赤穂浅野家 史料数千点を発見 相生の分家筋
2007/01/19 神戸新聞


 忠臣蔵で知られる赤穂浅野家とその分家について記した数千点に上る江戸時代の古文書が、相生市内にある分家筋の民家で見つかった。たつの市立龍野歴史文化資料館が18日、発表した。浅野内匠頭長(なが)矩(のり)の官位を記した朝廷の文書「口(く)宣(ぜん)案(あん)」や分家の陣屋絵図などで、同資料館は「赤穂浅野家の貴重な文書に加え、これほど大量の史料が一度に出てくるのは珍しい」としている。(峰大二郎)

 赤穂浅野家の分家・若狭野浅野家は3千石の旗本で、相生市内に陣屋を構えた。初代長恒は、長矩の叔父に当たる。同家の子孫の民家が昨年12月、道路拡幅工事で取り壊されることになり、古文書について相談を受けた同資料館が調査し、寄贈を受けた。

 「口宣案」は、天皇から口頭で受けた官位の辞令を文書化したもの。赤穂浅野家の初代長直の父長重から「従五位下」だった長矩までの4代分が残されていた。家臣の給料や役職、討ち入りした武士の名を記す「赤穂分限帳」の写本などもある。

 分家関連では、現在も相生市内に建物の一部が残る陣屋の配置図が見つかった。3棟の建物の配置や詳細な間取りが記されている。江戸・日本橋にあった屋敷図、歴代当主が京都や堺で役職に就いた際に手に入れたとみられる二条城や大阪城の絵図も確認された。

 大石神社(赤穂市)の飯尾義明宮司は「本家が取りつぶされ、散逸したと思われた史料が見つかったことは興味深い。長矩の官位もあらためて証明され、価値ある発見では」と話す。

 同資料館の市村高規学芸員は「本家に関する資料がさらに出る可能性もある。一般にも公開し、研究者にも活用してほしい」と話している。


【とんび岩のコメント】

 相生市史では、若狭野陣屋の屋敷図は「残っていない」となっている。それが今回見つかったのだから、月岡市議が提案している同陣屋跡周辺の保存整備構想(詳細後述)にとっては、良い追い風になるだろう。

 当サイトでは、こちらのページで同陣屋跡を紹介している。  → 若狭野陣屋跡

 相生市にも「歴史民俗資料館」という施設がある。今回相生市内で見つかった史料がそこではなく(縁のある赤穂市でもなく)、たつの市立の歴史文化資料館に寄贈されたことは、相生市民としてはちょっと残念。朝日新聞は、そうなった経緯を、次のように書いている。

  「史料が残されていたのは相生市内の民家。昨年11月、道路工事に伴う取り壊しの際に古い人形が見つかり、千葉県在住の所有者が東京の人形問屋に相談。問屋の人と知り合いの職員がいた龍野歴史文化資料館に連絡があり、調査したところ、人形以外に廃棄予定だった大量の古文書が見つかり、そのまま寄贈された。」

 平成18年6月13日の定例市議会(一般質問)では、月岡定康議員が同陣屋跡周辺の保存整備について次のように質している(公開されている議事録から関連部分のみ抜粋)。

 「例えば、山城・墳墓等の構築物・埋蔵物は容易に消滅することはありません。一方、植物とか建造物は、放置すれば加速的に消滅してしまいます。ただ、資本を投入する場合には、費用対効果の点で判断しなければなりません。つまり、市民が関心と誇りを持って納得できるところで、また、市内外の多くの方々に関心を持っていただけるものであるかどうかは検討されなければなりません。そこは、歴史ロマンを秘めた宝庫でなければなりません。かつ、まちの中心部にもかかわりが存在することが望ましい。私は、決まったならば、まずできることから始めるべきだと考えます。(1)浅野陣屋周辺であります。 @雨内から若狭野にかけては、歴史ロマンがコンパクトにいっぱい詰まっているところであります。また、周世坂を越えれば、すぐ赤穂であります。浅野家の子孫も存在し、また墓地も存在する。また、その菩提寺である観音寺というところもある。そこに、また和泉式部ゆかりの子孫もいらっしゃる。また、ゆかりの教称寺というお寺もある。口伝ではありますけれども、大石4軒長屋があったらしい。また、鉱山跡もあるなど、非常に尽きないロマンがございます。

 たまたま4月に訪れた際に、大阪ナンバーの車が来ておりまして、聞きましたら、実は根性大根のお地蔵さんがあるというので、そのインターネットで知って、那波野のお寺に来たと。ところが、その山門、お寺の説明を聞いたのかどうかわかりませんけども、山門が浅野家の陣屋のもんであったということを聞いたので、わざわざ相生の西の端まで足を伸ばしてこられたという方と偶然出会いましたが、これはまさにですね、観光事業で一番大事なのは、いかに観光客を滞留させるかと。これは、姫路市なんかでも大変頭を抱えとるんですけど、これちょっとしたことですけども、根性大根だけやったら、まあ10分もあったら終わりですけども、それを相生の果てまでも行ってみようかと、そういう興味を引くような、そういう施設でなければならない。そういう意味で、この市内では、ここが私はもし選択するとすればここではないかと、このように考えるわけであります。考え方をお聞きします。」

 これに対する教育長(山本肇)の答弁は次の通り。

 「この件につきましても、やはり浅野陣屋付近でございますけれども、浅野陣屋跡、それから、その周辺を歴史公園として位置づけまして、保存並びに整備を図ればという御提案でございました。陣屋跡には、ただしどのような建物が、どの範囲に建っていたのかを確認できますのは、札座でございますね、藩札をつくっておりました建物があった法界庵、これと浅野陣屋、おっしゃいましたように、那波野の西法寺の表門として現存しております程度で、他の建物等につきましては詳しくわかっていない状況でございます。整備計画につきましては、現在のところ、この周辺の整備計画等につきましては白紙で、教育委員会としては考えております。

 先ほどもおっしゃられましたように、観光施設として成り立つのかどうかという点も含めて、これはいろんな角度から考えなければならないのではないかと思っております。それから、当然ながら財政面におきましても、その観点からも考えなければならないことである、このように考えておるところでございます。」


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