魅惑の似非科学

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8/3/2003 WindowsMEの社会的役割の似非科学

7/21/2003 関係者立ち入り厳禁!CDのコピー対策の似非科学

7/10/2003 打ち込め、青春!マシン語ダンプリストのミッシングリンクをつなげ!の似非科学

6/29/2003 相対論的サッカー論の似非科学

6/15/2003 75万Hit総力企画〜世界最小最安価!自動お掃除ロボ製作記の似非科学

6/1/2003 最速の世界の最大の閉塞の似非科学

5/21/2003 おたくもゼヒ!〜似非USBデバイス製作記の似非科学

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・WindowsMEの社会的役割の似非科学

暑中見舞い申し上げます。

さて今回のテーマは、パソコン教育に適したOSとは?というものである。パソコンに詳しい人からは「安定してセキュリティの高いWindowsXP」という答えが返ってきそうだが、ここはあえて、パソコン教育とは何かを考えるため、こう断言しよう。

「パソコン教育に最適なのはWindowsMEである。」

なぜか。その理由をこれから述べよう。

1. 不安定である

実はこれが重要である。データを入力してたらフリーズしました、というあたりまえのことを経験する事によって、子供はバックアップの重要性を学ぶ事が出来るだろう。さらにHDDクラッシュなどが起きると、バックアップをどういうメディアに保存するかという意識が生まれる。そして、なぜフリーズするのかに非常に興味を持つ。

今のWindowsXPのようにほとんどフリーズしないと、逆にバックアップの意識が芽生えない。さらに、内部への興味、そしてセンターオブザパソコンセンターオブザパソコンへの御招待の似非科学参照)を理解できる人間も育たないであろう。

2. バグだらけである

バグの存在は重要だ。教室内で段階的なウィンドウズアップデートを体験させ、セキュリティをどうやって守るか?という課題を学ぶ事ができる。そしてハッキングの技術も。そうやって最新のOSのセキュリティ概念を学んだほうがすっきり学習できるし、その技術を培った土台となる歴史も学ぶ事が出来る。余談だが、ハッカー甲子園を勘違いして中止に追い込んだのは誰?

3. 悪の帝国を疑う事ができる

WindowsMEができたとき、某ビル君が何を言っていたか、など過去の記事を分析する事で、悪の帝国の言う事を文字通り解釈してはいけないという消費者教育ができる。ついでに、雑誌によっては悪の帝国の下僕ではないか?という記事を書く人間がいるため、情報を鵜呑みにしないということを理解できる。これにより、パソコンについて学ぶだけでなく、現代社会において重要な情報処理の能力も学ぶことができるのだ。

4. WindowsMEなら、画像・メディアをひととおり扱う事ができる

不安定なOSは枚挙に暇がないが、当研究室が特にWindowsMEを押すのは、現在のPCライフに必要な画像データがひととおり扱えるからである。人間が必要な表現形式をほぼ網羅している不安定OSなのだ。Windows95まで戻るとこれがうまくいかないので適さない。メール経由のトラブルにもなんら不足はなく、PC教育上大変重要なアウトルックエクスプレスが入っている。

5. 接続機器が豊富

USBだけでなくIEEE(いえええ)まで扱えるので、豊富な周辺機器を活用する事ができる。

6. リソースという概念が人間に近い

さて、いつのまにか多数のPC誌では、WindowsME・Windows98→WindowsXP乗り換えキャンペーンがなされるようになった。やれサポートが終了間近だの、不安定だのという、ユーザーを不安に落としいれる情報が洪水のように生まれている。

しかし、一昔前はサポートなしが当たり前だった。サポートがないということはOSの買い替え理由に当たらない。なによりも通常ウィルス製作者というのは愉快犯がほとんどであり、話題になりやすい最新のOSをハッキングするものだ。MSDOS6.0専用ウィルスとか、AMIGA用ウィルスなどというものは昨今聞いたことがない。

このように、WindowsMEたたきの記事は単なるFUDの可能性を筆者は否定する事が出来ないのである。最新のサポートを受けられるWindowsXPでも、WindowsUpdateをサボってしまうとすぐウィルスの餌食になるのだから、あまり意味はないのである。

それより、WindowsMEまでにあった、「リソース」という概念、これが教育には重要である。不安定さの原因のひとつ、そしてあらゆるハード的な強化を図っても増えない「リソース」、これこそがパソコンへの親近感を持たせる原因なのだ。

最近、人間の内的「リソース」はどれくらいなのだろう、と考える。世界を覆う閉塞感、これは教育をいじって解決できるのだろうか、いや、閉塞感をぬぐう事は出来そうにない。なぜなら、人の脳にも、WindowsMEに似た「リソース」というものが存在すると思われるからである。大脳には情報処理能力の限界があることは既に指摘しているところであるし(あなたの脳のCPUクロックは?大脳ベンチマークの似非科学参照)、情報に対して無意識にフィルタをかけてしまうのも大脳の働きとして次第に明らかになっている。人がなぜ切れるのか?(人はなぜキレるのか? − キレ状態の似非科学参照)へのひとつの回答は、リソースの不足によるバッファーオーバーランと考えられる(火星人のプログラミングスキルを推定せよ−人間の遺伝子プログラムの似非科学参照)。

ところが、今の社会制度・マスコミのいう理想は、実はリソースの少ない人間を抹殺する為にどんどん動いている。そして、社会的共有リソースをどんどん予約的に消費する事により、人間は自分のリソースを思うように使えなくなっている。人はそれを自覚しない事はできるが、解放することは出来ない。だからちょっとしたことでリソース不足に陥るようになってしまっている。たぶん昔の人が700KBくらいだったら、現代人は180KBくらいなのではないだろうか。

そして、現実社会で言うエリートとはWindowsXPなのである。リソースの概念から解放され、広範な事象を処理する能力を持った人間、それを優遇する社会こそ構造改革の行き着くさきなのである。

だが、どれだけの人がリソース問題から解放されたXP人間になれるだろうか。アメリカは無数の敗者を生み出している。人はその原因として、新聞・ドラマ・漫画・音楽・あるいは銃に責任を求めているが、本質的にXP人間が少ない事に根本原因があるのだとしたら、アメリカの社会のあり方を真似るのは危険なのである。

この人間の内的「リソース」を考える為にはWindowsMEというのは非常に有効な存在である。たとえ、フレッツ接続ツールを使うと窓を三つ開けただけでフリーズするOSだとしても、である。(たぶんそれはNTTの怠慢だと思うのだが。)あえて、リソースの概念があるからこそ、プログラムをいかに軽く書くか、リソースを解放する手続きが重要なのかを感じ取る事が出来る。それがシステム設計、ソフト開発の現場に生きていくだろう。教育とは、なにも有能な教師だけが行う行為ではないということを、あらためて感じずにはいられないのである。

WindowsME = Windows Most Educational

(K)

※ ゆめゆめ本気になさいませんように。

 

 

 

・関係者立ち入り厳禁!CDのコピー対策の似非科学

尻馬に乗っているだけの今のマスコミがなぜ、中学生よりも暴力的といわないのかは謎である。たとえ正義であっても、人権に配慮していても、CDコピーに関するマスコミの報道は暴力以外の何者でもない。「ペンは剣よりも強し」という言葉がネガティブに使われる時代が来たといえる。そろそろマスコミに対しても情報公開と責任をとってもらう時がきたようだ。彼らが振り回したペンは、ついに自分自身を刺すことになる。

それは、CDコピーに関する誤った報道を垂れ流し続けたことである。コピー対策を施したCDはやっぱり売れていない。著作権が保護されて、売れ行きが回復するというのはどうやら嘘だったらしい。しかし、そのことに関して誰に情報公開を求めればよいのか。誰に責任を求めればよいのか。

知的所有権の保護あるいはテロ対策のもとプライバシー自体がなくなりつつある時代を作り上げることに協力しているマスコミの態度は、後の歴史家から非難されることになるだろう。特にCDのコピーに関する報道は、歴史上の重要な事件と見なされるかもしれない。中世ヨーロッパの「魔女狩り」のように。

ファイル交換ソフトで実際に交換されているコンテンツに著作権法等の問題があるケースはある。しかし、ちょっと考えてみればわかるとおり、その情報自体は誰でも参照可能であり、中にはすぐ通報する人にも見られるかもしれない。元々違法なものに関するリスクは、インターネットでも決して低くないのである。

また、実態としてファイル交換を行う人間の持ち曲数は非常に多い。逆に言うと、曲数が多すぎて、それを実際に購入するかどうかは非常に疑問がある。この点、業界の調査では、根拠なく、CDの大量購買層がファイル交換に走っていると言うことで被害額を強調している。しかし、真の愛好家はCDを買うのは間違いない。ライナーノートも歌詞カードもポートレートもつかないのでは買った意味がない。

もちろん、CDのコピー対策が売上に寄与した部分があるかもしれないが、それがどれくらいなのか、われわれが満足するほどの確たる根拠などどこにもないのである。

★ それではなぜ売れないのか。

筆者は、この問題を考える上で新しい切り口を模索していた。以下はその試みである。関係者の方には一部とんでもない部分があるかもしれないがご容赦頂きたい。

誤解を恐れずにいおう。今のCDレベルの曲は、ほとんど家庭で作れる。もちろん完全に同じものは無理だが、素人をだます程度まではヒマと金をかければ(最低30万、欲を言えば100万程度で)作れる。それだけの機材は市中に大量に出回っている。適当にメロディーラインを作って、それに飾りを入れて、あとは歌のうまい人に適当に作った歌詞を入れる。カラオケが普及したおかげで歌のうまい人もたくさんいるし。これで、できあがり。あとは音のバランス調整とエコーをかけるかかけないかくらい。それでトラックダウンでCDができあがる。お望みならジャケ写も作ろう。筆者の知り合いには、高校生なのにバイトで音楽のデータをいじくっている奴を知っているし、ジャケットを作って楽しんでいる奴もいる。このレベルの技術者というのは素人にもごろごろしているのである。

筆者自身、今度お金があれば本当に実証しようかと思っているほどである。市販のバンド譜があればプロの楽曲もたいてい作れる(打ち込みは面倒だが)。あとは同じ声質の人間を連れてきて歌入れすればできあがりである。なお、なぜ歌入れだけ人を連れてくるかというと、最新の技術を使っていても、歌声のサンプリングデータだけは他の楽器のパートと整合するのが難しいからだ。最初からうまい人に入れてもらう方が遥かに楽であり、最近はやりのコラボレーション・フューチャーリングという名前でいろいろなアーチストが共同で曲を作る原因もどうやらそこにあるらしい。

つまり、結論から言うと、今のCDの音質では売り物として成り立たないのである。現在のCDのビットレートの音質では家庭で作れてしまうので、買う意味が本質的にないのである。はっきりいうと、今のデジタル技術の進歩の前では、録音技術、演奏技術とも大半のプロのレベルが低すぎるのである。ものが悪いのに売れるはずがない。

しかし、あえてこう考えてしまうところから、音楽業界復活の鍵が見えてくるのである。

★ 似非科学的対策

1 とりあえずCDに付加価値をつける。

これは現実にも初回限定版DVD付きといったアルバムがでているので、業界も同じことを考えているようだ。しかし、初回限定ではなく、常につける気構えが重要である。第2プレス限定DVDとか、第3プレスはミックスが違うとかしてもよいのではないだろうか。今のCDでできる最良の策はこれである。もっとも中途半端なミックスでお茶を濁すのではすぐオーディエンスに飽きられる(某浜崎あゆみがよい例)。

2 規格を変える

これも現実にあるのだが、どれもこれもまだしょぼい。もっと大胆な改革が必要だ。まず、CDの大きさを既存の大きさから数ミリメートルでかくしてしまう。そんなことをしたら機材を全部買い換えないといけないという人は甘い!元々、DVDもCDと同じ大きさというところにコピーの元凶があるのである。パソコンのデータの規格と音楽のデータメディアの規格が同一である必要は何一つない。

そして、もう一つ、今のビットレートはぬるすぎる。5.1chは当たり前としてもっと音域を広げ、超低周波から超高音まで広げ(だいたい現在の3倍程度)、1曲あたりのファイルをでかくしてしまうのである。そうだな、1曲あたり100G位になるまで行こう。丸ごとコピーは無理だし、デジタルデータに変換するのも時間がかかる。アルバムにいたっては最小で1テラバイトくらいになる。これならMP3クラスの音質ではまるで太刀打ちできない。なぜなら、これくらいの音域になると、空気感とかそういったものや、倍音という音楽でなくてはならない要素が非常に重要な要素として浮かび上がってくる。もっとも、今のアーチストでこの領域で活躍できる実力の持ち主がどれくらいいるのかが心配だ。単にエフェクトをかけてきれいなだけではすぐに飽きられるだろう。

しかし、これだけのメディアの大きさはどれくらいになるのか、筆者にも皆目検討がつかないが。昔のLPサイズを越えるだろうか。あ、しかし、価格は2500円、もちろん内税で。

3 演奏の実力も大事だ

デジタルで何でも出来てしまうと、逆にノーエフェクト(MTVアンプラグドがよい例)、アンチデジタルミキサー、ライブレコーディングが主流になるかもしれない。もちろん、ミュージシャンとしての実力はこれからどんどん重視されていくだろう。何しろ、エフェクトで逃げることが出来ないからだ。何といっても、それくらい容量がでかければ、コンサート会場すべて客席までマイクを仕掛けて、1000本くらいのマイクを同時にトラックダウンしてしまうことが出来る。ライブ会場、そして文字通りオーディエンスの咳払い、歓声、会話までもが一つの曲として仕上がっていく。ものすごいものが出来そうだ。

4 それでもファイル交換をする奴に合法的で人権に配慮した多大なる精神的な苦痛を

それでも、圧縮ミュージックやファイル交換が好きな人はいるだろう。それに関しては、マスコミに対して大々的に宣伝するのである。圧縮ミュージックばっかり聞いていると頭が悪くなるとか、性格が暗くなるとか。あるいはUG野郎と友達だと捕まりますよ、とか。これをぶち上げるなら、さすがレコード業界といえるだろう(この差別的な表現の方がコピー対策よりは遥かにましである。実際に法律を作るとか、訴えるとかより遥かにね。)

★ 最後に

もっとも、音質がお世辞にもよくない圧縮ファイルが今なぜはやるのか。それは単に不況でみんなお金がないからである。だが音楽会社は株主資本主義の悪弊で、不況で売れませんとは株主にいえないから、コピーをやり玉に挙げるしかなかったのだろう。それを、もともとデジタル複製をよく思わず、情報が自分たちより早くしかも無料な掲示板を無条件で悪玉にしたい(そのくせ、ニュースソースにしたがるが)マスコミが飛びついて行ったのだろう。だが、そのマスコミの態度こそ、青少年がまねをすると有害なのではないだろうか。CDを含め、意味不明なご託宣を振り回し、何もかもが有害になる社会はもうやめにしてほしい。そんなことでいったい誰が幸せになるのだろうか。マスコミのペンの力とは、いったい何の剣に対抗する力なのか。

(K)

 

 

 

・打ち込め、青春!マシン語ダンプリストのミッシングリンクをつなげ!の似非科学

コンピューター業界には非常に長いキャリアを持っている人が存在する。まだパソコンがディスプレイにさえ接続できなかった20年以上前から、第一線で活躍している人も多い。あなたがコンピュータ関係の仕事をしているなら、あなたの近くにも何人かいるはずだ。

そういう猛者と飲みにいくと、えてして昔話が始まる。「昔は8セグで野球ゲームを作ったもんだ」とか「雑誌のダンプリストを徹夜で打ち込んだよ」とか。若い人にはさっぱりわかるまい。しまいには「そんなの知るかよ、馬鹿」と若者から総すかんを食らうことになる。

筆者は、猛者の気持ちも若者の気持ちも、どちらもよくわかる。猛者にとってはダンプリスト打ち込みは彼らの青春であって、悲喜こもごものノスタルジーだ。一方、それを体験する機会が存在しない若者に、言葉だけで気持ちを共有してほしいと願うのは無理である。ナツメロのよさがわかるのはリアルタイムでその曲を聴いたことがある人だけなのだ。

さて。この日々繰り返されるミッシングリンクを救うべく、筆者はあるプログラムを開発してみた。以下が、彼らの言うところのマシン語ダンプリストである。そして、このプログラムは、なんとお手持ちのWindowsXPマシンで動かすことができるのだ。

このプログラムは、中身はゲームだ。何のゲームかは、敢えて言わない。会社の飲み会で毎度毎度昔話を聞かされている読者の方は、ぜひこのプログラムを「打ち込んで」みてもらいたい(詳しいやり方は後述)。そうすれば、おっさん連中が幾度となく繰り返す昔話や喜劇・悲劇が、よりリアルに共有できるかもしれない。あるいは「やっぱりたいしたことない、ただのノスタルジーだ」と根拠を持って切り捨てることも可能になるだろう。筆者は若者に、古い技術に固執しろとは決して言わない。むしろ、古い技術のエッセンスを短期間で体験し、それを踏み台にして飛躍していってほしいと考えている。ぜひ打ち込みを体験してほしい。人づてに聞いた話は、決してあなたの技術基盤にはなりえないのだから。

では打ち込み方をご紹介しよう。このゲームは、なんと16bitリアルモードのダイレクトアドレッシング(=20年前の技術。CPUが8086とかの時代)で作られている。それをWindowsXPで動かすのは普通は不可能であり、VisualCのインラインアセンブラも使用できないのだが、ひとつだけ抜け道がある。まずはお手持ちのマシンから、「コマンドプロンプト」を立ち上げる(スタートメニューの「アクセサリ」のなかにある)。黒地に白のウィンドウが立ち上がったら、"debug.exe"と打ち込む(WindowsXPならデフォルトでインストールされているはずだ)。

debug.exeは、実は古い古いデバッガだ。これを使って最新アプリをデバッグしている人は、今の世の中には一人もいない。なぜMicrosoftが最新OSにdebug.exeを入れ続けているのかは謎だが、これもビルゲイツのノスタルジーなのかもしれない。

さて、debug.exeの操作方法だが、"?"と入力するとヘルプが表示される。しかしそれを理解する必要はない。上記のゲームを遊ぶには、以下のことさえ知っていればよい。

まず打ち込みだが、表示されている"-"の後に以下のように上記のデータを打ち込んでいく。

-e 0100 0D 0A 45 53 45 20 53 6C 6F 74 20 4D 61 63 68 69

1行打ち込んだらENTERキーを押して、次の行も同じように打ち込んでいこう。行頭の「e」を忘れないように。使用される文字は0-9の数字とA-Fのアルファベットだけで、大文字小文字はどちらでもよい。この際、もし1文字でも入力を間違うと、ゲームは動かない。今までの努力がすべてパーになる可能性もあるので、リストと見比べながら慎重に打ち込んでいこう。もし打ち間違えた行があったら、もう一度同じ行を入力すればOKだ。


[打ち込み途中の画面]

このゲームは、高々500バイトに満たないリストだ。だがインベーダーゲームやギャラクシャンといった大物ゲームの場合、当時の掲載雑誌には、ダンプリストだけが10ページ20ページと延々と続いた(20年くらい前のパソコン雑誌では普通だった。特にI/O誌)。しかもダンプリストに使用される活字は、人間がかろうじて読めるほどの極小フォントで、数日にわたって入力する忍耐も要求された。当然、雑誌は電話帳サイズだ。だが、当時のパソコン少年は、憧れのゲームをタダで遊ぶため、一生懸命打ち込みをやったのだ(当時ファミコンはありません、念のため)。

無論、1文字間違えるとゲームは動かない。一方で、雑誌とディスプレイを交互に見て確認しながら打ち込むのは非常に間違いやすいし疲れる(体験してみてほしい。ほぼ不可能である。)そのため、弟を仲間に引っ張り込んで、片方がリストを声に出して読み、もう片方が画面とキーボードを見ながら打ち込みに専念するというスタイルが、当時はごく普通だった。もしあなたに兄弟や奥さんがいたら、説得して「読み手」をやってもらおう。

。。。無事打ち込み終わっただろうか。では実行するよ。いいかな?もし1文字でも間違えていると、すべてパーだ。ドキドキだ!

このゲームを実行するには、"-"の後に以下のコマンドを入力する。

-g=025f

このとき、決して「=」を忘れてはならない。等号なしで実行すると、すべてパーである。十分注意してほしい。ゲームの説明は見ればわかると思うので省略するが、スペースキーで操作すればよい。また、ミッションクリアの暁にはささやかなエンディングも用意しているので、がんばってチャレンジしてみてほしい。計算上はどんなに長くても500回ほどプレイすれば、誰でもエンディングに行き着くはずだ。なお、エンディングは無限ループ(エンディングのまま画面が止まる)ので、コマンドプロンプトの右上のバッテンボタンを押して終了させてほしい。

筆者も20年くらい前、弟を説得して数日かけてダンプリストを打ち込み、兄弟一緒に遊んだのを思い出す。ゲーム自体も面白いのだが、やはり自分たちが協力して作り上げたという達成感・物作りの感激のようなものを、無意識に感じていたのだろう。一人では難しいが二人だとできる、そういった体験がごく自然に行えていた時代だったとも言える。

さて。読者の方々も「おっさん」のノスタルジーが少しは体験できただろうか。"g=025f"を打ち込むときの極度のドキドキ感。。。それはあなたが今まで体験したことがないほどの緊張かもしれない。また、打ち間違いがあって動かなかったときの虚脱感。その他、喜怒哀楽すべてが、このたった500バイトに含まれているのだ。そう、「ダンプリスト打ち込み」とは、出来上がったゲーム自体だけではなく、その入力過程そのものが壮大な人生ゲームだったのである。

(D)

※ P.S. WindowsXP Pro/Homeで動作確認しましたが、WinNT系列ならOKだと思います。Win9xやWinMEマシンでは、ちょっと何が起こるかわかりませんので実行しないでください。

※ P.S.2 実行はあくまで自己責任でお願いします。また、このゲーム単体の再配布は禁止します(あくまで打ち込みを体験してもらうのが趣旨ですので)。

※ P.S.3 (筆者と同類の方へ) 正直、10年ぶりくらいのハンドアセンブリ(しかもダイレクトアドレッシング)で、疲れました。。。でも楽しかったかも。

 

 

 

・相対論的サッカー論の似非科学

さて。当研究室で扱ったサッカーの話題に関してはこれまでに2つある(フラットスリーと三体運動問題の似非科学逆賊のプロ意識〜ホームサッカー・ヒールサッカーの似非科学)。野球と比べた場合、サッカーは戦略面の自由度が大きく、科学論や組織論として扱うには面白い題材だ。

実際、野球のシステムというのは、攻撃のフェーズと守備のフェーズがルール上分かれており、オウンゴールのようなもの(守備をしているチームに得点が入る)がまったくありえない。(いや、それが理由で野球が面白くない、といっているわけではない。自分のチームが攻撃している最中に逆転されることがないからこそ、ナイター中継の途中でトイレに立ったり、ビールを注文したりできるわけだから。)

一方、サッカーには決められたルールがほとんどない。サッカーのルールは「接触プレー(ラフプレー)の罰則」と「ボールがラインの外に出たときの再開の仕方」が主である。

この2つしかないルールを見て、「境界条件とクーロン力場のおける荷電粒子の多体問題」に思い当たった方は、相当な(似非)物理学者であろう。実は物理学のこの問題は、サッカーの力学と基礎的な部分が同じである。サッカーの素人同士のチームが試合を行った場合、導かれる答えは同じになるだろう。その答えは、調和振動子型の運動と、エントロピー増大型の熱力学の理論である。

とまあ、こういうアナロジーを作って満足するのは(似非)物理学者の常だが、これだけでは何の意味もない。理論はわかったとして、ではどうやってゴールを実現できるかの答えを導き出さなければ、物理学者というのは世界でもっとも不必要な職業ということになる。われわれは学者の自己満足のために高い税金を払っているわけではない。あぁ、そういえば来週は住民税の納税期限だ。。。

脱線した。では、基礎理論を使ってどうやればゴールを決められるかを導き出そう。ゴールが決まるというのは、90分間の試合中、ごくまれなことである。サッカーの試合に関してはスコアレスドローも珍しくない。そのため、ゴールが決まるのは、ある意味、特異点であるといえる。つまり、熱力学の法則にしたがって定常状態になるのを避け、局所的に特異点を作り出せばよいのだ。

これに従うと、相手のゴール前に味方を一人立たせておけばいいということになる。本来サッカーというのは、クーロン力場にしたがって、ボールを中心にプレーが進むものである。それとはまったく逆行した方法がこれである。これであなたのチームも必勝間違いなしだ!

。。。という戦法は正しく機能し、実際にサッカーの原始時代によく行われた戦術だ。現代でも、小学校の体育でやる7人制サッカー(オフサイドがない)では必勝戦術である。だがこれでは、非常に大味のサッカーになってしまうため、近代サッカーでは「オフサイド」という特殊ルールが制定されたのである。味方からパスをもらった選手の前方には、必ず二人以上の敵がいなければならない、というルールだ(通常はゴールキーパーがゴール前にいるため、一人以上のディフェンダーがいなければならない、となる)。

これは実質、前述の特異点を作る戦術を排除するためだけに制定されたと言ってよい。(これを体感してもらうには、拙作のサッカーシミュレーション「Eval Flat3」(フラットスリーと三体運動問題の似非科学参照)を試されるとよいだろう。)

「オフサイド」というルールは、物理学とは非常に相性が悪い。なぜ二人以上?なぜ一人じゃないのか?宇宙がそんな特殊ルールを作るはずがない、と普通の(似非)物理学者は、この時点でアナロジーをあきらめるのである。

だが安心してほしい、このサイトは普通の(似非)科学サイトではない。「オフサイド」ルールを「自然に」物理法則に還元する解釈を考案した。そこには、相対性理論を使うのである。

相対性理論というのは、「われわれが住んでいる3次元系は特別なのだ」という特殊ルールは理性的に考えておかしい、というところから始まる。この特殊ルールを廃止し、われわれが住んでいる世界もたくさんの世界のひとつに過ぎないようにすることが突破口だった。それには、時間や空間が縮んだり伸びたりできるという突飛な仮定を設ければ、万事うまくいくというのが数学的に証明されたのである。そして、それが実際に正しい仮定だったということが実験で証明された(50万Hit記念原稿 相対性理論は間違っている。。のか?の似非科学(前編)参照)。

ということで、「オフサイド」という特殊ルールを消化するには、何か突飛な考えが必要だ。そこで筆者は、サッカーのフィールドというのは2つのフィールドが交じり合っているのだという基礎理論を提唱したい。

われわれの眼には、2つのフィールドは常に重なって見えるので、いつものサッカー場(フィールド)にしか見えないが、実は内部的には、2つのフィールドの重ね合わせだという仮定だ。もしこう考えれば、オフサイドのルールというのは「ボールをもらう時には、前方に敵が一人以上必要」という風に、非常にシンプル(※)なルールとなる。

※ 筆者がいわんとしている、シンプルな、という意味が伝わったであろうか。現代物理学や現代数学というのは、結局のところ、複雑な実世界を単現象の世界に分解し、世界とはそれらの単現象の重ねあわせで動いていると結論付ける学問なのである。二人以上、という特殊ルールが、一人以上、になった瞬間、一気に視野が開けるのである。

この2つの世界は、相対性理論のネーミングのまねをして、フィールド・アンチフィールドと呼ぶことにしよう。さて、この仮定をおけば、サッカーというのは非常に解析がしやすくなる。なぜなら、左図では複雑な4体問題だったのが、アンチフィールドに分解したあと(右図)は、ただの2体問題×2に退化するからである。そして、2体問題ならば、人間は感覚的に解法を見つけられるのである。

フィールド・アンチフィールドに入っている選手同士は、互いのパス交換をしてはいけない。別の世界の人間だからだ。そして両者が独立して動いて、波状攻撃を実現する。攻撃にもう一人選手が必要であれば、フィールド・アンチフィールドのどちらにも属しない後方の選手を上がらせる。これが、当研究室の考案した

0トップシステム

である。フィールド・アンチフィールドの概念を知らない敵の選手には、無秩序な動きにしか見えないだろう。だが、味方の選手にとっては、サッカーがかえってシンプルに見えるはずだ。今の日本代表でこの戦略をとるとすれば、以下のような陣容になるだろう。

これは、有能なMFが余っているが有能なFWがいないという、世界でも珍しい日本サッカー界にフィットした戦略だ。図中の中山や大久保は、普通の時間は守備をこなすことになるので、この二人には守備練習を徹底的にやらせる。そして、いざ得点チャンスが生まれそうなら、「突撃」してゴール前に特異点を作る。これが、日本のFWのもっとも有効な起用法だ。

トルシエ監督が、W杯の代表からMFの中村を外したのは記憶に新しいが、トルシエ監督がやるべきだったのは、だぼついたMFを整理することではなく、それを全員生かせるようなフォーメーションつくりであるべきだった。そしてその答えが、今回のフィールド・アンチフィールドフォーメーションだったのではないか(時すでに遅しだが)。日本サッカー協会は、この理論の実践を何とかトルシエ監督に任せるというわけにはいかないだろうか。歴代の日本代表監督の中で、唯一相対性理論を理解できそうな、トルシエ監督に。

(S)

 

 

 

・75万Hit総力企画〜世界最小最安価!自動お掃除ロボ製作記の似非科学

さて。2003年4月7日に鉄腕アトムが生まれて、もう数ヶ月になる。埼玉県新座市に住民票まで登録されたのに、ニュースで華々しく報道されるような活躍がまだ見られていないのは、やはり悪のロボットが日本に攻めてきていないためであろうか。早く日本の悪者をやっつけて欲しいものである。

それはさておき、最近のロボット技術の進歩には目を見張るものがある。二足歩行はもはや当たり前であり、一芸(踊るとかボケるとか)ないと世間の注目を集められないような勢いだ。だがこれは、方向性を見失っている。ロボットが化石エネルギーで動いている限り、人類の役に立つような働きをしてもらわなくては困るのだ。もはやテクノロジーを競うのではなく、その応用を求めるようにならなければならない。

そんな正しい方向性を示してくれたロボットに、お掃除ロボットがある。米国では初めてのお掃除ロボットとして「ルンバ」が発表され、国内では東芝が「トリロバイト」を発表した。その後いくつかのメーカーが続いている。詳しくはリンク先を見てほしい。

さて、お掃除ロボットは玉石混交ではあるが、2つのタイプに分かれる。

前者はかなり高性能のようだが、欠点は非常に値段が高い(〜数十万とか)ことだろう。一方、後者は非常に安価なものも存在するが、唯一の欠点は部屋がまともに掃除できない(掃除残しがある)という点である。また、共通する欠点には、複雑な部屋の地形に対応できないということがあげられるだろう。

ということで今回当研究室では、約4000円で作成可能なお掃除ロボット(しかも、「行き当たりばったり型」ではなくて、複雑な部屋の地形もOK)を開発することに成功した。

似非式お掃除ロボ モレキューレ

とでも名づけておくことにする。では早速作成方法をご紹介しよう。

まずは稼動部の作成であるが、もーめんどくさいので、近くのデパートで子供教育用ロボットを買ってきた(オイ)。今回購入したのは以下のようなものである。

イーケイジャパン社(エレキットといった方が知っている人は多いか)のハイパーライントレーサMR-9732という教育用組み立て式ロボットである。なお、今回の実験のためには、「ライントレーサ」の機能を持っているロボットであれば何でも良いので入手しやすいものを準備すればよい。

さて、これにどうやって掃除させるか、に行く前に、このロボットの作りのよさには感動した。なんというか、設計者の大人のこだわりのようなものが感じられるし、添付するマニュアルもうまい。たとえば上記の写真で後部に何本かのワイヤーのようなものがあるが、これは単に配線材を通すゴムのようなもので、経費を削ろうと思ったらまったく必要ないものだ。そういった、単にかっこよく見せるためだけのパーツが多くて、楽しくてたまらない。グリスも入っているという親切設計だ。

 
[ただいま製作中]

また、組み立て説明書の最初に、「専門用語はそのまま使う」と宣言してある。すばらしい。このサイトも専門用語をバンバン使うので有名だが、要は子供には最初から大人の用語を教え込め、ということだ。子供は意味もわからずに専門用語(たとえばグリス)を覚えられる。そして大人になった後で専門書を読んだときに、再び「グリス」という言葉に再会し、高いレベルへ成長していくのだ。子供用だからといってもし「なめらかにうごかすための油」とやさしく書いてあっても、子供には何の教育にもならないのである。それは当研究室の目指すものと同じである。

さて、キットは完成したわけだが、これではお掃除ロボにはならない。ということで、ついにメインの「お掃除部」の作成にかかる。以下がお掃除部だ。

というか、

クイックルワイパーを後ろに付けただけじゃん

いや、これでいいのである。フローリングの床であれば、このロボットが動き回れば埃はふき取れる。

さあ、しのごの言わずに実験だ。このロボットは白い紙に黒い線を書くと、そこをなぞるように動く。フローリングの部屋を掃除させるには、床にそういった線を書いてやればよろしい。市販の掃除ロボットが通れないようなイスの下でも楽勝である!

だがきっと読者の方は、この「似非式お掃除ロボ モレキューレ」の致命的な問題点に思い当たったかもしれないが、

それはちっとも論点ではない。

フローリングの床に線を書きまくる、という部分は、技術的に簡単に解決できるのだ(たとえば人間に見えない色の線を使う、とか)。今回のロボットで大切なのは、「人間が手動でマップを作成する」ことによって、劇的に制作費を下げたことにある。

部屋のマップをロボット自身が作り出すのは容易なことではない。だが、別にマップを人間が書くこと自体は、掃除の度に書くわけでもないので、掃除ロボットに必要な本質ではないのである。むしろ、人間にしかわからない細かいところを掃除させられるという点で、このロボットは非常に優れているのである。

一方、行き当たりばったりタイプのお掃除ロボットはどうかというと、これは掃除という目的そのものを目指していない。このタイプのロボットは、どんなに安価であっても、知性の墓場といえよう。

人間のために働くロボットは、かっこよければよいに越したことはないが、技術的・コスト的に難しいからといって決して本来の目的を見失って作られてはいけないのである。というわけで、今回製作したお掃除ロボットは、昨今のロボット業界が見失いかけた方向性というものを改めて問い直している。その偉大な意義の前には、多少フローリングに落書きが必要だとしても、そんなことは問題にならないのだということを、読者の方も賛同していただけると信じている。

(R)

PS. えー、実際にこのロボットが掃除している様子をビデオにとって見ました。興味のある方はこちらへどうぞ

 

 

 

・最速の世界の最大の閉塞の似非科学

当研究室はADSLの高速化についていろいろ研究してきたが(単行本参照)、最大の高速化法は、

やっぱり引越しに尽きる

という結論に達した。まあ実際には引越しをするというのはなかなか難しいのだが、とにかく局舎の近くに住んでみるという方法が最も簡単な高速化法なのは間違いない。ということで、当研究室のADSL高速化実験はすべて終了したとご報告しておこう。

しかしフレッツ(NTT)に関しては、以前も取り上げたが相変わらず3kmの壁に厳しい。だがその理由も次第に明らかになってきた。NTTは未だに申し込みユーザーにこう説明するらしい:

「ああ、距離があってADSLでは速度が出ませんね、だから光にしませんか」

つまり、NTTはADSLを引きたくないのである。ADSLが光より遅い・安定しない(光もベストエフォートだが)という欠点を抱えているから当り前なのだが、光のほうが月額使用料が高い、しかもNTTが独占的に強いというところを考えると、単に技術的問題だけが原因ではなさそうだ。

光ケーブルに乗り換えるのはよいが、そんなに速い速度は必要なのか?光ケーブルを引いたときに利点としてよく上げられるのはテレビ電話であるが、これは断言していいが全く利点ではない。特に女性は絶対にテレビ電話にしない。なぜなら、いつかかってくるかわからない電話に対して、

  1. 24時間常にテレビ写りを気にして化粧しなければならない(お肌を休められない)
  2. 24時間常にテレビ写りを気にして衣裳を選ばなければならない

という2点があるからだ。これを解決するために、おそらく待ち受け画像と同じように、テレビ電話でも通話中画像(動画か?)というのが流行するに違いない。

それではADSLより鮮明に写るコンテンツは利点になるだろうか?実はこれこそが最大の問題である。

現在、BBを利用した合法的なコンテンツは退屈である。もちろん、当研究室のような「魅惑の」サイトが存在することは否定しないが、どこもADSLで対応できるようなサイトが多く、光ケーブルで初めて面白さがわかるようなコンテンツは少ない。映像は不鮮明だし、ニュース動画をみても原稿の棒読み(動画で見る意味がない)、コンサートの映像はアクセスの集中で重くて安定しない。鮮明な画像は通販のサイトか広告だけである。

現実をいえば、ファイル交換をするか無料の動画をダウンロードするか複数の出会い系を歩くか、そういったアンダーグラウンドと隣り合わせのところしかBBの活躍する余地がない。

一方でインターネットに関する規制は多くなるばかりである。もともとプロバイダーからしか発信できない一般ユーザーのプライバシーは、警察がその気になれば筒抜けなのである。より微罪で警察が摘発しようとしている最近の傾向では、合法的なコンテンツは著作権や青少年の配慮からどんどんつまらなくなり、広告だけが鮮明な画像・動画となっている。つまり現在の光ケーブルは、広告を見るために存在しているといってよい。

こういう事態が起こる原因として、インターネットの進化形態がテレビやラジオといった他のメディアとは異なっていることがあげられる。テレビやラジオは、まず最初が国営だったことが大きいだろう。NHKにCMは無い。そのため、テレビやラジオではCMはおまけだという認識が浸透した。だから民放の放送局もそれにならわざるを得なかったのだ。もし民放が最初のラジオ放送局であったならば、「1時間のうちに59分がCMでコンテンツは1分」というような番組構成が浸透したであろう。(もちろん、テレビ・ラジオの放送局は免許制であり、お上に首根っこを握られているという事情も大きいが。)

インターネットで情報を発信するのには免許がいらない。また、「お上」が作った規範となるホームページなるものが存在せず、個人・企業のホームページが初期段階で立ち上がったのが、メディアの特徴を決定付けたといえる。それゆえ、「1時間のうちに59分がCMでコンテンツは1分」というような暴挙が可能なメディアが誕生したのだ。「インターネット博覧会」なるものでメディアの方向性を修正しようとした国もあったようだがもう遅い。

話はそれるが、事態の背景には昨今のメディアの劣化がある。他に取り上げられるべき問題があるはずなのに、あからさまに画像や写真になるセンセーショナルな話題だけを取り上げている。とくに戦争が終わってからはその傾向が強い。例えば市町村合併に関する税源移譲もお世辞にも取り上げられているとはいえない。個人情報保護法案審議のときもスカラー波を取り上げる体たらく。意図的に国民の目をそらしえいるとしかいえない(ニュース自体がスカラー波だったに違いない)。某巨大掲示板を不必要なまでに目の敵にするのも、広告費や購読費が減らないようにすると同時に、自分達が意図している情報操作が成功せずマーケティングが狂うことを恐れているためなのではないかと疑わざるを得ない。

大手メディアは今現在、はっきり言って警戒すべき権力機関なのである。出会い系サイトの危険性を取り上げるのも出会い系で人がつながるのが怖いからなのである。なぜなら、孤独なら人はテレビを見るから視聴率が上昇するためである。

脱線した。ADSLから光に乗り換えるという問題である。以前はADSLが下級財だと考えていたのだが、広告にあふれた、無味無臭で重いだけの退屈なサイトばかりではADSLは下級財になりえない。むしろ電話回線より速いし、いつでもメールや天気予報をチェックできるという利点だけなら、ADSLは価格的に十分に光と競争できる。ADSLが正念場を迎える真の競合相手は、光ではなくPHSや無線LANであろう。

★最後に

今回の原稿を書いていると思い起こさせるのが、1200bpsと2400bpsモデムの争いである。パソコン通信の草創期、1200bpsのあと2400bpsが出たときは、1200bpsで十分だから2400bpsに移行するには時間がかかるだろうという意見があった。実際はそうではなかった。これと同じように、ADSLと光ケーブルの将来は、筆者の予想に反した運命をたどるのだろうか。

いや違う。あの時はネットに流出したのはテキストと鮪形式(※)の画像という程度だった。今は動画までがネットに流出している。これ以上流出させるものを人類は今持ち合わせていない何よりもあの時は自由と夢あった。だけど今は規則と絶望しかない。しかも、流出はしたものの、肝心の中身はどんどん荒れていく。広告ですら人間が主役ではなく、アニメのキャラが闊歩する。あらゆるものに配慮する必要が「生じている」現在、あらゆるものに配慮した合法的な画像とは本質的に何も写っていない画像になるだろう。そのときにはその空虚さを隠す技法だけが発達していくだろう。そしてその隙間を「健康」「グルメ」「コスメ」「ペット」「キッズ」「アイドル」「マネー」「なつかしのアニメ」「レベルの低い音楽」「こけおどしだけの映画」をキーワードにした広告がうめつくす。いくらリンクをたどってもそんなサイトだけにしかいきつかない。

高速のネットはその閉塞をよけいに感じさせるだけのツールに堕落する。そんなときに光ケーブルの必要性、パソコンの居場所は家庭にあるのだろうか?ひいてはインターネットは必要なのだろうか?光ケーブルによるBBは、インターネット文化自体の凋落を起こしかねない。未来の舵取りを、いいかげんなデザイナーや広告代理店に任せることがないよう、われわれは常に注意しなければならない。

(K)

※鮪形式(MAG) インターネットが普及する前に大ブレークした、国産の画像フォーマット。当時の日本で画像フォーマットといえば、MAG(またはMAKI)が普通だった。日本のアニメ・イラスト文化を陰で支えていた、歴史的な画像フォーマット。

 

 

 

・おたくもゼヒ!〜似非USBデバイス製作記の似非科学

USBの仕様(1.0)が最初に公開されたのは1996年ごろだった。従来のRS232Cシリアル等の接続インターフェースを統合し、高速(12Mbps)で使いやすい形にしようと策定されたものだ。1998年にUSB1.1が策定されたころから、その手軽さで一気に普及期に入った。

最近はむしろUSBをサポートしていないパソコンを見るほうが珍しかったりする。2000年にはより高速(最大480Mbps)なUSB2.0も発表され、デジカメや動画などの大容量転送にますます使われることになるだろう。ライバルのIEEE(I/O誌での通称は「いえええ」)との競争も目が離せない。

さて。なぜUSBがここまで広まったかの原因のひとつとして、USB1.0→1.1→2.0の間で下位互換性が完璧に保たれていたことがあげられるだろう(仕様上はUSB1.0→2.0は非互換が存在しうる)。ソフトウェアに下位互換性が無いのは単にソフト会社の手抜きだが、ハードウェアの仕様となると原理的に下位互換性を保てない(あるいは難しい)ことも多い。たとえばマザーボードのI/Oバスも、ISA→VESA・EISA・MicroChannel・PCIといった具合に、苦し紛れに下位互換を保ち、あるいは互換性を完全に破棄して進歩していったのだった。その点ではUSBは非常に優秀だ。

USBが普及した原因のもうひとつに、多種多様なサポートデバイスの出現がある。筆者が知る限り、その先陣をきったもののひとつに、

USBアロマポット(アーベル

がある。だが、

なぜアロマ?なぜUSB?

これを最初に見たときは頭をハンマーで殴られたような衝撃だった。その後のおもしろUSB機器はハチャメチャである。USB灰皿やら、USBひざ掛けやら、USB扇風機やら、全面展開の様相を呈している(最近はUSBマスコットが人気なのはご存知のとおり)。

これを可能にしているのは、USBのシンプルな電源規格にある。USB機器をお持ちの方は、そのプラグ部分を見てほしい。4本の電極が見えるだろう。その右端と左端に+5Vの電源が来ているのだ。しかも最大出力500mAと、結構な電力を取れる。そこでUSBアロマポット等のUSB機器は、USBを単に5V電源として利用しており、信号伝送を一切行っていないのである(つまり真ん中2本の信号用電極は無視)。

USBが最初に普及し始めたころ、筆者も何かUSB機器を作ってみようと思っていた。だが、ちゃんとUSB対応機器を作るには、ベンダーID等をUSB-IF団体に申請して取得しなければならないし、世の中には安価なドライバICが存在してはいるものの、その作成にはかなり気合がいるというかめんどくさい。それがわかった時点で筆者の興味は途絶えたのであった。当時、USBをただの電源として使うという発想にはまったく思い当たらなかったのが本当に本当にくやしい。(あー、本来USBは真面目な信号伝送のために提案された規格です、念のため。)

ということで今回、似非式USBラジオなるものを作成してみた。普通のポケットラジオの音をパソコンに取り込む(たとえば語学講座の定時録音とかにつかう)というものである。もちろん、パソコンを消せばラジオも消えるという、電池を使わない地球に優しいラジオである。

回路図は下記のようなものになる。ラジオへの電源はUSBから供給する。が、もちろん、USBの信号伝送線は無視する。そして単純にラジオのイヤホン端子をPCのマイク端子につなぐだけである。(なお、ラジオのイヤホン出力をPCのマイク入力に入れるためには「抵抗入りコード」を使う必要がある。これはオーディオショップで普通に売っている。)

なんか、回路図を公開するのすら恥ずかしいような回路だが、それでも多少なりとも工夫はある。まず、使用したポケットラジオは単3を2本(+3V)使用するため、USBの+5Vではちょっと大きい。そのままつないでもまず大丈夫だが、発光ダイオードでゲタをはかせてみた。これで1V強の電圧降下があるので、ちょうど良いくらいになる。これはパイロットランプの代わりにもなるので大変便利だ(同調ランプもどきにもなる)。

また、筆者がこのラジオを使うにあたり、ラジオとPCの位置を10m以上離さなければならなかったので(住宅事情のため)、電源ラインを長く伸ばす必要があった。このときの4線ケーブルに何を使おうかなあと思ったのだが、ずばり電話線を使ってみた。というのも、電話線は各家庭に必ず使われるものであり、普通の電気屋さんで大変安価に手に入るからだ。今ならばLANケーブルを使うのもお得だろう。

こうした、大量生産のおかげで非常に安く手に入るようになった部品は実験に使わないと損である。最近の例ではペルティエ素子などがあるだろう。本来ペルティエ素子は工業用の部品だが、電気的なフィードバックループを使って安定化が可能な低温源として、物理実験には良く使われる。以前もそれほど高いモノではなかったが、CPUクーラーとして大量流通が始まった後は、お菓子のような値段で手に入るようになった(しかもPCショップで)。これは研究者としては大変助かる。ありがたや、オーバークロックブーム。

ということで、無事にラジオがPCにつながり、しかも電池いらずの状況になった。世界一簡単〜似非式PCゲルマラジオ製作記の似非科学でも述べたとおり、PCにラジオの音声を取り込めるというのはいろいろな応用を可能にする。また、この回路は3V電源として汎用的に使えるので、いろいろなデバイスを接続することが出来るだろう。この機会に製作してみてはいかがだろうか。おたくもゼヒ!健闘を祈る。

(U)

※ このサイトの電子工作関係のトピックとしては、

 等があります。興味のある方はこの機会にどうぞ。

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