山陽道の「駅家」跡発掘 兵庫・上郡の落地飯坂遺跡
2003/07/17 朝日新聞


 古代の山陽道沿いに位置する兵庫県上郡町の落地(おろち)飯坂遺跡で、奈良〜平安時代に役人の往来のために馬の乗り継ぎや宿泊用に整備された施設「野磨駅家(やまうまや)」の遺構が見つかったと、同町教委が16日発表した。「おろち」の地名などから、今昔物語にある大蛇(おろち)を前世とする僧の話の舞台「山駅(やまのうまや)」とみている。駅家の門=写真(省略)=や建物の礎石がほぼそのままの配置で見つかったのは全国でも初めてという。

 建物は礎石などの並びから幅15b、奥行き8.4bの規模で、門や塀との位置関係から正殿とみられる。同時に出土した土器から8世紀後半〜11世紀に使われたと推定される。門は幅8.4b、奥行き4.2bあり、扉の軸を受けるための穴が掘られた礎石も残っていた。礎石の配置から、法隆寺東大門や東大寺転害門とほぼ同じ造りとみられる。

 高橋美久二・滋賀県立大教授(歴史地理学)は「千年も前の説話の舞台が遺跡として現れ、感激している。さらに調査が進めば、これまで不明だった駅家の全体像が判明する可能性が高い」と話している。

上郡・野磨駅家 播磨の重要性一段と 「駅家」全容判明へ期待 

全国に約400カ所あったとされる古代律令制の駅家(うま・や)。だが、実像はほとんどわかっていなかった。80年代の発掘調査により全国で初めて、龍野市揖西町の小犬丸遺跡(布勢駅家跡)が駅家跡と確認された。それに続くのが、上郡町教委が16日に発表した、「野磨(や・ま)駅家」と確定された上郡町の落地(おろ・ち)飯坂遺跡だ。研究者から「国の史跡指定は確実」との折り紙も付けられた。古代交通史の研究は、今や播磨の両遺跡を抜きに語ることはできなくなった。 (佐野允彦)

 古代、都と九州・太宰府を結ぶ最重要官道、山陽道が通った播磨は1960年代以降、地元の歴史家・今里幾次さん、現滋賀県立大学教授の高橋美久二さんらによって古代交通史研究の先進地だった。83年度から始まった小犬丸遺跡の発掘がその位置付けを確固たるものにした。幅7メートル以上の道路遺構に加え、「布勢駅」と書かれた木簡など貴重な資料が出土。

 その後の調査で少なくとも7棟の礎石瓦ぶき建物から成る駅家の中心部である駅館院の姿もわかってきた。「日本後紀」に山陽道の駅館が「(外国使節に備え)瓦葺粉壁(が・しゅう・ふん・ぺき)す」との記述がある。駅館は瓦ぶき、白壁の立派な建物というのだ。同遺跡では、白い土の塊もいくつか見つかり、これを実証した。

 小犬丸遺跡から約17キロ西にあるのが、今回の落地飯坂遺跡。山陽道で布勢から二つ西の駅家が野磨だ。すぐそばの落地八反坪遺跡の調査(90年)で野磨駅家と推定されたが、建物が瓦ぶきでなく、規模も小さすぎるなどとなお疑問視する見解もあった。しかし、今回の発掘調査で確定的となった。

 高橋教授は「きわめて保存状態が良く、今後の調査で駅家の全容がほぼ判明するだろう。国の史跡指定は間違いない」と高く評価している。


【とんび岩のコメント】

 同日の神戸新聞によると、現地説明会が19日午前10〜11時半と、午後1時〜2時半の2回開催される。JR上郡駅から無料の送迎バスも出る。詳しくはこちら。 → 枕草子に登場の「名駅」出土 上郡町・落地飯坂遺跡


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