
【随想】 魔性の川柳 情野
千里
2009/09/10 神戸新聞
川柳の魔に魅入られて30年が過ぎた。
川柳……それは五・七・五のたった17音で何でもうたに変えることができる魔法の壺――。俳句と同じ形と大きさの壺だが、そこで醸されるものの味わいと香りは随分と異なる。川柳の壺から溢(あふ)れだす露出的でありながら含羞(がんしゅう)を滲(にじ)ませる肉声。悪漢ぶった口吻(こうふん)で建前の嘘を暴く舌鋒(ぜっぽう)。人間臭い千言万語の魅力にどっぷり浸かった歳月である。
川柳と縁を結んだのは実家の母の手引きだ。
若いころ作家になるのが夢だった母が、新聞に川柳を投稿していた。選者の時実新子が当時住んでいた姫路市で川柳教室を開講するという。私の嫁ぎ先が姫路だったこともあり、母娘がカルチャーセンター通いを始めた。
それまで川柳を詠んだこともなく、興味を持って読んだのは新聞に載った母の入選句ぐらいだった。自発的に学ぼうと接近したわけでもないのに日を重ねるにつれ、どんどん川柳が私の皮膚から入り込み、全身を浸して行くのがわかった。
もともと何かで自分を表現したい人間だった。大学の文学部へ行くことは父に反対され、家を出て専門学校へ通い創作を続ける計画は、母が涙目で止めた。
26歳で結婚し、専業主婦となってからも桜咲く4月には心が騒いだ。断念したはずのモノ書きに憧(あこが)れるもう1人の私が、どこへ向けてかわからぬまま歩きだそうとするのだ。
「時実新子の川柳教室」は1980年4月の開講だ。「春」という題をあたえられて<アネモネの花芽こごまり春となる>という句を詠んだ。
川柳作家というモノ書きになった私が、やがて川柳パフォーマンスを始め、舞踏と出合うのだ。
<アネモネを挿して無頼の妻となる>
魔と表現するしかない世界を歩き続けている。
| せいの・ちさと 川柳作家・舞踏家。1948年相生市生まれ。川柳作家の時実新子さんに師事し、川柳と身体表現の舞踏を合体した川柳パフォーマンスを国内外で上演。総合文芸誌も発行する。川柳舎・みみひめきっちん代表。姫路市在住。 |
【とんび岩のコメント】
同じ町内(相生市古池)に住んでいた同学年のH沢チーちゃんだ!。神戸新聞に随想を書くほどに、有名になったんだなあ。たいしたものだ。