の備えは、取り去られ、切りくずされています。

「わたしの子の杖」と書かれています。杖は、人の歩みを助ける物として「教師」のたとえと
思われます。しかし、終末の時には、この杖さえも退けられてしまうのです。すなわち、剣のわざわい

巻き込まれていくのです。

”11 その剣はみがかれて手に握られ、それは、研がれて、みがかれ、殺す者の手に渡される。”

剣が研がれてみがかれたら、それは鋭い剣になります。そして、誰でもその剣に切られたら、傷を負わ
ないで、無傷でいることは、難しいのです。
同じようにこの終末の時代、剣のわざわいにあっていない、惑わされていない、無傷であるという
クリスチャンを探すことは難しいのです。

多くのみことばは、みがかれた剣として用いられています。
「2段階軽挙説」「進化論は科学的(創世記は神話)」等あらゆる偽りの教えがまことしやかに、
鋭い、みがかれた剣として用いられています。
 

”12 叫べ。泣きわめけ。人の子よ。それはわたしの民の上に下り、イスラエルのすべての君主たちの上
に下るからだ。剣への恐れがわたしの民に起こる。それゆえ、あなたはももを打って嘆け。”

ここに剣が「民の上に下り、イスラエルのすべての君主たちの上に下る」ことが記されています。
要するに多くの人が偽りの教理に惑わされていくことを語っているのです。

たとえば上述した「デイスペンセーション主義」は確かに多くのクリスチャンを惑わすための
鋭い剣として用いられています。

この主義によれば、終末には時代が変わり、「教会の時代が終わり、イスラエルの時代に移る」ことに
なっています。
そして、何だか都合のよいことには、ちょうど20世紀になってから、今迄中東に国を持っていなかっ
た、
ユダヤ人がこの地に帰ってきて国を持ち始めました。
だから、「さあ教会の時代は終わりつつある。イスラエルの時代、黙示録の時代に入りつつある」とい
うことになっているのです。

この地に彼らが国を持つことは「すばらしい神の預言の成就。時のしるし」ということになっているの
です。

しかし、はっきりいいます。これらは「すばらしい預言の成就」などではなく、上記みことば、
「虐殺の剣」のことばの成就なのです。

デイスペンセーション主義とは聖書の主張と正反対の主張であり、「終末の日の神の民、クリスチャン
の備えをつき崩す」ことを最終目標とした、恐るべき悪魔来の知恵に基づいた「大嘘」なのです。
ろくに聖書も読まず、「聖書も神の力」も知らない人は、この剣に倒されていくのです。

「あなたはももを打って嘆け」と記されています。このような偽りの教えに組みして、倒されていく
人の多いことを「嘆け」といわれているのです。

”13 ためされるとき、杖まで退けられたなら、いったいどうなることだろう。「「神である主の御告
げ。「「”

杖は、「人の歩みを助ける者」としての教師のたとえでしょうか。しかし、その教師達さえ、この剣、
偽りの教理に巻き込まれていくことを語っているのです。
ですから、この剣、偽りの教理は多くの教師を席巻していきます。
今、多くの教会であたかも真理であるかのようにいわれている、「クリスチャンと名がつけば裁かれな
い」
「終末はイスラエルの時代になる」「7年の中東の平和条約」等のガセネタこそ、その剣かもしれませ
ん。


14 人の子よ。預言して手を打ち鳴らせ。剣を二倍にし、三倍にして、人を刺し殺す剣とし、大いに人を
刺し殺す剣として、彼らを取り囲め。”

この剣が大きくなり、「彼らを取り囲」むことが書かれています。
ですから、終末の日にこれらの偽りの教理が「剣」として、広く浸透し、大きく用いられることが
わかります。今の教会の現状はまさにその通りであり、「キリストの復活は民衆の願望がつくりあげた
神話」等、あらゆる嘘話に囲まれています。

”15 彼らの心が震えおののくように、彼らのすべての門に、つまずきをふやせ。ああ、わたしは剣の先
をいなずまのようにして、虐殺のためにみがきをかける。”

いなずまのように磨かれた剣は、それに触れる者の命を奪います。同じように終末の日に、
磨かれた剣、偽りの教えは、多くの人を見事にだまし、結果として彼らの命を奪い、永遠の命に至らせ
ないようになります。

私たちが覚えておかなければならないことは、主がその聖書の中で「剣が虐殺のために、いなずまのよ
うに磨かれた」といわれたのなら、その時、確かにそのことはなるということです。
すなわち、必ず、多くの人が偽りの教理に倒されるということです。そして、
その剣が鋭く、いなずまのように鋭いので、多くの人がこの剣に対抗できないということです。

"16 あなたの顔の向くところ、右に向け、左に向けて切りまくれ。"

この剣は右に左に切りまくります。終末の日、神のことばに関する偽りの教理の剣は、多くの人を
切り倒すようになるでしょう。
その中で、復活やイエスの存在さえ疑うような「剣に切られた」人々があらわれるのでしょう。
 


17 わたしもまた、手を打ち鳴らし、わたしの憤りを静めよう。主であるわたしが語るのだ。」”

何故、剣が神の民の間に荒れ狂うのでしょうか。それは、神の怒り、「憤り」の時だからです。
ですから、「ことばは神である」といわれた方に忠実に立つことはいかに大事なことでしょう。

この方を主とし、この方のことばを真とする者にこそ御心があることを知りましょう。

終末における主のみこころを行いましょう。

-以上-