1999年12月5日より

誰もが、一度は「自分とは一体何だろう?」という疑問がわき起こり、それについての思いを馳せ巡らせた経験はあるでしょう。
私も、以前からその問題を考え続け今日に至っています。

現在、私は、40歳を過ぎ、「死」というものが現実の問題として考えざるを得なくなりました。
人の平均寿命は、男性では75歳ほどでしょうか。私は、今まで何においても平均以下でしたから、寿命についても間違いなく平均以下に違いないのです。また、普段から不摂生な生活をしていますから、いつ命に関わるアクシデントが起きてもおかしくありません。

そういう状況で、「自分とは何だろう?」という以前からの疑問は、自分の一生を総括する上でも切実な問題となってきたのです。

現在の科学では、「私」という存在は、脳内の神経ネットワークの電気的な発火によって生じているらしいのです。
それは、確かに人間に「意識」が生じている理由の一つには違いないのでしょう。しかし、それだけではひとり一人の個人に「私」という意識が目覚めていることの説明がつかないのではないでしょうか?。

もし人間を含めた生物というものが、機械的な仕組みのみで存在し、進化発展してきたのなら、その生物の個々に「意識」というものがなくても、すべてがオートマチックに事が運ばれて良かったのではないでしょうか?。

しかし、実際は私に「私」という意識の場が開いていて、私個人の意思が、この世界に参加している。

そのことが、私には不思議であり、その根源が知りたいのです。

この世の中は、そのことについてさまざまな人がいろいろな事を述べています。
それらを、一通り一瞥してみるのですが、それが確かに本当のことであるという保証はどこにもありません。

真実は、結局、自分の人生の中で、自分自身の手によって発見していかなくてはならないのではないかという結論が、今現在の私の見解です。

人は、自分がどんな存在なのか、その認識の仕方で、生き方が決まります。
自分が神の子であると認識していれば、死後の不安もなく、聖書の記してある秩序を守り、道徳的に生きようとするでしょう(でも、無神論の人にとってみれば「人間は神の家畜ではない」と反論します)。
それに対して、自分が偶然によって生まれ、ただの物質的な存在であると認識すれば、死後の不安にいつも悩まされ、刹那的に生きることになるでしょう。

でも、実際のところ、いったいどれが真実なのでしょうか?。

迷信や科学的根拠のないものを排除して物事を判断し行動するのが、近代人としての態度です。しかし、今の科学のデーターだけでは、真実の解明には程遠く、まだぜんぜん分からないことの方が多いのは、これまた周知の事実です。
近代人として生きるにしても、自分がこの世界を生きる上で「自分がどういう存在なのか」を自分なりに解釈しなくてはならないでしょう。

実は、人は皆、自分がどういう存在なのか無意識のうちに自覚しながら、行動しているのかもしれません。しかし、私は、自分の生き方を周りに流されるのではなく、「自分とは何か」を自分自身に問いかけながら生を歩んでいきたいと思っています。

「真実」は分からないということを重々承知の上で、私自身、今まで生きた人生の中で考えた「人間」や「この世界」についての検証を、このホームページを通じて展開していきたいと考えています。

藤田信路


テーマ/「人間とはどういう存在なのだろう?」

1)なぜ、時間の最先端に「私」という意識が開いているのだろう。

2)「私」が存在するための系統図の謎。

3)一卵性双生児の謎。

4)一人ひとりの中に神性が宿っている(人間原理は真実か?)。

5)わたくしという現象

6)


テーマ/「神は存在するのか(心身二元論を検証する)」

1)エリザベス・キーュブラー・ロスの自伝を読んで。


テーマ/「神は存在しないなのか(心身一元論を検証する)」

1)機械じかけのからだ。

2)人間の機械ではない部分。


テーマ/「宇宙について」


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