堕天使ルシファーの謎

SINCE 1998.4.13


PART1

「天使」の存在を認めているのはキリスト教だけではなかった!! 空を飛び回るため、背中に生えた美しい「翼」。 これこそ、まさしく天使のシンボルとも言える存在だ。 しかしそれは、キリスト教特有のものではなかった!


いくつもの謎に包まれた「天使」

よく「天使のような人」という表現を使うが、そもそも天使とは、いったい何者なのだろうか。

字を見ればわかるように、それは「天の使い」である。

『聖書』によっては、「御使い」と表記するものもある。

「天」とは、いうまでもなく『聖書』がいう絶対神のこと。

すなわち、天使とは「絶対神の使いの者」という意味だ。英語では「エンジェル(angel)」といい、その直接的な語源はギリシア語のアンゲロス(angelos)にある。

これは『新約聖書』編纂の際、ヘブライ語の「マラク(malakh)」の訳語として使われたもので、その意味するところは、「使者」「伝令」である。

いわば絶対神の代理人である天使には、基本的に肉体がない。純粋に霊的な存在である。

霊である以上、物質としての肉体は持っていない。

有名な神学者「トマス・アクイナス」は、非物質的霊魂と見なした。

中世のユダヤ人哲学者「マイモニデス」は、天使の「非身体生」を、たんなる比喩的表現に過ぎないと断じる。

つまり、宗教画に見られるような翼を持った人間という天使の姿は、あくまでも比喩であって、本当の姿ではないというのだ。



そうなると、今度は、天使は男か女か、と言う問題が起こる。

しかし、肉体をもっていない以上、いったい何を基準にして男と女を区別するというのか。

これに対して、一応、天使には男女の区別はないという見解が一般的だ。

すなわち、男女とは、あくまでも人間の次元のことであって、天使は、ある意味では両性具有であるという。

だが、実際問題として、絵画などで天使を描く場合、これでは困る。そこで中世の画家達は、天使の持つ清らかで美しいイメージを女性として表現した。

そのため、今では、天使といえば、女性であると考えているひともいるようになったのだ。




必要ならば容赦なく人を殺す天使

では、有名どころの天使について、少し具体的に見てみることにしよう。

まず、筆頭は大天使「ミカエル」。

その名の意味は「神に似た者」「天使の頭」とも呼ばれ、天使の軍団を率いる。

また、イスラエル人の守護天使でもあり、『旧約聖書』では、イスラエルに敵対する民族や悪魔と戦っている。

ミカエルに匹敵するほど、頻繁に登場するのが「ガブリエル」。

意味は「力のある者」。イエス・キリストを身ごもったとき、マリアの前に現れ、祝福した天使として有名だ。

興味深いことにこの天使は、イスラム教でも「ジブリール」という名で登場。始祖ムハンマドの受胎告知もしている。

意外なことに、『聖書』には、個人的な天使名は、ほかには出てこない。出てくるのは、編纂のとき、正典から外された外典と呼ばれる『聖書』だ。

ここには、ミカエルとガブリエルに並んで、「ラファエル」と「ウリエル」が神の玉座を囲む4大天使として登場する。

ラファエルとは「神の薬」という意味で、その名のごとく、疫病や災害を司り、人間の魂を支配する。

ウリエルは「神の火」を意味し、この地上と地獄の業火を操る。

一説には、ノアの大洪水の際、予言者ノアへメッセージ伝えた天使であるともいう。

「ファヌエル」は、永遠の生命に恵まれた人々の悔悛と希望を司る。

「サラクエル」は魂の管理、「レミエル」は復活者の監視、「ラグエル」は復讐を果たす役目をもっている。

これらのなかには、われわれが一般にイメージする天使とはかけ離れた者も多い。

ふつう天使といえば、神の使者として、人間を守護し、導く存在であるというイメージが強い。

だが実際は、人間を殺したり、町を壊滅させる破壊の天使も存在する。

もちろん、それは理由あってのことだ。

天からの硫黄の火で消滅させられたソドムとゴモラの町も、そこに住む人間が堕落したからである。

終末の時、天使が人間を殺すのも、彼らが堕落した人間であるからだ。

『聖書』の絶対神は厳しい。堕落した人間には容赦がない。悔い改めをする者は、慈悲をもって許すが、こばめば地獄の業火へと投げ込んでしまう。

天使は、そうした絶対神の使命を帯びて、われわれ人間に臨むのである。




天使の世界にも階級が存在する?

『聖書』をよく読むと、天使には、それぞれ使命というか役割に違いがあることがわかる。

それによって、どうやら天使の世界には、階級のようなものが存在しているらしい。

もっとも高い地位の天使は、やはり絶対神にもっとも近い位置にいる。

絶対神のまわりを飛んで、さかんに賛美歌を歌っている。

『旧約聖書』では、この天使たちを特別に「セラフィム(単数形はセラフィ)」という。
「私は、高く天にある御座に主が座しておられるのを見た。衣の裾は神殿いっぱいに広がっていた。上の方にはセラフィムがいて、それぞれ六つの翼を持ち、二つをもって顔を覆い、二つをもって足を覆い、二つをもって飛び交っていた(「イザヤ書」第6章1〜2節)

さすがに最高位の天使だけあって、その翼は6つもある。

よく宗教画で、絶対神のまわりに羽の塊が描かれているが、これがセラフィムである。 次に高い位の天使は、絶対神の玉座にいる。名は「ケルビム(単数形はケルブ)」という。
「主こそ主。諸国の民よ、おののけ。主はケルビムの上に御座を置かれる」(「詩編」第99章1節)

だが、このケルビムなる天使は、決まった姿を持っているわけではないらしい。

ときには、奇怪な姿をとることもある。
「ケルビムにはそれぞれ四つの顔があり、第一の顔はケルビムの顔、第二の顔は人間の顔、第三の顔は獅子の顔、第四の顔は鷲の顔であった」(「エゼキエル書」第10章14節)

他にも、いろいろわけのわからない記述がある。ケルビムとは、いったいどんな姿をしていたのか。絵画を見ても、画家がみな苦しんでいる様子がよくわかる。



さて、こうした上位の天使の存在が明確になると、当然ながら、その下位にも研究の目が向けられる。

中世の神学者ディオニッシィウス・アレオパキタは、『聖書』の記述を検討して、「天上位階論」を発表。

このなかで、天使の階級が、基本的に「上級」「中級」「下級」の3つに分かれていると主張。

さらに、それぞれの位階には、3つの階級が存在し、合計9つの階級になっているとした。

上級位階は、絶対神のそばにおり、常に賛美歌を贈っている。

そのため、直接、人間との関わりを持つことはない。第1位は「セラフィム(熾天使)」、第2位は「ケルビム(智天使)」、第3位は「トロヌス(座天使)」が構成している。

中級位階は、自然界の宇宙を支配する。絶対神の世界と人間の世界を分け、秩序を護る役割を担っている。

第1位は、「ドミニオンズ(主天使)」、第2位は、「ヴェルテユ(力天使)」、第3位は「パワーズ(能天使)」が構成する。

下級位階は、直接、人間に働きかける役割を担っている。

なじみの深いミカエルやガブリエルといった天使は、この位階。

守護天使として知られる。第1位は「プリンキパリテイズ(権天使)」、第2位は「アーキエンジェルズ(大天使)」、第3位は「エンジェルズ(天使)」が構成している。

まさに会社の組織のようであるが、これが絶対的な天使の階級であるというわけではない。

あくまでもディオニュシウスの仮説である。別の神学者によっては、これらの階級が多少入れ替わっている場合がある。




天使によく似た世界中の神々

天使によく似た存在に「キューピッド」がある。

翼の生えた幼児の姿で、しばしば手に弓矢を持って描かれる。

キューピッドを天使であると考えている人は、意外と多い。

欧米のキリスト教徒でも、両者を混同している場合がある。

だが、『聖書』のなかにキューピッドは出てこない、登場するのはローマ神話である。

女神ヴィーナズと軍神マルスの間に生まれた子供で、ギリシア神話では「エロス」と呼ばれる。

では、なぜ、キリスト教に入ってしまったのかというと、これがおもしろい。

『聖書』には、絶対神を見るためには、子供のような純真無垢な心でなくてはならないと記されている。

と同時に、絶対神のまわりを飛び交う天使が描写されている。

そこで、神学者は考えた。神のまわりを飛ぶ天使は、きっと子供に違いない、と。

さっそく画家は、これを取り入れ、子供の天使を描く。これが「プットー」である。

プットーとキューピッド──これが見事に似ている。そのために両者は同一視されてしまう結果となったのである。

だが、考えてみれば、ローマ・ギリシア神話には天使によく似た神がいろいろと登場する。

首と腕がかけた彫刻で有名な「ニケ」も有翼の神で、一見すれば天使そのものだ。

これをたんに偶然と片づけてしまうのは簡単だが、問題は、そう単純ではない。

『旧約聖書』を基本聖典とするユダヤ教やイスラム教は当然としても、いわゆる天使のような神、精霊は、世界中の神話伝説のなかにも登場するからだ。

たとえば道教でいう天女。翼の代わりに羽衣をつけているが、天と地を行き交うメッセンジャーという役割は同じだ。

ペルシアのゾロアスター教でも、天使はいる。さらに古代シュメールに端を発する一連のメソポタミア文明の宗教、神話にも、イシュタルやリリスなど、有翼の神が登場する。

動物の頭や体を持つ神々のオンパレードのエジプト神話では、それこそ有翼の神は、あちらこちらに見られる。

さらにインドのヒンドゥー教では、ガルーダをはじめとする、数多くの有翼神が登場し、そのおおくが後に仏教の中に取り入れられている。

ちなみに、わが日本の神話においても「天日鷲命」なる有翼の神がいる。

これらの事実は、いったい、どういうことを意味しているのだろうか?

なぜ、かくも神話には、必ずといっていいほど有翼神が登場するのか。空を飛びたいという人間に願望が、神の背中に翼をつけたと解釈もできようが、それだけではないだろう。

もしかしたらこれは、何か人類に共通した記憶が、神話に反映しているということなのではないか。

となると、考えられることがある。すなわち、実際に有翼の神、すなわち天使が、本当にこの世には実在しているのではないだろうか、という可能性である!




多くの人が天使と出会っている!

『聖書』のなかの人間以外でも、天使に遭遇したという人は少なくない。

13世紀、イタリアの聖人フランチェスコの前に、まばゆいばかりの光が出現。

なかから6枚の羽をもったセラフィムが現れた。

15世紀、イギリスとフランスの間で「百年戦争」が続いていた。

戦況としては、フランスが劣勢で迎えた1429年。一介の少女だったジャンヌ・ダルクの前に天使が出現。

救国の啓示を受けた彼女は自ら剣を持って戦線にたち、みごとフランスを勝利に導いた。

17世紀、イギリスにジョン・ディーという博物学者がいた。彼は魔術に深く傾倒し、ついに天使の召還に成功する。

近年ではアメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンや心理学者カール・G・ユングらも、天使を見ている。

そして──現在、世界中で天使が目撃されている。とくに最近、それは急増している。

ここ数年、欧米では天使がブームであるといわれ、天使の研究がさかんになっている。

書籍やグッズなどはもちろん、一部では、天使学会なるものまで開催されているほどだ。

一部には、幻覚や思いこみもあるだろうが、天使との遭遇をすべて誤認と片づけることはできない。確かに、彼らは見ていたのだ。

天使と名乗る存在を見ていたに違いない。そうなのだ。天使は確かに実在する。

彼らは、われわれが住む世界とは違う次元の住人である。

肉体を持たない「超常生命体」なのだ。

しかし、注意しなくてはならないことがひとつある。天使と名乗っているからといって、そのすべてが絶対神の使者であるとは限らない。

絶対神以外の使者も存在する。絶対神の天使を「光の超常生命体」とすれば、彼らは、「闇の超常生命体」である。

神学では、地に落ちた天使、すなわち「堕天使」と呼ぶ──!


NEXT