新潟市民芸術文化会館能楽堂 武満プロジェクト


谷川俊太郎氏、観世榮夫氏、一柳 慧氏、武満真樹さん達とのプロジェクト

新潟市民芸術文化会館能楽堂 武満 徹プロジェクトについて記します。

新潟市民芸術文化会館 武満 徹 企画案解題

                                  伊東 乾

予定期日 2000年1月8日 

於    新潟市民芸術文化会館

以下に現時点で私が考えている、このプログラムへの個人的なアイディアを掲載する。 おおむねこのような流れでコンセンサスを得つつあるが、公的な催しでもあり、制作段階から情報を公開してゆくことは、却って好ましい結果をもたらすように考えている。

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能楽堂で武満徹作品を、という企画を木幡和枝さんからご相談頂いたのは98年秋のことであったと記憶している。自分なりに構想をまとめつつ、谷川俊太郎さんのご紹介で武満真樹さんからも多くのご示唆を頂いて、以下のようなプログラムの試案を考えた。その大まかな意図を記す。

プログラム1

開場後 静寂の海(テープのための環境音楽)

MC(谷川俊太郎氏)

四季(山口恭範氏、吉原すみれ氏、田中之雄氏、三橋貴風氏)

MC

ルリエフ・スタティク

水の曲

空・馬・そして死

MC

エア

中休

鈴木大介、渡邉香津美両氏による、武満プログラム(及び猿谷紀郎作品の招待演奏?)

終演後 ミネアポリスの庭(テープのための環境音楽)

開演前、ロビー(and/or)会場で「静寂の海」をながす。先覚者エリック・サティ(武満は彼の「星の息子達」を編曲している)そして武満の近しい友人であるジョン・ケージが主張した「音の河」を巡る武満の言葉は多く引かれるけれど、実際に必ずしも演奏会場でじっとして聴かれることを念頭に置かない『環境音楽』的な武満作品が日本で耳にされることは極めて少ない。だが、音楽を通じて「世界の匿名のパーツに至りたい」と繰り返し述べた武満の心を思うとき、私にはこのような作品をもって聴き手を会場に迎え入れることが何ともふさわしいように思われてならないのだ。そんな風に思うとき、独特の含羞のある故人の笑顔が想起されるような気がするのである。

能楽堂の時間と空間と武満の音楽が交叉する、と考えるとき、国立劇場や明治神宮で聴いた邦楽共演の「四季」によって聴き手を囲む四方から響きの場が立ち現れるのが、この場の開始にもっともふさわしいように思われる。一つの理由として、直前と直後にテープ作品があるところで、武満の愛するような、極めてインティメートな口調でささやかれる天気予報や星座名などが極穏やかに増幅されて能楽堂の音場に導入されることで、スピーカーの音像とアコースティクスとが、極めて「武満らしく」出会うように思われるのである。これは、プログラム1後半のギター・デュオを考える上でも重要であると思われる。

武満は、自分がダンスのために作曲したのではない作品で踊られるのを忌避したという。能楽堂という空間を考える上で、能の身体と音楽の交差点を考えるのは自然なことであるが、明確にそのように作曲されたものとしては、テープのための「水の曲」が観世寿夫のために作曲された例があるのみだという。そこで「水の曲」を含むテープ作品、とりわけ日本で、また日頃聴かれる機会の少ないテープ作品を取り上げることを考えた。これはまた、器楽の配置に著しく制約がある能楽堂の物理的条件、照明など舞台空間の装置面の具合を考えても豊かな可能性を示すものであると思われた。「水の曲」は観世寿夫氏の弟である観世榮夫氏が舞い続けておられ、この水の曲を中心に、シテの登場、退場の時間を含めてテープ作品「ルリエフ・スタティク」と「空・馬・そして死」を配し、テープ作品3曲をもって一つのまとまりとすることを考えた。

「空・馬・そして死」は、近い年代に作曲された、早坂文雄の追憶に深く関わる「弦楽のためのレクイエム」に背中合わせのように、若い武満(いまの私の年齢よりもさらに若い)が聴いた一つの追悼の祈りのように思われる。この作品に続いて谷川さんに適切なMCを頂いて、プログラム1の中でほぼ唯一、一切の増幅を伴わない極めてインティメートな音楽、武満の遺作となった「エア」を演奏して、しめやかにこの前半を閉じたいと思う。それは、能楽堂という場で武満を追善するとともに、後半への音楽的なポテンシャルを準備するのにふさわしいように思われる。

プログラム1の後半は、鈴木大介氏と渡辺香津美氏のデュオによる武満作品の演奏をアーティストと相談しつつ考えたい。能楽堂は橋懸かりに象徴されるように生死を分かつ川の上に懸けられた橋を舞台と考える。そこは、生から死へという現実世界の因果、方向性は逆転して、死から生へ、それも複数の、新たなる生への飛翔を可能とさせる場で、実際に古典の能楽、とりわけ夢幻能の多くは、死者が新たなる生に向けて時間を遡行する物語がくりひろげられる。このように書くとき、なんと音楽を巡る武満の思考とこれらとが興味深く重なりあうことだろうか。鈴木・渡辺両氏は武満の遺したさまざまな「うた」から新たな生命を生み出すだろう。能楽堂の時間と空間でこそ可能である、そのような「再生」を武満は喜んでくれるだろうか。また、あれほどまでに若い音楽家に心と実際の支援を惜しまなかった武満の想いに重ねるように、両プレーヤーの親しい友人でもあるという猿谷紀郎君の作品を招待演奏したいと考える。後半については、演奏内容の確定と並行して、谷川俊太郎さんMCも相談してゆきたい。

プログラム2

開演前 「ミネアポリスの庭」

エクリプス(三橋氏、田中氏)

ムナーリ・バイ・ムナーリ(山口氏、吉原氏)

ヴォイスもしくは別作品(小泉氏)

ディスタンス(古部堅一氏、石川 高氏)

中休

伊東 乾「邯鄲 夢の段/十二月」(観世氏、他未定) 

武満 徹 「一柳 慧のためのブルー・オーロラ」(一柳氏

     「アルト・フルートとギターのための『海へ』」(小泉氏、鈴木氏)

MC位置は検討

終演後 「静寂の海」

プログラム2の前半は、これも最近は演奏される頻度のあまり高くない60年代から70年代初頭にかけて、武満が30代から40にかけての器楽作品を取り上げた。一つの理由としては、能楽堂という劇場的空間において、これらの作品が、演奏位置なども含めた様々な多面的な試み、敢えて言うなら武満的、空間的な試みに充分応えると思われるからである。「ヴォイス」(あるいは別のフルート作品。場合によって、コンタクトマイクを併用する増幅を考えるべきかもしれない)さらには「ディスタンス」といった作品は、演奏位置により、能楽堂空間の中で様々に豊かな可能性へと開かれているように思われる。また、私見であるが「ディスタンス」は「グリーン」や「秋庭歌」などと並んで70年代後半以後の武満を特徴づけるトーンへ移行してゆく重要な鍵を秘めているように思われてならない。60年代の作品、またグラフィックな記譜に基づく作品群は、後年の武満作品のように、必ずしも親しみやすい響きや旋律を持たないが、静謐とした空間に響く偶然性をも孕んだ音達が、いかに武満らしい繊細な美に満ちていることか。これらと、プログラム後半で演奏される「海へ」のような作品とが、まごうことなく一人の作家の手になる音楽として結び合わされることを、「ディスタンス」は最も雄弁に物語っているのではなかろうか。

プログラム2後半の最初に、私は武満のための追善能を書きたいと思う。これに当たっては個人的な思い出がある。私は西武新宿線沿いに生まれ育ったが、生まれて初めて武満徹その人と遭遇したのは、中学生時代、「小平」駅で停車してた電車のなかで、ふと見ると目の前にNHKのドラマ「夢千代日記」の台本を読みながら座っている武満その人を見たときであった。このときに、訊きたくて訊けなかった少年時代からの問いがある。実際にそれを訊いたのはずいぶんあとになってからである。その質問とは、有名な作品「ノヴェムバー・ステップス」の末尾に関するものだった。尺八に深く吹き込まれる一音をもって全曲は終わるが、音楽は閉じられる印象なしに沈黙へとつながっている。「11月の梯子」という、やや謎めいた印象的なタイトルとともに、この11段は、沈黙という書かれざる「12段」、終わることのないケージの言う意味での沈黙へと開かれているのではなかろうか。後年(1992年)私は、参加していた「テンプス・ノーヴム」という作曲グループのチラシのために武満に書き下ろしの原稿を依頼し、武満は実に彼らしい、美しく、かつ私たちにはなにより有りがたい推薦文を送ってくれた。この原稿依頼の折りに、私は長年胸に秘めていたこの問いを直接武満に尋ねてみることにしたのだった。話の半ばでさり気なく訊いたのだが、彼は直接言葉で応えることはなかった。だが、そこで見た彼の笑顔はつい昨日のことのように思い出されてならない。同じ時期、新日本フィルハーモニー交響楽団のエキストラ鍵盤奏者として私は何曲かの武満作品(「ヴィジョンズ」「マイ・ウエイ・オヴ・ライフ」など90年代初頭の作品群である)の日本初演に参加していたが、リハーサル中に質問に行ったときのやりとりを含め、音楽的に忘れられない思い出である。千日谷会堂で長い列にならんで焼香した彼の葬儀の折り、やっと巡ってきた自分の番の折りに「ノヴェンバー・ステップス」が流れだし、私は息がつまるような思いで彼の写真と直面して、しばらく(実際2分近く立っていたように思われる)動くことができなくなった。それ以来、身の内にあったなにかに触れてしまったような気がしてならない。

今回の企画の時期と「12月」というタイトルの近接とずれは偶然の結果である。水の曲一曲ではなく観世さんともう一つなにか作るという話も、打ち合わせの中からほぼ偶然のように出てきたものである。だが「沈黙という12月」という、もしかすると私の思い過ごしかもしれない記憶と武満のあの笑顔とが結びついたと、私は「12月」と名付けられた比較的短い器楽の作品にある確信を持った。これを武満のために書き、演奏することから逃れられないと思っている。この「12月」と重ねて、NTT CS基礎研究所の委嘱で作曲している「能オペラ『邯鄲』【夢の段】」とを同時演奏する形で、この楽案を実現したいと思っている。特に、観世榮夫氏には(流派が異なり恐縮なのだが)宝生流の「邯鄲 傘の出」に近い形でご相談し、雨を愛した個人に手向ける一輪の花としたい。三島の近代能楽集の「邯鄲」末尾には以下の様にある。

「やあきれいだ、庭じゅうの花がさいたよ」(囀声頻りなり)

「ふしぎだ・・・・・ふしぎだ・・・・・庭が活き返った・・・・・。」

もうひとつ、武満の60年代を特徴づけながら、極めて演奏頻度の少ないものに「シアターピース」的な作品がある。特に「七つの丘の出来事」および、この「一柳 慧のためのブルー・オーロラ」の2作品には強い興味を持っていた。今回、能楽堂という空間で改めて、一柳さんご本人とこれを新たに作り直すことを考えた。一柳さんは武満さんと並んで10代の僕の憧れであり、彼らの作品にふれ、それらを演奏すること(得てして先生たちには秘密にせざるを得なかったが)からどれだけ多くを得たことか。その一柳さんとこの1月にはセッションのような形でご一緒する機会を得た。冒頭、一対一のような形で一柳さんと対峙する羽目になり、事後も含め改めていろいろなことを思い知った。ブルー・オーロラに深く期待している。これら2曲は、器楽奏者の編成を適切な形で考えたいと思っている。

ふたつのプログラムの全体を締めくくるものとして、アルト・フルートとギターのための「海へ」を演奏したい。武満らしい、さり気ない「うた」と武満の音楽のもつ厳しい内容とが奇蹟のように結晶した作品であると思う。私個人にとっては武満の日本初演を初めて聴いた作品でもある。海、それはまた数多くの「音の川」の注ぐ海、オーシャンであるかもしれない。昨年ケージの「オーシャン」をマース・カニングハムと共演したときにも「海へ」のことを幾度も思った。そんな記憶から「海へ」の後に「静寂の海」の流れるロビーへ、暮らしへと聴衆を誘うことが、許されて良いのではなかろうか。(いとうけん)


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