私人間効力

一 憲法の人権規定は私人間にも適用されるか

 私人間効力、あまり聞かない言葉ですよね。 しかしながら、けっこう我々の生活に近いところの問題だったりします。
 そもそも、憲法は私と皆さんといったような私人対私人を想定しているわけではありません。あくまでもわれわれ私人対公人(つまり国家)を想定して作られています。ですから、私人対私人の関係に直接憲法を適用することには問題があるのです。

 しかし、戦後、資本主義の高度化(発展)にともない、社会の中に、企業・労働組合・経済団体・職能団体などの巨大な力を持った国家類似の私的団体が数多く生まれました。これにより、一般国民の人権が脅かされる、という事態が生じました。
 また、マスコミの巨大化によりプライバシー侵害も常態化しているのが現状です。
 そこで、このような「社会的権力」による人権侵害からも、国民の人権を保護する必要があるのではないかが問題になっているのです。ね、結構身近な問題ですよね?

 現在、間接適用説なる考え方が、通説、判例となっています。どのような考え方かといいますと、「規定の趣旨・目的ないし法文から直接的な私法的効力をもつ人権規定を除き、その他の人権については、法律の概括的条項、とくに、民法90条のような私法の一般条項に、憲法の趣旨をとり込んで解釈適用することによって、間接的に私人間の行為を規律すべきである」、という考え方であります。tanashinもこのように解するのがよいと考えています。

 ちょっと難しいですよね。要するに、直接適用すべき人権もあるが、私人対私人の関係には、できるだけこれを規律する民法等の法律に従うのがよい、ということです。このとき、民法の規定を憲法の理念にそって考えることが要求されています。
 上で民法90条なんて条文がでてきましたね。民法90条では有名な「公序良俗」について規定されています。公の秩序、善良な風俗を乱すことは許さない、ということをいっています。
 つまり、公序良俗に反する行為をした私人(実際には大企業など)には憲法の条文を間接的に適用していくぞー、というような態度を間接適用説はとっているのです。

 間接適用なんて方法をとらず、直接に適用しても良いんだ、という考え方もありますが・・・、私的自治の原則(市民社会において人が義務を負うのは自らの意思でそれを望んだときだけである、とする法原理のことをいう)が広く害されることになるので、できる限り間接的に適用するのがよいといえましょう。


ニ 私人間効力が問題になった裁判

 有名なものを2つだけみてみましょう。

1. 三菱樹脂事件
  ある学生さん(以後A君)がいました。A君は三菱樹脂株式会社に採用されましたが、入社試験の際に学生運動はしていないと、うそをついてしまいました。学生運動・・・、若い人にはピンとこないかもしれませんが、就職の際に学生運動をしていたことがばれるとほぼ間違いなく採用してもらえませんでした。
 ところが、それがばれて試用期間終了後A君はクビになってしまいました。そこで、A君は労働契約関係存在の確認を求めて訴えを起こしたのです。
 裁判(S.48.12.12)では、間接適用説に立ちつつも、企業の雇用の自由を強く認め、「特定の思想・信条を有する者をそのゆえをもって雇い入れることを拒んでも、それを当然に違法とすることはできず」、また、「労働者の採否決定にあたり、労働者の思想・信条を調査し、そのためその者からこれに関する事項の申告を求めることも」違法ではない(間接適用説によりますと、私法の一般条項に憲法の趣旨を取り込んで解釈するので、私人間において「合憲・違憲」の問題が生ずることは有り得ず、「適法・違法ないし有効・無効」といった判断が下されます)、と判示されました。
 以上の判旨は「無効力説」(憲法の規定は特段の定めある場合を除いて私人間には適用されない、との考え方)と変わらぬとして批判されました。
 tanashinも、この判決では強い保護が要請される精神的自由たる思想・信条を守れないのではないか、と考えています。

2. 百里基地訴訟
  自衛隊基地の用地売買契約についての訴訟ですが、売買の当事者の一方が国(自衛隊)ということもあって、憲法9条も問題になった重要判例です。
 事実の概要はこうです。基地反対派である小川町長Zさんは、基地建設を阻止するために国が基地用地として買収予定のXさんの土地を購入することにし、代理人Yさんを介してXさんと売買契約を結びました。ところがその代金の一部が支払われていないとしてXさんは契約を解除、国はその土地を買う契約をしたのでした。国とXさんが、小川町長Zさんとその代理人Yさんに対して所有権確認(つまり、問題になっている土地は国のものであることを確認する)等の請求をしたのがそもそもの始まりです。 
 平成元年の判決では、憲法98条1項にいう「国務に関するその他の行為」とは、公権力を行使して法規範を定立する国の行為を意味し、私人と対等の立場で行う国の行為は法規範の定立を伴わないから、「国務に関するその他の行為」に該当しない。ゆえに、国が私人と対等の立場で締結する私法上の契約は、「特段の事情がない限り、憲法9条の直接適用を受けず、私法の適用を受けるにすぎない」としました。そして、間接適用説のような考え方により、憲法9条は「私的自治の原則等私法上の規範によって相対化され、民法90条にいう公の秩序の内容の一部を形成する」が、売買当時、自衛隊のために国と私人との間で売買契約を締結することが、反社会的な行為であるとの認識が社会の一般的な観念として確立されていたとはいえないと判示し、ZさんとYさんは敗訴しました。


三 プライバシーと表現の自由

 さて、私人間効力のページでプライバシーだの表現の自由だの関係ないのでは、と思われる方、いらっしゃいませんか? ところが、結構関わりあるのですよ(^^;
 まず、プライバシー権(自己に関する情報をコントロールする権利であると考える説が有力です)についてですが、憲法のどこに規定されているか、ご存知ですか? 実は、今のところどこにも規定されていないんですね(^^; 同様に環境権や日照権、情報権等についての規定もありません。このように、社会に求められてはいるが憲法に規定されていない人権があります。新しい人権と呼んだりします。今現在、判例が正面から認めているのは、プライバシーの権利としての肖像権だけです。というわけで、新しい人権といえばまずはプライバシー権ということになります。憲法上の権利であれば「公共の福祉」(12条後段、13条後段、22条1項、29条2項)による制約しか受けませんが、憲法上の権利でなければより多くの制約を受けることになってしまうので、本当に重要な人権は憲法で保障されるよう努力する必要があるかもしれません。基本的に護憲派の私ですが、新しい人権を明文で憲法に規定することには強くは反対しません。ただし、仮にプライバシー権を憲法第三章で規定した場合、規定されなかった人権の地位がプライバシー権に対して弱められ、13条を根拠に新しい人権を認めていこうという動きが弱められてしまうのなら、やはりプライバシー権を明文化することに反対せざるをえないのかもしれません。

 さて、今ちょっとお話したように、この新しい人権は、憲法13条の幸福追求権を根拠に認めていくべきだ、との考えが有力です。そこから導かれる個々の人権には具体的権利性が認められると考えられています。つまり、裁判で争える、というわけです。
 そこで、この裁判でも争えるほどに有力な人権となったプライバシー権が、憲法上明記されている表現の自由とトラブルを起こしたときにはどのように考えていけばいいでしょうか。この問題を考えるときの基準が問題となります。
 例えば、ある人AがBさんの日常生活を暴露するようなノンフィクション小説を書いたとします。AさんはBさんの事をよく知っていて、どんな秘密を持っているか等の情報に詳しく、それを小説の中で暴露してしまったとしましょう。もう皆さんお分かりの通り、ここでは、Aさんの小説を書くという表現の自由とBさんの秘密等を暴露されたくない、自分の情報は自分で管理するんだというプライバシー権がぶつかり合っています。
 どうです?人権と人権との衝突ですよ。皆さんならどのように解決しますか?


 普通、こうしたケースでは、私人であるBさんは、同じく私人であるAさんにプライバシー権侵害を主張したいことでしょう。でも、プライバシー権という人権を私人に対して主張できるのでしょうか?
 皆さんもうお分かりのように、ここで私人間効力を持ち出すわけです。先ほどみた間接適用説によれば、憲法の人権規定の趣旨を私法の一般条項にとりこんで解釈・適用することにより間接的に私人間にも人権規定を適用していくことになります。ただ、間接適用の仕方によっては権利の保障が弱められるということが起こりうるため、緻密な利益衡量が必要とされています。

 今回の事例では、BさんがAさんに家族に知られたくない秘密を暴露され、このプライバシー権の侵害に対して慰謝料を請求しているとしましょうか。
 とすれば、Bさんの請求が認められるか、Aさんの行為の違法性が問題となります。
 まず、Aさんは私人であり、私人による小説の刊行は21条1項に保障されている表現の自由にあたります。そこで、Bさんのプライバシー権とAさんの表現の自由をいかに調整すべきか解決せねばなりません。
 思うに、表現の自由とプライバシー権は、いずれも個人の尊厳確保のために必要不可欠な人権です。そこで、その調整は緻密な利益衡量によるべきなのです。
 ところで、表現の自由は(表現の自由のところでも触れていますが)精神的自由の中核をなすものなので一般に強い保護が与えられています。プライバシー権との関係では、公共の利害に関わる公的な価値を有する表現は、その民主政下における価値の重要性に鑑み違法とはいえないとされています。
 そこで、Bさんが政治家等ではなく普通のサラリーマンだとしますと、Aさんによる表現は、無名の一私人に向けられたもので、Bさんの実名を公表する必要性が特にあったとはいえず、Aさんの表現行為は違法であるといえ、Bさんの請求は認められることになります。
 一方で、Bさんが政治家で選挙を間近に控えているときに、AさんがBさんの前科情報を小説の中で明らかにしたとき、「公共の利害に関わる」表現であると解することにより、Aさんの表現行為は適法であるとの結論に達することも可能です。
 以上のように、事例毎に相対する利益同士を細かく分析することにより結論は異なりますし、どのような事情をどの程度に評価するか、ということによっても結論は異なってくるでしょう。

 緻密な利益衡量によるべきだ、などといって事例を考えてみましたが、なにせ事例を簡単なものにしているので、上のような程度では「緻密」には程遠いですが、なんとなく利益衡量について分かってもらえると思います。それで、結構です。


以上です。三についてはご参考までに。