外傷センターの整備は緊急の課題

 

益子 邦洋

(日本医科大学付属千葉北総病院 救命救急センター)

 去る6月8日(2001年)午前、大阪府池田市の大阪教育大学付属池田小学校に、出刃包丁を持った男が乱入して児童ら23人に切りかかり、8人の児童が胸や腹を刺されて死亡した事件は日本国中を大きな悲しみと恐怖に陥れた。

 突然の忌まわしいとしか言いようのない事件で最愛の子供を失った両親の嘆き、悲しみ、怒り、やるせなさは察するに余りある。無理矢理失われた8名の幼い命に対し、心からご冥福をお祈りすると共に、今もなお病室で回復に向けて闘病しておられる児童ならびに先生に対し、一日も早いご快癒を祈るばかりである。

 現場活動における負傷した児童のトリアージ、個別の児童に対する観察と判断、応急処置ならびに病院選定、搬送方法、医療機関内での経過などについてはこれから関係機関により検証作業が行なわれ、近いうちにその全容が明らかにされることと思われるが、それにつけてもわが国に外傷センターが整備されていない現実を憂いているのは筆者ばかりではあるまい。

 厚生労働省発表の死因統計によれば、不慮の事故による死亡は悪性新生物、心疾患、脳血管疾患、肺炎に次いで第5位であるが、これからの日本を担うべき1歳〜24歳の小児ならびに青年では死因順位の第1位である。

 また、消防庁統計によれば、平成10年中に全国で救急車により搬送された重症以上の傷病者数は、交通事故で46,297名、一般負傷で42,069名、その他(加害、自損行為、労働災害、運動競技、火災、水難、自然災害など)で145,001名であり、交通事故により毎年約100万人が負傷し、約1万人の命が失われているといわれる。

 わが国においては昭和52年より、虚血性心疾患、脳血管障害、重度外傷、広範囲熱傷、急性中毒などを主な診療対象とする第三次救急医療施設として、救命救急センターの整備が開始され、平成13年1月現在157施設がその認可を受けている。しかしながらその要件は表1の通り、あらゆる種類の重症救急患者を24時間体制で受け入れることとなっており、外傷診療に限って特別の整備基準を示しているものではない。


(表1)

 一方、米国においては1971年にイリノイ州法で外傷センターの指定が行なわれたのをきっかけとして、瞬く間に全米に外傷センターが設置されて行った。

 現在、レベルT〜Vの外傷センターが各州で認定されているが、その根幹をなすのは、公的な外傷センター認定組織、米国外科学会外傷委員会の定めた認定基準、人口や傷病者数に応じたセンター設置基準、直近の医療機関をバイパスするためのトリアージ基準、外部評価機関の設置、州全体をカバーするシステム構築である。

 そして外傷診療の質の管理も徹底しており、外傷登録制度(trauma registry system)を導入して、防ぎうる外傷死亡(preventable trauma death;PTD)を出来るだけ少なくするための努力が継続的に行なわれており、外傷診療の質の向上に寄与している。

 翻ってわが国の救命救急センターの現状を考えた場合、外傷診療の質という点では未だ多くの課題を残しているといわざるを得ないのである。確かに具体的な設置基準や要件が示され、それに準拠して救命救急センターが整備されていったのは望ましいことであるが、一方でその機能や診療内容を定期的に評価するシステムについては未整備のままであったからである。

 このような背景を基に厚生省は平成11年度より救命救急センターの評価を開始した。その詳細は「アスカ21」第34号(平成12年4月発行)において述べた通りであり、当面は診療体制の評価が中心となっているが、今後は診療過程や診療成績についても評価することが考えられている。

 一方、日本救急医学会診療の質評価指標に関する委員会(委員長:昭和大学救急医学、有賀 徹教授)では10項目の臨床評価指標を作成し、全国の救命救急センターや日本救急医学会指導医指定施設においてアンケート調査をおこなった。

 その調査結果は昨年11月の日本救急医学会において報告したが、このうち一部の結果は極めて示唆に富むものであった。すなわち、ショックを伴う腹部外傷例において来院から開腹手術までに要した時間は、多くの施設で1〜4時間であり、平均は3時間24分、4分の1の医療機関において4時間以上という結果であった(図1)。


(図1)

 また、0〜64歳で軽度の意識障害(ジャパンコーマスケールで0〜30)を伴った単独頭部外傷の死亡率をいくつかの因子に分けてクロス分析したところ、対象となる頭部外傷例の症例数が多い施設ほど、そうでない施設に比べて死亡率が有意に低いことが明らかになったのである(図2)。


(図2)

 重度外傷例では時に胸腔内や腹腔内への大量出血により時々刻々病態の悪化を来たすことが知られており、救命の鍵は受傷から1時間以内に手術が開始できるか否かにかかっているといわれる。これがいわゆる外傷治療における「ゴールデンアワー」の概念であり、基本的に二つの要素から成り立っている。

 すなわち1つは救急現場で適切な傷病者観察と応急処置ならびにトリアージを行い、適切な搬送手段により適切な医療機関へ迅速に搬送するプレホスピタルケアが必要であるとされ、一般には119番通報から30分以内に病院へ搬送することが求められている。

 もう1つの要素として、出血性ショック等で手術が必要な患者に対しては、初期評価、蘇生のための呼吸循環管理、緊急検査を迅速に実施し、来院から30分以内に手術が開始できる病院内体制が必須であるとされている。

 しかしながら今回の調査結果ではこの基準を満たした救命救急センター等は僅か2か所に過ぎなかったのである。これでは直近の医療機関をバイパスしてでも、緊急手術を含む高度な治療が迅速に行える救命救急センター等へ一刻も早く搬送すべきであるといくら言ってみても説得力がないのは誰の目にも明らかであろう。

 また、症例数が多い施設ほど治療成績が優れているのは何も外傷治療に限ったことではない。心臓疾患に対するカテーテル治療成績、脳血管障害に対する手術成績、癌に対する外科治療成績など、どれ一つを取っても、多くの症例を集積し、診断ならびに治療技術の向上を日々めざしている施設の治療成績が優れているのは、さまざまな領域ですでに証明されている事実である。それゆえ、循環器病センター、脳卒中センター、癌センターなどが全国で次々と整備されているのである。

 したがって我が国における外傷診療の質を高めようとするのであれば、外傷センターの整備なくしてその目的達成は到底不可能と言わざるを得ないのである。

 救命救急センターが主として急性期の2週間に限定した救命救急医療を担当するのに対し、外傷センターは外傷患者のプレホスピタルケアから救命救急医療、更にはリハビリテーションまでを一貫した方針の基に運営する医療機関として位置づける必要がある。同時に外傷登録を義務化する法的整備を行なうことにより、質の管理と向上を継続的に図る体制を構築しなければならない。

 交通事故、労働災害、傷害事件、その他不慮の事故による外傷死亡を少しでも減少させるために、わが国でどのような外傷診療システムの構築が必要なのか、今こそ関係者が一丸となって検討すべき時に来ている。

(『アスカ21』第39号、2001年7月25日刊所載)

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