社会権

一 社会権とは・・・

 社会権とは、20世紀になってようやく認められた、新しい人権です。これは、資本主義が進展するにつれてあらわになった様々な問題点を弱者救済の観点から解決していこう、というものです。
 日本国憲法においては、25条に生存権、26条に教育を受ける権利、27条に勤労の権利、28条に労働基本権が保障されています。


ニ 生存権

 まず、条文をみてみましょう。

第25条第1項 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を
          営む権利を有する。

     第2項 国は、すべての生活部面について、社会福祉、
          社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に
          努めなければならない。

このようになっています。

 さて、ここではこの生存権が法的にはどのような性格を持っているか、議論されています。
 
 判例は、tanashinの大嫌いなプログラム規定説というのを採っています。つまり、25条1項は国家に対する政治的な義務以上のものは定めていないとして規定の意味を弱めてしまっているのです。これでは、生存権が憲法上明確に定められているという事実を軽んじていると言われてもしかたのないところです。
 通説は、判例のようには考えないものの、具体的に生存権を保障する立法がなければ直接25条1項を根拠として国の施策や行政の怠慢について裁判で争うことは認められない、と考えています。
 思うに、現時点では、生存権を保障するような立法はないといえます。このような状況では通説の考えでも憲法の趣旨に合致しないと言わざるを得ません。
 tanashinは、具体的な立法が十分でないときには、憲法25条を根拠として国の施策や行政の怠慢について裁判で争うことを認め、生存権をできる限り保障するべきなのではないか、と考えています。


三 環境権

 環境権はとても新しい考え方だと思ってもらってよいでしょう。技術革新が進み、人間が自然を変えてしまうほどの力を持ったからこそ考えられた権利とも言えましょう。

 実際のわれわれの生活にはとても重要な権利ですが、法的な争いはそれほどありません。一応、環境権が憲法上どの条文によって保障されているかについて争いがある、ということだけ知っていれば良いところです。
 通説は、13条と25条の2つの条文がその根拠となる、と考えています。つまり、環境権は、健康で快適な生活を維持する条件としてのよい環境を享受し、これを支配する権利であるという社会権的側面と、よい環境の享受を妨げられないという自由権的側面とを併せ持っている(複合的性格を有する、などと呼ばれることがあります)から、それぞれの根拠条文が必要なのだ、ということを言っているわけです。
 tanashinもこのように考えています。


四 教育を受ける権利

 まず、条文をみましょう。

第26条第1項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に
          応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

     第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する
          子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、
          これを無償とする。

このようになります。ちなみに、tanashinは26条1項の「その能力に応じて」というフレーズが大嫌いです。余計なお世話だと思いませんか。人間に能力の差があることををわざわざ憲法が認める必要はないのです。

 さて、教育を受ける権利には3つの意味があると言われています。1.学習権と、 2.教育条件を整備することを要求する権利、さらに 3.公民権制です。判例もこのように考えています。
 1.は勉強する権利ということ、2.は勉強できる環境作りを国に要求できること、ということですね。3.はよろしいでしょうか。3.は主権者としての資質を養う権利を意味します。つまり、国家の将来を支える国民に、それに必要な能力を養う権利があるということです。

 一応26条の主体は子供達ということになります。ただ、最近は大人達も一生懸命勉学に励んでいらっしゃいますよね。英会話教室とか、司法試験塾とか、絵画教室とか、手芸教室とか、手話教室とか・・・、ほんと、枚挙に暇がないほど勉学をする場所が提供されています。このような大人の勉学する権利も26条で保障されているとtanashinは考えています。

 なお、教育を受ける権利に関しては、旭川学力テスト事件・家永教科書事件といった重要な判例があります。機会があれば触れたいと思います。


五 勤労の権利

 条文をみましょう。

第27条第1項 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。

     第2項 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する
          基準は、法律でこれを定める。

     第3項 児童は、これを酷使してはならない。

このようになります。

 この権利もやはり資本主義体制の歪みから考えられたものです。現在でもまだまだありますが、特に初期の資本主義体制の下では労働者は過酷な労働条件にに悩み、低賃金を強いられ、景気が悪くなれば失業してしまうといったことがありました。当然労災や失業保険といった考え方などなかったのです。19世紀のヨーロッパに比べれば、今の日本の状況はまだ良いほうだ、ということになるでしょう。
 19世紀のヨーロッパはそんな時代でしたから、労働者の権利を保護する制度があってもよいのでは、と考えられたのです。

 さて、ここでも勤労の権利は法的にはどのような性格を持つのか争いがあります。

 残念ながら、プログラム規定説が通説です。おそらくは、社会権はまだ認められてから日も浅く、これを認めるためにはお金が必要になってくることから努力目標としたいのでしょうが・・・。お金のことはまさに政治部門で解決されることであって、裁判所がそれに過度に配慮しすぎては、司法を担う機関としての職責を全うし得ない恐れがあるのではないかと危惧します。司法が過度に政治部門を配慮していては、お互いを抑制し合うという権力分立の精神にも合致しないと思うのです。司法はもう少し積極的に物事を判断してしかるべきだと思います。


六 労働基本権

 条文をみましょう。

第28条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の
      団体行動をする権利は、これを保障する。

このようになっています。これについては、よく中学校のテストで書かされているのではないでしょうか。団結権団体交渉権団体行動権(争議権とも言う)という言葉です。皆さんも覚えたことがあるのではないでしょうか。

 いろいろ重要なことが問題になるところではありますが、まず、どうしてこの権利が憲法上保障されたのか、ということを知っておきましょう。

 詳しくは民法を解説することがあればそこで触れますが、われわれは自由に色々な契約を結ぶことができます(ただし、公序良俗に反するものはダメですが・・・)。
 日本国民法の世界ではこの考え方を原則としていますが、このようなときには、労働者は足元を見られ、不利な契約をしてしまうことが通常です。そこで、このような労働者と強い使用者(つまり会社)とを同じ立場に立たせることを目的として労働基本権は定められたのです。

 なお、労働基本権は3つの側面を持つといわれています。一応押さえておきましょう。
 労働基本権は、1.社会権としての側面、 2.自由権としての側面、 3.私人間に直接適用され(とても珍しい場面)、労働者の権利を保護しようとする側面、があるのです。


 ここまでにしておきます。ご意見ご感想等をお聞かせください。