
ここは、私の親指シフト遍歴です。まあ、「親指な人、無名人編」として読んでいただければ幸いです。
私がワープロを買ったのは、91年ごろだったと思います。もちろん、オアシスです。 その10年前くらいから、ワープロというものはありました。私の大学にアルバイトで技術翻訳を やっているドイツ語の先生がいて、早くからワープロを使用されていました。しかし、当時はまだ100万円近くしたのではないかと思いますし、とても一般の人が使うものではありませんでした。 でも、時々その先生が見せてくれる原稿が、8ドットから12ドット、24ドットと、どんどん印字がきれいになっていったのをよく覚えています。たしか24ドットくらいで、もう充分だなぁと思いました。
その高価だったワープロを、一般の大学生がちらほらと使うようになったのが85年くらいで しょうか。それでもまだ値段は30万はしたと思いますし、機能的にもパーソナルモデルでは画面が狭く、12行程度しか表示されない、液晶の解像度も低くて見にくい、日本語変換もお粗末という、おもちゃの域を出ないものでした。せいぜい活字でプリントを印刷して、喜んでいるという程度です。卒論もまだ手書きのものがほとんどで、印字されたものはとても珍しかったです。 コンピュータでいうと、MacPlusが50万円で大学生協に並び、NECのPC98が日本の市場を独占していた時代です。DOS/Vなんてものはまだありませんでした。
そして、文系の院生である私が1、2年の逡巡ののちに、オアシスを購入した90年前後というのが、卒論の主流が漸くワープロ書きになったころであり、同時にそれまでは機能的にまだまだ不充分だったワープロ機が、やっと満足できるレベルに達した時期でもありました。値段も15万程度とこなれてきました。その中にあって、購入したOASYS 30LXIIは、私がワープロに求める条件を、はじめてすべて満たしたモデルでありました。
(写真は30LXIIの後継モデル30LX405)縦書き入力可能、20数行は表示できるひろい画面、これは縦書きにしたとき20字程度は縦で表示できる広さです。48ドットのきれいな印字、アタッチメントをつけて自動紙送り可能、そして、もちろん《親指シフトひらがな入力》です。以後のオアシス・モデルは、基本的にこれの改良型になります。
ただし、時代はその後DOS/V登場とともに、急速にパソコンに移行していきましたから、オアシスワープロは、それがほぼ完成すると同時に、数モデルを経ずに消えていく運命になりました。けれども、当時のDOS/VやPC98で走るワープロソフトは、機能的にはオアシスに及ばず、縦書きができるものとてなく、富士通製PCを除けば、親指シフトキーボードも使えないわけですから、まだ数年はオアシスは競争力を失わなかったと言えます。
さて、私が買ったオアシスは、前稿でも触れたとおり「大学生協モデル」です。生協でもらったちらしには、しっかり「大学生協モデル」と刷り込まれていて、私はこれを見て注文したわけです。 ところが、後日届いたそれを開梱してみても、どこにも「生協モデル」を示す指標がなく、普通の市販モデルの30LXIIにしか見えませんでした。ひょっとすると、これは何かの間違いではないかと思って、確認のために生協に電話してみました。すると、生協いわく、「実は『大学生協モデル』といっても特別仕様ではなく、発送前に市販モデルに『大学生協モデル』というシールを箱に貼るだけなんですが、それを忘れてしまったんです。紛らわしい表現をして、すいません」ということでした。それでは、 正しくは「大学生協推薦モデル」ではないか、生協も姑息な宣伝をするなぁと思う一方で、本当は「大学生協モデル」は別に存在するが、すでに売り切れていたので、私だけ誤魔化したのではないかという気も少ししました。でも、どうせ大した違いではないだろうと、そのまま使用することにしました。
幻の大学生協モデルが存在するにせよ、しないにせよ、この30LXIIはそれから文字どおり私の愛機となりました。これで修士論文である、「現代という問題――第一章リルケ『マルテの手記』」も書きました。一ヶ月もこもって書き上げた220枚のそれを、ビッグカメラで買った自動紙送りアタッチメントを取り付けたオアシスで印刷したところ、一回の紙詰まりも起こすことなく印刷できたのには驚きました。また、のちにはオアシス専用の内蔵モデムも取り付け、通信ソフトでニフティ・フォーラムに参加したり、大型計算機センターにまでつないで、ワープロ機でドイツのgopherサービスを利用するなどの無謀もやりました。ただ、手入力による通信ソフトだったので、ニフティの課金が2万円を越えて目を丸くしたりなど、今となっては懐かしい思い出です。
こうして、3年半ほどは愛用したオアシスも、パソコンでそのすべての機能が代用されるようになるに従い、また主にパソコン通信のオートパイロットができないという理由で、ついで購入されたdigital Hinote Ultra43万円也に主力機の座を明け渡すことになります。そして、私の親指シフト遍歴は、短いWindows3.1での親指ひゅん時代を経て、Linuxでのomeletによるエミュレーション時代へと移っていったのです。