* 野宿の仲間への支援と、活動への参加をお願いします!


@長居公園仲間の会とは…その約2年間の軌跡

nagai_stadium020206.jpg 2月。工事用のフェンスで囲われたスタジアム。kousyouhuukei821.jpgsetumeikai926zenkei.jpg
 大阪では、2000年に入って、同年7月のIOCによる「2008年オリンピック候補都市最 終選抜4都市」に残るための取り繕いの努力と共に、市内における野宿者(ホームレ スの人たち)に対する「官・民・財」一体の排除の意図が「人にやさしくたのしい街 づくり」の名の下に強められ、同年4月のバリアフリーのための「人にやさしくたの しい街づくりシンポジウム」では自民党野宿者問題担当議員であり、当時、運輸省総 括政務次官であった中馬議員が、磯村市長、太田府知事らの参加する場で「青テント を共に公園から排除していただきたい」と発言して満場の拍手をえたという事が発 覚。
 野宿者の「3分類」-就労復帰できる者、訓練施設入所や病院などで療養後自立可 能な者、社会復帰が出来ない者を分類すること-も政策としてスタートして行く中 で、大阪市は市内各公園などに先駆けてオリンピック誘致で脚光を浴びる長居スタジア ムなどのある長居公園(東住吉区)の野宿者への「仮設一時避難所(通称シェル ター)」収容とまともな対策なき排除を決定。 これを受けて、釜ヶ崎・大阪キタの 支援者や野宿当事者、そして長居公園の野宿当事者が2000年7月半ば過ぎより集まり、 独自の当時者意識調査をはじめ、寄り合いを重ね、同8月6日の寄り合い(80名参加) で、大阪市建設局南部方面公園事務所(現 大阪市ゆとりとみどり振興局南部方面 公園事務所)への要請書の提出を決定。
 8月21日の野宿当事者と支援者の要請書提出と同時に、正式に長居公園の野宿当 事者の組織である「長居公園仲間の会」が発足した。 以来、園内の90%近い当事 者が「入りたくない」とするシェルター建設計画と真っ向から現地で対峙して行く事に なり、「当事者に説明もなく収容も排除もない。先ず説明をせよ」という当事者の意 志により、9.26、10.5、10.16、11.8の計4回のシェルター建設計画 説明会を大阪市野宿生活者対策推進本部(本部長・磯村市長)などの市側に開かせ、10月5日 の第2回説明会では「強制排除という方法は採らない、粘り強く説得して行く(建設 局鍵主幹=当時)」という言質を野宿当事者ら160人以上(園内当事者100名以 上)の参加する中で得、市側にやっと交渉のスタートラインにつかせた。 その後、10月 9日より、襲撃が増加した園内の徹夜パトロールを毎水曜・土曜の2回、12月半ばまで 続け、園内のテントなし野宿の当事者への対策を後回しにする市の姿勢はテント破壊・ 解消の五輪招致のための政策に純化するものであると批判。  市側が説明会を拒否し、「個別説明」と称する説得行動に移った後は、対説得監視 や当事者の現状聞き取り確認を強化し、個別調査後の執拗なシェルターへの入所説 得拒否のステッカーを皆でつくり、貼るなどした。 しかし、年末のシェルター開所 で、執拗な入所説得に耐えきれなかった多くの当事者がテント小屋と荷物の廃棄の念書 を書くよう事実上追いこまれ、やむなく入所を選んだ。 [<注> 開設時に90名余 りが入所。入所者は手持ち2つの荷物と「許可された犬」を除く一切の荷物を放棄させら れ入所者のテント小屋は即座に黄色のペンキで番号と撤去期日を打たれ、畳まれていっ た。廃墟と化したテント群への放火、家畜のさまよい等が相次ぎ、市は2001年1月15 日に報道各社を呼び、多数の大型パッカーで大々的に即時撤去、保険所が家畜捕獲 などを行った。この時にも住人のいるテントを確認もなく撤去。当会が現場で厳重に 抗議。残りのテント小屋も同31日までに即時撤去された] それと前後して入所者も含 めた純粋な野宿者当事者組織である「長居公園ホームレスの会」が12月21日に発 足。 当会は当事者主体の組織から、支援組織となった。
kaikokujoukyou0207a.jpgtumeyorareru_siiba0207a.jpg  明けて2001年1月4日、2000年12月31日に市側がシェルター前の小屋を破壊した事を謝罪させるべく、公園事務所を大阪キタの野宿者・支援者らと共に訪問、交渉したが、らちがあかず、後 戻りする事の阻まれたシェルター脱出者のために、1月5日より園内シェルター向か いに巨大な「シェルターのシェルターテント」を建設(1月6日完成)。 園内にあった 2戸の拠点テントもその横に移動して新たなテント村を形成した。 これより、大阪キタの 野宿当事者と長居公園ホームレスの会の当事者が当会と共に「長居公園仲間の会第2 次現場闘争団(通称 現闘団)を組織、以来3月16日の解団式まで、のじれん(東京) 野宿労働者の人権を守る会(名古屋)の志願野宿当事者や支援者などの援助と駐留、 釜ヶ崎医療連、同キリスト教協友会、勝ち取る会、フードバンク、長居公園居宅の会 (現 憩いの会)、長居公園東西南北住民の会(現 長居公園ぐるっと周辺住みよい 街づくり元気ネットワーク)など組織・個人の多大な支援をえて、国連居住権関係部 門などにも緊急報告を送るなどし「シェルターのシェルターと付随のテントなど」への 代執行と対峙。(詳しくはhttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8932/を参照く ださい。
 この対峙の結果、2001年2月14日、TV・新聞など報道各社の取材のもと、市は「園 内の50の残存テント小屋などに対して強制撤去は行わず、話し合いによって相互理解を 深めて行きたい(鍵主幹=当時)」との「口頭の確約」により園内南西へ400メート ルへ「テント村」自主移動を翌15日に完了、テント村は現在に至る。 2001年3月に 「長居公園ホームレスの会」が当会に合流し、園内と公園周辺部の野宿当事者組織は 当会に一本化して現在に至っている。 2001年2月25日-3月1日のIOC視察期間中は 27日の「長居スタジアム視察」時は言うまでもなく、園内テントの野宿当事者にも警 察当局による執拗な監視、嫌がらせや恫喝行為が続き、当会はその対応に追われた。 momogaike0409b.jpgmomogaike0409d.jpg  また周辺部の今川堤(東住吉区)、平野白鷺公園(同)でも通告のない撤去が行わ れた。[<注>白鷺公園では血を流して倒れて救急搬送された野宿当事者老人の テントがすぐさま撤去された] IOC視察後も周辺部では、桃ヶ池公園(阿倍野 区)で30戸のテント群がまともな対応や説明もなく、高さ1メーター以上の鉄製柵で囲われ た。 当会は4月に計2回の現地団交を行い、市‐公園事務所に\茲坤謄鵐半屋排除あり きの施策を改めよ鉄柵を撤去するか扉を解錠せよ2燭寮睫世發覆鉄柵を設置す るのは暴挙である――と厳しく追及したが大阪市は今日に至るまでまともな回答をよ こしていない。 5月に入り、東アジア競技大会が迫ると、またも市と警察当局は周 辺部および園内で野宿当事者とその集住地区への圧力を強め、自立支援センターに勧 誘すると称して「中間吟味施設」であるケアセンターやあいりん寮、さんとく寮など の釜ヶ崎(あいりん地区)内に送りこんでテント廃棄を行うという方法を色濃く出してき た。
isomura.jpg 「ネームレス」発言や数々の野宿の仲間に対する暴言を吐き、排除政策の先頭に立ってきた市長・磯村。 「オリンピック招致騒ぎ」では市民からの冷ややかな声や無視の中、一人ハッスル。 世界からの「集客のためなら何でもする」血迷いが列島一の野宿者人口と経済沈下に拍車をかける。 レジャーランド化する前に、やるべき事が何か考え直す気も無い。 そんな中で同競技会前の園内における5戸の相次ぐテント小屋放火、そして5.9 「リベロ警備の恫喝と破壊行為」が公園事務所の重機などによる「協力のもと」で行わ れ、3戸のテント小屋が断りもなく破壊された。[<注>破壊撤去によってお骨を廃棄さ れた老人もいる] そのドサクサに、公園事務所はテントを破壊された3名の野宿当事者 に対してシェルター入所の念書をとり、「本人が入所を了承した」などとした。 当会 は団交を開き、市‐公園事務所の)週鵑悗硫鍛喚▲謄鵐半屋破壊についての責任W 喝と破壊のドサクサの中でのシェルター入所了承は無効である――と厳重抗議し、法 的な救済を同時に提出した。 市‐公園事務所はこの暴挙について「通常の業務であ る」「やむをえなかった」と居直り、今もって何ら責任をとっていず、被害当事者も シェルターやテント跡に露天で失意のまま過ごしている。 その後、テント小屋も徐々に 公園事務所によって撤去されて行き、力量を殺がれた当会にも圧力がかけられ続ける 中、秋頃から周辺部の商店街などで毎週「火曜路上交流会」を当会有志が行い続け、 年末を迎える。
tegakikankoku1212.jpg
 2001年12月12日付で、市‐公園事務所は2002年6月開催の「FIFAワールドカップ」 をちらつかせつつ、園内の15戸のテント小屋とその当事者、そして園内のスタジアムや ベンチなどで夜を過ごす50人以上の野宿者に対する圧力を強めた。 当会は野宿当 事者の要請を受けて団交。 公園事務所は「テントも無くなりあなたがたの存在意義 はもう無い」としたが、「園内の仲間は未だ50人いる。また周辺部にも多数の仲間が いる。2003年末にシェルターが無くなれば入っている仲間について市は何の対策も示 さない可能性がある。我々の存在意義がなくなる事は少なくともそれまではありえな い」と野宿者支援活動つぶしと野宿当事者排除策動について厳しく非難した。
 明けて2002年1月4日付で市‐公園事務所は長居スタジアムの階段付近でダンボール ハウスをつくるなどして住まう30名の野宿者に対して7日までに荷物などの物件を撤 去するとの通告を行った。 当会と長居公園元気ネットは「長居公園なんでも相談セン ター」を1月8日に立ち上げ、相談者であるスタジアムの野宿当事者の要請により、共 同で当事者を先頭に公園事務所と計3度の連続団交を行い、テント小屋居住者ではない スタジアムの野宿当事者の事実上の追い散らしと対策無き排除、そして工期も工事目 的も明らかにされない工事のために排除する市‐公園事務所のあり方(結局はワール ドカップのための座席の総入れ替えなどの工事によるものや警備の都合だった)を取り 下げよと要求。 結果、希望者にはシェルター入所も可能となったが、連日の緊張の ためにスタジアムの当事者が次々と救急車で搬送され、1月27日までにスタジアム周囲 の階段にはフェンスが築かれ、縄が張り巡らされた。 現在、長居公園内にはテント小 屋が8戸、ベンチなどで眠る野宿当事者が20人くらいいる。 長居公園仲間の会は、今 後も園内・周辺部の野宿当事者との関わり、2年間に得た多くの支援や援助の中で、得た ものやこれから得るであろう事を力に、2003年末のシェルター廃止後を見据えた闘いを 息ながく、したたかに追求していきたいと思っている。 更なる注目、支援、参加を心 から要請したい。

stadium0125a.jpgnagai_stadium0206b.jpg
 # 当会の住所は大阪市東住吉区長居公園内南西側スーパー「ライフ」筋向い。

  neighborhood_map.jpg 地図の上側に、桃ヶ池公園テント村、その下に長池テント村、そしてその右横をたどれば針中野。針中野の右斜め方向の地図外に白鷺公園テント村、針中野の上側に今川堤がある。地図の右下側には矢田の高架下がある。

@カンパのお願い


 会の活動を支えるためのカンパを是非お願いします。 常温で保存可能な食品、米、調味料、衣類、カイロ、ビタミン剤などの薬、テレホ ンカード、風呂券、炭、ロウソク、ブルーシートなどをお送りいただければ大変有り 難いです。(量の多寡は問いません) 先ずnojuku_nagai@geocities.co.jpまでご連絡 ください。   また当会では仕事も求めています。 詳しくは上記までお問い合わせください。  振込は下記でお願いします。
郵便振替口座:14150−72112501/ 名義:長居公園仲間の会

@活動に注目・参加してください!


 当会では、野宿の仲間たちと共に生きていける関係、社会を創っていけたらという ことで活動しています。 テント居住の仲間も、路上でダンボールなどを敷いてささ やかな休息をとる仲間も、ベンチで眠る仲間も、誰一人として脅かされない、最低限 の生きる権利を奪われる事のないよう、助け合っていけるような社会にしたいとの思 いで活動しています。 確かに性急に出来るものではありません。 明らかに活動に 参加できる、注目してくれる方々も少数です。 しかし、そんな状況だからこそ、一 人づつでも注目し、参加し、支援してくださる方が増えれば、それが大きな力になり うるのです。 ぜひ、注目してください。 そして可能ならご支援、ご参加くださ い。
 連絡先は以下のメールアドレス、
nojuku_nagai@geocities.co.jp もしくはtentvillage@nivenkos.freeservers.comまで。
 なお、当会の軌跡などについては、以下のHPで。
http://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8932/
もしくはhttp://www.geocities.co.jp/WallStreet-Bull/8932/menu.html


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ★長居公園仲間の会 _/
Association of Poor people
in Nagai park, osaka, jpn _/
(Nakama no kai)
/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/

▲Vi venkos !! Ni venkos !!▼
▲We're NOT DUST. We shall NOT BE MOVED !▼