NTT コミュニケーション科学基礎研究所 研究制作プロジェクト


リサーチし、制作し、演奏する 1 声による空間定位と身体化・・・主に日本の口承伝統の事例から

(音楽について考え、調べ、準備し、制作し、実際に演奏するという、それらの全体が揃って ミュージックライフの基本形です。そういう当たり前のことを、私たちの同時代の諸科学と 参照しあいつつ、オーソドクスなモーツァルトやシューマンの演奏から、西欧近代の音楽思考 全体をずらして行くような戦略的制作、さらに雅楽や能楽、あるいは口琴やホーメイといった 西欧近代的な音楽パラダイムから完全に逸脱しつつ、実はそれらが内側に抱える問題を最も エレガントに解決してしまう系に至るまで、一つの身体の中で矛盾なく捉え直すこと。これが CS基礎研での私のプロジェクトの基本的なスタンスです。)

イントロダクション 『学際的リサーチ = 制作』のパラダイム

  新たに改組された『NTT コミュニケーション科学基礎研究所』の研究制作として、 従来、専門性の間隙に入って、学際分野としても扱うことの難しかった対象を、 複数の専門的背景から学術的に検証すると共に、それら考察から得られる新知見を もとに新たな制作を試みる。

いわば、研究者の視点から新現象を摘出し、それを「見立て」「あしらう」形で作品 や上演の制作に転化して行きたい。ポスト・デュシャン〜ケージの No Creation を 社会的に既存な記号の再編集でなく具現化する一つの方策として、研究者が脳研究などの文脈で新たに見出す知覚的な音現象自体を取り出し、端緒としてのフレームを 与える。音楽の文脈で言えば、ブーレーズ的な体制化、クセナキス的な統計性、リゲティ的な錯覚性など複数の問題系を背景としている。直接的には高橋悠治に多くを感謝しなければならない。

本年度は、実空間で響くものとしての声と身体との関係を、主に日本の伝統芸術の事例で考察し、得られた知見に基づいて制作を行う。

主に口承により伝えられる伝統芸能は、いわば伝承者の身体に芸能が書き込まれる形で受け継がれていると言うことができる。多くの場合、その書き込みの「タイムコード」的な様な役割を(言語的な意味を持たない)「声」が担っている特徴がある。やや標語的に言うなら「伝承は声によって身体に書き込まれている」と言うことが出来るだろう。非筆記的な方法をもって身体技術が伝えられる、そのプロセスに、主として90年代以後の、ディジタル・ベースの音響情報処理技術、聴覚認知科学、ポスト・ギブソン的なComplex system study としての生態認知的手法などを併用してアプローチすることで、従来の音楽研究、あるいは音楽制作などに用いられているものとはパラダイムとはドラスティックに異なる幾つかの具体的手法を導くことが出来る(詳細は学位論文参照)。これらは単に新しいという以上に、20世紀後半の複数の研究動向の流れの中で未解決だった問題に解答を与えるべく開発されたものであり(例えば「シェーンベルク-ブーレーズのシュプレッヒ・ゲザング問題」など)その妥当性と有用性が確認されているが、これらを用いて雅楽や能楽など日本の伝統芸術にアプローチすることにより、旧来、西欧中心的な文脈からはエキゾティックな対象とのみ捉えられがちであったこれら日本の音楽が、むしろ西欧音楽の抱える中心的問題に正面から解答を与えるものであることをもつまびらかにできる、という意味で、日本の事例を扱いながら、評価の水準として国境を超えた汎用性を持つものと言うことができる。

また、これらは工学的、あるいは認知科学的な専門の見地からも新しい可能性を開くものとして捉えることが可能である。

例えば、筆者は既にNTT CS基礎研究所の小坂直敏らのグループとの共同作業による、音響音声のシニュソイド分解・合成モデル・及びシステムを用いた予備的な考察によって、古典的な「正弦波音声」にも近い圧縮されたシニュソイド情報(2000以上のサンプリング要素からパワースペクトル順に30、20あるいは10、5までシニュソイド片数を減少させる、など)でも、ヒステリシスなど条件によれば、かなりの範囲で話者の特定やその年齢、性別の特定が可能であることを追確認した上で、脳内での、音声情報による言語要素の認知的再構成システム(いわゆる「スピーチモード」などを含む)を念頭に置きつつ、限定された(通信)音声要素からいかに陰伏の情報を含めた現実感をもつ「実空間の音場」を再生してゆくか、という問いが立つ。これは「音楽」といった枠組みを超え、興味深い問題であると思われる。

また、音声認識や音声合成、あるいは符号化やといった問題では音声認識の空間性が 従来見落とされがちであった。NTT CS基礎研究所の柏野牧夫らは、あるシラブル、あるいはそのフォルマントを構成する複数の帯域周波数成分を空間的に多チャンネルに分割することで、言語としての認識される音声音源の空間的定位の錯覚性を明らかにしている(1998-99、準備中)。

電話などの通信における音声情報の圧縮と音声ヴァーチュアル・リアリティにおける臨場感などは、どちらも基礎研究の重要な主題でありながら、その研究指針がほぼ正反対の方向を向くものと捉えられがちであったといえよう。

実際、こうした境界領域での問題の立てられ方は、未だ多くないと思われる。これら 複数の背景を連立して具体的な音声対象を考察することで、ドラスティックに新たな知見が得られはじめており、その一部として芸術音楽における多年の問題に対するいくつかの解答も含まれるのである。

上に見るように、筆者のアプローチは、学際的な領域で学術的な視点から新たなパラダイムを見出し、そこで得られる新たな切り口、あるいは現象そのものを「アート」として提出するというスタンスを取っている。このことは、ラテン語で言う「アルス」の語義にも近い、寧ろオーソドクスなものであると考えている。実際、中世大学における「自由七学科」中の「音楽Musica」は「変動する量の調和と、それに関わる人間の道徳の学」として捉えられており、古くは今日でいう物理学や心理学、医学に近い内容をも対象としていた事が知られている。NTT・CS基礎研の研究制作の為の基本的スタンスとして、学際的な新パラダイム生成のアート=サイエンス=テクノロジーのストラテジー化を提案したい。単一の理学的、あるいは工学的関心によってはなかなか実現できない重要な問題を具現化すべく束ねる自在な枠としての「アルス」 すなわちアートは、新規分野の開発とそこでの新たな探究の可能性を開くものである。近い例としては、P・ブーレーズらの尽力で創設されたフランス国立音響音楽研究所IRCAMの事例を挙げることができるだろう。IRCAMでの精力的な研究開発はディジタル化初期の音響音楽情報処理の科学技術全体に絶大に貢献し、その成果である開発物(IRCAMボードなど)が当初の短期的目標であった芸術音楽の枠を遙かに超える波及効果を及ぼした事は記憶に新しい。

かつてのIRCAMが果たしていた役割の担い手が見られない国際的な現状のもと、上に挙げたような課題はCS基礎研の研究制作の対象として取り上げる充分な価値を持つものと考えられる。そのような展望を持ちつつ、イニシャル・アプローチの意味をも持ち得べく、具体的なプロポーザルを提出するものである。

声のプロファイリング

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