相生湾歓喜の渦「今も誇り」 相生工高・栗原さん
2006/09/27 神戸新聞


 1956年9月25日、夏季国体ボート競技の会場となった相生湾は、歓喜の渦に包まれた。少年男子フィックスの部決勝で、相生工高(現相生産高)が驚異的なラストスパートで全国優勝を果たし、地元開催に華を添えた。歴史に名を刻んだ当時のクルーの1人、栗原昇さん(68)=同市若狭野町=の記憶は今も鮮明だ。

 「残り150メートルぐらいまで前年の優勝校本荘高(秋田)に負けていたと思う。最後はキャンバス(約2メートル)差でゴール。作戦通り、皆勤橋付近からのラストスパートが功を奏した会心のレース」

 フィックスは6人乗りで、座席が固定された舵(かじ)付きの艇。レースは、現在の道の駅「あいおい 白(ペー)龍(ロン)城」前を起点に、湾の入り口まで、直線1キロのコースだった。

 当時の神戸新聞によると、約3万5千人の観衆が見守り、海岸線や、山の中腹まで人で埋まったという。同校の「相生工新聞」も『400メートル地点に、紅白のうちわを持った約2千人の大応援団が繰り出し、ゴールの瞬間、大地を揺さぶるような感激の声が響き渡った』と記している。

 「力があっても、レースは勝てないもの。当時は、運、地の利などの好条件が重なった。声援は大きな力になった」

 栗原さんは社会人でも、選手、マネジャーとして国体に計15回出場。現在もマスターズレガッタでレースを楽しむ。

 「県代表の看板を背負って初めて優勝した国体。鮮明に残る記憶が私の競技人生を支えてきた」


【とんび岩のコメント】

 このときは小学3年生だった。ボート競技のことは全く記憶がない。たぶん見に行かなかったのだろう。相生産高ボート部は東京オリンピックのころ(1963〜4年)にも国体で優勝している。選手の中に幼馴染みが複数いたので覚えている。


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