西はりま幻妖記(1) 武士の碑(たつの)  
2016/08/14 神戸新聞 

 車のヘッドライトに浮かんでは、また消える。辺りは再び静寂の闇に沈んだ。

 たつの市揖西町新宮。田園風景が広がる県道脇にぽつんと一つ、石碑が立つ。この地で怪死した武士・海老名弾正(えびな  だんじょう)の名が刻まれている。

 時は鎌倉時代。源頼朝が富士の裾野で巻狩(まきがり)をした。弓矢を携え参じた弾正は命乞いをするキツネを射止めた。これが災いの始まりだった。

 放浪の身となったある日、眼前にあのキツネが現れた。刀で切りつけると石仏だった。程なく武士は息絶えた。石仏の額から一筋の血が流れた。

 村人は石を積み、弾正の墓を造ったが、そばに植えた梅の木は、枝を折ると血が流れたという。

 子どものとき、近くの川で遊んだ男性(66)は「親から墓に近づくなと叱られたな。墓の木を折り、脚が骨折した人もいたと聞いた」

 あぜ道にあった墓は、40年ほど前、県道の工事で移され、田んぼを接した有志3人が墓碑を建てた。

 その家族らが毎年6月1日、お経を読んで供養する。勤めを引き継ぐことになる森本一徳さん(56)は「弾正の悔恨の念は人間味が表れている。殺生への戒めだろうか」

 蒸し暑い夜中。車が行き交うたび、生暖かい風がまとわりつく。

 さまよう亡霊がざわつくかのように。

(文・松本茂、撮影・山崎竜)

                   ■               ■

 幼いころ、夜の闇が怖かった。えたいの知れない何かがいる気がした。秋の気配も近づく晩夏、西播磨に残る怪奇談の地を歩いた。



【とんび岩のコメント】


 揖西町新宮を通る県道は1本(5号)しかない。それをストリートビューでなぞると、記事に添えられていた写真の墓碑はすぐ見つかった。

 見かけはそれほど古いものではなく、県道の工事の際に有志3人が新設された墓碑のようだ。昔あぜ道にあったという「墓」のほうはどこへ移されたのだろう。それが気になる。

 怪奇談の地というと、相生なら、IHIやJR赤穂線のトンネルかな。
 



『新聞(西播磨)』に戻る