最終更新日 2008.1.6
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私の不動産投資体験記−6

6.千葉市在住「KK」さん  私のアパート経営体験記 「ゼロからの出発」
  1. なぜアパート経営を始めるようになったか。

    昭和46年理系大学を卒業し都内の某電機メーカに就職した私は、千葉市の自宅から、東京の勤務先に通う2時間もっぱら日経新聞を読み耽っていました。もともと経済に関心があったので、直ぐに株式投資を始めて熱中しました。最初に投資したのは15万円位、千野製作所、ヒロセ電機などに投資して、元手を5〜6年で1,000万円位まで増やすことに成功しました。しかし初めは面白かった株式投資もだんだん興味を失ってしまいました。こんなことで資産を増やしたところでくだらない、単なるマネーゲームに過ぎないではないかと思うようになってしまいました。
    あまり儲からなくても良いからもっと人に役立つことをしたい! サラリーマンを続けながらできることはないかということでアパート経営を思いつきました。
    昭和52年、四街道市に株式投資で稼いだ資金を全額注ぎ込んで50坪の土地を手に入れました。土地を担保に日本生命から融資を受けて2DK、4戸のアパートを建設しました。物は、ナショナル住宅に依頼、管理は地元の不動産業者に頼み最初のアパートは、順調にスタートしました。その当時は、結婚したばかりで妻の両親がとても喜んでくれたのを覚えています。
    それから少しずつ戸数を増やし、現在では、アパート4棟20戸、マンション6戸の計26戸を経営するようになりました。最初の15万円の株式投資がアパート経営へ繋がる一歩となりました。

  2. どのようにして戸数を増やしていったか。

    翌年の昭和53年、東京錦糸町のワンルームマンションを購入しました。当時、マルコーという会社が盛んにリースマンション投資を勧めていました。社長の金澤正二氏の著書で知識を得た私は、同社が分譲した錦糸町の物件を850万で購入しました。 
    購入資金は、頭金50万、残りは全部提携ローンで用意できました。ノンバンクのローンだったので金利は8%程度ととても高かったのですが会社給与と損益通算できたので殆ど負担にはなりませんでした。 
     その後、マンション投資がブームとなり、価格がどんどん上昇しました。錦糸町のマンションは購入3年後に1,500万で売却し、この売却益と借入金で千葉県茂原市にアパート2棟8戸を建設しました。建物を大和ハウス工業に依頼し借入金は、住宅金融公庫から7,500万程調達しました。管理は、大和ハウス工業系列の大和リビングに依頼し家賃補償を受けての安定した経営を行うことができました。
     昭和59年には、旭川市にある8戸の中古アパートを2,500万で購入しました。手持ちの資金は殆どありませんでしたが、購入物件と最初に購入した四街道のアパートを抵当に入れることで千葉銀行から全額借入することができました。
     その後、四街道アパートの近くにイトーヨーカ堂がオープンするなどの環境変化がありアパートの資産価値が急上昇しました。日本生命と交渉したところ四街道の担保だけで千葉銀行分の借り換えに応じて下さり、旭川アパートの抵当外しに成功しました。
     時代は平成に入りマンション投資ブームは、冷え込んできました。バブルがはじけ中古マンションが次々と安値で市場に出回るようになりました。そこで、特に価格が安く利回りの良い地方都市物件に絞り購入することにしました。
     平成2〜3年、まず初めに札幌市内でマンションを3戸購入し、平成4年には大分市内で2戸購入しました。資金はいずれも頭金100万以下で残りは提携の生命保険会社のローンで対応できました。

     私の所有物件もご紹介しますと、
    1. 四街道市 アパートA 2DK×4戸
    2. 米国ネバダ州ラスベガス市 2B×1戸
    3. 茂原市 アパートB 2LDK ×4戸
    4. 茂原市 アパートC 2LDK ×4戸
    5. 旭川市 アパートD  1K×8戸
    6. 札幌市 マンションA 1K×1戸
    7. 札幌市 マンションB 1K×1戸
    8. 札幌市 マンションC 1DK×1戸
    9. 大分市 マンションD 1K×1戸 
    10. 大分市 マンションE 1K×1戸

    となります。 この間に投入した自己資金は、数百万と少ないですが、時価の資産は一億以上になっていると思います。お金は無くても時代の流れと入居者のお陰で資産を増やすことができました。今では、本業の給与収入よりアパート収入の方がずっと多くなっています。

  3. アパート経営で成功するには。

     一言でいえば、入居者に喜ばれる状態を維持し続けるということでしょう。アパートで儲けようという意識を持っては、駄目です
     その為には、外装塗装・浴室リフォームなどフレッシュ工事を惜しみなく行い、常に古さを感じさせない状態にする必要があります。当初四街道のアパートには、エアコンを付けていませんでした。一人の入居者からエアコンを付けて欲しいという要望がでたので、全戸に付けました。一人の要望は、全員の要望と捉えて、対処することが大切です。そうすれば、入居者に喜ばれるだけでなく、家賃の下落を防ぐこともできます。
     物件の選び方については、住みたくなるところが良い物件です。アパートでは、周囲の環境が大切、駐車場も必要です。ハウスメーカの軽量鉄骨のアパートは、良く研究されていて入居者からのクレームも殆どありません。耐久性も良いのでお勧めできます。マンションでは、立地的には県庁所在地に絞り最寄りの駅から歩いて10分以内なら大丈夫でしょう。ただバブル時に建てられた、極端に狭いワンルームマンションはお勧めできません。入居者から敬遠され、空き室が目立つようになってきました。

     私が始めた頃は、まだバブル崩壊前でしたので資産価値が自然に増大したので、規模拡大は、比較的容易でした今は、資産価値増大に期待が持てないので利回り重視で取り組むべきでしょう。特に自己資金の少ない方は、利回りを重視して中古のマンションや中古のアパートからから始めることをお勧めします。場所を選び管理さえしっかりやっていれば、中古だからといって、極端に家賃が低くなったり入居率が悪くなったりすることは、ありません。私の築20年を超えるアパートでも満室が続いています。

     会計については、規模が小さくても青色申告を選択して下さい。複式で正しく透明度の高い会計処理を行うことで無理のないリフレッシュ計画を立てられるようになります。間違っても費用を過大に計上し税金を減らそうなどと考えてはいけません。利益をだして税金を納めることは、社会的も価値あることです。正しい経営姿勢を持って初めて事業継続に喜びを見いだすことができ、また長く続けることができると思っています。

  4. 退職後の生活を考える。

    人に喜ばれながら利益の出せる価値ある事業をしたいという思いで始めて25年経ちました。私の会社生活も終わりが見えてきました。会社では、たいした活躍もできず終わろうとしていますが、副業としてアパート経営を行ってきたために充実した毎日を過ごすことができました。

    平成元年、千葉市緑区に新居を構えるときには、アパート経営の為になると思って取得した宅地建物取引主任者の知識がとても役にたちました。私の二人の子供は、薬科大学・音楽大学とそれぞれ教育費用のかかる学生になっていますが、アパート経営のお陰で何とか費用を捻出できています。安月給サラリーマンなので、もしアパートを経営していなかったら、とても高額な教育費用を負担できませんでした。

     今私は、数年後の退職を楽しみにしています。年金を頼りにしなくても、26戸のアパート・マンションがあるので安心です長い退職後の生活を本当に充実して送るためには、経済的な基盤がどうしても必要です。基盤があればやりたい仕事にチャレンジできるし、趣味などに打ち込むこともできるでしょう。私は、妻と一緒にケーキショップを経営しながら、更に地域の音楽文化向上の為に小さな音楽ホールでも建設したいと夢を膨らませています。

  5. 最後に
     今やアパート経営にとって、再び追い風が吹いていると思います。このページをご覧になった皆様が、入居者に喜ばれるアパート経営に取り組まれ、充実した生活を送られることを陰ながら応援しております。
    ご意見・ご質問等がありましたら私のホームページ http://oyumino.kanesaka.jp/よりお願い致します。

  

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