一卵性双生児の謎


一卵性双生児は、遺伝子的には、まるで同じです。
そうすると一卵性双生児たちのそれぞれのからだは、まったく同質のもので、仮に、二人がお互いのからだの一部を交換し合っても、何の拒否反応もなく移植することができるでしょう(あまり気持ちの良いお話ではありませんが)。
でも、二人に開かれている「私」という意識は、それぞれ別人なのです。

これは不思議ではないですか?。

一卵性双生児の場合、一人のからだが「A」だとすれば、もう一人のからだも「A」です。それなのに、一人の心は「A」なのに、もう一人の心は「B」なのです。

これはクローンでも同じことです。もしクローン人間が可能だとしたら(理論的には可能だそうですが)、自分とからだの同じ人物を、無数に複製することも可能でしょう。人間の体は60兆個の細胞でできているそうですが、そのすべてをクローン人間に複製すれば、60兆人の自分ができます。その60兆人のからだはみんな全員が「A」ですが、それぞれのからだに目覚めている意識は「A」「B」「C」…と60兆通りの個性があります。

私たちひとり一人は、自分が「A」という遺伝子の体を持っていたら、当然、意識も「A」であると信じています。しかし、一卵性双生児の例から考えてみれば、からだが「A」であったとしても、そのからだに開かれている「私」という意識は「A」ではなく、「B」や「C」であった可能性もあったかもしれません。
自分の母と父の間に生まれた「私」は、からだの方は確かに今ある私のからだだったに違いないでしょうが、そのからだに開かれた「私」という意識は、必ずしも今の「私」であったとは限らず、それこそ無限の異なる意識が開かれる可能性があったのではないでしょうか?。

仮に、あなたが一卵性双生児の一人として生まれたと想像してみて下さい。
ある時、「はっ」と目覚めたら「私」という意識が開かれていることに気がつきます。目の前には今の私と同じからだを持ったもう一人の自分がいます。二人とも遺伝子は同じですから、物質的には同じ人物が二人存在するのと同じです。
でも、それぞれ心は違っている。「私」という意識は確かにこちら側のからだに開かれているのだけれど、でも、どうしてもう一人のからだ側の方ではなかったのだろう?。もしかしたら、逆に、もう一人のからだ側の方に「私」が開かれて、あちら側の「私」が、こちら側のからだに開かれていた、という可能性もあったのではないだろうか?。
「私」という意識が、あちら側ではなく、こちら側のからだに開かれたのは、いったいどういう
経緯があったのか…。
私が、双生児の一人として生まれていたら、ぜったい今のような疑問を持つと思います。

こういった現象から考えてみれば、「私」という意識が開かれる経緯は、からだ側の事情(遺伝や血筋など)とは関係ないような気がします。それでは、「私」という意識が開かれる現象を、いったいどういうふうに解釈すれば良いのでしょうか?。