<HEM-Netシンポジウム>

ヘリコプター救急システムの構築

大月 雄喜章

(日本航空技術協会アドバイザー)

 HEM-Net(ヘムネット)という耳慣れないNPO法人のシンポジウムが平成15年10月31日、都心で開かれました。NPOとは非営利の特定活動法人で、法人の名前は「救急ヘリ病院ネットワーク」。HEM-Netはその略称で、HEMはEmergency Medical of Helicopter and Hospitalを縮めたもの。救急医療(EMS=Emergency Medical Service)に積極的に、ヘリコプターの活用を働きかける事を目的とする団体です。

 HEM-Netの発足は平成11年12月。現在18の企業、病院や医療機関などが会員となって、官公庁や関係機関に「ヘリコプター救急システムの構築」のための提言をしています。ネットワーク傘下の病院は全国で50を超えました。

 HEM-Netは平成13年11月にも国際シンポジウムを開催しています。

救急現場で初期治療

 重症の外傷患者は、事故発生から20分以内に初期治療が受けられるか否かで、生死が分かれるケースが非常に多いそうです。そして、40分以内にしかるべき病院に収容し、本格治療が開始されると後遺症が残らず、社会復帰できる可能性が飛躍的に高くなります。

 このシンポジウム中のある講演によりますと、受傷時の生存確率が8%しかなかった患者さんが、ドクターヘリによって現場と飛行中に初期治療を受け、救急病院で本格治療を受けた結果、3ヵ月半後に後遺症も残らず社会復帰できたそうです。

 この生存の確率というのは、医学的に証明された計算式に受傷時の心拍数などの諸データを入れて計算するもので、上記の20分、40分を超えると急激に低下するといいます。このケースでは、もしヘリコプターを使わなければ、患者は病院搬入以前に死亡していたと推定されます。まさしく「ヘリコプターは命を救う」と言えましょう。

 さらに、後遺症が残らないということは、植物人間となって莫大な医療費負担の発生が避けられただけでなく、社会復帰してGNPに貢献する事が出来るのです。

 この「現場および飛行中に初期治療を受けられる」という事が、ドクターヘリの最大の特徴で、単なる迅速な搬送手段ではありません。

基調講演とパネル討論

 HEM-Netの現在の理事長は、元警察庁長官・前スイス大使の國松孝次氏です。シンポジウムの開始に先立ち、取材に訪れた多数の報道関係者に対し、国松理事長、西川渉理事、邉見弘理事による説明会がありました。

 基調講演は「HEM-Netの活動計画」を国松理事長、「米国ヘリコプター救急調査報告」を西川理事、「ドクターヘリの成果」を川崎医科大学救急医学小濱啓次教授がおこないました。

 パネル・ディスカッションでは、「ヘリコプター救急システムの構築をめざして」のテーマのもと、警察庁(生活安全局・交通局)、総務省(総合通信基盤局・消防庁)、厚生労働省(医政局・保険局)、国土交通省(道路局・航空局)、全日本航空事業連合会、日本医科大学付属千葉北総病院救急救命センターなどの各官庁と団体より、第一線で業務にあたっている方々10名が参加しました。討議に入る前にそれぞれの分野の活動について講演があり、その後は会場参加者も含めて活発な質疑応答がなされました。

横断的な論議の場をつくる

 理事長挨拶を兼ねて行われた國松氏の基調講演は、HEM-Netの役割を説明し、救急ヘリネットワークの構築と運営の方策を探るのが、このシンポジウムの目的であると述べています。わが国におけるヘリコプター救急システムの構築とその運用が、基本的には「官」の行うべき仕事である事は十分に認識している、と強調しました。

 もとよりHEM-Netが直接救急ヘリを運用するのではなく、NPOとして民の行うべき仕事は数多くあると思われます。従来ヘリ救急システムについては、関係組織の横断的な論議の場がありませんでした。HEM-Netはその音頭取りとなるでしょう。「官」の事業を補完し、官民一体となってより効果的な"命を救う"システム、つまり「ヘリコプターを必要とするときに、そこにある」の実現に努力したい、と結びました。

 前出の「ヘリコプターは命を救う」は、ヘリコプターに詳しかった衆議院議員の故佐藤文生氏が提唱した言葉です。

海外の先進事例と日本の現状

 HEM-Netは、事業の一環として、すでにヘリ救命システム先進国のドイツ、スイスを初めとするヨーロッパやアメリカに調査団を派遣し、報告書をまとめています。両報告書ともすでに関係先に提言資料として提出され、このシンポジウムでも配布されました。このうちアメリカの現況については、西川氏が講演しました。

 日本より少し国土の狭いドイツでは、全国に69箇所の拠点を持ち、日本の10倍相当の密度で配置されたドクターヘリが、1機平均で年間1,000回の出動をしているそうです。そしてヘリコプター救急が始まってから最初の20年間で、交通事故の死亡者は3分の1に激減しました。

 日本では、地方自治体の消防・防災ヘリコプター68機が全国に配備されていますが、専用のドクターヘリは千葉、神奈川、和歌山県など全国でまだ7箇所7機しかなく、厚生労働省の目標30機には遠く及びません。

 小濱氏は「日本では厚生労働省の試行事業から、本格運用に入ったところであり、その効果は既に実証されている。関係官庁はそれぞれの立場で大変努力されていて、改めて敬意を表したい。この会議は官を追求する場ではない」とまず話しました。日本は世界有数のヘリコプター保有国でありながら、最もふさわしい任務である救急ヘリの普及が遅れているのは、どこにネックがあるのかを検証したい、としています。

 ドクターヘリの定義の一部に「基地に常時待機し、医師と看護師が同乗していること」「必要な初期治療が施せる設備を機内に有すること」とあります。つまり現場で即座に治療を開始できるのがドクターヘリの特徴で、救命率を上げ、後遺症を減らす決め手となります。

 自治体の防災ヘリや消防、海上保安庁、警察、自衛隊のヘリも救急には活躍していますが、空飛ぶ救急車が任務です。特に消防や防災ヘリは救急だけではなく、捜索救助や火災出動など広範囲な任務があり、救急車とパトカーと消防自動車を一緒にやっているのが実情なのです。

ドクターヘリの費用負担

 今年6月愛知県下の東名高速道路で発生した多重玉突き事故の事例検討会がHEM-Net主催で7月に東京で開かれ、8月に報告書として関係先に提出されています。

 今回のパネル・ディスカッションは、この事例検討会も踏まえて多角的、横断的に検証されました。この報告書は今回の資料として、参加者に配布されています。

 10名のパネリストの、スライドやパワーポイントを駆使した講演は説得力のあるものでした。2時間以上におよぶ討議のすべてを収録するのは不可能ですが、会場からの質問も含めた要約としてまとめます。それぞれの立場からの、理想と現実のジレンマが伝わって来るようです。

 平成16年度の救急救命センター運営費補助金・予算要求は7億6,400万円です。総体的に予算削減の中で、前年度より多少増額されました。補助率は2分の1で、つまり国と地方自治体で折半しています。平成15年度では、専用ヘリ2機が追加配備の予定で予算が組まれましたが、まだ実現していません。

 ドクターヘリの1機あたりの年間運航費はおよそ2億円で、これは機体購入費を除いた数字です。自治体からのヘリ運航費補助金は1億5千万円ですから、ヘリ会社にとってドクターヘリは少なくとも現段階では赤字となります。理想的には日本全国で100機ですから年間200億円、国民一人あたり年間200円弱の負担です。

 ドクターヘリの運航費は、アメリカでは医療保険による患者負担、ドイツは社会保険、フランスは全額国庫負担、スイスは独自のシステムで民間寄付、医療保険と会員制度による患者負担の合体となっています。

 厚労省保険局によると、日本では国民皆保険の建前から、治療費は健康保険でまかなえるが、治療現場まで行く費用はカバーできません。しかし、事故現場から治療開始するというなら保険対象となる可能性はあります。今後の検討課題でしょう。

 運営主体はフランスと日本が「官」で、アメリカは民間、スイスは赤十字を母体とするREGAという団体、他は半官半民の独立法人のようでした。

 そのスイスでは、高速道路に救急ヘリが着陸するのは日常の事だそうですが、日本では高速道路に着陸したケースは今までに10回以下です。国交省道路局によると、高速道路本線上やサービスエリアでも照明や植栽があって、実際にヘリの発着につかえる個所は案外少ないのではないでしょうか。

 さらに、警察の立場からすると事故現場にヘリを降ろすには、その反対車線も止めないと危険です。しかし、高速道路を迅速に交通止めにするというのは、予想以上に人手が要るので「そうたやすくは出来ない」と話していました。

 この3年間のドクターヘリ運用で、救急車に比べ治療開始が平均して22分早くなることが確認されました。これは生死を分ける貴重な時間です。既出の20分、40分の数字とともに、ヘリ救急病院ネットワークの必要性を裏付ける証言ではないでしょうか。

2.5人称で考える姿勢

 司会者は特別参加していた、軍事アナリストの小川和久氏に発言を求めました。

 小川氏は「人を殺すのが専門の軍事評論家が、何故ここにいるのか不思議に思われるでしょうが……」と会場を沸かせておいて、「戦場でも負傷兵を如何に早く救出するかが重要な課題です」と納得させます。同氏によると、災害時に自衛隊が救急出動しているのは誰もが知っていますが、救急救命の課題には軍民の差はありません。救急ヘリネットワーク構築のため、関係機関と防衛庁の橋渡しの役を引き受けます、と結びました。

 最後に柳田邦男氏が総括講演され、「2.5人称でものを見る姿勢が大切だ」の言葉が新鮮でした。これは日本の縦割り社会を批判し、関係先それぞれが第3人称のさめた見方、考え方ではなく、いま少し相手(第2人称)に近づいた2.5人称くらいで判断すると物事がうまくゆくのではないか、というものです。

「高速道路にヘリが着陸する事は、2次災害の危険があるので容認できない。目前の重傷者の救護は救急隊の仕事であって、当方の管轄外である」などはその例でしょう。

 日本は高度成長期に「世界最強のアメリカと比肩しうる」と、思い上がった意識がありました。バブルでつぶれましたが、危機感がないのは相変らずです。外国では冷戦時代の核戦争に対する危機感が、社会整備を促進しました。日本では経済成長の中で、一番大事な生命に関する部分、例えば救急医療などの問題を忘れてしまったのではないでしょうか。組織でも自分のところの都合が優先する考えが、縦割り行政につながります。

 これをもっと2人称に近い見方で大局的な対応を、行政や官公庁に切にお願いしたい、と話していました。

日本航空技術協会刊『航空技術』2004年1月号より要約) 

【関連頁】
 ドクターヘリの前途(2003.12.23)
 パネル討論発言要旨(2003.11.14)
 HEM-Netの活動計画について(2003.11.8)
 アメリカ調査報告とドクターヘリの成果(2003.11.11)

(HEM-Net、2003.12.26)


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