パンテル(PANTHER)ってなに?

パンテル
更翆羸鐚
1943.7.4

ロシア南部コサチェクにデビュー!


●私のハンドルネーム(HN)について

    

私のHN『パンテル(Panther)』は、

 たまに故障(失敗)や危機に陥っても、最終的には進化(成長)し自分が目指す目標や夢を達成したい、と言う気持ちを込めています。

●パンテル開発のきっかけは?

 バルバロッサ作戦(赤ひげ)でソ連に侵攻したドイツ軍は、今までに見たことの無い斬新なスタイルの新型戦車を目のあたりにし、驚愕した!当時ドイツ主力戦車であった傾羸鐚屬簑仞鐚嵋い涼憧櫃覆匹魄廖垢斑討返し、遠距離から確実な命中弾を浴びせてくるのである。そう、この戦車こそ、ソビエト期待の「T-34中戦車」であった。この「T-34」との遭遇によりこれまでのドイツ戦車開発思想が音を立てて崩れ、以後の戦車開発は打倒「T-34」を旗印として驚くべき速さで進められることになっていった。
 そして、前線で捕獲したT-34を徹底的に研究し、より強力な火砲と装甲を備える新戦車として開発されたのが、

ドイツ軍更翆羸鐚
パンテル(PANTHER)
T-34キラー


の誕生であった。

 T34の被弾径始向上型デザインを取り入れたパンテル中戦車(↓画像)。
オールラウンドの性能においてもっとも優れていた戦車です。
しかしデビュー戦であった東部戦線の『クルスク機甲戦=チタデレ作戦』では開発を急ぐあまり故障が相次いだ。
その性能とバランスは未だに『ティーゲル重戦車』にも負けない人気となっている。

☆Specification☆


●全長 8.86m ●全幅 3.42m
●高さ 3.0m  ●重量 44.8t(G型)
●エンジン V12ガソリン 23880cc
●出力 700hp
●最高速 55km●7.5cm 70口径砲搭載

  パンターは、その後D,A,G型と改良が加えられていきました。

●開発と戦場投入をめぐる論争

 「ツィタデレ作戦」を遅らせてまでも投入を期待したパンテルであるが、投入初期段階ではさまざまな問題があった。なぜならば「パンテル」は実戦化を急ぐあまり、運用試験を極めて短時間で終えて部隊編成が行われたからです。そのため、実戦投入には「グーデリアン」「マンシュタイン」などの歴戦の将軍からも反対されたのです。

●「クルスク戦(ツィタデレ)」投入までに見る、「パンテル中戦車」

 しかし、パンテルは実戦投入された。賽は投げられたのである!
 完成したばかりのパンテルは、第51、第52戦車大隊にそれぞれ96量ずつ配備され、ラウヒェルト少佐率いる第39戦車連隊に配属されて、「クルスク戦(=ツィタデレ作戦)」に投入されることになり、ドイツよりソ連に鉄道輸送されることになった。
 まず、第51戦車大隊が6月24日から25日にかけて出発。28,29日には僚友第52戦車大隊と8両のパンテルを装備する第39戦車連隊本部がこれに続く。そして最後の列車が集結地となったハリコフ方面の「コサチェクの駅」に到着したのは、作戦開始の前日7月4日であった。
 そして列車から降ろされたパンテルは、グロース・ドイッチユランド装甲擲弾兵師団と協力して作戦を行うために、マッシェツショノヤの北側に向かって移動を開始したが、この際2両のパンテルが機関室より発火して失われ、その前途に早くも危険信号がともった。

●「運命の日」7月5日

「ツィタデレ作戦」が開始された。

 午前6時40分、第39戦車連隊のパンテルはグロース・ドイッチユランド装甲擲弾兵師団の弦羸鐚屬箸箸發縫泪奪轡Д張轡腑離笋妨かって進撃を開始、以後作戦の中止が決まった12日まで、各戦線で善戦し、30両以上を失ったものの、200両近いソ連戦車撃破しており、様々な問題が残ったがその実力は十分なものがあることを立証したのである。

●その後のパンテル戦車

 以後、パンテル中戦車は終戦までに改良が加えられ、終戦までに各型で計5995両が生産されドイツ軍戦車の主力となったのである。そしていまだにその人気は「ティーゲル重戦車」にも引けを取らない・・・。