懐かしの90年代的ゴーマン

ワールドカップの最中、相変わらず、
韓国差別の書き込みがネットを賑わしていた。
直接の関係は無いとは思うのだけど、こういう場合、
つい、「ゴーマニズム宣言」の影響を考えてしまう。

私は、週刊SPA!に連載されていた、
小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」1〜5巻を持っている。
この掲載時期(92〜94年)は、案外、私にとっても、日本社会にとっても、
世紀末へ向けた混乱に対するある種の象徴的側面を持っていたと思う。

バブル期の狂奔は、古い価値観を否定する自信を戦後生まれの者に与え、
丁度、昭和が終わり(89)、社会全体が新たな価値観を欲する機会を迎えた。
無論、ソ連の崩壊(91)を目の当たりにしたので、
資本主義の次のステージは「共産主義革命」では無い。
だがしかし、誰もが「何か新しいモノ」を求めていた。
私は、そんな時に出てきた小林よしのりの主張は、
ようやく日本に出てきた「個人主義」だと受け取り、
小さいけれども一つの前進だと思った。
93年には、日本新党・細川護煕が首相となり、昭和・自民党政治は終わった。
その年は、皇太子ご成婚もあった。
「何か新しいモノ」の気配はたしかにあった。
しかし、「平成の新基準」は生まれず、
かえって「偉大な昭和」を失った喪失感なのか、
単なる「団塊の世代」が役立たずだったのか、
もう94年には、昭和の遺物同士の抱き合わせ商法、
自民党と社会党との「野合」なんてのが起こる。
バブルが弾けて以降、不景気も深刻になると、
古い価値観に打ちのめされた社会は「自信喪失」にもなり、
日本社会は今に続く長いトンネルに入って行くことになる。
そんな、「トンネルの入り口」に登場したのが、
「ゴーマニズム宣言」だったのだ。

「ゴーマニズム宣言」(以降「ゴー宣」)の第一巻には、
SPA!92年1月22日号〜93年4月7月号に掲載された48編と、
「ゴー宣」に先だって連載されていた「おこっちゃまくん」の
月刊宝島掲載分(89年2月号〜91年7月24日号)、
月刊コロコロコミック掲載分(91年〜より抜粋)が収録されている。
ゴー宣第1巻ゴーマニズム宣言第一巻
「おこっちゃまくん」に始まる、小林よしのりのエッセイ漫画は、
当初、タイトル通り社会の矛盾をただ「怒る」だけであった。

89年当時、小林よしのりはデビュー作「東大一直線」以来、
久々のヒット作をようやく生んでいた。
アニメ化もされた「おぼっちゃまくん」だ。
この二冊は、小林らしさに溢れたテーマの作品である。
「東大一直線」は、受験戦争が騒がれた時期に、
あえて「東大を目指す馬鹿」という主人公の、
「学歴という価値観を笑いつつ受け入れてしまう」という設定。
「おぼっちゃまくん」は、バブルに浮かれた時期に、
むしろ「超大金持ちな馬鹿」という主人公の、
「バブルを笑いつつ、金持ちを受け入れてみよう」という設定。
社会が否定する価値観をあえて肯定することでギャグにする、
ギャグ漫画家らしい表現だ。

息を吹き返した小林は「おぼっちゃまくん」にひっかけて、
「おこっちゃまくん」という息抜きエッセイ漫画を89年に月刊宝島で始める。
これはこれで、当時は、すでに真面目を「ダサい」とする傾向があったから、
真面目に自己主張する、なんて「裏返し価値観的ギャグ」も根底にあったと思う。
おこっちゃまくんおこっちゃまくんと宝島89年2月号
連載が始まった「89年1月(2月号)」は「昭和が終わった年」である。
その年はまだ「リゲイン・24時間戦えますか?」が流行してたりで、
昭和は終わったけれど、まだ「バブルの最中」である。

掲載した「雑誌宝島」の89年も微妙である。
月刊宝島は創刊以来、今の「広告批評」や「ダ・カーポ」と同じ大きさだったが、
87年に大判化し、文章中心からビジュアル中心の雑誌に変わった。
87年とは、東証平均株価が2万円を越えた「バブルの始まった」年である。
(ちなみに、朝迄生テレビの開始も87年)
まさに、雑誌作りが、活字中心からビジュアル中心になり、
雑誌が広告収入をメインに据えたバブル期の傾向に重なっている。
日本はいよいよ、文化に金を費やす時代に入っていて、
サブカルチャーも「ビジュアル&ファッション化」した。
宝島の大判化はそんなバブル期に行われた。
86年末以来購入してた私は、89年で買わなくなった。
単純に、面白いと思えなかったのがその理由。
月刊宝島は、その後、隔週刊となり、さらに週刊になる。
内容がどんどん薄まった結果、最後はエロ雑誌みたいになった。

まあ、「大判月刊宝島」ってのが、
私の文化的思考形成の基礎なのは恥ずかしいが、
底の浅いカタログ趣味な傾向はそのものズバリで否定しようがない(笑)。

89年の「おこっちゃまくん」第一話は、
編集者に連れて行ってもらった「ツムライリュージョン」についての、
日記のような単純な個人感情の漫画である。
今回、確認したところ、「ゴー宣」第一巻の収録と、
宝島収録の第一回目はなぜか違ってるんだけど・・・。
宝島の「おこっちゃまくん」は91年に連載を終了した(らしい)。
株価が三万を割ってバブル崩壊したのは前の年の90年だけど、
91年の日本はまだ、ジュリアナ東京なバブル気分で、
新都庁がオープンしたり、宮沢りえのヘアヌード写真集が出たりでまだ呑気だ。
だけど世界の方はすでに、1月に湾岸戦争、12月にソ連崩壊なんて大混乱。
ちょっとずつ、「トンネルの入り口」に近づいていた。

そして、92年、週刊SPA!にて、いよいよ、
「ゴーマニズム宣言」が始まる。

92年というのは、かつての左翼学生のバイブル、
「朝日ジャーナル」廃刊の年だったりもする。
言論はその地位を落としていた。

「週刊SPA!」はバブル風味な雑誌である。
「週刊サンケイ」を88年にリニューアルして「SPA!」となる。
(週刊AERAもこの年創刊らしい)
「週刊サンケイ」は、当時、新聞紙系雑誌では、一番売れてなかったし、
かなり「ショボイ雑誌」だった。
それが、一挙に、「バブル社員向けホイチョイ的価値観」な雑誌に生まれ変わった。
リニューアルしたからって、あんまり注目はされなかったが、
漫画「モーニング」「スピリッツ」なんてのを読む年齢のサラリーマンの、
「ビジュアル版ダカーポ・宝島風味」って感じの雑誌になっていく。
で、そんなSPA!の方向性を示すのが、
90年の「宅八郎・イカす!オタク天国」の連載開始である。
買って読む程内容は深く無いけど、見出しは魅力的なモノが多くなった。
私も、学校に行く電車の中で読むために、よく買ってた。

開始された「ゴー宣」は、序章でその方向性が示される。

「わし、言ってのけるに日本人はまったく自分を主張せん!」
「謙譲の美徳の影にかくれてはっきりモノを言わん立場をとりたがる!」
「それでいて他人の意見に安易に追従する」
「しょくん勇気を持て!」
「勇気を持ってゴーマンをかますのだ!」

素晴らしい。見事なアジテーション(煽動)!
否定している「他人の意見」の部分には、
当時のマスコミ受けしてたオピニオンリーダーの二人、
西部邁とビートたけしの絵も書いてある。
「おこっちゃまくん」をメジャー誌でやるにふさわしい変身ぶり。
おまけに、どんどん内容が過激になり、
新興宗教、部落差別、メディア批判、戦争責任など、
扱うテーマは、一般誌が触れない、ある種「タブー」的なモノばかり。
おまけに、皇太子ご成婚に対して、
パレードで雅子様が「天皇制反対」なんつうオチの回が、
SPA!で掲載拒否にあったとかで、
マイナー誌「ガロ」に持ち込む騒ぎもあった。
(第三巻に収録「カバ焼きの日」)
いずれにしても、今読み返しても、漫画として十分面白い。
が、徐々に様相が変わり始める。

「ゴー宣」は一・二巻とも漫画だけの構成だが、
三巻から変化が生じる。
なぜか、章毎に秘書2人による解説、
「秘書2ばなし」なるコーナーができたり、対談が収録されたり。
で、今回、何気なく巻末を見てみると、三巻から「構成」担当が変わってる。
一・二巻は「末永直海」、通称「ぴゃーぽ」が担当しているが、
三巻以降は「金森由利子」、通称「カナモリ」である。
「カナモリ」ってのは、「ゴー宣」連載が始まってから、
多摩美大で行われた講演会の学生主催者の一人で、
(講演の様子を紹介してたSPA!記事内の写真の真ん中に写ってる)
その後、小林よしのりの秘書として就職したらしい。
「ぴゃーぽ」は第一秘書と呼ばれ、
「おぼっちゃまくん」にも関わってるらしく、
ギャグ漫画としての構成は、面白さとして十分伝わる。
「第二秘書」と呼ばれる「カナモリ」の影響が強くなってからは、
大学卒業間際らしい、「若さ」が感じられ、
オチが無くなり、ストレートな表現になる。

しかし、後に「噂の真相」から叩かれることになる、
噂の真相噂の真相94年11月号
「本人のカリスマ化」「秘書の愛人問題」の両方が、
カナモリの漫画初登場の章でさりげなく示される。

その後も繰り返された「噂の真相」の記事を読んだ後では、嘘臭くて爆笑ものの、
「カナモリ初登場」は、第四巻の第八十二章「どとーのカリスマ」である。

2ページまで、いろんな有名人達と対談させられたりで、
漫画家から文化人となっていく自分を「どとーの存在」としている。
3ページで東大駒場祭で行われた対談での、
「今後わしは権威となりカリスマを目指す」の発言。
4ページは、その時の対談相手「浅羽道明」を評して、
「メジャーなわしを踏み台にしてさらに
+自分のステータスを上げようと思ったか?」
なんて思い上がりなセリフで気取ってみせる。
その、コマの下に、教室に忍ばせた「現在見習い第2秘書・K嬢」として
「カナモリ」が初登場する。
同じページにあるってことで、心理学上、この時はまだ、
「K嬢」も「メジャーなわしを踏み台に」と疑ってたんだろう(笑)。
5ページはもっと凄い。
「カナモリ」の発言として以下、
「私は今まで『ペンの力』ということを聞いてきましたが、
+それを実際に見たことはなかったんです」
「『ゴー宣』で初めてその『ペンの力』を見てしまいお手伝いしたいと思いました」
なんてとんでもないことを言わせ、さらに、
後に去ることになる「ぴゃーぽ」の発言で、
「先生ぴゃんこのコ やとおう」
「美ぼうといい能力といい あたしに値するレディはこのコしかいないわよっ」
と、「カナモリ」を評している。
「カナモリ」を認めたのは小林ではなく「ぴゃーぽ」だったと。
さらに、対談の際の観衆の質問で、
「小林さんは『権威よ死ね!』って言ってるけど、
+このままじゃ自らが権威でありカリスマになるんでは?」
と、誰もが感じるはずの疑問を投げかけさせ、
「わしは権威そのものを否定するわけじゃないことを伝えていると・・・」
なんて思わせぶりにしつつ、
「浅羽氏が割り込んで言ってしまった」
で、怒涛の6ページへ。
浅羽のセリフ、
「小林さんはもちろん自分が権威になりカリスマになるつもりなんですよ」
「そうですよね!?」
小林は、
「今後はそれを目指すことにしましょう」
「やられた〜〜」
と、カリスマ宣言は浅羽が言い出したことで、
本人は本意じゃないようなこと書いてる。
おまけに前の4ページで、帯のコピー「権威よ死ね!」は
自分のアイデアじゃないことを説明してるから、
ゴーマニズム宣言の割りには、やることなすこと全部他人の尻馬に乗ってるだけ、
みたいにこの章全体が構成されてるんだな。
で、最後の8ページでゴー宣に対しての浅羽評、
「おたく世代の行動の原動力となる倫理を作る漫画」
カナモリ評、
「人間の生命力の全肯定 宗教的な情念を呼び醒ます光となる作品」
だと。
この辺、嘘か真か検証しようが無いけど、
普通はこんなこと恥かしくて書けないよな。
で、決めセリフ。
「ごーまんかましてよかですか?」
「時代は今からがどとーだ!」
「どとーの先端はわしが指し示してやるぞ!」
なんて・・・・勘違いしてしまったらしい。
ひゃー恥かしい。

ちなみに、次の第八十三章では、「自分が嫉妬されて困る」なんて、
さらなるカリスマぶりを発揮している。
たぶん、「おこっちゃまくん」ティストだとギャグとして通じたんだろうけど、
すでに自慢はギャグになってないのが悲しい。
で、嫉妬がテーマと思いきや、どうも、
いろんな女性関係の開き直りだったりもする。
「これは冗談でなく言うが女はもういらんのだ」
「ばか!わしは結婚しとるわ!」
「その上他にも複数女はいるんじゃ!うわははは」
前章が前章だけに、笑えない。

こういう有頂天になってる時は、つい本音も晒しちゃうもので、
「わしは芸能人じゃない 漫画家であり このさいはっきり言っちゃうが
思想家だ!
思想家には、ルビで「ゴーマニスト」とふってある。
つまり、小林は、「思想家」として扱われたかったらしい。
思想家宣言こりゃ、嫉妬しちゃうなぁ(笑)/八十三章より
本人はギャグのつもりなんだろうけど、もう笑えない。

漫画に登場する二人の秘書は、その後、第一秘書の「ぴゃーぽ」が辞め、
カナモリ一人になって、さらに方向性が変わった。
初期に妙に固執してた演歌の話なんてまるっきり無くなってしまう。
「秘書兼構成担当」の変化で、作風が変わってしまう「漫画家」という職業は、
やっぱり、出版社の編集者の意向に強く影響されたりするのかもしれない。

ところで、この「ゴー宣」が始まってから、
小林は、本来の「ギャグ漫画」が描けなくなった。
数回、漫画誌で連載を始めたがすぐに打ち切りになる。
「ゴー宣系漫画」もいくつか書いてる。

94年は、扶桑社がSPA!の月刊誌版「PANjA」を8月号で創刊させ、
「ザ・カリスマンガ 聖人列伝」なんて小林の漫画が掲載されている。
第一回目の対談相手は小沢一郎だ。
内容はとくに触れるまでも無い、単なる対談の漫画化。
PANjA PANjA創刊号/94年8月号

今では考えられないが、小林よしのりは、左翼ジャーナリストの牙城、
「週刊金曜日」で作品を発表していたこともある。
95年4月、たった4回の「ザ・よしりん仮面」なる、
センスのかけらも無いタイトルの漫画。
週刊金曜日週刊金曜日95年4月7日号
なぜ連載したのか、よくわからないが(笑)、
金曜日側の本多勝一との共通点はある。
それは、「反『噂の真相』」である。
小林は、上述のように誌上で記事にされ、
本多も、収賄疑惑を暴露されていた。
「敵の敵は味方」ってなだけだろう。
4回の連載でも「噂の真相」批判しか目立ったことは書いてない。
よしりん仮面週刊金曜日95.4.14号

私が「ゴー宣」から離れた理由ってのは、
今となっては、はっきりしないけれど、
やっぱり、「噂の真相」の記事が大きかったか。
私は私で、「ゴーマニズム」としての自主映画を作ったりしてたし、
もう、私の中で「ゴー宣」の役目は終わったと思ってた。

そのうち、初期に否定していた戦争や、西部らを肯定し始めたり、
HIV訴訟関係で擁護していたはずの川田龍平を非難するなど、
その手の平返しの様が見苦しくなってたのを知るにつけ、
「止めて良かった」と思ったのが正直な所。

だから、SAPIOに連載が移ってからの「新・ゴーマニズム宣言」や、
「戦争論」は、残念ながら読んでない。

「何もない90年代」といわれがちだが、
案外、昭和以降の「日本的個人主義」を模索していた90年代、
と考えるならば、「ゴー宣」の変遷は、実に、「90年代」っぽい。
バブルが終わって、次なる何かを探そうとするがみつからず、
仕方なく、一度否定したモノを再度認めてみようかと思うが、
それも役には立たない。
世紀末が近づくにつれて不安が増す中、
昭和懐古は行き着き、ついに「天皇制・戦争の肯定」になっちゃう。
21世紀を目前にして、20世紀初頭の価値観に戻ろうってことだ。

といいつつ、私は、95〜98年まで米国生活をしてたので、
イマイチ、その空気はわかんないんだけど・・・。

日本に帰って来て、教科書問題やら靖国参拝やら、
おまけに、朝鮮・中国差別である。
米国で、黄色人種差別を受けてきた身としては、
「仲間割れを進めてどうすんの?」な感覚だったけど、
ネットでの反応は激しかった。
この点で、小林の才能は凄いとは思う。
彼の才能は、ネーミングの妙にあると思う。
デビュー時期からのギャグは、常に、「言葉のかけあわせ」であり、
子供や馬鹿でも使いやすい、「一言」でまとめる。
「ゴー宣」のタイトルや、その後のレッテル貼りも、
いちいち定着する程の「上手さ」を持つ。

で、ネットの2ちゃんねるでは、小林の「言葉」を借りながら、
悪意に満ちた書き込みをする者も多く、
そんな文章をみつけてはいちいち憂鬱にもなっていたんだけど、
そういうのを書き込む人も、今は極一部なんだとわかる。
何つうか、サッチーが好きな人は実際はほとんどいなかった、みたいな。
先日、昼間っから酔っ払った私は、電車で、
天皇についてのレポートの草案を練ってるらしい学生にからんだのだが、
懸賞論文の構成を考えいた坊主頭の国学院大学の生徒は、
「小林の影響?そんなのありますかねぇ?全然知りませんよ」と応えた。
現実とはこんなもんかとも思う。
まあ、何か事件があると、煽りに乗りやすい雰囲気も出てきて怖いんだけど・・・。

現在の小林がどんな「ゴーマニズム」を吐いてるかは全く知らないけれど、
最初の頃の「おこっちゃまくん」に戻ってくれれば良いと願う。
プロデューサーたる「ぴゃーぽ」の不在で、それが不可能なのが残念だ・・・。
(02.7.4)

コヴァ