
中世のヨーロッパは、二つの権力に支配されていました。
一つは、人間社会の秩序を牛耳る、「皇帝」を頂点とした王侯貴族たち。もう一つは、神側の代理として「教皇(法王)」を頂点としたキリスト教教会です。
皇帝と教皇は、お互いの権言が強くなると、それぞれの権力の優位性を巡って争いを起こし、そのことが表面化してきます。
10世紀の末に、ドイツの皇帝が教皇を怒らせて、教皇から「破門」を言い渡されてしまいました。教会から破門されるということは、死後に天国へ行くことができないということを意味しますから、あせった皇帝は、雪の降りしきる中、皇帝の住む邸内の庭の前に三日三晩の間立ち尽くしながら、教皇の許しを請うということをしました。いわゆる「カノッサの屈辱」という事件です。この事件以来、神の代理人としての教会の権力というものが、人間社会の代表である皇帝の権力よりも優位であることを露呈したのです。
もはや教会には、怖いものはなかったのです。11世紀になると、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の共通の聖地であるイェルサレムが、イスラム勢力に支配されているという情報(これはデマだったそうですが)を、教皇が耳にし、聖地奪還のために十字軍を派遣しました。
十字軍が一時的にも奪還に成功したのは初めの一回目だけで、その後、ことごとく失敗し、約200年もの間、十字軍の派遣が続いたそうです。
十字軍派遣のためには、巨額のお金が必要だったので、教会は「免罪符」というものを発行しました。それは、罪を犯したものは、この免罪符を教会から買うことで、その罪を帳消しにされるというものでした。
また、十字軍に駆り出された従軍は、各地で奪略や殺戮などを繰り返しました。
中世のキリスト教会は、絶対的な権力を盾に腐敗していたのです。当時、「聖書」を含む、正式な書物はラテン語(古いイタリア語)で書かれていて、一般の人々は、それらの経典や古典を読むことができませんでした。その結果、「聖書」は教会によって都合の良いように解釈され、教義もますます歪められていきます。
中世のそうした歪められた思想や、俗習などを見直していこうという「啓蒙思想」が、やがて生まれてきます。それは、根拠の無い蒙(もう)なるものを、真実の目でもって啓(ひら)いていこうという思想です。
キリスト教の聖職者の中にも、聖書の解釈権を教会の一部の人々に任せるのではなく、信者一人ひとりが聖書を読んで、自らが経典を解釈していこうではないかと考える人が出てきます。マルティン・ルターは、聖書をドイツ語に訳し、一般の人々にも聖書を読むことができるようにしました。それは、それまでバラバだったドイツ語の統一にもつながりましたが、一人ひとりが司祭となって生きていこうという人々の集まりである「プロテスタント(カトリックに対抗するという意味)」に発展したことが、最も大きな収穫でした。
聖書を教会側が解釈するカトリックでは、信者は、聖書の内容を知らなくても、教会にすべてを任せていれば天国へ行くことができるわけですから、割と楽に信仰できます。
でも、プロテスタントは、一人ひとりが司祭と同じですから、自ら厳しい生き方を課せなくてはならないのです(楽天的なイタリア人やフランス人がカトリックで、何かと生真面目なドイツ人やスイス人がプロテスタントというのも、何だか納得がいくような気がします)。十字軍遠征がきっかけとなって、商人は強大な経済力を持ち、また物資を得ることを目的に、新しい大陸や世界を発見する大航海時代の幕開けとなりました。思想の上でも、啓蒙主義、プロテスタントの他に、キリスト教と違う価値観を持つ、ギリシャ時代の人間的な神々が復活したり、暗く抑圧された中世から開放するべく血の通った人間らしさを求めるルネッサンスなどが誕生しました。
時代は、人間の価値観や思想を、比較的自由に思い描くことのできる方向へと流れだしたのです。
そういう時代背景の元、17世紀の初め、フランスのデカルトは、「われ思う(「考える」の方が正しい訳だという説あり)、ゆえに我あり」ということをいいました。
デカルトは、何が正しくて何が間違いなのかを知るためには、全てのものを疑ってみて、その結果、唯一残ったものが真実であると解釈しました。あらゆるものを疑った結果、「考えている自分が在る」ということだけは、疑いようのない事実であるから、ゆえに「自分というスピリット(霊)は確かに存在する」のだと結論付けました。
また、人間のスピリットは、脳の松果体に宿るが、それ以外の人間のからだは「機械じかけのからくり人形」と同じではないかと考えました。デカルトは、聖職者でしたから、三位一体説(父なる天の「神」と、その子なる「イエス・キリスト」、そして私たち普通の人間と神とを繋げる絆のような力である「聖霊」の三つが、ひっくるめて「神」としての一つの存在なのだという説)の証明として、「私」というスピリットは、確かに脳に存在するのだということを示したかったのでしょう。
しかし、からだ自体は機械と同じなのだという結論に達しました。結果的に、デカルトは、人間の心(スビリット)と、からだは別なのだという「心身二元論」を唱えたのでした。
時代は、さらに流れ、19世紀の後半になるとダーウィンの進化論が発表され、聖書の記述と現実とが矛盾するようになり、聖書にある「神」の実在が、しだいに疑問視されるようになりました。
20世紀に入ると、世界大戦などによって大量殺戮の時代になり、こんなにもひどい世の中が存在することが許されているということは、もはや「神」などというものは絶対存在しないのではないかと疑う人も増えてきました。
父なる天の神と共に、神との絆である「スピリット」の存在が否定され始めたのです。
そうすると、この「現代」という時代では、残るのは「機械仕掛けのからだ」だけになってしまいました。現代は、人間という存在は、心が抜け落ちた、機械としてのからだしかない者になってしまいました。心のない、機械としての存在。もしそれが真実なら、機械としての「私」は、どのように生きていくなくてはならないのでしょうか?。
また、また「機械としての私」という一元論は、結論を急ぎ過ぎていないだろうかと疑うこともできるでしょう。この問題を、次の章では、より突き詰めてみましょう。