公共の福祉

一 公共の福祉の意味

 そもそも、公共の福祉の意味をいかに解釈するべきかについて争いがあります。

 第二次世界大戦後間もない頃、裁判所は、公共の福祉を以下のように解していました。すなわち、12条・13条の「公共の福祉」が人権制約の一般的原理であって、22条・29条の「公共の福祉」は特別の意味をもたない、と考えていたのです。

 六法で見ていただければ分かるところですが、日本国憲法には、12条・13条・22条・29条の4箇所において公共の福祉という言葉が使われています。

 私は、憲法上明記されている言葉を特別の意味をもたないといってしまうことには抵抗があります。いやしくも条文中に明記されているのだから、さも無意味な言葉が憲法に含まれていると言わんばかりの解釈には到底同意できません。

 現在、通説として以下のような解釈があります。すなわち、「公共の福祉」は人権相互の矛盾衝突を調整するための実質的公平の原理であり、すべての人権に論理必然的に内在している。そして、「公共の福祉」は、自由権を各人に公平に保障するための制約を根拠づける場合には、必要最小限度の規制のみを認め、社会権を実質的に保障するために自由権の規制を根拠づける場合には、必要な限度の規制を認めるものとして働く、との考え方です。
 なんだか難しい表現ですね。つまり、こっちの人権を重視すれば、あっちの人権を軽視するようになってしまうこともある。そこで、この矛盾するもの同士をうまく立てていこうとする考えのことを公共の福祉という、と考えていただいて結構だと思います。
 tanashinもこのように考えるのが適当だろうと思っています。今判決があれば、おそらくは裁判所もこの考えを採るだろうと思われます。

 なお、通説の考え方を一元的内在制約説と呼んでいます。


二 最高裁の公共福祉に対する考え方

 多少、記述の難度が高いことを前もってお知らせしておきます。
 さて、戦後間もない頃の最高裁の考え方は一元的外在制約説と呼ばれる考え方ですが、途中内在的制約説の影響を受けた判例(最大判昭41.10.26 全逓東京中郵事件判決)が登場しました。しかしながら、今日まで満足の行く進展をみることができません。
 まずは、表現の自由が「公共の福祉」により制約されることを判示した典型的な最高裁判例の一つ(最判昭62.3.3 憲法判例百選T第三版 122頁・123頁)をみてみたいと思います。

 ここでは立看板と表現の自由の関係について争われました。事件の概要はこうです。ある人(以下、Aさんとします)が政治的な演説会を宣伝するために立看板を街路樹に針金でくくり付けましたが、それが大分県屋外広告物条例違反だとされ、罰金一万円の有罪判決を受けてしまったのです。それに不服のAさんは、街路樹に広告をくくり付けることを禁止することによる町の美観維持と、これにより侵害される政治活動の自由とを具体的に比較した場合、表現の自由の一環である政治活動の自由に対しては必要最小限度の規制しか許されないのに、大分県広告物条例はそれを上回る規制をしているので憲法21条1項に違反すると主張して訴え、最高裁まで争われました。
 最高裁は、このAさんの申し立てを棄却、つまり認めませんでした。
 最高裁は次のように述べています。「大分県屋外広告物条例は、屋外広告物法に基づいて制定されたもので、右法律といっしょになって、大分県における美観風致の維持及び公衆に対する危害防止のために、屋外広告物の表示の場所・方法及び屋外広告物を掲出する物件の設置・維持について必要な規制をしているところ、国民の文化的生活の向上を目的とする憲法の下においては、都市の美観風致を維持することは、公共の福祉を保持する理由であり、右の程度の規制は、公共の福祉のため、表現の自由に対し許された必要かつ合理的な制限と解することができるから、被告人の本件における行為につき、本条例を適用してこれを処罰しても憲法21条に反するものではない」(一部表現を変えてあります)。このように判示しました。
 この判決についてはいろいろ述べるべき問題点が存在しますが、公共の福祉に関するものをクローズアップしますと、
1. この判決は「公共の福祉」を人権制約の根拠のみならず正当化事由として用いていること
2. 「公共の福祉」の内容を導く基本思想がなんら示されていないこと
という2点が問題となります。
 最高裁は「公共の福祉」という原理を用いて立看板を掲示する行為(表現の自由の一環として認めることができます)よりも町の美観維持に利益があると判断した格好ですが、
1. 立看板を掲示するという行為は安価で誰でも利用することができる
2. 特に演説会による政治的表現の自由を確保することは自己統治の観点からも非常に重要である
3. 演説を聞くことにより情報を得ることができるという表現の受け手側の利益も大きい
という立看板の有用性を考慮するとき、町の美観維持・危険防止という目的は、数量・期間制限や撤去義務を課すことによっても十分に達成可能であるので、やはり最高裁の判断は再考を必要とするのではないかと思われます。


 以上です。二についてはご参考までに・・・。