経済学たとえ話
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経済学たとえ話

「共有地の悲劇」

 誰のものでもない共有地がある。
 そこへAさんがやってきて自分の羊を放した。羊はその共有地の草を食べ、羊のおなかがいっぱいになったところでAさんは家に帰っていった。
 それを見ていたBさんは、翌日、自分の牛をつれてこの共有地へやってきた。彼の牛は共有地の草をおなかいっぱい食べて、それを見たBさんは満足げに帰っていった。
 それを見ていたAさんは、その翌日、自分の羊すべてを引き連れてこの共有地へやってきた。彼の羊たちは共有地の草をおいしそうに食べた。そしてAさんは帰っていった。
 それを見ていたBさんは、その日の午後、彼の牛すべてを引き連れて、この共有地にやってきた。彼の牛たちは食欲旺盛に共有地の草を食べ始めた。牛たちすべてがおなかいっぱいになった頃、Bさんは家路についた。
 翌日、AさんもBさんも、すべての羊とすべての牛を連れて共有地にやってきた。すべての羊とすべての牛は共有地の草を食べあさり始めた・・・。
 共有地の草は無限ではない。
 しばらくして、この共有地は砂漠のように草一つない土地になった。

 悲しいことですが、人間には自分のものでないと大切にしないという性質があります。自分の牧草地ならば、ちゃんと草が生えるスピードと草を食べるスピードを考えてますが、共有地である場合は早い者勝ちの法則が成り立ちます。彼らは決して悪気があってこのような行動をとっているわけではなく、このような状況においては共有地の草をなるべくたくさん食べるようにはからうことが最も合理的な選択であるのです。
 しかしこのような事態は、社会にとって決して好ましいことではありません。そこで、社会にはルールが必要なのです。

「ミツバチと果樹の関係」

 蜂を飼育して蜂蜜を作る男がいる。彼はミツバチとともに、花咲く場所をもとめて各地を転々と放浪している。そんな彼はある果樹園の前でミツバチを放し、芝生の上に横たわって、ミツバチの帰りを待った。

 この果樹園では深刻な家族会議が開かれていた。若い旦那さんが病気で倒れてしまったのだった。幸い病気は軽いものだったが、しばらくは働けそうもなかった。問題なのは今この時期が果樹の受粉の季節だったことだ。彼らの広大な果樹園すべてを受粉するには年老いた両親にはとても無理だった。受粉できなければ結実もない。この果樹園一家は途方に暮れていた。
 そんな彼らの前にミツバチがぷ〜んと飛んでくる。一匹、また一匹と飛んでくる。彼らが外にでてみると、彼の広大な果樹園がミツバチでいっぱいになっている。何匹ものミツバチが花から花へと渡り歩いている。そのお尻に花粉をつけながら・・・。
 見る見るうちに彼らの広大な果樹園に咲く花は受粉されていった。彼らは救われたのである。老いた両親は両手を挙げて、神に感謝した。

 辺りが暗くなって夕陽が射すころ、芝生に横たわっていた男は、ミツバチが帰ってきたのを確認すると、ゆっくりと起きあがった。そしてミツバチとともに次なる花園へと旅立っていった。

 経済学でよくでてくるたとえ話を参考に小説風にアレンジしました。(かなり大変でした)ハチミツ業者はなにもこの果樹園を救おうと思ってミツバチを放したわけではありません。この養蜂業者は自らの利益のために蜂を飼育し、この果樹園に放したのです。しかしその結果、この果樹園は救われました。これを「正の外部効果」または「外部経済」といいます。養蜂業者は果樹園の経営に対してお手伝いをしたわけですがその対価を受け取ってはいません。こうした無償のお手伝いを「外部性」と言います。無意識のうちに誰かの役に立つ・・・。人間こんなふうに生きていきたいものですね。

「統計学者」

 二人の統計学者が軍隊に徴兵され、同時に敵兵を発見し、ライフルを取り上げて発砲しました。
 一人の統計学者は敵兵より1メートル右に撃ってしまい、もう一人は敵兵より1メートル左に撃ってしまいました。
 二人は統計学者です。二人は顔を見合わせて考えました。「私は1メートル右に撃った。あなたは1メートル左に撃った」

   ・・・?・・・

「・・・平均すると敵兵は死んでいるはず・・・」
 二人は大喜び!誇らしげに握手を交わし、「おめでとう」と言いました。

 経済学とは直接関係しないたとえ話です。(なにせこのところネタ切れで・・・)この話は平均という概念と同じように、ばらつきという概念も重要であることを訴えています。平均を取れば、確かに弾は当たっていますけどね。S・K・キャンベルさんが考えたたとえ話です。

「パンの一口め・・・」

 伝説のパンがある。このパンの味は想像を絶するおいしさで、どのパンよりも香り高く、最高の味わいを有している。どんな種類の料理とも完璧にマッチし、そのおいしさといったら、それこそ伝説的であった。しかし、この「伝説のパン」には唯一の欠点があった。それは見た目が悪いことだった。外から見ると、お世辞にもおいしそうとはいえない。
 パンは無数にある。いろいろな種類のパンが至る所に存在している。中にはおいしそうなパンやきれいなデコレーションを施されたパンなど、世の中にはいろいろな種類のパンが存在している。
 最初の一口さえ食べてもらえれば、この「伝説のパン」の、想像を絶するおいしさが人々にわかってもらえる。しかし、このパンは見た目が悪い。おいしそうではない。パンは無数にある。誰も好きこのんでまずそうなパンなど食べてみようとは思わない。お客さんは皆、この「伝説のパン」の前を素通りしていく・・・。
 こうして「伝説のパン」は誰にも食べられることなく、かびが生えて、捨てられてしまった・・・。パン屋の主人は言った。「一口でも・・・一口でも食べてくれれば・・・」

  経済学では自己アピールすることを「シグナリング」といいます。シグナリングが不十分だと質が良くても売れません。この現象は「情報の非対称性」からもたらされます。
 ・・・でもなんか、泣けてきますね。たとえどんなにおいしくても、一口目を食べてもらわなければ、そのおいしさは分かりません。人間の世界も同じですね。すごい美人とか超高学歴とか社会的地位とか、人を魅きつける要素のある人は自分の性格を正しく評価してもらえます。しかし、どんなに性格の良い人であっても、魅きつけるものがなくて、誰とも付き合うチャンスがなければ、正しく評価はされません。「結婚相手は性格重視」といってもパンの一口目をかじってもらわないと無意味に等しいのです。
 「結婚したいけどいい人がいない」というあなた!勇気を出してパンの一口目をかじってみましょう。もしかしたら、それが「伝説のパン」かも・・・。

「保険会社の苦悩」

 保険会社がある。保険会社は加入者から料金を徴収して、事故などを起こした加入者に対して集めたお金の中から保険を支給する。だから、徴収する料金があまりに低いと保険を支給できない。
 そこで料金を高めに設定してみる。すると、安全運転をモットーとするドライバーは、もともとあまり事故を起こさないから、料金が高いと保険に加入しなくなる。優良ドライバーが減り、事故を起こしがちな悪質ドライバーの割合が上がる。これは、保険加入者の事故の発生率の増加を意味するから、徴収した料金に対して保険の支給の割合が増える。保険会社の経営は苦しくなる。
 そこで保険会社は料金を高くして採算をとろうとする。するとますます優良ドライバーは保険に加入しなくなる。悪質ドライバーが増えて、保険の支給額が多くなる。保険会社は苦しくなる。料金を上げる。優良ドライバーが減る。経営が悪化する・・・。

 こうした悪循環を経済学では一般に「逆選択(アドバースセレクション)」といいます。原理的には「レモンの原理」と同じ現象で、保険会社が「果たしてどの加入者が優良ドライバーなのか」を識別できないために起こります。普通、保険会社はゴールド免許のドライバーを優遇するなど、加入者の差別化をしてこの現象を回避します。いずれにしても、悪質ドライバーが多いと保険料がどうしても高くなってしまうので、みなさん!安全運転を心がけましょう。

「予言者・・・」

 銀行がある。この銀行の経営は、非常に健全で極めて良好なものだった。しかしある時、経済を学ぶある学生が「あの銀行はつぶれるかもしれない・・・」と友達に言って回った。これを聞いた友達は、それぞれ他の友達に「あの銀行は危険かもしれない」と言って回った。その友達はまた他の友達に言って回った・・・。いつしか「あの銀行は危ない」という噂が広まった。
 この噂を聞いた預金者達は、この噂で銀行に不安を覚えはじめた。「少し預金を下ろして、他の銀行に移しておこう」と考え、少し預金を下ろした。預金が下ろされたことで、銀行の経営が少し切迫する。すると、今までこの噂を相手にしなかった預金者も「もしかしたら危険なのかも・・・」と疑い始める。預金者は預金の解約を急ぐようになる。するとますます銀行の経営が苦しくなる。銀行の経営が苦しくなると、ますます預金の解約が殺到する。
 こうして、健全だった銀行は破綻し、その銀行の破綻を予測した学生は「やっぱり思った通りだ・・・」と言って、皆から天才と評された。

 うーん、怖い話ですね。現実には健全なのに、噂がたったことでその噂が実現してしまう。全く根も葉もない噂でもそれを人々が信じると、健全な銀行を破綻させ、噂が自己実現してしまう。経済学ではこれを「群集心理に基づく噂の自己実現が引き起こすパニック現象」といい、チャールス・キンドルバーガーという人が提唱しました。私たちは常に、本当の価値を見分けなければならないということですね。

「水とダイヤモンド」

 砂漠をわたって隣町へ向かっている男が二人いる。その途中、二人は不思議な老人に出会った。老人は言う。「二人にそれぞれ水かダイヤモンドのどちらかを与えよう」
 一人の男は「水がほしい」と言った。もう一人の男は「馬鹿だなー。ダイヤモンドの方が遙かに高価なのに・・・。これを売れば、きっと大金持ちになれる!」と言って、大きなダイヤモンドをもらった。
 隣町への道のりは想像以上に長かった。
 結局、隣町にたどり着けたのは水をもらった男だけだった。もう一人の男は、砂漠の途中で倒れていた。大きなダイヤモンドを握りしめながら・・・。

 この話は「欲張ってはいけない」という話ではありません。水は地球上にあふれるほどありますが、ダイヤモンドはそれほど存在しません。ゆえに、ダイヤモンドは稀少であり、ほしい人がたくさんいれば値段はつり上がっていきます。しかし、ダイヤモンドは持っていなくても、生きていけます。一方、水は地球上に有り余ってはいますが、水分をとらなければ人間は生きていけません。経済学ではこのことを「使用価値と稀少価値」といいます。

「バケツの法則」

 ある会社が炭鉱で水をくむ仕事をしている。会社の従業員は10人で、この会社の社長は効率よく水を汲み上げたいと考えている。
 まず社長は、バケツ10箇を購入して、従業員に支給した。この結果、汲み上げる水の量は2倍に増加した。そこで社長は、さらに10箇のバケツを購入した。しかし、汲み上げる水の量は変わらなかった。

 このたとえ話を経済学では、「イノベーションを伴わない資本蓄積によって資本利潤率の低下が引き起こされた」と一般に説明されています。旧ソ連の失敗の原因の一つで、資本装備率は上昇しているものの生産力はほとんど上昇していません。ものは作ればいいというものではないのですね。

「中古車市場」 (レモンの原理)

 中古車を扱う市場がある。普通、売り手は自分の車の品質(痛み具合)を知ってるが、買い手はその品質(痛み具合)がわからない。よって、買い手は購入を警戒する。このため価格は控えめにとどまってしまう。すると、良い車を売ろうとしていた人は、車の品質に見合うだけの価格が得られないことになる。よって、良い車をもっている人は売ることをやめるようになる。すると市場には良い車が少なくなる。このことが価格の下落を招く。すると、ますます良い車の所有者は売らなくなる。するとまた市場に良い車が減る。価格が下落する。良い車を売らなくなる。市場に良い車が減る・・・。

 こうしたたとえ話を、経済学では「レモンの原理」と言います。「レモン」とは、果物のレモンではなくて、英語のレモン(質の悪い中古車)のことを示します。これは、経済学では「情報の偏在・非対称性によって引き起こされる経済現象」と説明されています。

「囚人のジレンマ」

 二人の犯罪の共犯者がいる。この二人は警察に捕まって、別々に取り調べを受けることになった。このとき、もし二人が共に否認すれば、二人は証拠不十分で無罪になる。一人が自白して、もう一人が否認すると、自白した方は減刑され、否認した方は重罪になる。もし二人とも自白すると、二人は普通の刑に処される。二人とも、相手を信じて否認するか、自分だけ助かろうと自白してしまうか、かなり悩むことになる。結局、相手を信用できずに二人とも自白してしまう。

このようなたとえ話を、経済学では「囚人のジレンマ」と言います。経済学では、必ずどの教科書でも乗っている基本的な原理で、「ゲーム理論におけるパレート最適ではないナッシュ均衡」と説明されます。ううっ・・・経済学って難しい・・・

 

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最終更新日 : 2001/03/17