相生事件の闇、ルポに 姫路の古知さん
2009/07/09 朝日新聞


 強制連行されて相生市の造船所で働かされていた3人の中国人が終戦直後、相生湾で殺害された事件の謎に迫るルポルタージュ「一九四五年夏 はりま 相生事件を追う」(豊岡市・北星社刊)が、第12回日本自費出版文化賞(日本グラフィックサービス工業会主催、朝日新聞社など後援)で地域文化部門賞に選ばれた。姫路市在住の著者古知(こ・ち)正子さん(84)は「強制連行は拉致事件と同じだった。謎は残るが、たくさんの人の助けがあってできた本なので、受賞はうれしい」と話す。(茂山憲史)

 同賞の地域文化部門の応募作品82点のトップ。事件は終戦直後の45年9月13日深夜に起きた。造船所への通勤者のために相生湾にかかっていた浮桟橋で、中国人労働者3人が日本人受刑者の労働を統率する組織「相生造船報国隊」の主事と隊員の2人に日本刀などで殺害され、海に投げ込まれた。

 古知さんがこの事件を知ったのは73年。旧知の華僑から入手した「殉難中国人慰霊と殉難詳報」という文書のコピーに概要が書かれていた。旧満州の開拓団関係者を取材して文章を書いた経験もあり、中国への関心は深かった。

 相生事件の当時は、過酷な労働の強制から解放されて自由を得た中国人が権利を主張し、各地で紛争が起きていた。殺人は偶発的なものではなく、事件の背景に隠された意図はなかったのか。古知さんは造船所や外務省、県警の資料を集め、証言者を探してインタビューを続けた。

 だが地元相生でも、事件を知る人は少なかった。日本の戦争責任、戦争犯罪が追及された時代だけに、ことさら神経質に扱われ、真実が霧に包まれた面もあったようだ。殺人罪で懲役10年の判決を受けたはずの主犯は、翌春には姫路市で目撃されている。決定的な証拠は見つからなかったが、古知さんは権力と犯人グループ間の「あうんの呼吸」で事件が内密に処理された面もあるのではと考えている。

 中国人被害者の故郷を訪ねて中国へ飛んだ古知さんは、強制連行されて数カ月で心臓衰弱で亡くなった小学校の先生の遺族に会った。「買い物に行く」と出かけたまま行方不明になり、拉致されて造船所で病死したことは、戦後帰国した同郷の中国人から知らされたという。古知さんは涙が止まらず、遺族に「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返したという。

 「戦争の歴史では責任は重層的に折り重なっている。だが、私たちが加害者であったことは忘れてはいけない」と古知さんは話す。

 2300円(本体価格)。開拓団を追った「一九四五年夏 満州 七虎力(しち・こ・りき)の惨劇」も今回同じ出版社から出した。こちらは1900円(同)。 


【とんび岩のコメント】

 相生市議だった月岡定康氏が、相生歴史研究会の会報「みち」第25号(平成19年11月発行)に、「私の戦後未処理問題」と題して、「相生事件」について、ご自身の体験談を書いておられる。

 事件当時、同氏のお父さんが播磨造船所松之浦工場の工場長であった関係で、事件直後、実行犯たちが自宅へ報告に現れ、同氏も居合わせることになったという。只ならぬ雰囲気に、小学4年生だった同氏は、「母の側に立って、必死で母の着物の袖を握り締めていた」とのこと。

 相生歴史研究会の会報は市立歴史民俗資料館に置いてあると聞いた(確認はしていない)。古知さんの本の中には、月岡さんへのインタビューを想起させる記述は無い。

 敗戦直後の混乱期、戦勝国民となった華僑や第三国人の横暴には警察も手が出せなかった。そんな時代に、神戸で闇市の秩序を維持し、同胞の命や財産を守ったのが田岡一雄の率いる山口組だった。「相生事件」も、同様の状況下で起こったものと(私は)推測している。


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