身体〜時空間へのアプローチ、武蔵野美術「季評音楽」連載から抄


詳しくは武蔵野美術大学出版会「季刊武蔵野美術」をご参照ください。

武蔵野美術 季評音楽 1999 春

響きと耳のクロニクル ・1999-2000

                                  生前のパウル・クレーは、自宅では暇さえあれは室内を片している掃除魔だったという。身の回りの片づけや小物の整理の性癖。そんな逸話が彼がバウハウスで展開した精緻な理論構成を想起させる...? 少し視点を換えて考えてみよう。ジェームズ. J. ギブソンの提唱した生態光学、アフォーダンスに代表される行為の認知科学。ギブソンは「自己」の受容器を身体の外部に措定する。あなたが「いま・此処」で見ている世界、その世界像によってのみあなたの視覚的意識という知覚現象が定位する。目を瞑れば外界の視的世界像はない。見ること、それによってのみ視覚的な自己が時々刻々に定まり更新されて行く。ギブソンはセルフを身体の内部に切断するデカルト的世界観に背を向け、身体、行為が世界と関わり合うことで出来事としての私、現象としてのあなたが立ち現れ続けると主張する。

セルフ、あるいは自我は、身体と関わりあう環境世界の像として瞬間瞬間に構成される、と考えるとき、食卓を片づけるクレーはその行為を通じて一面セルフ=自らの世界像を構成し直していたと言えるかもしれない。少なくともこの作家の画布の調整に始まる、ユニークな材の利用法や平面性を逸脱した作品の在り様を見れば、掃除魔クレーが世界を何と視ていたか思いを致さぬ訳にゆかない [Fig.1] 。世界が分節され、同時に身体〜自己も分節される。我知らずクレーの身体はそんな生活と仕事の営みを獲得したのだろう...我知らず、確かにそうなのだ。意識にそれと気づかれる以前の行為、気付きに先立つ身体の営み。これからしばらく、私たちは耳〜からだと世界〜響きのそのような関わりについて考えてみたい。時代が動きつつある千年世紀の遷り目の 「いま、此処」で。

ヴァイオリニストでもあったクレーの芸術思考は音楽と深く関連しているという。またピエール・ブーレーズの様に、クレーから音楽の思考を紡ぎ出した者もいる。ここで時代と環境を思い出そう。クレーがバウ・マイスターを務めた1920年代は、ラジオ放送などを通じて生活環境へ音声マスメディアが導入された時期でもある。それらを通じ人々の耳の生活の中に、従来と全く異なった音や声がもたらされ始めた [Fig.2] 。もしラジオ放送やニュース映画等が無かったら、20世紀前半の人類史にファシズムの創発は見られなかったろう、吉見俊哉の仕事は私たちにそんな思いを抱かせる *1)。掃除魔クレーは家の中に土足で乱入してくる音の訪問者、ラジオなどの音声メディア [Fig.2] をどのように「片づけ」ただろうか。未だ確認していないが、ブーレーズに倣って、音に関わるクレーの多くの作品(例えば「囀り機械」)が画家の耳の想像力、Stille【沈黙】の中で自由に羽ばたくことを思い出そう。クレーが【沈黙】の権利を養護したろうことが容易に想像される。この【沈黙】はまたサティやケージのSilence<沈黙>以上に、記憶と身体知覚の循環系と強く関わる【沈黙】、ブーレーズ自身やアドルノが戦時の記憶と共に忘れ去ろうと努めた、期待と思いに満ちた身体の愉悦を誘起し続ける、危険で惑乱的な【沈黙】である。

先に「我知らず」と書いた。意識現象を中枢神経系の生理学から観るとき、耳からもたらされる情報は、その取り扱いが実はいささか面倒である事実に、ここで注意しなければならない。外耳道から鼓膜、耳小骨を通じて蝸牛にもたらされた音情報はそこでアナログ・ディジタル変換され、蝸牛神経以上の中枢側では神経発火のインパルスとして中枢系へ上向伝達されると理解されている [Fig.3] 。この信号は延髄の側部などを経由して、後には「悟性の場」とされる領域(たとえば前頭葉連合野)にも導かれる。だがそれ以前に、信号は扁桃体など、内分泌系と直結した中継核に入力されてしまう。意識より先に「体が変化してしまう」ことを強調しなくてはならない。具体的に考えよう。すぐ真後ろで爆発音がすれば、多くの人間は《それが何か》などと考える以前、まず「反射的に」逃げたり伏せたりするはずである。別の例を挙げよう。文字づらで見ればどんなに素晴らしい言葉でも、それを怒鳴り声で聴かされるならまず「怒鳴られている」ことが理性に先だって知覚され、情動回路その他が先に発動し始める。耳は二重に無防備だ。一つは目のように瞼を閉じることができないこと、遮断の自由を持たないという意味で。いま一つは、いま耳にしている音を理性的に分析しようとする瞬間、すでに身体はその音によって内側から変化させられた後だという意味で。音にあっては意識の「気付き」は必ず行為に遅れるのだ。

だから私たちは「気付きが走る」あるいは意識が立ち上がるより以前に、環境に導かれ、既にある音や声に、とりわけ注意しなくてはならない。クレーは自らの生の空間の中に導びかれる音や言葉、それらの響きを、どの様に慎重に吟味しつつ耳を澄ませたのだろう? ナチスの迫害にあってデュッセルドルフからベルンへ『亡命』(1933年)したのち、最晩年のクレーは身体の自由を失いつつも台所のテーブルで膨大な数のデッサンを遺した。仕事の合間にクレーはラジオ放送を聞いたというが、スイスでも受信可能なナチス・ドイツの公営放送--ゲッベルスらの仕掛けた「退廃美術展」と同様の情報戦略に基づく音と声のアジテーション *1)-- はクレーの耳にどう届いたのだろう...少なくとも画家はスイッチを切る自由だけは確保していただろう。「『囀り機械』は、プルーストの『ヴァントゥイユのソナタ』と同様に、沈黙の中でもっともよく機能する*2)」のだから。

現在の広告代理店的なイヴェント攻勢やマス・メディアを用いた情報戦略の多くは、ナチスの情報操作に直接的起源を求めることができるという。端的な例は今日のショーアップされたオリンピック競技大会である--私たちは昨年、長野で行われた何かを記憶しているわけだが--このようなオリンピックの演出は1936年のベルリン大会以降に見られる様になったらしい。私たちは自らを取り囲む世界によって「我知らず」つまり不可避的に自らの意識する以前、身体から先に調律されてしまう。時に人は、そんな「祭りの後」に何かに気づくことがある。ハンナ・アーレントは「アイヒマンについて問題となるのは、彼が倒錯者でもサディストでもなく、驚くほど正常で、私たちと同じであるということなのだ *3)」と記した。後から気づくこと、充分な緩和時間を経てから気づくことは難しいことではない。問題は行為のさなかにあって私たちの意識が何に目を留めるかということだ。ラジオ放送とファシズムの創発は過去の寓話に過ぎないか? 1933年と99年と、ヒトの身体の遺伝、器質的特徴にどんな変化があったと言えるのか?? 実際90年代以後でも、アルジェリアやルワンダの内戦など、音声の関わるメディアが私たちの内なる暴力を励起して、我知らず「行為」へと駆り立てる例には枚挙のいとまがない。先のギブソンの立場からは、そのように導かれる音、響きの現象が環境としての自己を定位して、意識は気づかぬまま身体が行為へと導かれて行くことになる。本質的に言語で「語り得ない」そんな行為が、パフォーマティヴな一つの問題系を自ら紡ぎ出す。

ギブソンに従って『私』が観、聴く『世界像』が『私』のセルフを構成するとするならば、同じ風景を共有するふたつの視点はいかに関わり会うのか。さらには複数の視点同志がお互いを見つめあい、あるいは聴きあうとき、そこに生まれる間身体的な関係性はどのように捉えられるのか? ギブソンは「自己認識する自己」あるいは「間身体性」といった視点を問題の定義域の外に置いた。そのようなギブソンの方法論は、ジョン・ケージの問題設定をケージ流に解き直す上で極めて有効だと思われた 。しかしこれには、ケージたちニューヨーク・スクールの、相互無干渉なドライな空気が幸いしていることも指摘せねばならない。自己認識する自己、あるいは相互に認識しあう複数の身体と他者性などの問題をケージの地平から出発しつつ、いかにケージを裏切っていかに展開できるか。自我論と間身体論の交叉するこのような問題意識はナイーヴだが、アートとか哲学、あるいは認知科学といった分別以前の強度を持っている *4)。そしてそれに直接答えてゆく試みはすでにアートとサイエンスの垣根とは別の、一つの地平の上で展開されるのだ。いささか先走って言うならば、生理学者シェリントン(『シナプス』の発見者でもある)の考察を基礎に物理学者シュレーディンガー(量子力学を波動方程式で定式化した仕事で知られる)が展開した意識論、とりわけファシズムを時代背景としつつ展開された群体としての生命の集合的な意識の議論(しばしばオカルトと誤解されるが、極めて誠実な唯物論に基礎づけられている)を、今日新たなトゥールをもって読み直すことに強く興味を惹かれている。初期の分子生物学からウパニシャッドまで援用しつつシュレーディンガーが展開した生命論は、19世紀末ウイーンの問題意識に端を発しつつヒト群体の生命の問題に関して、社会主義や全体主義ではなく、またユングやラカン、その他あらゆる既成のアプローチとも隔たって、ある重要な視座を提供している。そしてふとした契機にそれと知った、シュレーディンガーのこの生命観と舞踏家・大野一雄の「いのち」の捉え方との注目すべき並行性。それに気づいてしまった以上、語り得る限りをひとまず尽くした後、私たちは行為へと赴かないわけにゆかない。

98年のマース・カニングハム舞踊団とのコラボレーション、ジョン・ケージとマースの最後の共作コンセプト「オーシャン」での仕事[Fig.4] (筆者はケージの担当した管弦楽監督を務めた)や、99年の大野一雄、磯崎 新、一柳 慧各氏とのセッション「テロスを消去・・・1999」 [Fig.5] など一連の仕事は、このような背景をもって十数年来抱いてきた問題に対して、前提となる考察を経て *4)、私自身の体も無防備な状況に晒しながら継続的に展開するアプローチの口火を切るものである。常に刻々と更新し続ける行為をもって事態=世界=身体を引き受けてゆくこと、そのような行為と言語の往復プロセスによって、新たな存在の相への転移、その創発が許容されるのである。

音楽に限らずアクティヴィティを一般論で語るほど空しいことはない。私は飽くまで個別的な身体と耳のクロニクルに終始する。そこから季節や時代の何かが、読者の中で走り始めるのを待ち望む。筆者として与えられた契機で可能なのは過不足なくただそれだけだ。

                                       [Fig.1] パウル・クレー「歌姫ローザ・ジルバーの声の布 DAS VOCALTUCH DER KAMMERSAENGERIN ROSA SILBER (1922)」石膏を地塗りしたカンヴァス、ガーゼ及びグアッシュ。この作品はナチスによる1937年の「頽廃芸術展」で展示された。

[Fig.2] ナチス・ドイツによるラジオ受信機の宣伝ポスター。吉見(1995) [ *3) を参照 ] p.259より転載。

[Fig.3] ヒトの聴覚路。画像はプラスティネーション加工されたヒト脳の断面図。末梢からの入力は意識に掛かる以前、中継核を通過するプロセスで先に情報が身体を決定的に変化させてしまう。NTT CS基礎研究所 柏野牧夫氏のご厚意による。

[Fig.4] マース・カニングハム舞踊団公演「オーシャン」 98年10月31日+11月1日、 新潟市民芸術文化会館。

[Fig.5] 大野一雄 + 磯崎 新 + 一柳 慧 + 伊東 乾「テロスを消去・・・1999」99年1月28日+29日、東京オペラシティタワー、近江楽堂。

*1) 吉見俊哉「声の資本主義」 p.257 〜 講談社 (1995) 及び同書p.280以下に記載の文献も参照されたい。

*2) ピエール・ブーレーズによる。詳しくはブーレーズ、笠羽映子訳「クレーの絵と音楽」筑摩書房 (1995) に 。

*3) ナチス・ドイツの「ユダヤ人問題の最終解決」で、現場の最高指揮官を務めたアドルフ・アイヒマンは戦後、地下ルートを経て南米に脱出、アルゼンチンのブエノスアイレスに居住していたが、冷戦中期の1960年、イスラエルの諜報機関によって身柄を拘束されイェルサレムに強制送致、特別裁判にかけられ死刑を宣告された。哲学者のハンナ・アレントはハイデガーやヤスパースに学んだのちアメリカに亡命したユダヤ人女性だが、このアイヒマン裁判を傍聴したうえ、著書「イェルサレムのアイヒマン」で上の様に記した。今日ナチスの問題だけをスターリニズムや戦後の中東でのイスラエルの挙動と無関係に考察することはできないだろう。それ以前の問題が重要な筈である。過去の問題ではないからである。アドルフ・アイヒマンは1962年5月29日に再審請求が却下され、2日後に刑が執行された。

*4) 細かい議論は「動力学的音楽基礎論」(博士論文、刊行準備中)で詳述した。

                         (いとうけん 作曲・指揮)

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